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平石洋介監督の凄さが分かる名言・語録集!若き名将のリーダーシップ論から人生哲学まで


野球の世界に限らず、松坂大輔を中心とする「松坂世代」というのは、すでにひとつの慣用句になっています。打倒松坂を目指して切磋琢磨したこの世代には、松坂を含めて2019年時点でまだ藤川球児や和田毅など現役で頑張っている選手がいると同時に、すでに監督になる者も現れました。東北楽天ゴールデンイーグルスの平石洋介監督です。

「松坂世代」から初の監督に就任した平石。選手としての実績は戦後に一軍監督となった者の中で、史上最少の安打数ですが、高校と大学でも主将を務め、2013年にイーグルスを日本一に導いた星野仙一からも指導者として高い評価を受けて、初のチームはえぬきの監督になりました。

「名選手、名監督にあらず」という野球格言があるように、過去の名将の中には西本幸雄、上田利治、仰木彬など、選手としては大成しなかった者もいます。監督としてまだ未知数ですが、2019年シーズンは戦力不足の中、首位に立った時期もあり、最後までAクラスを争う勢いです。

今回は平石洋介監督の凄さが分かる名言や語録語録を紐解き、「松坂世代」初の監督である若き名将のリーダーシップ論から人生哲学にまで迫ります。

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平石洋介について

まずは平石洋介の経歴を追ってみます。

1980年4月23日生まれ、大分県杵築市出身。転居先の大阪でボーイズリーグに入り、関西選抜の主将として世界大会で優勝します。高校はPL学園高校に入学。入学後は左肩痛に悩まされ手術もしました。3年生の時に春と夏の大会共に甲子園に出場し、松坂大輔がいる横浜高校と対戦。春に敗れ、夏も敗れたものの、延長17回を三塁コーチ、更には途中出場によるヒットも放ち、主将として激闘を支えました。

高校卒業後は同志社大学に進学。世界大学野球の日本代表にも選出されます。大学卒業後はトヨタ自動車に入社。都市対抗などで活躍し、2004年のドラフト7位指名で、東北楽天ゴールデンイーグルスに入団します。2005年から新規参入となったイーグルスのドラフト1期生です。

2005年のルーキーイヤーから開幕一軍入りしますが、25試合の出場に終わります。その後、イースタンリーグでは3割を越える打率を残しますが、古傷の左肩痛など故障も多く、なかなか一軍での出場機会は得られませんでした。2009年に唯一の本塁打を放ちますが、2011年シーズン限りで引退します。

現役6年間で37安打、1本塁打、打率.215。引退後はイーグルスの育成コーチに就任。何事にも献身的な姿勢とリーダーシップが評価され、二軍守備走塁コーチ、一軍打撃コーチなどを歴任

2015年には二軍監督となり、若手を育てます。2018年に一軍ヘッド兼打撃コーチに移動しますが、シーズン途中に成績不振から梨田昌孝監督が辞任。その後、代行監督として80試合の指揮を執り、37勝41敗とまずまずの結果を出し、2019年から正式に一軍の監督に就任しました。

松坂世代初の監督であり、球団史上最年少で、現役わずか37安打の平石は戦後最少安打の監督となりました。2019年シーズンは則本昂大と岸孝之という両エースをシーズン途中まで欠き、扇の要である嶋基宏も故障でリタイアした中、時には新人選手を4人も先発させるなどしながら、終盤まで優勝争いに絡み、Aクラス入りを目指して良い戦いを見せています。

 

私が選ぶ、平石洋介の凄さがわかる名言・語録

【名言・語録その1】

「もう一度、松坂とやるまで負けられない。負けるわけがない」

PL学園高校時代、怪我もあり、主将ながら背番号は13番で、控えの選手でした。

しかし持前のリーダーシップを発揮して、チームを鼓舞し続けました。1998年夏の南大阪大会決勝で終盤まで上宮高校にリードを許す展開でしたが、平石が「こんなところで負けられないだろう」と、春に甲子園で敗れた松坂の名を出して、チームを叱咤し、逆転劇を呼び込みました。

有名な1998年夏の甲子園で繰り広げられたPL学園対横浜高校の対決は、延長17回に及ぶ激戦でしたが、PL学園が松坂を打ち崩した理由として、あるドキュメンタリー番組で横浜高校の捕手だった小山良男の構えから球種が分かり、三塁コーチの平石が打者に大声で伝えていたという話を放送しました。

しかし狙いは別にあったと、平石は話しています。

「僕は球種をわかってはいましたよ。でも打者には伝えてはいないんです。甲子園の大観衆の中で、声で伝えるというのはすごく難しいんです。大輔はすごい投手。じゃあ、自分に何ができるのか考えました」

平石の出した結論は「捕手を揺さぶろう」でした。「何かがおかしいと考えさせて、あわてさせようと思ったんです」

高校生がそこまで考えていたのは驚くべきことです。もし投げる直前に声で球種を伝えていたとしても、松坂の速球が相手では間に合わない筈ですし、やはり揺さぶりをかけたというのが事実でしょう。

平石はこの試合に途中出場でヒットを打ち、ランナーで出た際にも、打者を落ち着かせようとタイムをとって靴紐を直し、冷静になった大西宏明がヒットを放って同点のホームを踏んでいます。

彼の野球偏差値の高さがよくわかります

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【名言・語録その2】

「過去はどうすることもできず、一番大事なのは、いい未来のイメージをすること」

選手としては戦後の監督でもっとも安打数が少ない平石。

 

「プロ野球って、現役時代にすごい実績を残された方が監督になることが多いでしょ。そういう人たちには負けたくないなって、個人的な想いがあるんですよ」

イーグルスはその設立過程もあって、平石が入団した当時は戦力も施設も整わない弱小球団でした。なので新人選手であっても活躍のチャンスはそれなりに与えられました。しかし平石は故障がちで結果を残すことはできませんでした。

そんな悔しさをバネにした苦労人であるためか、コーチ時代から選手とのコミュニケーションが密で、若手だけでなくベテランにまで気遣いを見せています。

2019年に西武ライオンズからFA移籍してきた浅村栄斗がセカンドのレギュラーが確定している中、セカンドの名手である藤田一也は「選手の気持ちを理解してくれた上で、自分がどういう立場にいるかってことを明確に教えてくれるし、それってベテランでもありがたいことなんです」と平石の気遣いについて語っています。

また同じ松坂世代の久保裕也は「選手によって違う着眼点で話しかけてくれますし、ちょっとした行動でもよく見ているんです」と指摘しています。

 

「人と人との会話に教科書のようなマニュアルは存在しないですから。仮にマニュアルがあったとしても、その通りに言っても相手に響かないじゃないですか」

選手としては自分よりも上の成績を残している選手たちから信頼を得るために、平石は個々をよく観察し、そしてその人にあった言葉を探しているのです。

 

【名言・語録その3】

「僕みたいな実績のない人間が監督になる。誰かに媚び売って監督になったんやと、そう見てる人、いっぱいいると思います。でもいいんですよ、分かってくれる人が分かってくれていたら」

イーグルスが東日本大震災を乗り越えて、悲願の日本一になった2013年。平石は打撃コーチ補佐として、朝の練習では打撃投手をつとめ、試合後は相手チームなどの分析を夜遅くまで続け、選手たちをサポートし続けました。

それを見ていた星野仙一監督が「平石は球団に残すべきだ。それが球団のためになる」と高く評価していました。

星野仙一監督の凄さが分かる名言・語録集!伝説を残した名将の人生哲学やリーダー論とは?

 

「一番、星野さんから学んだのは、闘う姿勢ですね。どんな相手でも、どんな状況でも闘う姿勢を失ってはいけない」

その言葉の通り、2019年のイーグルスは前半戦、「逆転イーグルス」と言われるほど、終盤まであきらめずに逆転する試合が多くありました。中には球団史上初の8点差をひっくり返すという試合もありました。

野手でも投手でも積極的に新人や若手を起用し、ミスも多いのですが、自身の経験も踏まえて「ミス、イコール二軍とは思っていません」という姿勢で臨み、「それより次にどうするかが大事」と言っています。

事実、平石は前の試合でミスをした選手に対して、すぐにチャンスを与えています。

 

「この打席がダメだったら二軍か、なんてことを思っていて、結果が出るはずがない。悔いしか残らない。若い選手は勇気を持って、自分が持っているものを思い切り出してほしい。悔いは残してほしくない」

選手としてチャンスを勝ち取れなかった自身を省みて、監督としてその想いを生かそうとする平石ですが、自身もまた若き将として悔いを残さぬよう戦っているのだと思います。


2019 BBMベースボールカード 136 平石洋介 東北楽天ゴールデンイーグルス (レギュラーカード) 1stバージョン

 

 

名言からの学び

・考え、工夫して戦うことで、名勝負が生まれる。

・良く観察し、良いタイミングに、良い言葉をかけることで、人心掌握ができる。

・失敗した経験を生かせる者が成功者になる。

 

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