岩瀬仁紀の凄さがわかる名言・語録集!天才投手の努力論から人生哲学にまで
日本プロ野球には数々のアンタッチャブルレコードがありますが、野球の形がいろいろ進化する中で生まれた、もっとも現代の野球らしいのが、通算登板数とセーブ数でしょう。そのふたつで日本記録を持っているのが岩瀬仁紀です。
通算登板数1002試合、セーブ数402は、共に驚異的な記録であり、今後これを更新するのは至難の業でしょう。セーブ数が記録として作られたのは1974年です。メジャーリーグでは1969年ですから5年遅れでスタートしますが、投手が先発完投する時代から、やがて先発・中継ぎ・抑えという分業システムが確立され、その重みを増したタイトルです。
岩瀬はその分業システムの申し子とも言え、1002登板中先発はただの一度しかなく、初めは中継ぎ、そして抑えとなり、15年連続50試合登板し、11年連続20セーブするなど、まさにその鉄腕から数々の記録を打ち立てました。
今回は史上最高のリリーフ投手岩瀬仁紀の凄さがわかる名言や語録から、天才投手の努力論や人生哲学にまで迫ってみましょう。
岩瀬仁紀について
まずは岩瀬仁紀の経歴を追ってみます。
1974年11月10日生まれ、愛知県西尾市出身。西尾東高校から愛知大学へ進学。当時は打者としても注目されており、卒業後はNTT東海へ入社。1998年のドラフトにて逆指名2位で中日ドラゴンズに入団。
プロ入りは遅かったものの、1年目から即戦力として活躍。中継ぎとして10勝をあげ、防御率も1.57を記録します。翌年、唯一の先発があるものの、他は中継ぎとして二年連続で10勝し、更に二年連続で最優秀中継ぎ投手に選ばれるなど、セリーグを代表する中継ぎ投手に。
2004年には抑えに配置変更され、2005年にはシーズン46セーブをあげて最優秀セーブ投手となり、以降2014年まで大車輪の活躍を見せ、日本を代表する抑え投手となります。
2015年に故障があり、登板なしに終わりますが、2017年には中継ぎとして50試合投げ、カムバック賞を取り、2018年を最後に44歳で引退。
最優秀中継ぎ投手3回、最優秀セーブ投手5回、日本記録となる登板数とセーブ数、シーズン46セーブはセリーグ記録と、リリーフ投手としてさまざまな記録を残しました。
私が選ぶ、岩瀬仁紀の凄さがわかる名言・語録
【名言・語録その1】
「数字には本当に興味がなくて。終わったときに振り返ればいい」
数々の大記録を打ち立てても、その数字に対していつも淡々としていた岩瀬ですが、大学時代にはその数字で運命が変わっていたといいます。大学時代は投手と野手の二刀流で、リーグの最多安打記録まで1本足りずに終わっています。
「達成できていたら、その後の野球人生が変わっていたと思う。野手で勝負しよう、そう考えたはずですから」
もしかしたら安打の1本くらいは、ちょっとした運で増えていたかもしれません。ただし、もしそんなことが起こっていれば、岩瀬の成した数々の偉業はなかったでしょう。
また岩瀬がリリーフ投手に専念できたのは、入団当時の星野仙一監督が山田久志コーチに「中継ぎとして一人前にしてくれ」と言ったとか、毎日のように登板するリリーフ投手は翌日に酒が残ってるなんてことはまずいから、下戸の岩瀬がいいと、酒豪の山田コーチが考えたという話もあります。
それもまた巡り合わせというか、運があったわけです。岩瀬が数字に興味を持たなくなったのは、数字だけでは計れないものを肌で感じていたからかもしれません。
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【名言・語録その2】
「手放しでは喜べない。最後に投げられなかったから、悔しい気持ちはありますよ」
2011年10月18日、引き分ければ優勝という10回に、登板したのは岩瀬ではなく浅尾でした。絶対的な抑えであり、この年も37セーブで防御率1.48の投手をマウンドに上げなかった落合博満監督の意図はわかりませんが、岩瀬の悔しさは想像できます。
落合監督の采配で物議をかもしたといえば、2007年のドラゴンズと日本ハムファイターズとの日本シリーズ第5戦で、山井が8回まで完全試合を記録している中、9回に岩瀬を登板させたというのがあります。
「ものすごい重圧だった。人生初めてです、こんなの」
百戦錬磨の岩瀬がそう言うほどの場面でした。山井は指のマメを潰していたそうですが、どうあれ、その場面でマウンドに上がる方の気持ちは、想像がつきません。それでも最後に投げられないよりはいい、と岩瀬は思っていたのではないでしょうか。
【名言・語録その3】
「他のところとは違う。何かがある。自分にないものが得られるんですよ。発見。新たな引き出し。僕は学ばせてもらっている」
岩瀬はイチローと同様に「初動負荷理論」に基づいたトレーニングを行っていました。それはいろいろな発見や引き出しを増やす為だったようです。
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大学から社会人を経由しているためプロ入りが遅かった岩瀬が、これほどまで長く、そして物凄い稼働率で働けたのは、常に学ぶ姿勢を怠らなかったからでしょう。
リリーフ投手の条件として、岩瀬は三振を奪える、四球を出さない、盗塁されない、フィールディングがうまい、ということをあげています。逆にいえば彼はこの条件を19年間クリアし続けたことになります。
「そりゃ僕だって人間だし、またシーズンかと気分が滅入ることもあるけど、こればっかりは逃げられない。シーズン中は何をやっても心底楽しめないし、もうあきらめているからね」
そんな弱音を吐く岩瀬ですが、なぜ「こればっかりは逃げられない」のかといえば、やはり常に発見があり、新たなものが得られる実感があって、19年間続けられたのだろうと思います。
名言からの学び
・巡り合わせや運も味方につけられるかどうかが成功の鍵である。
・プレッシャーよりも、悔しさが勝るののが、本物のプロである。
・新たな発見や学び続けることが、長く活躍するための秘訣である。
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