つれづれベースボール。

野球にまつわる話題を楽しく気ままにお届けします

中日

中日ドラゴンズの歴代投手(エース)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

戦前からこれまで長い歴史を持ち、数々の名投手が誕生してきた中日ドラゴンズ。

今回は中日ドラゴンズの歴代投手をリサーチして、最強の投手(エース)をご紹介します。

実力者揃いの中日ドラゴンズ歴代投手を早速確認していきましょう!

スポンサーリンク

 

中日ドラゴンズの歴代投手(エース)一覧まとめ!

1950年以降、そのシーズンの主な先発・中継ぎ・抑えの選手を一覧表にしてみました。

まずは先発から見てみましょう。そのシーズンで先発登板があり、最も多く勝ち星を挙げた投手を掲載しています。

中日ドラゴンズの歴代投手(先発)一覧まとめ!

選手名 背番号 先発登板 防御率 勝利数 投球回 完投数 タイトル
1950 杉下 茂 20 30 3.20 27 325.2 22 最多奪三振
1951 杉下 茂 20 24 2.35 28 290.1 15 最多勝利、沢村賞
1952 杉下 茂 20 30 2.33 32 355.2 25 沢村賞
1953 杉下 茂 20 27 2.83 23 266.2 13
1954 杉下 茂 20 32 2.39 32 395.1 27 最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率、沢村賞、MVP、ベストナイン、日本シリーズMVP
1955 杉下 茂 20 27 1.56 26 328 24
1956 大矢根博臣 19 30 1.53 20 281.1 21
中山 俊丈 28 27 1.62 20 256.1 13
1957 中山 俊丈 28 37 1.82 20 326 20
1958 大矢根博臣 19 38 1.61 24 329.2 21
1959 児玉 泰 18 35 2.07 20 256.2 15
1960 広島 衛 29 27 2.24 15 236.1 6
大矢根博臣 19 28 2.86 15 216.2 13
1961 権藤 博 20 44 1.70 35 429.1 32 最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、沢村賞、新人王、ベストナイン
1962 権藤 博 20 39 2.33 30 362.1 23 最多勝利
1963 柿本 実 45 28 1.70 21 260 21 最優秀防御率
1964 柿本 実 45 35 2.85 15 277.2 15
1965 小川健太郎 13 23 2.43 17 215.1 8
1966 小川健太郎 13 32 2.19 17 234 12
1967 小川健太郎 13 27 2.51 29 279.2 16 最多勝利、沢村賞、ベストナイン
1968 田中 勉 29 28 3.40 11 177.1 8
1969 小川健太郎 13 31 2.68 20 252 6
1970 田辺 修 33 12 1.98 11 167.2 9
1971 伊藤 久敏 16 28 2.41 12 209.1 8
1972 稲葉 光雄 18 35 2.76 20 261.1 14
1973 星野 仙一 20 15 3.04 16 166 7
1974 松本 幸行 21 37 3.13 20 236.1 11 最多勝利、最高勝率
1975 松本 幸行 21 37 2.41 17 250 9
星野 仙一 20 26 2.77 17 217.2 6 最高勝率
1976 松本 幸行 21 36 3.96 15 223.1 4
1977 星野 仙一 20 30 3.52 18 245.1 13
鈴木 孝政 29 8 3.76 18 170 2
1978 三沢 淳 11 22 3.40 12 187.2 3
1979 三沢 淳 11 28 3.72 13 203 7
藤沢 公也 19 28 2.82 13 185.1 3 最高勝率、新人王
1980 三沢 淳 11 22 4.09 8 153.2 4
1981 小松 辰雄 34 14 3.07 12 152.2 6
1982 都 裕次郎 28 29 3.13 16 221.1 8 最高勝率
1983 郭 源治 30 29 3.75 10 213.1 8
1984 鈴木 孝政 29 27 4.07 16 168 9
1985 小松 辰雄 20 25 2.65 17 210.1 14 最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、沢村賞、ベストナイン
1986 杉本 正 14 25 3.01 12 182.2 10
1987 小松 辰雄 20 25 2.74 17 200.1 10 最多勝利
1988 小野 和幸 13 29 2.60 18 187 4 最多勝利、最高勝率、ベストナイン
1989 西本 聖 25 30 2.44 20 246.2 15 最多勝利、最高勝率、ゴールデングラブ賞
1990 西本 聖 24 25 3.25 11 174.1 6
1991 郭 源治 33 18 2.71 13 163 9
1992 山本 昌広 34 25 3.43 13 170.2 5
1993 山本 昌広 34 24 2.05 17 188.1 10 最多勝利、最優秀防御率、最高勝率、
今中 慎二 14 30 2.20 17 249 14 最多勝利、最多奪三振、沢村賞、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1994 山本 昌広 34 29 3.49 19 214 14 最多勝利、沢村賞、ベストナイン
1995 今中 慎二 14 24 3.29 12 189 15
1996 今中 慎二 14 24 3.31 14 179.2 11
1997 山本 昌 34 28 2.92 18 206.2 4 最多勝利、最多奪三振、ベストナイン
1998 野口 茂樹 47 27 2.34 14 192 6 最優秀防御率
川上 憲伸 11 25 2.57 14 161.1 4 新人王
1999 野口 茂樹 47 27 2.65 19 203.2 7 MVP
2000 バンチ 42 25 2.98 14 184 2 最多勝利
2001 野口 茂樹 47 26 2.46 12 193.2 11 最優秀防御率、最多奪三振、ゴールデングラブ賞
2002 川上 憲伸 11 27 2.35 12 187.2 3
2003 平井 正史 36 20 3.06 12 144.1 3
2004 川上 憲伸 11 27 3.32 17 192.1 5 最多勝利、沢村賞、MVP、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2005 川上 憲伸 11 25 3.74 11 180.1 3
2006 川上 憲伸 11 28 2.51 17 215 6 最多勝利、最多奪三振、最高勝率、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2007 中田 賢一 20 26 3.59 14 170.1 3
2008 山本昌 34 22 3.16 11 133.2 2
2009 吉見 一起 19 25 2.00 16 189.1 5 最多勝利
2010 チェン 21 27 2.87 13 188 3
2011 吉見 一起 19 25 1.65 18 190.2 5 最多勝利、最優秀防御率、最高勝率、ベストナイン
2012 吉見 一起 19 19 1.78 13 138.2 6
2013 大野 雄大 22 25 3.81 10 146.1 1
2014 山井 大介 29 27 3.21 13 173.2 1 最多勝利、最高勝率
2015 大野 雄大 22 27 2.52 11 207.1 6
2016 大野 雄大 22 19 3.54 7 129.2 3
若松 駿太 61 19 4.06 7 115.1 3
2017 又吉 克樹 16 9 2.13 8 110 1
2018 ガルシア 70 26 2.99 13 168.2 2
2019 柳 裕也 17 26 3.53 11 170.2 1
2020 大野 雄大 22 20 1.82 11 148.2 10 最優秀防御率、最多奪三振、沢村賞
2021 柳 裕也 17 26 2.20 11 172 2 最優秀防御率、最多奪三振、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
スポンサーリンク

 

1950年代

50年代は「フォークの神様」が活躍しました。49年に中日ドラゴンズに入団した杉下茂投手はプロ2年目の50年に27勝挙げると、翌年以降も白星を積み重ね、51年に最多勝、52年に沢村賞、54年には32勝を記録して投手四冠に加えて沢村賞MVP日本シリーズMVPを獲得しました。ナックルボールのようなフォークを勝負所で投げ込み、相手の主軸を打ち取りましたが、フォークの投球数自体は少なく、基本的にはストレートで押す投球スタイルでした。

56年からは左右のエースが活躍、右の大矢根博臣投手はシュートを武器にし、左の中山俊丈投手は大きなカーブが特徴でした。59年は前年9勝だった児玉泰投手が20勝を記録しました。

1960年代

60年は大矢根投手と前年わずか4勝だった広島衛投手が15勝を挙げる活躍を見せ、61年は杉下投手の背番号20を継いだ権藤博投手が、ルーキーイヤーからフル回転し、先発登板44試合、勝ち星は35勝を数えました。

毎日のように登板することから「権藤、権藤、雨、権藤」という流行語が誕生し、62年も登板を重ねて30勝を記録しましたが、登板過多は肩や肘の故障を誘発する要因となり、以降は目立った活躍はありませんでした。

62年からの2年は、前年に南海から加入した柿本実投手がサイドスローに転向してブレイク、21勝を挙げて最優秀防御率に輝き、63年も15勝をマークしました。

64年から67年までは小川健太郎投手がチームトップの勝利数を記録し、67年は最多勝を獲得しました。68年は田中勉投手、69年は再び小川投手がチームトップとなりました。

1970年代

70年代は左右のエースが活躍しました。71年はサウスポーの伊藤久敏投手が前年の4勝から12勝を記録して大きく飛躍し、72年はプロ2年目の稲葉光雄投手が20勝を挙げました。

73年からは「燃える男」と呼ばれた星野仙一投手と大型サウスポーの松本幸行投手が中日ドラゴンズ投手陣を引っ張りました。星野投手は73年に16勝を記録、松本投手は74年に20勝をマークして最多勝を獲得しました。翌年はそれぞれ17勝を挙げ、星野投手は最高勝率となりました。

76年は松本投手が17勝を記録し、77年は星野投手と8試合に先発した鈴木孝政投手がチームトップの18勝を記録しました。

78年と79年は三沢淳投手がチームトップの勝ち星をマークし、79年はルーキーの藤沢公也投手も三沢投手と並ぶ勝利数を記録して新人王に輝きました。

1980年代

三沢投手は80年もチームトップの勝ち星を挙げましたが、チーム自体がわずか45勝に終わったため、8勝でした。81年はシーズン途中に先発に転向した小松辰雄投手がチームトップの勝ち星を記録、小松投手は85年と87年もトップの勝利数をマークし、85年は最多勝最優秀防御率沢村賞に輝きました。82年はプロ6年目の都裕次郎投手、83年は台湾出身の郭源治投手が活躍しました。

84年にチームトップの勝ち星を挙げたのは本格的に先発に転向して3年目の鈴木投手、86年は前年に西武からトレードで移籍してきた杉本正投手が12勝、88年は前年オフに杉本投手と同じく西武からトレードで加入した小野和幸投手が20勝を挙げる活躍を見せ、最多勝を獲得しました。

翌年は88年オフにトレードで巨人からやってきた西本聖投手最多勝を獲得し、トレードで加入した選手が3年連続でチームの勝ち頭となりました。

1990年代

90年は西本投手、91年は郭投手がトップの勝利数を記録し、92年からは変則サウスポーが活躍しました。

スクリューを武器にした山本昌広投手とスローカーブを操った今中慎二投手が毎年入れ替わるようにチームトップの勝ち星を挙げました。93年は2人で最多勝を獲得、山本投手は最優秀防御率、今中投手は沢村賞を受賞しました。山本投手は94年と97年にも最多勝を獲得しました。

98年は野口茂樹投手とルーキーの川上憲伸投手が活躍し、川上投手は新人王に輝き、野口投手は翌年に最多勝は逃したものの19勝を挙げてMVPを受賞しました。

2000年代

川上投手は00年代の中日ドラゴンズ投手陣を牽引し、02年と04年から06年までチームトップの勝ち星を記録、04年は最多勝沢村賞MVP、06年も最多勝を獲得しました。

00年はメルビン・バンチ投手がノーヒットノーランを記録する等活躍、01年は野口投手が12勝を挙げました。

07年は荒れ球を武器に中田賢一投手が14勝、川上投手が9勝に終わった08年は山本投手が42歳11か月で通算200勝を記録し、11勝をマークしました。

09年は前年に10勝を挙げていた吉見一起投手が精密なコントロールを披露し、16勝で最多勝に輝きました。

2010年代

台湾出身のチェン・ウェイン投手は吉見投手とともに活躍し、10年に13勝を挙げ、吉見投手は11年に18勝で2回目の最多勝を獲得、12年は13勝を記録しました。

13年に10勝を挙げた大野雄大投手はその後、15年に11勝、16年に7勝でチームトップとなり、20年に11勝で最多勝を獲得しました。

14年は山井大介投手最多勝に輝き、16年は大野投手と並んで若手の若松駿太投手がチームトップの勝ち星を記録しました。

17年は中継ぎから先発に転向した又吉克樹投手、18年はサウスポーのオネルキ・ガルシア投手が投手陣を引っ張りました。19年に11勝を挙げた柳裕也投手は21年にも11勝を記録し、最優秀防御率のタイトルを獲得しました。

スポンサーリンク

 

中日ドラゴンズの歴代投手(中継ぎ)一覧まとめ!

続いて中継ぎ投手の一覧です。最優秀中継ぎのタイトルが創設された1996年からの表になります。05年にホールドポイント(ホールド+救援勝利)が導入されるまでは登板数が一番多い投手を掲載しています。

選手名 背番号 登板数(リリーフ) 防御率 勝利数 ホールドポイント タイトル
1996 北野 勝則 61 54 2.36 1 -
1997 中山 裕章 19 53 4.34 7 -
1998 落合 英二 26 55 2.82 4 - 最優秀中継ぎ
1999 岩瀬 仁紀 13 65 1.57 10 - 最優秀中継ぎ
2000 岩瀬 仁紀 13 58 1.90 10 - 最優秀中継ぎ
2001 岩瀬 仁紀 13 61 3.30 8 -
2002 遠藤 政隆 24 57 3.14 4 -
山北 茂利 59 57 4.13 1 -
2003 落合 英二 26 61 1.77 7 -
2004 岡本 真也 12 63 2.03 9 - 最優秀中継ぎ
2005 岡本 真也 12 57 3.14 10 27
2006 平井 正史 22 57 2.29 5 27
2007 岡本 真也 12 62 2.89 5 38
2008 高橋 聡文 67 54 2.33 2 17
2009 浅尾 拓也 41 67 3.49 7 37
2010 浅尾 拓也 41 72 1.68 12 59 最優秀中継ぎ
2011 浅尾 拓也 41 79 0.41 7 52 最優秀中継ぎ、MVP、ゴールデングラブ賞
2012 田島 慎二 45 56 1.15 5 35
2013 浅尾 拓也 41 34 1.47 2 24
2014 福谷 浩司 24 72 1.81 2 34
2015 又吉 克樹 16 63 3.36 6 36
2016 又吉 克樹 16 62 2.80 6 22
2017 岩瀬 仁紀 13 50 4.79 3 29
2018 祖父江大輔 33 51 3.14 2 19
2019 福 敬登 34 52 2.05 2 20
2020 祖父江大輔 33 54 1.79 2 30 最優秀中継ぎ
福 敬登 34 53 3.55 5 30 最優秀中継ぎ
2021 又吉 克樹 16 66 1.28 3 36

1990年代

90年代は4人の投手が最多登板を記録しました。大洋から90年にトレードで移籍してきた左のサイドスローの北野勝則投手は、96年にワンポイントリリーフで54試合に登板、97年は中山裕章投手がセットアッパーとして53試合に登板しました。

98年は落合英二投手が55試合に登板、99年はルーキーの岩瀬仁紀投手が中継ぎながら10勝をマークし、それぞれ最優秀中継ぎのタイトルを獲得しました。

2000年代

岩瀬投手は00年代も毎年60試合前後の登板数で推移しますが、02年は右の遠藤政隆投手と左の山北茂利投手が岩瀬投手を超える登板数を記録しました。

03年は落合投手が最多登板を果たし、04年は抑えに回った岩瀬投手へ繋ぐセットアッパーとして中継ぎに転向した岡本真也投手最優秀中継ぎに輝き、安定した投球を披露しました。

ホールドポイントが採用された05年と07年は岡本投手がチームトップのホールドポイント数、06年は平井正史投手が57試合に登板し、防御率2.29の好成績を残しました。

08年からは抑えの岩瀬投手に繋ぐ左右のセットアッパーが活躍し、08年は速球派サウスポーの高橋聡文投手、09年は速球とフォークボールを武器に浅尾拓也投手が活躍しました。

2010年代

浅尾投手は抜群の成績を残し、10年に最優秀中継ぎのタイトルに輝くと、11年は79試合に登板し、防御率.0.41、52ホールドポイントを記録して中継ぎながらMVPを受賞しました。しかし、勤続疲労からか翌年以降は成績を落とし、13年はチームトップのホールドポイント数を記録したものの、不振だった12年は田島慎二投手、14年はシーズン終盤には抑えに回った福谷浩司投手が最多ホールドポイントをマークしました。

15年からの2年は独立リーグ出身の又吉克樹投手がリリーフエースとして登板を重ね、17年は中継ぎに戻っていた岩瀬投手が29ホールドポイントを記録しました。

18年は祖父江大輔投手、19年は左の福敬登投手、20年は2人が30ホールドポイントを記録して最優秀中継ぎを同時受賞しました。

21年は又吉投手が安定した投球を披露しましたが、シーズンオフにFAでソフトバンクに移籍することになり、22年は新たな中継ぎエースの台頭が期待されます。

スポンサーリンク

 

中日ドラゴンズの歴代投手(抑え)一覧まとめ!

ここではその年一番多くセーブを記録した投手を掲載しています。

74年からセーブがプロ野球に導入されましたが、導入当初は最終回だけ投げる投手は少なく、ロングリリーフをして結果的にセーブがついているケースが多くありました。また、先発の合間にリリーフをこなす選手もおり、そのため登板数に比べて投球回数が多い選手が多くいました。

選手名 背番号 登板数(リリーフ) 防御率 勝利数 セーブ数 タイトル
1974 星野 仙一 20 32 2.87 15 10 最多セーブ、沢村賞
1975 鈴木 孝政 29 60 2.98 9 21 最多セーブ
1976 鈴木 孝政 29 57 2.98 7 26 最優秀防御率、最優秀救援
1977 鈴木 孝政 29 49 3.76 18 9 最優秀救援
1978 星野 仙一 20 25 4.89 5 14
1979 小松 辰雄 34 54 2.69 6 16
1980 鈴木 孝政 29 35 2.73 4 12
1981 小松 辰雄 34 28 3.06 12 11
1982 牛島 和彦 17 53 1.40 7 17
1983 牛島 和彦 17 28 4.50 10 7
1984 牛島 和彦 17 50 2.74 3 29
1985 牛島 和彦 17 28 3.48 6 8
1986 牛島 和彦 17 35 2.78 3 16
1987 郭 源治 33 59 1.56 4 26
1988 郭 源治 33 61 1.95 7 37 最優秀救援
1989 郭 源治 33 42 2.31 5 25 最優秀救援
1990 与田 剛 29 48 3.26 4 31 最優秀救援、新人王
1991 森田 幸一 45 49 3.03 10 17 新人王
1992 与田 剛 29 39 3.48 2 23
1993 郭 源治 33 26 3.43 3 17
1994 小島 弘務 21 32 1.53 6 8
1995 郭 源治 33 16 4.02 5 4
中山 裕章 19 44 3.27 3 4
1996 中山 裕章 19 36 2.88 4 14
1997 宣 銅烈 20 43 1.28 1 38
1998 宣 銅烈 20 42 1.48 3 29
1999 宣 銅烈 20 39 2.61 1 28
2000 ギャラード 52 51 2.68 1 35 最優秀救援
2001 ギャラード 18 47 2.12 0 29
2002 ギャラード 18 47 1.52 1 34 最優秀救援
2003 大塚 晶文 64 51 2.09 1 17
2004 岩瀬 仁紀 13 60 2.80 2 22
2005 岩瀬 仁紀 13 60 1.88 1 46 最多セーブ
2006 岩瀬 仁紀 13 56 1.30 2 40 最多セーブ
2007 岩瀬 仁紀 13 61 2.44 2 43
2008 岩瀬 仁紀 13 51 2.94 3 36
2009 岩瀬 仁紀 13 54 2.12 2 41 最多セーブ
2010 岩瀬 仁紀 13 54 2.25 1 42 最多セーブ
2011 岩瀬 仁紀 13 56 1.48 0 37
2012 岩瀬 仁紀 13 54 2.29 1 33 最多セーブ
2013 岩瀬 仁紀 13 55 1.86 2 36
2014 岩瀬 仁紀 13 34 3.52 1 20
2015 福谷 浩司 24 42 4.05 3 19
2016 田島 慎二 12 59 2.44 3 17
2017 田島 慎二 12 63 2.87 2 34
2018 田島 慎二 12 30 7.22 0 15
2019 鈴木 博志 46 25 4.32 0 14
2020 マルティネス 97 49 1.13 2 21
2021 マルティネス 97 49 2.06 1 23
スポンサーリンク

 

1970年代

中日ドラゴンズでも同様の傾向が見られ、導入初年度の74年は星野仙一投手が先発と兼任して10セーブを挙げ、沢村賞を受賞しました。星野投手は78年にもチームトップのセーブ数を記録しますが、この年の先発登板は9試合のみで、リリーフ中心の起用でした。

75年から77年の鈴木孝政投手は、先発登板数はシーズン一桁であり、リリーフ専任でした。76年はリリーフながら規定投球回数に到達し、最優秀防御率のタイトルを獲得しました。

79年はプロ2年目の小松辰雄投手が、54試合全てリリーフとしてマウンドに上がり、16セーブを記録しました。

1980年代

80年は鈴木投手、81年は小松投手が最多セーブを記録しましたが、両投手とも徐々に先発にシフトしていき、82年から抑えを任されたのは牛島和彦投手でした。

プロ3年目の82年に17セーブを記録し、84年にはリーグトップの29セーブをマークしました。ロッテに移籍する86年まで抑えを務め、牛島投手の移籍後は郭源治投手が先発から回り、88年と89年に最優秀救援のタイトルに輝きました。

1990年代

90年代前半は抑えが固定できず、ルーキーの与田剛投手が90年は31セーブを挙げ最優秀救援新人王を受賞しましたが、翌年は不振に陥り、91年は森田幸一投手が新人ながら17セーブを記録して新人王を獲得しました。

翌年は与田投手が復活しましたが、93年は再び成績を落とし、郭投手が後半戦から抑えを務めました。94年は小島弘務投手、95年は郭投手と中山裕章投手がチームトップのセーブ数を記録しましたが、わずか4セーブでした。

96年は中山投手が14セーブを挙げ、97年からは「韓国史上最高の投手」と言われた宣銅烈投手が抑えに君臨し、3年間守護神として活躍しました。

2000年代

00年からの3年間はエディ・ギャラード投手が150キロを超えるストレートで相手打者を打ち取り、00年と02年に最優秀救援のタイトルを獲得しました。03年は通算100セーブを記録しましたが、シーズン途中に首脳陣とのトラブルで退団し、代わりに近鉄で守護神だった大塚晶文投手が務め、17セーブを挙げました。

04年からは岩瀬仁紀投手が中継ぎから抑えに回り、毎年安定した成績を残しました。00年代は3回最多セーブに輝き、抑えを務めた04年からの6年間で、40セーブ以上を4回記録しています。

2010年代

引き続き岩瀬投手が抑えを務め、10年と12年に最多セーブを獲得しました。14年にはプロ野球史上初の通算400セーブを記録しましたが、勤続疲労からか故障を抱えるようになり、15年は福谷浩司投手が抑えを務めました。

その福谷投手は16年は不調で成績を落とし、代わりに田島慎二投手が中継ぎから回り、17年には34セーブを挙げました。

19年は2年目の鈴木博志投手が務めますが、安定した投球には程遠く、翌年からはキューバ出身のライデル・マルティネス投手が起用され、191センチの長身から投げ下ろす160キロを超えるストレートで相手打者に脅威を与えています。

スポンサーリンク

 

【中日ドラゴンズ】歴代投手の年俸ランキング!歴代最高年俸は岩瀬仁紀投手の4億5000万円!

ここでは中日ドラゴンズ歴代投手を年俸で順位付けしてみました。なお、年俸と成績は先発・中継ぎ・抑えとしてチームトップの成績を残したシーズンを採用しています。

投手の年俸は先発投手が高くなる傾向がありますが、中日ドラゴンズのトップ5にはリリーフ投手の方が多くランクインしました。

順位 年度 選手名 年俸 防御率 勝利数 登板数
1 2012 岩瀬 仁紀 4億5000万円 2.29 1 54
2 2012 吉見 一起 2億7000万円 1.75 13 19
3 2002 E.ギャラード 2億6000万円 1.52 1 47
4 2006 川上 憲伸 2億4000万円 2.51 17 29
5 2013 浅尾 拓也 2億2000万円 1.47 2 34

1位は岩瀬仁紀投手で、12年の4億5000万円が歴代最高年俸となりました。長年抑えを務め、抑えを任されてから9年目となったこの年も33セーブを挙げて最多セーブに輝き、8年連続となる30セーブ以上を記録しました。

2位は12年の吉見一起投手2億7000万円です。前年に18勝を挙げて最多勝に輝き、迎えた12年も13勝をマークしました。防御率も1.78と安定しており、エースとしてチームを牽引しました。

3位は抑えを3年務めたエディ・ギャラード投手です。00年から抑えを務め、来日1年目で最優秀救援を受賞、翌年も29セーブを記録し、年俸は2億6000万円となりました。最高年俸で迎えた02年も最優秀救援を獲得しました。

4位は06年の川上憲伸投手で、2億4000万円でした。98年のルーキーイヤーから14勝を挙げていた竜のエースは、その後も安定した成績を残し、06年も215イニングを投げて17勝をマーク、2回目の最多勝を獲得しました。

5位にランクインしたのはセットアッパーとして活躍した浅尾拓也投手です。高橋聡文投手とともに岩瀬投手へ繋ぐ大事な役割を担い、11年には中継ぎながらMVPを受賞しました。12年は不調でしたが、2億2000万円で迎えた13年はチームトップのホールドポイント数を記録しました。

スポンサーリンク

 

私が思う最強の中日ドラゴンズの歴代投手は岩瀬仁紀投手!

これまで多くの名投手がマウンドに上がってきた中日ドラゴンズで、歴代最強の投手は中継ぎ・抑えとして活躍した鉄腕・岩瀬仁紀投手だと考えます。

ここで、岩瀬仁紀投手のプロフィールを確認していきましょう。

職業:元プロ野球選手・野球評論家
生年月日:1974年11月10日
身長:181cm
出身:愛知県
最終学歴:愛知大学
血液型:AB型

1974年(昭和49年)11月10日生まれ、愛知県西尾市出身。西尾東高校から愛知大学へ進み、NTT東海を経て、1998年のドラフト会議で逆指名をして、2位で中日ドラゴンズに入団しました。

プロ通算20年で1002試合に登板し、そのうち1001試合でリリーフとしてマウンドに上がりました。防御率2.31、59勝、407セーブを記録しており、登板数とセーブ数はプロ野球史上第一位の記録となっています。最多セーブを5回、最優秀中継ぎを3回獲得していて、リリーフエースとして長きにわたり活躍しました。

切れ味鋭いスライダーとナチュラルに変化するストレートで相手打者を打ち取り、球界を代表するリリーフの1人として、04年と08年にはオリンピックの大舞台でも登板しました。

前人未到の1000試合登板、400セーブと球界の歴史に名を残している地元愛知県出身の鉄腕・岩瀬投手が中日ドラゴンズ史上歴代最強エースと言えるでしょう。

 

中日ドラゴンズの歴代投手に関する豆知識

最多勝を3回獲得し、日本プロ野球史上初の50歳登板を達成した山本昌投手は野球以外でも実績を残しています。

昆虫集めや漫画等、多趣味な山本投手ですが、その中でもラジコンに力を入れており、02年には全日本選手権EPツーリングカースポーツクラスで4位入賞を果たしました。

現在は休止していますが、自らも大会を開く等、野球だけでなくラジコンの世界でも「山本昌」の名前が知れ渡っています。

 
スポンサーリンク

まとめ

・中日ドラゴンズの先発投手は杉下茂投手や川上憲伸投手が多くのシーズンでチームの勝ち頭だった。

・中継ぎでは浅尾拓也投手、抑えでは岩瀬仁紀投手がチームトップの成績を複数シーズンで記録している。

・歴代で一番年俸が高かったのは、12年シーズンの岩瀬投手の4億5000万円。

・岩瀬投手は通算20年で1002試合に登板して407セーブを挙げ、どちらの記録もプロ野球史上1位となっており、中日ドラゴンズだけではなく日本を代表する歴代最強の投手である。

 

関連記事

【中日】選手や監督・コーチの背番号一覧!歴代永久欠番も調査

中日ドラゴンズの歴代サード(三塁手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

中日ドラゴンズの歴代セカンド(二塁手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

中日ドラゴンズの歴代ファースト(一塁手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

中日ドラゴンズの歴代外野手一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

スポンサーリンク

-中日

こんな記事も読まれています