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巨人の歴代サード(三塁手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

球団創設が12球団で最も古い巨人。中軸を打つ打者が多い伝統球団のサードを数々の名選手が守ってきました。

今回は伝統ある巨人の「ホットコーナー」と呼ばれるポジションのサードを守った歴代選手の成績や年俸などを調べ、巨人歴代最強のサードについてまとめてみました。

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巨人の歴代サード(三塁手)一覧まとめ!

まずは1950年以降、そのシーズンの主にサードを守った選手を一覧にしてみました。

選手名 背番号 試合数 打率 本塁打 打点 タイトル
1950 手塚 明治 15 117 0.255 9 64
1951 宇野 光雄 10 111 0.303 3 59
1952 宇野 光雄 10 115 0.290 5 54
1953 宇野 光雄 10 97 0.270 4 53
1954 手塚 明治 15 110 0.252 3 35
1955 広岡 達朗 2 125 0.257 11 43
1956 土屋 正孝 25 115 0.257 6 27
1957 土屋 正孝 25 129 0.221 7 42
1958 長嶋 茂雄 3 130 0.305 29 92 本塁打王、打点王、最多安打、新人王、ベストナイン
1959 長嶋 茂雄 3 124 0.334 27 82 首位打者、最多安打、ベストナイン
1960 長嶋 茂雄 3 126 0.334 16 64 首位打者、最多安打、ベストナイン
1961 長嶋 茂雄 3 130 0.353 28 86 首位打者、本塁打王、最多安打、MVP、ベストナイン
1962 長嶋 茂雄 3 134 0.288 25 80 最多安打、ベストナイン
1963 長嶋 茂雄 3 134 0.341 37 112 首位打者、打点王、最多安打、MVP、ベストナイン、日本シリーズMVP
1964 長嶋 茂雄 3 133 0.314 31 90 ベストナイン
1965 長嶋 茂雄 3 131 0.300 17 80 ベストナイン、日本シリーズMVP
1966 長嶋 茂雄 3 128 0.344 26 105 首位打者、最多安打、MVP、ベストナイン
1967 長嶋 茂雄 3 122 0.283 19 77 ベストナイン
1968 長嶋 茂雄 3 131 0.318 39 125 打点王、最多安打、MVP、ベストナイン
1969 長嶋 茂雄 3 126 0.311 32 115 打点王、最多安打、ベストナイン、日本シリーズMVP
1970 長嶋 茂雄 3 127 0.269 22 105 打点王、ベストナイン、日本シリーズMVP
1971 長嶋 茂雄 3 130 0.320 34 86 首位打者、最多安打、MVP、ベストナイン
1972 長嶋 茂雄 3 125 0.266 27 92 ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞
1973 長嶋 茂雄 3 127 0.269 20 76 ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞
1974 長嶋 茂雄 3 128 0.244 15 55 ベストナイン
1975 ジョンソン 5 91 0.197 13 38
1976 高田 繁 8 118 0.305 13 58 ダイヤモンドグラブ賞
1977 高田 繁 8 127 0.296 17 65 ダイヤモンドグラブ賞
1978 高田 繁 8 100 0.245 5 31
1979 中畑 清 24 100 0.294 12 45
1980 中畑 清 24 124 0.268 22 57
1981 原 辰徳 8 125 0.268 22 67 新人王
1982 原 辰徳 8 130 0.275 33 92
1983 原 辰徳 8 130 0.302 32 103 打点王、MVP
1984 原 辰徳 8 130 0.278 27 81
1985 原 辰徳 8 124 0.283 34 94
1986 原 辰徳 8 113 0.283 36 80
1987 原 辰徳 8 123 0.307 34 95 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1988 原 辰徳 8 126 0.300 31 81 ベストナイン
1989 岡崎 郁 5 127 0.268 12 59
1990 岡崎 郁 5 102 0.289 6 49 ゴールデングラブ賞
1991 岡崎 郁 5 113 0.258 5 44
1992 岡崎 郁 5 124 0.252 12 53
1993 原 辰徳 8 98 0.229 11 44
1994 岡崎 郁 5 111 0.257 6 45
1995 ハウエル 40 66 0.279 14 41
1996 仁志 敏久 8 114 0.270 7 24 新人王
1997 元木 大介 2 101 0.282 9 32
1998 元木 大介 2 114 0.297 9 55
1999 元木 大介 2 114 0.229 6 34
2000 江藤 智 33 127 0.256 32 91 ベストナイン
2001 江藤 智 33 134 0.285 30 87 ベストナイン
2002 江藤 智 33 125 0.242 18 45
2003 江藤 智 33 105 0.268 17 43
2004 小久保 裕紀 6 125 0.314 41 96
2005 小久保 裕紀 6 142 0.281 34 87
2006 小久保 裕紀 6 88 0.256 19 55
2007 小笠原 道大 2 142 0.313 31 88 MVP、ベストナイン
2008 古城 茂幸 51 83 0.214 3 16
2009 小笠原 道大 2 139 0.309 31 107 ベストナイン
2010 小笠原 道大 2 137 0.308 34 90
2011 亀井 義行 9 111 0.246 3 24
2012 村田 修一 25 144 0.252 12 58 ベストナイン
2013 村田 修一 25 144 0.316 25 87 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2014 村田 修一 25 143 0.256 21 68 ゴールデングラブ賞
2015 村田 修一 25 103 0.236 12 39
2016 村田 修一 25 143 0.302 14 81 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2017 村田 修一 25 118 0.262 14 58
2018 マギー 33 132 0.285 21 84
2019 岡本 和真 25 143 0.265 31 94
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1950年代

50年代は主に5人がホットコーナーを務めました。手塚明治選手は入団2年目の50年に114試合に出場しましたが、その後3年間は宇野光雄選手が守りました。宇野選手が53年限りで国鉄に移籍すると再び手塚選手が守り、翌年は意外にもショートの印象が強い広岡達朗選手が1年で最も多く三塁手として出場しています。

56年からの2年を土屋正孝選手が守り、58年からは後にミスタープロ野球と呼ばれることになる長嶋茂雄選手が1年目からレギュラーを掴みました。新人ながら本塁打王、打点王、最多安打を獲得し、翌年には首位打者も獲得。プロ入り2年間で打撃主要タイトルを経験する活躍を見せました。

1960年代

60年代は全ての年で長嶋選手がレギュラーでした。この10年で首位打者4回、本塁打王1回、打点王3回、MVPに4回輝きました。68年には2019年に坂本勇人選手に抜かれるまでのチーム生え抜き右打者最高本塁打数となる39本のアーチを描いています。

62年からは王貞治選手とのONコンビでチームを牽引し、65年からV9を達成するチームの黄金期を支えました。

1970年代

60年代に続いて長嶋選手がレギュラーを務め、71年には6度目の首位打者のタイトルを獲得しますが、30代半ばを過ぎると成績は徐々に下降していき、V10を逃した74年に引退することとなります。

翌年は球団史上初のメジャーリーグ出身の野手として入団したデービー・ジョンソン選手が起用されますが、本職ではないことに加えて肩甲骨の骨折が響き、低打率に終わりました。

76年からの3年間はレフトからコンバートされた高田繁選手が外野手時代に続いてダイヤモンドグラブ賞を獲得するなど活躍し、79年からは「絶好調男」中畑清選手が多く起用されるようになりました。

1980年代

80年は前年に続いて中畑選手が起用され22本塁打を記録しましたが、翌年はシーズン途中に怪我で離脱し、代わりにルーキーだった原辰徳選手がセカンドから回り出場を続けました。原選手はその年新人王に輝き、83年には打点王とMVPを獲得するなど7年に渡りレギュラーを務めました。

原選手がレフトにコンバートされた89年は岡崎郁選手がファーストからコンバートされ、同年初の規定打席に到達しました。

1990年代

90年代は5人の選手が主に起用されました。岡崎選手は92年までレギュラーを務め、93年に原選手が再びサードのポジションを奪い返しました。94年には故障により離脱すると再び岡崎選手が起用されます。

95年はヤクルトで本塁打王と首位打者の経験があるジャック・ハウエル選手を獲得し起用しますが、離婚訴訟でシーズン途中に退団してしまいます。97年はルーキーだった仁志敏久選手が主に起用され、巨人の選手としては原選手以来15年ぶりの新人王に輝きました。

翌年セカンドに仁志選手が回ると起用が増えたのは元木大介選手。勝負強い打撃とセンスの光るプレーを見せ、98年には初の規定打席に到達し、打率.297の成績を残しました

2000年代

この年代から補強によって加入した選手が起用されるようになります。00年からの4年間は広島からFAで加入した江藤智選手、04年からの3年間はダイエーから無償トレードで加入した小久保裕紀選手が務めました。江藤選手は加入初年度から2年続けて30本塁打を記録するも徐々に成績は下降し、小久保選手は加入前年に負った右膝前十字靱帯断裂から復活し41本塁打をマークして、06年には移籍選手としては初のキャプテンを務めました。

小久保選手がFA権を行使して古巣に復帰すると代わりに日本ハムから小笠原道大選手がFAで加入しました。打率.313、本塁打31、打点88でチームを5年ぶりの優勝に導きMVPを受賞しました。08年は小笠原選手が一塁に回り、古城茂幸選手が多く起用され、09年からは再び小笠原選手が守りました。

2010年代

10年は09年に続き小笠原選手が務めますが、11年に再び一塁に回ると外野から亀井義行(善行)選手がコンバートされますが怪我の影響もあり低調、翌年からは横浜からFAで加入した村田修一選手が務めるようになります。

村田選手は横浜時代に本塁打王を獲得しましたが、移籍後は25本塁打が最高でした。好不調の波も激しく、17年はケーシー・マギー選手にポジションを奪われてマギー選手がセカンドに回るまで代打起用が主でしたが、15年以外は離脱することなく出場を重ねました。

18年はマギー選手、19年は一塁との兼任で岡本和真選手が起用されました。前年に史上最年少で3割30本100打点をマークし、この年主要成績は下がったものの2年続けて30本塁打以上を記録し、チームの主砲へと成長を続けています。

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巨人軍歴代サード(三塁手)年俸ランキング!歴代最高年俸は小笠原道大選手の4億3000万円!

ここでは巨人軍歴代サードを年俸で順位付けしてみました。なお、年俸と成績はサードとして1試合でも出場したことがあるシーズンの数字を記載しています。

順位 年度 選手名 年俸 打率 試合数
1 2011 小笠原 道大 4億3000万円 0.242 83
2 2006 小久保 裕紀 3億0000万円 0.256 88
2 2014 村田  修一 3億0000万円 0.256 143
4 2002 江藤 智 2億8000万円 0.242 125
5 2018 ケーシー・マギー 2億6600万円 0.285 132

FA制度が導入されて以降、巨人のサードはFAで入団した選手が多く、そのため近年在籍した選手の年俸が高くなっています。

1位は小笠原道大選手で、2011年の4億3000万円が歴代最高年俸となりました。「ガッツ」の愛称で親しまれ、ヘルメットが飛ぶフルスイングでファンを魅了しました。

移籍1年目の07年にMVPを獲得するなどチームの3連覇に大きく貢献しましたが、最高年俸となった11年は通算2000本安打を達成するも負傷離脱や不調に苦しみ、大きく成績を落としてしまいました。

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2位は同額で2人が並びました。小久保裕紀選手はダイエーから03年オフに無償トレードで加入すると、大きな怪我を乗り越え移籍1年目から41本塁打を記録するなど3位に終わったチームを牽引しました。

翌年はチームが5位に低迷する中、獅子奮迅の活躍を見せシーズンオフに3億円に到達しました。06年はキャプテンに就任するもチームは交流戦期間中に大型連敗を繰り返し、自身も故障で88試合の出場に留まり悔しいシーズンになりました。

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同じく2位にランクインしたのは14年シーズンの村田修一選手でした。「優勝争いがしたい」と横浜からFAで入団するも横浜時代とは違い下位を打つことが多くありましたが、移籍2年目の13年には打率.316の成績を残し、ベストナインに輝きました。3億円で臨んだ14年はリーグワーストの22併殺を記録するなど前年の成績を下回るシーズンでした。

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4位は02年の江藤智選手。広島からFAで99年オフに入団すると00年は優勝決定試合の9回裏に4点差を追いつく満塁本塁打を放つなど勝負強さを見せ、打率は低いながらも32本塁打を記録しました。

翌年も30本塁打をマークし、2年連続のベストナインを受賞すると年俸は2億8000万円に到達しました。最高年俸となった02年はチームは優勝を果たしましたが、自身は広島時代を含めてレギュラーに定着してから最低の成績に終わりました。

 

5位にランクインしたのはケーシー・マギー選手でした。13年に楽天で活躍しメジャーリーグに復帰していましたが、16年オフに巨人への入団が決定しました。移籍1年目は7月以降にサードからセカンドにコンバートされる難しい状況の中、首位打者争いを繰り広げる活躍を見せ、セリーグ新記録となる48二塁打を達成しました。2億6600万円で迎えた18年は、打率こそ前年を下回ったものの本塁打と打点は上回る活躍を見せましたが、若返りを図るチーム事情もあり同年限りで退団しました。

 

私が思う最強の巨人軍歴代サード(三塁手)は長嶋茂雄選手!!

近年は補強選手のイメージが強い巨人のサードのポジションですが、歴代最強の選手は昭和を代表する生え抜きの国民的スター、長嶋茂雄選手だと考えます。

ここで、長嶋茂雄選手のプロフィールを確認していきましょう。

職業:元プロ野球選手・元読売ジャイアンツ監督・野球評論家
生年月日:1936年2月20日
身長:178cm
出身:千葉県
最終学歴:立教大学
血液型:B型

1936年(昭和11年)2月20日生まれ、千葉県印旛郡臼井町(現・佐倉市)出身。佐倉第一高校、立教大学を経て、読売ジャイアンツに入団するとプロ1年目から3番サードでスタメン出場を続けました。

プロ17年で2,186試合に出場し、選手生活の晩年は成績を落としましたが、打率.305、444本塁打、1522打点を記録しています。いずれの記録も巨人の歴代サードの中で一番の成績であり、セリーグMVP5回、日本シリーズMVP4回、首位打者6回、打点王5回、最多安打10回、ダイヤモンドグラブ賞を2回獲得し、チームのV9に大きく貢献しました。また、プロ野球史上唯一、入団から引退するまでベストナインを毎年受賞しました。

59年の昭和天皇と香淳皇后が来場した天覧試合では5回裏と9回裏に本塁打を記録し、9回裏に放った本塁打はサヨナラ本塁打となる劇的な一打でした。本人も選手としてもっとも印象的な試合だったと後に語っています。

チームの9連覇に中心選手として貢献したことに加え、右打者歴代1位となる打率ベスト10入り通算13回、二塁打や三塁打、打点などもセリーグ記録を保持しており、タイトル以外にも記録を残した巨人歴代最高のサードと言えるでしょう。

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さらばミスタージャイアンツ 長嶋茂雄全記録1958〜2001 [ 長嶋茂雄 ]

巨人軍歴代サード(三塁手)に関する豆知識

実は巨人のサードから多くの監督が誕生しています。

巨人の監督としては長嶋監督、原監督が挙げられます。長嶋監督は2回監督に就任し、通算15年で1034勝を挙げ5度のリーグ優勝を果たしました。長嶋監督の2度目の退任後、引き継いだ原監督は3回にわたって監督を務め、13年でチームを8度のリーグ優勝に導いています。通算勝利数は1024勝で、監督14年目の20年シーズン中に長嶋監督の勝利数を上回ることが確実です。

他球団での監督経験者はヤクルトと西武の監督を歴任し、通算8年で3回リーグ優勝を果たした広岡監督、日本ハムとヤクルトで通算7年務めた高田監督、DeNAの初代監督を務めた中畑監督の3人です。

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プロ野球球団以外では、2015年の世界野球プレミア12とWBCで侍ジャパンを率いた小久保監督も巨人のサード経験者です。

 

まとめ

・60年代から70年代前半は長嶋茂雄選手が守り続け、数々のタイトルを獲得しV9に大きく貢献した。

・近年はFAにより他球団の主軸が入団し、江藤選手や小笠原選手、村田選手が守った。

・歴代で一番年俸が高かったのは、2011年シーズンの小笠原選手の4億3000万円。

・長嶋茂雄選手は巨人のサードとしてだけでなく、多数のセリーグ右打者最高記録を保持し、巨人歴代最強のサードである。

 

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