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横浜DeNAベイスターズの歴代外野手一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

横浜DeNAベイスターズの外野のポジションは、これまで多くの名選手が務めてきました。

今回は横浜DeNAベイスターズの外野を守った歴代選手の成績や最高年俸などをリサーチして、横浜DeNAベイスターズ歴代最強の外野手をご紹介します。

横浜の地で輝きを放った選手たちをチェックしていきましょう!

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横浜DeNAベイスターズの歴代外野手一覧まとめ!

まずは1950年以降、そのシーズンの主に外野を守った選手を一覧にしてみました。多くの選手が複数のポジションでレギュラーを経験していることがわかりました。

それではライトから順にご紹介します。

横浜DeNAベイスターズの歴代外野手(ライト)一覧まとめ!

選手名 背番号 試合数 打率 本塁打 打点 タイトル
1950 藤井 勇 3 140 0.327 34 122
1951 藤井 勇 3 98 0.255 15 59
1952 岩本 義行 2 120 0.286 16 81
1953 岩本 義行 2 110 0.268 9 49
1954 椙本 勝 20 119 0.236 3 28
1955 椙本 勝 20 121 0.245 3 25
1956 青田 昇 23 129 0.259 25 65 本塁打王、ベストナイン
1957 青田 昇 23 129 0.274 22 61 本塁打王、ベストナイン
1958 中島 執 19 112 0.213 1 16
1959 近藤 和彦 26 110 0.279 8 22
1960 黒木 元康 23 100 0.232 9 37
1961 黒木 基康 23 124 0.215 9 36
1962 森 徹 6 133 0.254 22 67
1963 森 徹 6 134 0.240 24 68
1964 森 徹 6 130 0.255 15 54
1965 黒木 基康 23 119 0.283 25 61
1966 江尻 亮 19 71 0.303 4 16
1967 桑田 武 6 121 0.233 19 60
1968 江尻 亮 19 127 0.248 14 44
1969 近藤 和彦 26 122 0.239 9 29
1970 江尻 亮 19 128 0.271 11 51 ベストナイン
1971 江尻 亮 19 127 0.280 6 31
1972 江尻 亮 19 127 0.265 12 39
1973 江尻 亮 19 122 0.291 15 44 ベストナイン
1974 江尻 亮 19 120 0.282 10 37
1975 江尻 亮 19 123 0.277 7 36
1976 江尻 亮 19 114 0.250 8 33
1977 高木 嘉一 9 125 0.323 20 73
1978 高木 嘉一 9 126 0.326 23 80
1979 マーチン 4 125 0.254 28 83
1980 高木 嘉一 9 128 0.283 12 56
1981 高木 嘉一 9 115 0.270 9 50
1982 高木 嘉一 9 92 0.284 10 35
1983 トレーシー 20 125 0.303 19 66
1984 高木 由一 9 100 0.273 6 35
1985 ホワイト 8 88 0.263 10 45
1986 ローマン 5 126 0.291 14 75
1987 ポンセ 7 130 0.323 35 98 打点王、最多安打、ベストナイン
1988 ポンセ 7 130 0.292 33 102 本塁打王、打点王、ベストナイン
1989 ポンセ 7 130 0.264 24 81
1990 横谷 彰将 4 116 0.276 1 21
1991 レイノルズ 23 118 0.316 15 80 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1992 レイノルズ 23 113 0.248 19 66
1993 ブラッグス 44 72 0.345 19 41
1994 ブラッグス 44 122 0.315 35 91 ベストナイン
1995 ブラッグス 44 110 0.273 24 72
1996 ブラッグス 44 100 0.281 13 56
1997 佐伯 貴弘 26 106 0.260 4 25
1998 佐伯 貴弘 26 108 0.289 9 55
1999 佐伯 貴弘 26 112 0.309 10 53
2000 中根 仁 6 103 0.325 11 61
2001 中根 仁 6 104 0.263 7 33
2002 ロドリゲス 35 138 0.262 18 60
2003 佐伯 貴弘 10 104 0.272 11 41
2004 金城 龍彦 1 133 0.302 13 52
2005 金城 龍彦 1 144 0.324 12 87 ゴールデングラブ賞
2006 金城 龍彦 1 144 0.268 11 59
2007 内川 聖一 2 92 0.279 7 29
2008 吉村 裕基 31 142 0.260 34 91
2009 吉村 裕基 31 144 0.248 16 54
2010 内川 聖一 2 144 0.315 9 66
2011 下園 辰哉 50 85 0.265 4 25
2012 金城 龍彦 1 129 0.238 3 18
2013 荒波 翔 4 126 0.258 2 30 ゴールデングラブ賞
2014 梶谷 隆幸 3 142 0.263 16 72 盗塁王
2015 梶谷 隆幸 3 134 0.275 13 66
2016 桑原 将志 37 133 0.284 11 49
2017 桑原 将志 37 143 0.269 13 52 ゴールデングラブ賞
2018 ソト 99 107 0.310 41 95 本塁打王、ベストナイン
2019 佐野 恵太 44 89 0.295 5 33
2020 オースティン 23 65 0.286 20 56
2021 オースティン 23 107 0.303 28 74
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1950年代

50年代は他球団で中軸を担った経験のある選手等、6人が守りにつきました。球団創設1年目からの2年は阪神でプレー経験のあった藤井勇選手が務め、50年にキャリアハイとなる140試合に出場し、打率.327、34本塁打、122打点を記録しました。

52年からは岩本義之選手が守り、54年からの2年間は椙本勝選手が務めました。戦前戦後に巨人で中軸を担っていた青田昇選手が53年に入団し、56年にセンターからライトに回り、2年連続で本塁打王と打点王を獲得しました。

58年に青田選手が故障で離脱すると中島執選手がセンターから回り、59年は同じくセンターから近藤和彦選手が移りました。

1960年代

近藤選手がファーストに回った60年は日本大学から入団した黒木元康(基康)選手が抜擢され、翌61年と65年にライトのレギュラーとしてプレーしました。

62年に中日で打点王を獲得した経験のあった森徹選手が金銭トレードで加入し、移籍1年目からライトで起用され、64年まで130試合以上に出場しました。

66年はピッチャーとして入団した江尻亮選手が主に起用され、67年はスラッガーの桑田武選手、68年は再び江尻選手が起用されて自身初となる規定打席に到達、69年は江尻選手と入れ替わる形でセンターから近藤選手が回り、再び務めました。

1970年代

江尻選手は引き続きレギュラーを務め、70年にストナインを受賞、73年にも受賞し、76年までプレーしました。77年に頭部死球で負傷すると高木嘉一選手が代わりに起用され、77年と78年に打率3割以上を記録しました。

79年は中日の主軸として活躍していたジーン・マーチン選手が加入し、28本塁打を放ちましたが1年限りで退団しました。

1980年代

80年から再び高木選手が守り、82年までの3年と84年にレギュラーを務めましたが、外国人選手の加入により、徐々に出場機会を失っていきました。

83年はジム・トレーシー選手、85年は前年に西武でプレーしていたジェリー・ホワイト選手、86年はダグ・ローマン選手と外国人選手の起用が続きました。

87年はサードからカルロス・ポンセ選手がコンバートされ、打率.323、35本塁打、98打点で打点王を獲得、翌年は本塁打と打点の二冠王に輝く活躍を見せました。

1990年代

90年はプロ3年目の横谷彰将選手が抜擢され、116試合に出場しましたが定着には至らず、91年からの2年間はロバート・ジェームズ・レイノルズ選手が務め、91年はベストナインとゴールデングラブ賞を受賞しました。

レイノルズ選手は92年限りで退団し、代わってグレン・ブラッグス選手が入団し、4番としてチームを牽引、96年に引退するまでレギュラーを務めました。

97年からの3年間は佐伯貴弘選手が起用され、98年は「マシンガン打線」の一員としてリーグ優勝に貢献しました。

2000年代

佐伯選手がファーストに回り、00年からの2年は97年に近鉄からトレードで加入して相手投手によっては先発出場をしていた中根仁選手が守り、00年は自己最高の打率.325をマークしました。

02年はボイ・ロドリゲス選手、03年は佐伯選手、04年から起用されたのは前年までセンターを務めていた金城龍彦選手で、06年までライトで出場し、05年にゴールデングラブ賞を受賞しました。

07年は近距離での送球難に悩んでいた内川聖一選手がセカンドから移り、08年は右の大砲として期待されていた吉村裕基選手が守り、08年に自己最多となる34本塁打を記録しました。

2010年代

10年はレフトに回っていた内川選手が再び起用され、横浜で過ごした最後のシーズンとなりました。FAでソフトバンクに移籍した内川選手の後に起用されたのは、前年にセンターでレギュラーを務めていた下園辰哉選手でしたが、85試合の出場に終わりました。

12年は再び金城選手、13年は俊足が武器の荒波翔選手がセンターから移り、前年はセンターで受賞していたゴールデングラブ賞を2年連続で受賞しました。

14年からの2年は梶谷隆幸選手が守り、14年に盗塁王を獲得、16年からの2年は桑原将志選手が起用され、17年にゴールデングラブ賞に輝きました。

18年はネフタリ・ソト選手がセカンドから回り2年連続となる本塁打王を獲得、19年にソト選手がファーストに移ると佐野恵太選手、20年に佐野選手がレフトに回るとタイラー・オースティン選手が来日して、攻守両面でアグレッシブなプレーを見せました。

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横浜DeNAベイスターズの歴代外野手(センター)一覧まとめ!

選手名 背番号 試合数 打率 本塁打 打点 タイトル
1950 長持 栄吉 9 123 0.251 9 66
1951 矢野 純一 31 79 0.239 2 24
1952 木村 勉 6 100 0.247 3 31
1953 青田 昇 23 105 0.245 9 40
1954 青田 昇 23 124 0.294 31 74 本塁打王
1955 青田 昇 23 103 0.268 17 54
1956 中島 執 19 104 0.214 2 17
1957 中島 執 19 126 0.228 2 20
1958 近藤 和彦 26 121 0.270 13 37
1959 中島 執 19 101 0.244 1 21
1960 渡辺 清 29 120 0.212 3 13
1961 近藤 和彦 26 130 0.316 11 48 盗塁王、ベストナイン
1962 近藤 和彦 26 130 0.293 8 38 ベストナイン
1963 近藤 和彦 26 139 0.305 7 42 ベストナイン
1964 重松 省三 32 136 0.296 15 50 ベストナイン
1965 近藤 和彦 26 134 0.308 9 33 最多安打、ベストナイン
1966 近藤 和彦 26 130 0.301 7 34
1967 近藤 和彦 26 119 0.327 7 33 ベストナイン
1968 近藤 和彦 26 126 0.290 5 28
1969 江尻 亮 19 113 0.283 18 43
1970 中塚 政幸 2 128 0.260 8 42
1971 中塚 政幸 2 128 0.245 7 37
1972 中塚 政幸 2 123 0.260 8 28
1973 中塚 政幸 2 95 0.292 1 9
1974 中塚 政幸 2 129 0.291 5 37 盗塁王
1975 長崎 慶一 23 122 0.264 12 42
1976 中塚 政幸 2 101 0.296 5 30
1977 長崎 慶一 7 126 0.266 19 57
1978 長崎 慶一 7 128 0.288 21 72
1979 長崎 慶一 7 117 0.291 11 50
1980 中塚 政幸 2 110 0.312 1 14
1981 ピータース 4 123 0.273 15 40
1982 屋鋪 要 31 95 0.257 1 12
1983 屋鋪 要 31 119 0.287 6 21
1984 屋鋪 要 31 124 0.305 5 27 ゴールデングラブ賞
1985 屋鋪 要 31 118 0.304 4 29 ゴールデングラブ賞
1986 屋鋪 要 31 127 0.237 15 78 盗塁王、ゴールデングラブ賞
1987 屋鋪 要 31 130 0.291 8 34 盗塁王、ゴールデングラブ賞
1988 屋鋪 要 31 121 0.236 9 57 盗塁王、ゴールデングラブ賞
1989 屋鋪 要 31 68 0.206 3 30
1990 山崎 賢一 2 109 0.259 1 34 ゴールデングラブ賞
1991 屋鋪 要 31 83 0.274 1 18
1992 屋鋪 要 31 115 0.277 2 31
1993 屋鋪 要 31 61 0.245 1 13
1994 畠山 準 25 127 0.292 11 46
1995 波留 敏夫 2 100 0.310 5 29
1996 鈴木 尚典 51 111 0.299 13 62
1997 波留 敏夫 2 127 0.295 8 41
1998 波留 敏夫 2 106 0.273 2 39
1999 波留 敏夫 2 130 0.298 15 70
2000 多村 仁 55 84 0.257 7 29
2001 金城 龍彦 2 138 0.271 3 49
2002 金城 龍彦 1 111 0.170 0 13
2003 金城 龍彦 1 136 0.302 16 40
2004 多村 仁 6 123 0.305 40 100
2005 多村 仁 6 117 0.304 31 79
2006 小池 正晃 44 112 0.267 7 33
2007 金城 龍彦 1 139 0.284 14 66 ゴールデングラブ賞
2008 金城 龍彦 1 136 0.247 9 41
2009 金城 龍彦 1 118 0.282 9 34
2010 下園 辰哉 50 131 0.286 3 28
2011 金城 龍彦 1 108 0.272 3 29
2012 荒波 翔 4 141 0.268 1 25 ゴールデングラブ賞
2013 モーガン 27 108 0.294 11 50
2014 荒波 翔 4 63 0.271 3 18
2015 荒波 翔 4 70 0.298 4 14
2016 梶谷 隆幸 3 107 0.273 18 56
2017 梶谷 隆幸 3 137 0.243 21 60
2018 桑原 将志 1 127 0.261 9 26
2019 神里 和毅 8 123 0.279 6 35
2020 梶谷 隆幸 3 109 0.323 19 53
2021 桑原 将志 1 135 0.310 14 43
  
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1950年代

急映でレギュラーだった長持栄吉選手、51年に入団し1年だけプレーした矢野純一選手、松竹の主軸だった木村勉選手が1年ずつ務め、53年からの3年間は巨人時代に川上哲治選手と競っていた青田昇選手が守りました。

青田選手は巨人時代に2回獲得経験のあった本塁打王を54年に獲得する等、主力として活躍し、56年にライトにポジションを移しました。

代わって中島執選手が起用され、中島選手がライトに回った58年は近藤和彦選手が守り、翌年はライトとセンターが入れ替わりました。

1960年代

60年は阪急から移籍してきた渡辺清選手が120試合に出場、渡辺選手が現役を引退した61年は再び近藤選手が務め、盗塁王とベストナインを受賞しました。

近藤選手はファーストに回った64年とライトを務めた69年以外の年でセンターのレギュラーとしてプレーし、61年の受賞を含めて6度ベストナインに輝きました。

64年に務めた重松省三選手も同年ベストナインを受賞、69年はライトからピッチャーとして入団した江尻亮選手が回りました。

1970年代

江尻選手がライトに戻った70年は、ファーストから俊足を買われてプロ2年目の中塚政幸選手が回りました。74年までの5年間と76年にレギュラーとしてプレーし、74年には28盗塁を記録して盗塁王に輝きました。

72年のドラフト会議で1位指名を受け、法政大学から入団してプロ1年目から出場機会を得ていた長崎慶一選手は75年に初めて規定打席に到達し、77年から79年までセンターのレギュラーを務め、78年にサイクルヒットを達成しました。

1980年代

80年は三度中塚選手が起用され、翌年はアメリカからジェームス・ピータース選手が来日し、まずまずの成績を残しましたが82年は外国人登録枠の関係もあり出場機会を得られず、俊足の屋鋪要選手が務めました。

俊足のスイッチヒッターだった屋鋪選手は、高木豊選手と加藤博一選手とともに「スーパーカートリオ」として活躍、84年から5年連続でゴールデングラブ賞を受賞し、86年から3年連続で盗塁王を獲得しました。

1990年代

屋鋪選手は90年こそ山崎賢一選手にポジションを譲りますが、93年に退団するまでレギュラーとしてプレーし、ファンを魅了しました。

屋鋪選手の後は、南海でピッチャーから転向し、91年に入団していた畠山準選手が94年は主に5番を打ち、95年は闘志あふれるプレーが持ち味の波留敏夫選手、96年はヒットメーカーの鈴木尚典選手、97年からは再び波留選手が守り、98年は自身の不祥事により開幕から出場はできなかったものの夏場以降は2番打者としてチームを支え、38年ぶりのリーグ優勝に貢献しました。

2000年代

大型外野手として期待されていた多村仁選手はプロ6年目の00年に初めてレギュラーを掴みましたが定着には至らず、翌年からは前年サードでプレーし、プロ2年目で首位打者と新人王を獲得した金城龍彦選手がセンターに移り、3年間センターでプレーしました。

04年に再び多村選手が起用され、日本人としては球団初となる40本塁打を記録、05年も31本塁打を記録しましたが、06年はシーズン途中で負傷により離脱、多村選手の高校(横浜高校)の後輩でもある小池正晃選手が代わりを務めました。

多村選手は06年オフにソフトバンクにトレードで移籍し、07年からの3年間はライトに回っていた金城選手がセンターに戻り、07年にゴールデングラブ賞を受賞しました。

2010年代

金城選手は10年に出場機会を減らし、下園辰哉選手が務めましたが、11年は金城選手がポジションを奪い返し、下園選手はライトに移りました。

12年に金城選手が再度ライトにポジションを変えると俊足が武器の荒波翔選手がセンターで起用されてゴールデングラブ賞を受賞、翌年ライトに移り、14年から再びセンターを務めましたが、14年と15年の出場試合数は100試合に到達しませんでした。

13年はメジャーリーグでのプレー経験が豊富なナイジャー・モーガン選手が務めましたが、1年限りで退団しました。

16年からの2年間はライトから梶谷隆幸選手が回り、17年に21本塁打を記録、18年はライトから桑原将志選手が移り、19年は左打ちの神里和毅選手、20年は梶谷選手が守り打率.323を記録しましたが同年オフにFAで巨人に移籍し、21年は再び桑原選手が起用されてしぶとい打撃でリードオフマンとして活躍しています。

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横浜DeNAベイスターズの歴代外野手(レフト)一覧まとめ!

選手名 背番号 試合数 打率 本塁打 打点 タイトル
1950 平山 菊二 25 140 0.274 7 74
1951 安居 玉一 23 100 0.321 13 65
1952 安居 玉一 23 112 0.291 9 74
1953 藤井 秀郎 3 112 0.299 15 57
1954 藤井 勇 3 112 0.264 15 55
1955 新井 竜郎 28 116 0.196 0 17
1956 沖山 光利 21 114 0.202 3 13
1957 沖山 光利 21 93 0.250 0 9
1958 沖山 光利 21 124 0.218 2 18
1959 岩本 堯 5 118 0.225 4 28
1960 岩本 堯 5 116 0.231 2 20
1961 金光 秀憲 9 121 0.282 5 41
1962 長田 幸雄 7 123 0.252 5 29
1963 黒木 基康 23 107 0.224 4 13
1964 長田 幸雄 7 125 0.297 6 45
1965 長田 幸雄 7 131 0.288 9 48
1966 重松 省三 32 108 0.261 14 32
1967 長田 幸雄 7 109 0.269 16 49
1968 長田 幸雄 7 97 0.252 14 42
1969 重松 省三 6 121 0.241 11 29
1970 重松 省三 6 127 0.266 11 34
1971 重松 省三 6 120 0.245 8 29
1972 江藤 慎一 8 103 0.250 18 51
1973 江藤 慎一 8 111 0.282 15 44
1974 江藤 慎一 8 111 0.291 16 67
1975 中塚 政幸 2 128 0.258 6 29
1976 長崎 慶一 23 101 0.236 12 25
1977 中塚 政幸 2 121 0.267 3 29
1978 中塚 政幸 2 124 0.317 1 30
1979 田代 富雄 26 124 0.235 19 54
1980 ジェームス 4 111 0.269 21 57
1981 長崎 啓二 7 118 0.292 10 35
1982 長崎 啓二 7 114 0.351 11 40 首位打者、ベストナイン
1983 長崎 啓二 7 112 0.305 7 44
1984 加藤 博一 35 109 0.276 2 25
1985 加藤 博一 35 129 0.280 4 35
1986 加藤 博一 35 75 0.317 3 30
1987 アドゥチ 5 82 0.268 13 48
1988 山崎 賢一 59 71 0.297 2 28
1989 山崎 賢一 59 129 0.309 7 56 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1990 パチョレック 14 133 0.326 17 94 首位打者、最多安打、ベストナイン
1991 宮里 太 7 125 0.291 7 36
1992 シーツ 26 131 0.308 26 100 打点王、ベストナイン
1993 畠山 準 25 128 0.281 14 72
1994 佐伯 貴弘 26 107 0.258 11 44
1995 鈴木 尚典 51 117 0.283 14 58
1996 佐伯 貴弘 26 114 0.290 6 59
1997 鈴木 尚典 51 125 0.335 21 83 首位打者、ベストナイン
1998 鈴木 尚典 7 131 0.337 16 87 首位打者、ベストナイン、日本シリーズMVP
1999 鈴木 尚典 7 134 0.328 17 92
2000 鈴木 尚典 7 134 0.297 20 89
2001 鈴木 尚典 7 122 0.315 6 57
2002 鈴木 尚典 7 99 0.282 9 42
2003 鈴木 尚典 7 133 0.311 19 57
2004 佐伯 貴弘 10 127 0.272 19 57
2005 小池 正晃 44 129 0.243 20 53
2006 吉村 裕基 31 111 0.311 26 66
2007 佐伯 貴弘 10 125 0.302 16 67
2008 大西 宏明 33 105 0.270 4 26
2009 内川 聖一 2 132 0.318 17 66
2010 スレッジ 3 129 0.252 28 78
2011 スレッジ 3 95 0.260 20 57
2012 ラミレス 3 137 0.300 19 76
2013 多村 仁志 52 96 0.261 12 39
2014 筒香 嘉智 25 114 0.300 22 77
2015 筒香 嘉智 25 138 0.317 24 93 ベストナイン
2016 筒香 嘉智 25 133 0.322 44 110 本塁打王、打点王、ベストナイン
2017 筒香 嘉智 25 139 0.284 28 94 ベストナイン
2018 筒香 嘉智 25 139 0.295 38 89
2019 筒香 嘉智 25 131 0.272 29 79
2020 佐野 恵太 44 106 0.328 20 69 首位打者、ベストナイン
2021 佐野 恵太 7 143 0.303 17 72
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1950年代

50年代は5人の選手が起用されました。巨人から移籍してきた平山菊二選手が初代レフトのレギュラーを務め、平山選手はキャプテンも務めました。その平山選手が翌年は故障により出場できなくなると阪神で活躍していた安居玉一選手が入団して2年間守りました。

53年と54年はライトのレギュラー経験のあった藤井秀郎(勇)選手、55年は新井竜郎選手が務めました。

明治大学から入団した沖山光利選手はルーキーだった56年にレギュラーに抜擢され、1年目から114試合に出場、58年までレギュラーを務め、59年は巨人から移籍してきた岩本堯選手が守りました。

1960年代

岩本選手が60年、金光秀憲選手が62年、黒木基康選手が63年にレギュラーを務めましたが、1年ごとにレギュラーが変わる状況でした。

64年からは長田幸雄選手重松省三選手が起用され、長田選手は67年に自己最多となる16本塁打を放ち、重松選手はセンターのレギュラーを務めた年もあり、外野の一角として活躍しました。

1970年代

71年まで重松選手はレギュラーとしてプレーし、72年は中日・ロッテで活躍した江藤慎一選手が入団、クリーンアップの一員として打線を牽引しました。

江藤選手が3年間務めた後、75年はセンターから中塚政幸選手が回り、中塚選手がセンターに戻った翌年は入れ替わる形で長崎慶一選手が務めました。その翌年は再び両者が入れ替わり、中塚選手は78年に打率.317マークしました。

79年は強打の田代富雄選手が1年だけレフトを守りました。

1980年代

80年に入団したスキップ・ジェームス選手は111試合に出場しましたが、オフの契約交渉がまとまらず退団、81年からは登録名を長崎啓二に変更した長崎選手が再び守り、82年に打率.351の好成績を記録して首位打者を獲得しました。

84年からは「スーパーカートリオ」の一員として加藤博一選手が守りにつき、85年に48盗塁を記録しました。

87年はシーズン途中に入団したジム・アドゥチ選手が82試合に出場しましたが、目立った成績は残せず、翌年は山崎賢一選手が起用され、レギュラー2年目の89年にベストナインとゴールデングラブ賞を受賞しました。

1990年代

山崎選手がセンターに移った90年は前年までファーストだったジム・パチョレック選手が来日3年目で首位打者とベストナインを受賞する活躍を見せ、ファーストにパチョレック選手が戻った91年は3年目の宮里太選手が初めて規定打席に到達しました。

92年に来日したラリー・シーツ選手は打率.308、26本塁打、100打点をマークして打点王とベストナインに輝きましたが、契約がまとまらずに1年限りで退団、横浜ベイスターズにチーム名が変わった93年は畠山準選手がレフトの守りにつきました。

94年と96年は左打ちの佐伯貴弘選手、95年と97年以降は同じく左打ちの鈴木尚典選手が起用され、鈴木選手は97年と98年に連続で首位打者とベストナインを受賞し、チームが日本一に輝いた98年は日本シリーズMVPを獲得しました。

2000年代

鈴木選手は引き続きレギュラーを務め、03年も打率.311を記録しましたが不振やチーム方針により出場機会を減らすことになり、佐伯選手や小池正晃選手が起用され、小池選手は05年に20本塁打を放ちました。

06年は右の大砲・吉村裕基選手、07年は佐伯選手、08年はPL学園出身でオリックスからトレードで加入した大西宏明選手が自己最多となる105試合に出場しました。

09年は内川聖一選手が務め、打率.318と安定した打撃を披露しました。

2010年代

10年代はスラッガーの活躍が見られました。日本ハムで活躍していたターメル・スレッジ選手が入団し、10年に28本塁打、11年も20本塁打を放ち、長打力を発揮しました。

12年はヤクルト・巨人で長年活躍していたアレックス・ラミレス選手が加入し、全盛期には及ばないものの打率3割、19本塁打を記録、7月には日米通算2000安打を達成しました。ラミレス選手は衰えもあり翌年はレギュラーを外れ、ソフトバンクからトレードで7年ぶりに復帰した多村仁選手が13年は起用され、14年からは外野にコンバートされた筒香嘉智選手が22本塁打を放ちブレイクしました。

筒香選手はメジャーリーグに挑戦する前の最後のシーズンとなった19年までレギュラーを務め、主に4番としてチームを牽引しました。15年に初めてベストナインを受賞すると16年は44本塁打110打点をマークして本塁打と打点の二冠王に輝き、17年は3年連続となるベストナイン受賞し、日本を代表するスラッガーに成長しました。

筒香選手の移籍後は佐野恵太選手がレフトに回り、20年に打率.328で首位打者を獲得、今後も卓越したバットコントロールでヒットの量産が期待されています。

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【横浜DeNAベイスターズ】歴代外野手の年俸ランキング!歴代最高年俸は筒香嘉智選手の4億円!

ここでは横浜DeNAベイスターズ歴代外野手を年俸で順位付けしてみました。なお、年俸と成績は外野手のレギュラーとして出場したシーズンの数字を記載しています。

順位 年度 選手名 年俸 打率 試合数
1 2019 筒香 嘉智 4億0000万円 0.272 131
2 1994 G.ブラッグス 1億8000万円 0.315 122
2 2003 鈴木 尚典 1億8000万円 0.311 133
2 2010 T.スレッジ 1億8000万円 0.252 129
5 2010 内川 聖一 1億7000万円 0.315 144

 

ここでは横浜DeNAベイスターズの歴代外野手を年俸で順位付けしてみました。なお、年俸と成績は外野手のレギュラーとして出場したシーズンの数字を記載しています。

数々の名選手が守りについてきた横浜DeNAベイスターズの外野ですが、1位はDeNA時代の筒香嘉智選手で19年の4億円が歴代最高年俸となりました。14年にレフトのレギュラーを獲得し、毎年コンスタントに成績を残した不動の4番打者が、メジャーリーグ挑戦前最後のシーズンとなった19年の年俸で1位でした。

2位は3人がランクインし、1人目は94年のグレン・ブラッグス選手でした。93年に来日して72試合の出場ながら打率.345をマークすると年俸は1億8000万円になりました。迎えた94年は打率.315、35本塁打、91打点を記録してベストナインを受賞しました。

2人目は03年の鈴木尚典選手。地元・横浜高校出身のヒットメーカーは、97年と98年に2年連続で首位打者を獲得し、98年の38年ぶりのリーグ優勝に3番打者として貢献しました。その後も安定した成績を残し、03年も打率.311を記録しました。

3人目はターメル・スレッジ選手です。日本ハムで中軸を打ち、12年に入団しました。2年間の在籍でしたが、12年は28本塁打を放ち、期待された長打力を存分に発揮したシーズンとなりました。

5位は10年の内川聖一選手1億7000万円です。横浜で過ごした最後のシーズンだった10年も打率.315をマークし、ヒットメーカーとしての実力を発揮したシーズンでした。

 

私が思う最強の横浜DeNAベイスターズの歴代外野手は筒香嘉智選手!

多くの名選手がプレーした横浜DeNAベイスターズの外野手ですが、歴代最強はDeNA時代を象徴する選手、筒香嘉智選手だと考えます。

ここで、筒香嘉智選手のプロフィールを確認していきましょう。

職業:プロ野球選手
生年月日:1991年11月26日
身長:185cm
出身:和歌山県
最終学歴:横浜高校
血液型:A型

1991年(平成3年)11月26日生まれ、和歌山県橋本市出身。2009年のドラフト会議で1位指名を受け、横浜高校から横浜ベイスターズに入団しました。

プロ1年目は3試合に出場し、プロ3打席目でプロ初本塁打を記録、12年に村田修一選手が抜けたサードでレギュラーとして起用されますが、定着には至りませんでした。14年にサードからレフトへコンバートされると打率.300、22本塁打と一気に成績は向上し、その後はメジャーリーグに挑戦する前の最後のシーズンとなった19年まで4番としてチームを牽引しました。

日本での通算10年で968試合に出場し、打率.285、205本塁打、613打点を記録しています。16年に平成生まれで初となる40本塁打以上を記録し、44本塁打と110打点をマークして本塁打と打点の二冠王に輝き、15年から務めていた主将の責任を果たす活躍を見せました。

剛柔兼ね備え、逆方向にも大きな打球を飛ばし、ハマの夜空を彩る一発を打ち続け、主将としてもチームを牽引した地元・横浜高校出身のスラッガー・筒香嘉智選手が横浜DeNAベイスターズ史上最強の外野手間違いなしです。

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横浜DeNAベイスターズの歴代外野手に関する豆知識

横浜DeNAベイスターズの外野のレギュラーとして、地元の名門・横浜高校出身の選手が多くプレーしています。

97年と98年に2年連続で首位打者を獲得した鈴木尚典選手をはじめ、04年に40本塁打を放った多村仁選手、センター・レフトのレギュラー務めた松坂世代の小池正晃選手、俊足を武器にしてゴールデングラブ賞を2回受賞した荒波翔選手、最強選手でも紹介した筒香嘉智選手が外野の一角を担った経験があります。

各球団にプロ野球選手を輩出している横浜高校ですが、特にベイスターズの外野で躍動した選手が多く、令和の時代もベイスターズの外野で活躍する横浜高校出身の選手が現われるのではないでしょうか。

 

まとめ

・横浜DeNAベイスターズの外野は同じ選手が複数の外野のポジションでレギュラーを務めている。

・ライトでは江尻選手、センターでは近藤選手と屋鋪選手、レフトでは鈴木選手や筒香選手が長くレギュラーを務めた。

・歴代で一番年俸が高かったのは、2019年シーズンの筒香選手の4億円。

・筒香選手は14年からメジャーリーグ挑戦前最後のシーズンとなった19年までレギュラーを務め、本塁打王と打点王を1回ずつ、ベストナインを3回獲得した横浜DeNAベイスターズ歴代最強の外野手である。

 

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