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【中日】ドラフト1位指名の歴代選手まとめ一覧!その後の成績や活躍は?

2017/09/30

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今回は中日の歴代ドラフト1位の選手を振り返りながら、印象的な選手のその後の活躍や、ドラフトに関する豆知識エピソードなども併せてお伝えしようと思います。

やはり同じドラフト指名選手でも、1位とそれ以外では注目のされ方が全然異なりますから、その後の活躍は気になりますよね。

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中日ドラゴンズの歴代ドラフト1位指名選手の紹介

まずは中日の歴代ドラフト1位の選手についてご紹介していきますね。

年度 選手名 出身 ポジション 背番号 獲得タイトル等
1965 豊永隆盛 八代第一高 投手 18 -
1966 大場隆広 別府鶴見丘高 投手 34 -
1966 伊熊博一 中京商高 外野手 25 -
1967 土屋紘 臼田高→駒沢大→電電東京 投手 26 -
1968 星野仙一 倉敷商高→明治大 投手 22 最多セーブ1回、最高勝率1回、沢村賞1回
1969 谷沢健一 習志野高→早稲田大 投手 14 -
1970 氏家雅行 大府高 投手 24 -
1971 藤沢哲也 鶴崎工高 投手 25 -
1972 鈴木孝政 成東高 投手 29 最多セーブ1回、最多防御率1回、最優秀救援投手2回
1973 藤波行雄 静岡商高→中央大 外野手 3 新人王
1974 土屋正勝 銚子商高 投手 16 -
1975 田尾安志 泉尾高→同志社大 外野手 2 最多安打3回、最多出塁1回、新人王、ベストナイン3回
1976 都裕次郎 堅田高 投手 28 最多勝率1回
1977 藤沢公也 八幡浜高→日鉱佐賀関 投手 19 新人王、最高勝率1回
1978 高橋三千丈 静岡商高→明治大 投手 12 -
1979 牛島和彦 浪商高 投手 17 最優秀救援投手1回
1980 中尾孝義 滝川高→専修大→プリンスホテル 捕手 9 MVP1回、ベストナイン2回、ゴールデングラブ賞2回
1981 尾上旭 銚子商高→中央大 内野手 14 -
1982 鹿島忠 鹿児島実高→鹿児島鉄道管理局 投手 18 -
1983 藤王康晴 享栄高 内野手 1 -
1984 中村武志 花園高 捕手 39 -
1985 斉藤学 下妻一高→青山学院大 投手 12 -
1986 近藤真一 享栄高 投手 13 -
1987 立浪和義 PL学園高 内野手 3 新人王、ベストナイン2回、ゴールデングラブ賞5回
1988 今中慎二 大阪桐蔭高 投手 14 最多勝利1回、最多奪三振1回、沢村賞1回、ベストナイン1回、ゴールデングラブ賞1回
1989 与田剛 木更津中央高→亜細亜大→NTT東京 投手 29 新人王、最優秀救援投手1回
1990 小島弘務 平安高→駒沢大中退→住友金属 投手 21 -
1991 落合英二 作新学院高→日本大 投手 19 最優秀中継ぎ投手1回
1992 佐藤秀樹 富士宮西高→三菱重工横浜 投手 24 -
1993 平田洋 豊田大谷高 投手 11 -
1994 金森隆浩 耐久高→立命館大 投手 12 -
1995 荒木雅博 熊本工高 内野手 2 盗塁王1回、ベストナイン3回、ゴールデングラブ賞6回
1996 小山伸一郎 明野高 投手 33 -
1997 川上憲伸 徳島商高→明治大 投手 11 最多勝利2回、最多奪三振1回、最高勝率1回、新人王、MVP1回、沢村賞1回、ベストナイン2回、ゴールデングラブ賞3回
1998 福留孝介 PL学園高→日本生命 内野手 1 首位打者2回、最高出塁率3回、MVP1回、ベストナイン4回(外野手部門)ゴールデングラブ賞5回(外野手部門)
1999 朝倉健太 東邦高 投手 41 -
2000 中里篤史 春日部共栄高 投手 28 -
2001 前田章宏 中京大中京高 捕手 55 -
2002 森岡良介 明徳義塾高 内野手 8 -
2003 中川裕貴 中京高 内野手 32 -
2004 (1巡目指名無) - - - -
2005 平田良介(高)

吉見一起(大)

大阪桐蔭高

金光大阪高→トヨタ自動車

外野手

投手

8

19

ベストナイン1回

最多勝利2回、最優秀防御率1回、ベストナイン1回

2006 堂上直倫(高)

田中大輔(大)

愛工大名電高

如水館高→東洋大

内野手

捕手

24

28

-
2007

 

赤坂和幸(高)

山内壮馬(大)

浦和学院高

杜若高→名城大

投手

投手

54

26

-
2008 野本圭 岡山南高→駒沢大→日本通運 外野手 30 -
2009 岡田俊哉 智弁和歌山高 投手 11 -
2010 大野雄大 京都外大西高→佛教大 投手 22 -
2011 高橋周平 東海大甲府高 内野手 31 -
2012 福谷浩司 横須賀高→慶応大 投手 24 -
2013 鈴木翔太 聖隷クリストファー高 投手 18 -
2014 野村亮介 静清高→三菱日立パワーシステムズ横浜 投手 20 -
2015 小笠原慎之介 東海大相模高 投手 11 -
2016 柳裕也 横浜高→明治大 投手 17 -

(注釈1:2001年~2004年は自由枠の後ドラフト、2005年~2007年は高卒ドラフトと大社ドラフトに分かれている)
(注釈2:背番号、ポジションは入団当時のもの。獲得タイトルなどは他球団移籍後も含む)

こうしてみると、活躍した選手、そうでなく成績を残せず引退した選手など様々ですが、どちらかと言えば投手の1位指名が多いように思えますね。

ここ10年間の間でも、野本圭、高橋周平、後に打者に転向した赤坂和幸各選手を除くと、1位指名は全て投手となっています。

また獲得タイトルの欄をみても分かるとおり、大活躍した選手も多いことがよく分かりますね。

続いて、ドラフト1位指名選手のその後の活躍について、何人か具体的に名前を挙げて見ていくことにしましょう。

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注目選手のその後について

それでは、印象に残るドラフト1位指名の選手を、ここで何人か挙げてみたいと思います。

星野仙一

やはりドラフト制度が始まって以来、今なお歴史に強く残る選手であり、かつ監督としても名将であったのが星野氏です。その後の活躍は言うまでもないでしょう。

極端な巨人嫌いとして表向きは振舞っていましたが、巨人の選手とも親交は勿論あり、その嫌いというのは逆に言えば強かった巨人をリスペクトしていた事が印象的です。現在は楽天イーグルスのシニアマネージャーですが、古巣である中日への思いも深いようです。

 

立浪和義

まさに「元祖ミスタードラゴンス」と言われていたのがこの立浪氏です。

現在の老若男女問わず、中日ファンになったきっかけに立浪氏を挙げる人はとても多くいます。ですが意外にもタイトルは獲っていないんですよね(表彰は別)。それでもドラゴンズを長きに支えた、愛される選手でした。現在は解説者ですが、一部からは立浪監督待望論があるのも事実ですね。

 

荒木雅博

2017年、遂に2000本安打を達成した荒木選手。彼はドラフト1位ではありましたが、初めのころから活躍できていたわけではありません。

しかし、現在でもそうですが、類まれない努力を惜しまない、練習の虫として有名なのは知られているところです。走攻守揃った荒木選手は今でも健在。もう一度強いドラゴンズで優勝してやめたいとの思いもあり、来年も現役の続行が決まっており、同時に兼任コーチになります。荒木選手を見習っている後輩はとても沢山いますので、荒木イズムを継承して欲しいところですね。

2000本安打の歴代達成者まとめ!最速と最年少は誰でいつ?【プロ野球】

 

川上憲伸

言うまでもなく、現在のドラゴンズの投手陣の中で山本昌氏と共にドラゴンズを支え続けたのが川上氏でしょう。その実績の数々には往年の姿を思い出す人も多いのではないでしょうか。

また、投げる方だけではなく、打つ方も得意で、ホームランも幾度となく放ってますね。一部ファンの間で今でも「ジエンゴ出来なければ中日のエースじゃない」と言われているのは恐らく川上氏のことから来ているのでしょう。

晩年の去り方が聊か寂しいものがありましたが、またドラゴンズに指導者として戻ってくる可能性はゼロではないと思います。

 

福留孝介

彼はまだ阪神で現役を続けて、日米通算2000本安打を達成。勝負強いバッティングは中日時代から変わらず、今も阪神のチームの要となっています。

今は友永選手が1番を付けていますが、中日ファンの間では「孝介が中日の背番号1である」という風潮が現在でもあり、彼がメジャーや阪神に移籍してからも、福留選手をドラゴンズの誇りとしているファンは多数いるのも事実です。

まだまだ、来季以降も元気に活躍して欲しいですね。

【中日】選手や監督・コーチの背番号一覧!歴代永久欠番も調査

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ドラフト豆知識エピソード

夢は息子へと引き継がれる

現在中日ドラゴンズに在籍する近藤弘基選手の実父は、1986年にドラフト1位指名された近藤真一(後に真市と改名)氏です。弘基選手も享栄高出身ですが、真一氏も享栄高からのプロ入りで、なんと5球団の競合指名を受けました。

中日ドラゴンズに入団するも、怪我に泣かされ、僅か6年で引退せざるを得なかった真一氏ですが、その後もコーチなどドラゴンズに関わり、今ではポジションこそ違えど(真一氏は投手、弘基選手は外野手)、2014年に育成4位で指名された弘基選手は現在支配下選手となり、今季はチームに怪我人が続出したこともあってか、スタメンで出場する機会を得るまでにいたりました。

是非、お父さんの叶えられなかった活躍を、弘基選手には期待したいです。

 

亡き父との約束、母への誓い

2016年ドラフト1位で入団した柳裕也投手。彼がとても家族思いであることは有名です。

柳投手は、小学校6年生時に父親を交通事故で亡くしています。その時お父さんと約束したのは「プロ野球選手になること」。それ以来、お母さんの後押しも受けて、中学、高校と着実に実力を伸ばしていきました。明治大学に入学したのも、「母親に六大学での姿を見せたかった」からだったそうです。

そしてドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。ついにお父さんとの約束のひとつを果たしました。いつでもプロ野球選手になり、家族を守っていくことを目指してきた柳投手。本当の恩返しは、まだ始まったばかりです。

 

まとめ

・中日の歴代ドラフト1位には投手の方が多い。過去10年間はほぼ投手指名である。

・野手でもレジェンド選手を多数輩出。

・ドラフトのエピソードでは、柳裕也投手の家族への思いを感じる暖かいものがある。

 

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