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千葉ロッテマリーンズの歴代外野手一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

1950年の球団創設以降、多くの選手が守りについてきた千葉ロッテマリーンズの外野のポジション。

今回は千葉ロッテマリーンズの外野を守った歴代選手の成績や最高年俸などをリサーチして、千葉ロッテマリーンズ歴代最強の外野手をご紹介します。

チームを支えた名選手たちの成績を振り返っていきましょう!!

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千葉ロッテマリーンズの歴代外野手一覧まとめ!

まずは1950年以降、そのシーズンの主に外野を守った選手を一覧にしてみました。多くの選手が複数のポジションでレギュラーを経験していることがわかりました。

それではライトから順にご紹介します。

千葉ロッテマリーンズの歴代外野手(ライト)一覧まとめ!

選手名 背番号 試合数 打率 本塁打 打点 タイトル
1950 呉昌征 23 98 0.324 7 45
1951 伊藤 庄七 1 101 0.303 8 47
1952 伊藤 庄七 1 102 0.264 7 50
1953 荒川 博 22 100 0.315 1 20
1954 荒川 博 22 116 0.270 5 25
1955 荒川 博久 22 116 0.265 3 34
1956 荒川 博久 22 122 0.210 0 35
1957 小森 光生 2 96 0.258 4 20
1958 荒川 博 22 97 0.237 4 33
1959 矢頭 高雄 7 127 0.285 6 48
1960 矢頭 高雄 7 124 0.240 14 49
1961 矢頭 高雄 7 128 0.227 5 40
1962 葛城 隆雄 5 123 0.333 9 62
1963 田宮謙次郎 22 132 0.278 7 39
1964 矢頭 高雄 7 144 0.266 3 20
1965 井石 礼司 25 121 0.189 3 32
1966 森 徹 8 101 0.213 17 43
1967 森 徹 8 91 0.254 10 33
1968 ロペス 22 137 0.289 23 74
1969 ロペス 9 122 0.301 23 81
1970 ロペス 9 120 0.313 21 69
1971 ロペス 9 128 0.301 24 77
1972 長谷川一夫 9 100 0.307 9 33
1973 池辺 巌 16 93 0.215 12 36
1974 得津 高宏 25 118 0.309 5 37
1975 長谷川一夫 9 105 0.291 4 35
1976 岩崎 忠義 15 116 0.252 4 19
1977 得津 高宏 25 112 0.305 2 44
1978 得津 高宏 25 114 0.286 6 28
1979 得津 高宏 25 103 0.309 3 27
1980 リー 5 127 0.358 33 90 首位打者、最多安打、ベストナイン
1981 芦岡 俊明 24 83 0.267 1 9
1982 劔持 貴寛 34 105 0.264 1 11
1983 芦岡 俊明 24 109 0.227 16 52
1984 有藤 道世 8 120 0.244 11 58
1985 横田 真之 45 124 0.300 9 51 ベストナイン
1986 横田 真之 45 123 0.304 8 42 ベストナイン
1987 高沢 秀昭 31 128 0.292 11 50 ゴールデングラブ賞
1988 高沢 秀昭 31 125 0.327 14 64 首位打者、最多安打、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1989 横田 真之 2 117 0.278 2 26
1990 愛甲 猛 1 130 0.243 21 72
1991 横田 真之 2 103 0.284 4 17
1992 平井 光親 49 99 0.281 1 32
1993 マックス 8 103 0.272 7 54
1994 平野 謙 8 81 0.227 0 15
1995 平井 光親 2 127 0.260 4 49
1996 ウィットモア 21 57 0.266 12 29
1997 平井 光親 21 93 0.245 5 19
1998 平井 光親 21 116 0.320 8 35
1999 平井 光親 21 105 0.253 3 19
2000 サブロー 2 95 0.270 5 23
2001 メイ 00 132 0.282 31 91
2002 諸積 兼司 0 125 0.252 2 16
2003 立川 隆史 24 94 0.240 7 31
2004 サブロー 3 89 0.256 5 33
2005 サブロー 3 107 0.313 14 50 ゴールデングラブ賞
2006 パスクチ 43 69 0.222 13 32
2007 サブロー 3 133 0.269 7 68 ゴールデングラブ賞
2008 サブロー 3 105 0.289 6 56
2009 大松 尚逸 10 139 0.269 19 79
2010 サブロー 3 125 0.261 19 71
2011 清田 育宏 1 78 0.244 3 25
2012 清田 育宏 1 87 0.281 3 29
2013 角中 勝也 61 125 0.288 5 43
2014 角中 勝也 61 133 0.277 8 57
2015 清田 育宏 1 130 0.317 15 67 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2016 清田 育宏 1 106 0.225 6 38
2017 加藤 翔平 65 98 0.266 5 27
2018 平沢 大河 13 112 0.213 5 32
2019 清田 育宏 1 117 0.253 10 57
2020 マーティン 79 104 0.234 25 65
2021 マーティン 79 116 0.233 27 75
2022 山口 航輝 51 102 0.237 16 57
2023 岡 大海 25 109 0.282 7 33
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1950年代

戦争前後に巨人と阪神で活躍した呉昌征選手は球団発足と同時に加入し、50年にリーグ4位となる打率.324をマークし、翌年ポジションをレフトに移しました。51年からの2年間は伊藤庄七選手が守り、51年にリーグトップとなる28二塁打を記録、53年は早稲田大学から入団した1年目の荒川博(博久)選手がレギュラーに抜擢され、打率.315の好成績を収めました。

荒川選手は56年までレギュラーを務め、57年はサードでレギュラー経験のあった小森光生選手が起用されましたが、58年は再び荒川選手が守りました。

59年はセンターから矢頭高雄選手が回り、127試合に出場しました。

1960年代

矢頭選手は61年までライトを守り、62年にサードにコンバートされると入れ替わる形で葛城隆雄選手が起用され、リーグ3位となる打率.333を記録しました。

翌年になると葛城選手はサードに戻され、主力としてチームを牽引していた田宮謙次郎選手がセンターから回りましたが、シーズン終了後に引退、64年は前年センターを守っていた矢頭選手が再びライトに守りにつきました。

65年は慶応大学から加入した1年目の井石礼司選手、66年からの2年間は中日・大洋でレギュラーとして活躍していた森徹選手が務め、2年連続で二桁本塁打を放ちました。

61年から67年までBクラスに沈んでいたチームはメジャーリーグのニューヨーク・ヤンキースからアルト・ロペス選手を加入させ、来日1年目の68年からライトで起用、2年連続で23本塁打を放ち、打率も3割前後をマークして中軸打者として活躍しました。

1970年代

ロペス選手は70年も打率.313、21本塁打、翌71年も打率.301、24本塁打を記録して打線を牽引していましたが、チーム方針により72年にヤクルトへトレード移籍しました。その72年からはなかなかレギュラーが定まらず、72年は63年の入団当初はピッチャーだった長谷川一夫選手、73年はセンターを長らく守っていた池辺巌選手、74年は名門・PL学園出身の得津高宏選手が務めました。

得津選手は74年に規定打席未到達ながら打率.309を記録して75年と76年はレフトに回って結果を残し、77年からは再びライトを守り、77年と79年に3割以上の打率を残しました。

得津選手がレフトを守った75年と76年にライトで起用されたのは長谷川選手と高卒10年目で初めてレギュラーを務めた岩崎忠義選手でした。

1980年代

77年に入団し、レフトや指名打者を務めて本塁打王や打点王に輝いていたレロン・リー選手が80年はライトを守り、打率.358、33本塁打、90打点を記録、首位打者とベストナインを獲得して、4番として打線を牽引しました。

レロン・リー選手は翌年指名打者に戻り、79年に内野から外野に転向していた芦岡俊明選手や78年オフに広島から交換トレード加入していた劔持貴寛選手がレギュラー争いを繰り広げ、84年は長年サードのレギュラーを務め、選手生活晩年に差し掛かっていた有藤通世選手がライトにコンバートされました。

有藤選手が85年にレフトへ回ると駒澤大学からドラフト4位で入団した横田真之選手がルーキーながら抜擢され、1年目から打率3割をクリアし、新人王には届かなかったもののベストナインを受賞、翌年も打率.304をマークして2年連続でベストナインに選出されました。

87年になると横田選手とセンターを守っていた高沢秀昭選手のポジションを入れ替え、高沢選手は87年にゴールデングラブ賞、88年に打率.327で首位打者を獲得ベストナインと2年連続でゴールデングラブ賞に輝きました。

89年は再び高沢選手と横田選手のポジションがチェンジされました。

1990年代

横田選手は90年のシーズン途中に死球により右肘を骨折、戦列を離れ代わりをファーストでレギュラーを務めていた愛甲猛選手が務め、91年に愛甲選手がファーストに戻り、怪我が癒えた横田選手が103試合に出場しました。

92年に本拠地が千葉に移り、チーム名がロッテオリオンズから千葉ロッテマリーンズとなり、移転1年目の92年は前年レフトを守って首位打者を獲得していた平井光親選手が起用され、93年は平井選手を押しのけてメジャーリーグ経験豊富で前年に入団していたマックス・ベナブル選手がファーストからポジションを移しましたが、同年限りで退団しました。

94年は中日・西武で主力として長年活躍していたベテラン・平野謙選手を獲得して起用し、平野選手がコーチ兼任となった95年はセンターにポジションを移していた平井選手が再びライトを守りました。

平井選手は96年に再びセンターを守り、空いたライトにはシーズン途中に加入したダレル・ウィットモア選手が起用されましたが、1年だけの在籍となり、翌97年からは平井選手が戻り、華麗なバットコントロールで安打を量産し、98年はイチロー選手に次ぐリーグ2位となる打率.320をマークしました。

2000年代

00年は後に「繋ぐ4番」としてプレーすることになる走攻守三拍子揃ったプレーヤーがレギュラーを獲得しました。PL学園から入団して5年目だったサブロー選手は前年に一軍定着を果たし、00年に初めてレギュラーを獲得しました。5月にプロ初本塁打を放つ等、飛躍の年となり、01年からはセンターを3年間守り、04年からは再びライトを守りました。

ボビー・バレンタイン監督の再就任2年目だった05年は長打が多いタイプではなかったものの4番に抜擢され、打率.313、14本塁打、50打点を記録して31年ぶりのリーグ優勝と日本一に大きく貢献、00年代はセンターを守った01年から04年、06年、09年以外でライトを守り、2回ゴールデングラブ賞を受賞しました。

サブロー選手がセンターを守った01年から03年はデリック・メイ選手が来日1年目で31本塁打を記録、諸積兼司選手立川隆史選手といった一芸に秀でた経験豊富な選手もライトで起用されました。

06年は同年のWBCでイタリア代表としてプレーしたヴァル・パスクチ選手、09年は前年にレフトで24本塁打を記録した大松尚逸選手が長打力を期待されて起用されました。

2010年代

サブロー選手は10年もライトを守り、通算1000安打と100本塁打を記録、自己最多となる71打点を挙げ、持ち前の勝負強さで日本シリーズでも6打点を記録する活躍を見せました。

しかし、11年はフロントとの対立によりシーズン途中に巨人へ電撃トレードとなり、前年にルーキーながらセンターのレギュラーを務めていた清田育宏選手がライトに回って2年間務め、13年からの2年は12年に独立リーグ出身選手初となる首位打者を獲得していた角中勝也選手が起用されました。

角中選手が起用された2年間で出場試合数が減少していた清田選手は15年にレギュラーに返り咲き、15年は首位打者争いを繰り広げる等活躍を見せてベストナインとゴールデングラブ賞を受賞しました。

清田選手の調子が上がらず苦しいシーズンとなった17年は加藤翔平選手、レフトに回った18年は平沢大河選手が務めましたが、19年に三度ライトのレギュラーを掴みました。

20年は19年シーズン途中に加入していたレオネル・マーティン選手が開幕からクリーンアップの一角を担い、25本塁打を放ち、翌21年も27本塁打を記録して長打力を発揮しました。

マーティン選手が不振だった22年は和製大砲として期待されていた山口航輝選手が16本塁打を放ち台頭、山口選手がファーストに回った23年は走攻守でチームに貢献してきた岡大海選手が109試合に出場しました。

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千葉ロッテマリーンズの歴代外野手(センター)一覧まとめ!

選手名 背番号 試合数 打率 本塁打 打点 タイトル
1950 別当 薫 25 120 0.335 43 105 本塁打王、打点王、最多安打、MVP、ベストナイン、日本シリーズMVP
1951 別当 薫 25 108 0.309 16 67 ベストナイン
1952 別当 薫 25 120 0.279 18 67 ベストナイン
1953 別当 薫 25 82 0.305 11 48 ベストナイン
1954 別当 薫 25 108 0.248 11 45
1955 三宅 宅三 27 114 0.276 15 46
1956 三宅 宅三 27 110 0.274 7 37
1957 衆樹 資宏 23 122 0.221 7 38
1958 矢頭 高雄 7 127 0.285 6 48
1959 田宮謙次郎 9 124 0.286 9 54
1960 田宮謙次郎 9、22 133 0.317 12 62 ベストナイン
1961 田宮謙次郎 22 130 0.328 11 71 ベストナイン
1962 山内 一弘 8 128 0.334 18 72 ベストナイン
1963 矢頭 高雄 7 138 0.253 8 26
1964 ソロムコ 56 119 0.253 15 44
1965 西田 孝之 30 100 0.242 9 30
1966 池辺 巌 34 105 0.227 10 32
1967 池辺 巌 34 128 0.286 6 44
1968 西田 孝之 21 110 0.281 4 14
1969 池辺 巌 34 105 0.322 11 33
1970 池辺 巌 34 125 0.274 22 61
1971 池辺 巌 34 106 0.288 19 56
1972 池辺 巌 34 121 0.268 21 70 ダイヤモンドグラブ賞
1973 弘田 澄男 3 127 0.295 13 50 ダイヤモンドグラブ賞
1974 弘田 澄男 3 123 0.295 9 60 ダイヤモンドグラブ賞、日本シリーズMVP
1975 弘田 澄男 3 126 0.301 11 54 最多安打、ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞
1976 弘田 澄男 3 113 0.285 4 31 ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞
1977 弘田 澄男 3 114 0.238 2 23 ダイヤモンドグラブ賞
1978 弘田 澄男 3 115 0.245 2 31
1979 弘田 澄男 3 101 0.285 4 31
1980 弘田 澄男 3 116 0.262 5 43
1981 弘田 澄男 3 122 0.265 5 40
1982 弘田 澄男 3 107 0.258 7 35
1983 弘田 澄男 3 84 0.245 1 13
1984 高沢 秀昭 31 97 0.317 11 47 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1985 高沢 秀昭 31 120 0.273 12 56
1986 高沢 秀昭 31 106 0.273 15 48
1987 横田 真之 2 125 0.281 7 51
1988 横田 真之 2 122 0.271 3 27
1989 西村 徳文 3 96 0.281 2 17 盗塁王
1990 西村 徳文 3 117 0.338 3 38 首位打者、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1991 西村 徳文 3 118 0.275 2 17
1992 西村 徳文 3 97 0.216 1 27
1993 西村 徳文 3 103 0.250 1 28
1994 平井 光親 2 113 0.281 5 28
1995 諸積 兼司 00 97 0.290 1 20
1996 平井 光親 2 122 0.249 5 33
1997 立川 隆史 52 76 0.274 7 20
1998 堀 幸一 5 127 0.241 10 44
1999 諸積 兼司 0 124 0.280 2 33
2000 諸積 兼司 0 117 0.271 1 24
2001 サブロー 2 108 0.229 1 25
2002 サブロー 2 131 0.286 9 43
2003 サブロー 2 80 0.273 10 46
2004 ベニー 50 130 0.315 35 100
2005 大塚 明 23 96 0.293 8 32
2006 サブロー 3 115 0.218 9 38
2007 早川 大輔 44 133 0.283 5 44
2008 早川 大輔 44 133 0.249 5 32
2009 サブロー 3 119 0.314 22 68
2010 清田 育宏 1 64 0.290 2 18
2011 岡田 幸文 66 144 0.267 0 35 ゴールデングラブ賞
2012 岡田 幸文 66 131 0.262 0 18 ゴールデングラブ賞
2013 岡田 幸文 66 134 0.259 0 18
2014 岡田 幸文 66 110 0.275 0 9
2015 荻野 貴司 8 82 0.269 2 13
2016 岡田 幸文 66 121 0.275 0 18
2017 荻野 貴司 0 103 0.264 5 24
2018 荻野 貴司 0 78 0.287 2 25
2019 荻野 貴司 0 125 0.315 10 46 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2020 荻野 貴司 0 53 0.291 1 10
2021 藤原 恭大 2 78 0.217 5 22
2022 高部 瑛斗 38 137 0.274 3 38 盗塁王、ゴールデングラブ賞
2023 藤原 恭大 1 103 0.238 3 21
 
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1950年代

50年から4年間センターを守った別当薫選手は48年からの2年間大阪タイガースでプレー、中軸打者として活躍していましたが、50年に発足した毎日オリオンズに移籍しました。50年は打率.335、43本塁打、105打点を記録して本塁打王と打点王の二冠に加えて、MVPとベストナインを受賞、優勝に貢献しました。走っても52年まで3年連続で20盗塁以上を記録し、50年はトリプルスリーを達成し、52年は40盗塁をマークしました。

53年まで4年連続でベストナインに選出され、54年に兼任監督に就任すると出場試合数が減り、51年から53年までファーストのレギュラーを務めていた三宅宅三選手が55年から2年務め、57年は慶応大学から入団した衆樹資宏選手が122試合に出場して、規定打席に到達しました。

58年に大映を吸収して大毎オリオンズになると57年に1年目ながら大映でセンターのレギュラーを務めていた矢頭高雄選手が起用され、矢頭選手がライトに回った59年は前年に阪神で首位打者に輝いていた田宮謙次郎選手が入団、3番センターで出場を続けました。

1960年代

60年の田宮選手はファーストを守った榎本喜八選手とレフトを守った山内和弘選手とともに打線を牽引、田宮選手はリーグ2位となる打率.317を記録し、首位打者は榎本選手、3位は山内選手で、オリオンズの3人が打率上位3傑を占めました。翌61年は自己最高となる打率.328を記録し、2年連続ベストナインを受賞する等、中心選手として活躍しました。

62年はレフトから山内選手が回りベストナインに選出され、山内選手がレフトに戻った63年はサードに回っていた矢頭選手が再び守りにつきました。

64年は60年から阪神でプレーしていたマイク・ソロムコ選手がトレードで加入して119試合に出場、65年はプロ5年目の西田孝之選手が主に1番打者を務めました。

66年も期待されていた西田選手でしたが、打撃不振によりポジションを失い、62年にピッチャーとして入団し、翌年から野手に転向していた池辺巌選手がレギュラーの座を掴み、68年はサードに回りました。西田選手は68年にレギュラーに返り咲きましたが、69年は再び池辺選手がセンターに移り、リーグ3位となる打率.322を記録しました。

1970年代

引き続き池辺選手が起用され、72年には堅実な守備でこの年創設されたダイヤモンドグラブ賞を受賞し、73年に弘田澄男選手が抜擢されたことによりライトにポジションを移しました。代わってセンターを務めた弘田選手は身長163cmと小柄ながら、73年にサイクル安打を達成、俊足と守備力を武器にレギュラーに定着し、外野の中心としてチームを牽引しました。

ダイヤモンドグラブ賞は73年から77年まで5年連続で受賞し、74年には日本シリーズMVPベストナインは75年から2年続けて受賞しました。

1980年代

弘田選手は80年に自己最多となる41盗塁を記録する等、攻守にわたりチーム支え、83年までレギュラーを務めました。

84年に弘田選手が阪神へトレードで移籍し、高沢秀昭選手がポジションを獲得、レギュラー1年目の84年は打率.317を記録してベストナインとゴールデングラブ賞を受賞しました。高沢選手は86年までセンターを守った後、87年はライトに回り、代わってライトを守っていた横田真之選手が87年から2年間務めました。

89年はサードから西村徳文選手が移り、自身4年連続4回目となる盗塁王を獲得しました。

1990年代

90年代前半は引き続き西村選手が守り、90年は打率.338のハイアベレージを記録して首位打者、ベストナイン、ゴールデングラブ賞に輝き、93年までセンターのレギュラーとして活躍しました。

94年は91年にレフトのレギュラーを務めて首位打者を獲得した経験のある平井光親選手、95年は俊足が武器の諸積兼司選手、96年は再び平井選手が起用されました。

97年になると右の和製大砲として期待されていた立川隆史選手が主に務め、98年は内野でのレギュラー経験が豊富だった堀幸一選手がチーム事情によりセンターに回り、二桁本塁打を放ちました。

堀選手が内野(セカンド)に戻った99年は諸積選手が124試合に出場しました。

2000年代

00年代は俊足を武器にした選手が多く起用され、00年の諸積選手に続き01年からは走攻守三拍子揃ったサブロー選手が守り、02年に初めて規定打席に到達しました。

サブロー選手がライトにポジションを移した04年は長打力が持ち味のベニー・アグバヤニ選手が務め、チーム三冠王となる打率.315、35本塁打、100打点を記録、盗塁数も8を記録してこちらもチームトップの数字でした。

翌年は外国人枠の関係でベニー選手の出場機会が減り、代走や守備固めでチーム支えていた大塚明選手が8本塁打を記録する等、打撃面でも貢献、06年は再びサブロー選手がセンターを務めました。

07年にサブロー選手がライトに戻ると06年オフにオリックスからトレード加入した俊足スイッチヒッターの早川大輔選手が抜擢され、自己最多となる133試合に出場しました。

09年はまたまたサブロー選手がセンターに回り、自己最高となる打率.314、初の20本塁打以上を記録し、打点も自己最多タイとなる68打点をマークしました。

2010年代

センターとライトを行き来していたサブロー選手は脚力の衰えもあり10年はライトに固定され、ルーキーだった清田育宏選手が多く起用され、2年目の11年もセンターのレギュラーを期待されていましたが、08年の育成ドラフト6位で入団し、09年の春先に支配下登録を勝ち取っていた岡田幸文選手がセンターのポジションを掴みました。

俊足を活かした広大な守備範囲で左中間、右中間のヒット性の当たりを次々に捕球し、11年には外野手としてのリーグ新記録となるシーズン連続守備機会無失策359を樹立しました。

守備の名手の証となるゴールデングラブ賞を11年から2年連続で受賞し、15年を除いて11年から16年までレギュラーを務めた岡田選手でしたが、同じ俊足タイプの荻野貴司選手が度重なる故障を乗り越えて出場機会を増やしたことによりレギュラーを外れ、10年代後半は荻野選手が15年と17年からの3年間センターを守り、19年は1番を打って打率.315、10本塁打、46打点を記録してベストナインとゴールデングラブ賞を受賞しました。

荻野選手は20年までセンターを務め、翌21年からはレフトに回り、空いたセンターは18年のドラフト1位だった藤原恭大選手や19年のドラフト3位だった高部瑛斗選手が起用され、高部選手は22年に44盗塁をマークして盗塁王を獲得ゴールデングラブ賞にも選出されました。

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千葉ロッテマリーンズの歴代外野手(レフト)一覧まとめ!

選手名 背番号 試合数 打率 本塁打 打点 タイトル
1950 戸倉 勝城 8 110 0.263 21 96
1951 呉昌征 23 104 0.302 3 25
1952 呉昌征 23 108 0.258 1 27
1953 呉昌征 23 101 0.272 0 14
1954 山内 和弘 8 140 0.308 28 97 打点王、ベストナイン
1955 山内 和弘 8 137 0.325 26 99 打点王、ベストナイン
1956 山内 和弘 8 147 0.304 25 72 ベストナイン
1957 山内 和弘 8 126 0.334 29 81 首位打者、ベストナイン
1958 山内 和弘 8 76 0.285 13 43
1959 山内 和弘 8 112 0.320 25 74 本塁打王
1960 山内 和弘 8 133 0.313 32 103 本塁打王、打点王、MVP、ベストナイン
1961 山内 和弘 8 140 0.311 25 112 ベストナイン
1962 田宮謙次郎 22 132 0.308 11 49
1963 山内 一弘 8 147 0.283 33 86 ベストナイン
1964 パリス 22 129 0.283 17 70
1965 パリス 22 104 0.274 25 72
1966 パリス 22 113 0.263 18 69
1967 パリス 22 100 0.278 6 42
1968 アルトマン 21 139 0.320 34 100 打点王、最多安打、ベストナイン
1969 アルトマン 21 129 0.269 21 82
1970 アルトマン 21 122 0.319 30 77 ベストナイン
1971 アルトマン 21 114 0.320 39 103 ベストナイン
1972 ジョンソン 3 101 0.232 13 39
1973 アルトマン 21 120 0.307 27 80
1974 アルトマン 21 85 0.351 21 67
1975 得津 高宏 25 120 0.301 4 57
1976 得津 高宏 25 111 0.282 4 42
1977 リー 5 124 0.317 34 109 本塁打王、打点王、ベストナイン
1978 岩崎 忠義 15 104 0.193 1 13
1979 白仁天 2 124 0.340 18 71
1980 庄司 智久 35 124 0.259 8 26
1981 庄司 智久 35 127 0.293 10 63
1982 庄司 智久 35 86 0.218 2 20
1983 庄司 智久 35 78 0.243 7 13
1984 庄司 智久 35 113 0.256 11 42
1985 有藤 道世 8 107 0.250 10 51
1986 古川 慎一 10 96 0.274 16 47
1987 古川 慎一 10 80 0.222 12 34
1988 古川 慎一 10 116 0.236 8 32
1989 高沢 秀昭 31 105 0.277 12 56
1990 横田 真之 2 66 0.224 3 16
1991 平井 光親 49 110 0.314 4 34 首位打者、ベストナイン
1992 愛甲 猛 1 130 0.274 8 53
1993 島田 茂 44 90 0.270 8 31
1994 ミューレン 31 122 0.248 23 69
1995 西村 徳文 3 91 0.213 0 7
1996 諸積 兼司 00 112 0.253 0 11
1997 諸積 兼司 0 111 0.261 0 13
1998 大村 巌 55 95 0.286 6 38
1999 大塚 明 23 107 0.220 2 21
2000 大塚 明 23 74 0.239 9 44
2001 佐藤 幸彦 57 97 0.279 8 31
2002 メイ 00 136 0.273 23 90
2003 ショート 44 127 0.303 12 58
2004 井上 純 47 80 0.289 3 24
2005 フランコ 4 129 0.300 21 78 ベストナイン
2006 フランコ 4 91 0.263 7 20
2007 ベニー 50 122 0.272 13 51
2008 大松 尚逸 10 134 0.262 24 91
2009 竹原 直隆 25 89 0.228 5 30
2010 大松 尚逸 10 142 0.260 16 68
2011 伊志嶺翔大 5 126 0.261 2 21
2012 角中 勝也 61 128 0.312 3 61 首位打者、ベストナイン
2013 荻野 貴司 4 102 0.275 4 28
2014 ハフマン 56 67 0.270 4 28
2015 角中 勝也 61 111 0.293 6 52
2016 角中 勝也 61 143 0.339 8 69 首位打者、最多安打、ベストナイン
2017 角中 勝也 3 110 0.269 8 44
2018 清田 育宏 1 96 0.226 2 27
2019 角中 勝也 3 108 0.258 8 48
2020 菅野 剛士 31 81 0.260 2 20
2021 荻野 貴司 0 143 0.296 10 45 盗塁王、最多安打、ゴールデングラブ賞
2022 荻野 貴司 0 89 0.310 5 27
2023 角中 勝也 3 86 0.296 9 39
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1950年代

50年は35歳でプロ入りした戸倉勝城選手が21本塁打を放つ活躍を見せましたが、翌年阪急に移籍、ライトから呉昌征選手がポジションを移し、53年までレギュラーを務めました。

呉選手に代わりレギュラーを掴んだのは山内和弘選手。プロ3年目を迎えた54年に4番に抜擢され、打撃三部門で好成績を収めて打点王とベストナインを受賞、勢いそのままに毎年安定した成績を残し、打点王は55年にも獲得ベストナインは57年まで4年連続で選出され、57年に首位打者、59年に本塁打王を獲得して、打線を牽引しました。

1960年代

山内選手は60年に32本塁打、103打点をマークして2年連続の本塁打王と3回目の打点王に輝き、MVPとベストナインにも選出されました。

2年連続となるベストナインを受賞した61年までレフトを守り、62年はセンターの田宮謙次郎選手とポジションを入れ替えましたが、63年は再びレフトで起用され、33本塁打86打点で9回目のベストナインを獲得しました。

チームの顔として活躍していた山内選手でしたが、63年オフに阪神のエース格だった小山正明投手とのトレードでチームを離れ、チームはメジャーリーグ経験のあったスタンリー・パリス選手を獲得し、パリス選手は67年まで4年間4番を打ち、65年に25本塁打を放ちました。

67年限りで退団したパリス選手に代わり、ジョージ・アルトマン選手が入団、来日1年目の68年にいきなり実力を発揮し、打率.320、34本塁打、100打点を記録して打点王とベストナインを獲得しました。

1970年代

アルトマン選手はファーストを守った72年を除いて74年までレフトを守り、毎年好成績を収めて打線を牽引しました。70年と71年はベストナインを連続で受賞し、特に71年は打率.320、39本塁打、103打点の好成績を残して、翌72年はコーチを兼任、74年は6試合連続本塁打のリーグタイ記録を樹立する等、チームに好影響を与えていましたが、大腸癌を患っていることが発覚し、41歳の年齢もあり同年限りで退団しました。

アルトマン選手がファーストを守った72年は史上初となる日米間でのトレードで入団したフランク・ジョンソン選手、アルトマン選手が退団した75年はライトから得津高宏選手が回り、得津選手は2年間守り、再びライトへ移りました。

77年に入団したレロン・リー選手は来日1年目ながら日本野球に適応して本塁打と打点の二冠を獲得、78年に指名打者に移ると岩崎忠義選手が104試合に出場、79年は77年にトレードで太平洋から加入していた白仁天選手が守りにつき、日本のプロ野球でのプレーが18年目となったこの年に自己最高となる打率.340を記録しました。

1980年代

71年に巨人からドラフト3位指名を受けてプロの門を叩き、V9メンバーの高い壁に阻まれ出場機会を得られていなかった庄司智久選手は79年オフに交換トレードで入団、移籍1年目の80年にレギュラーに抜擢されました。1番の座を掴み、それまでのプロ7年間で通算101試合の出場で2安打でしたが、80年は1年間で124試合に出場して87安打を放ち、プロ初本塁打を含む8本塁打を記録しました。

庄司選手は81年に初めて規定打席に到達し、84年までレギュラーとしてプレー、85年はミスター・ロッテの有藤通世選手がライトから回り、86年はルーキーだった古川慎一選手が抜擢され、3年間メインで起用されました。

89年はライトから高沢秀昭選手が移り、105試合に出場しました。

1990年代

90年代はなかなかレギュラーが定まらず、90年はライトから横田真之選手が回りますが66試合の出場にとどまり、91年の平井正親選手首位打者とベストナインに輝きましたが、翌年はライトに移り、92年はファーストのレギュラーだった愛甲猛選手が守りました。

愛甲選手は翌93年にファーストに戻り、89年からバックアッパーとして出場していた島田茂選手が93年は自己最多となる90試合に出場、94年はプロ野球初となるオランダ国籍のヘンスリー・ミューレンス選手(登録名はミューレン)が23本塁打を放ちましたが、同年オフに監督に就任したボビー・バレンタイン監督の構想からは外れて1年限りで退団しました。

95年は内野やセンターで長年レギュラーを務めていた西村徳文選手が起用されますが、年齢による衰えもあり思うような成績は残せず、96年からの2年は前年にセンターで起用されていた俊足の諸積兼司選手がレフトを守り、98年は右打ちの大村巌選手が主に務めました。

98年にわずか5試合の出場だった大塚明選手は広い守備範囲と強肩を武器に出場機会を獲得、99年は前年を大きく上回る107試合に出場しました。

2000年代

90年代に続いてレギュラーに定着した選手はおらず、00年の大塚選手を皮切りに01年は佐藤幸彦選手、02年はライトからポジションを移したデリック・メイ選手が務め、メイ選手は23本塁打を放ち翌年も期待されていましたが03年はわずか30試合の出場にとどまり、リック・ショート選手が127試合に出場しました。

ショート選手は打率.303を記録しましたが、長打力を求めたチーム方針と合わずに1年で退団、04年は前年にテストを経て入団していたプロ16年目の井上純選手が主に起用されました。

04年に来日したマット・フランコ選手は、05年シーズン前の構想では4人目の外国人野手の位置づけでしたが、他の外国人野手の不振もありポジションを獲得し、打率.300、21本塁打、78打点の好成績を収めてベストナインに選出されました。翌年もレギュラーとしてプレーしましたが、30代後半の年齢だったため同年限りで退団、07年は実績十分のベニー・アグバヤニ選手、08年は左の大砲として期待されていた大松尚逸選手が24本塁打を放ちました。

大松選手がライトに回った09年は右打ちの竹原直隆選手が主に起用されました。

2010年代

10年代は独立リーグの星と新スピードスターの2人の活躍が目立ちました。大松選手は10年に再びレフトを守り、142試合の出場で16本塁打を記録、11年は前年のドラフト会議で1位で指名され、東海大学から入団した伊志嶺翔大選手がルーキーながら126試合に出場しましたが、翌年は2年目の壁に苦しみ、独立リーグ出身で07年からロッテでプレーしていた角中勝也選手が12年にポジションを掴み、卓越したバットコントロールを披露して独立リーグ出身選手として初めて首位打者とベストナインを獲得しました。

角中選手はライトとレフトを行き来して、レフトでは16年に2回目の首位打者とベストナイン、初の最多安打のタイトルを獲得しました。

同時期に怪我が多く、苦しいシーズンを過ごすことが多かった俊足の荻野貴司選手は12年にレフトを守り、その後はセンターのレギュラーを務めていましたが、21年からの2年はレフトに移り、21年に初の盗塁王と最多安打を獲得し、自身2回目となるゴールデングラブ賞に選出されました。

2人の他には14年のチャド・ハフマン選手や18年の清田育宏選手、20年の菅野剛士選手がレギュラーを務めていますが、角中選手と荻野選手の活躍には及ばず、ベテラン2人のこれからの活躍が楽しみです。

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【千葉ロッテマリーンズ】歴代外野手の年俸ランキング!歴代最高年俸はグレゴリー・ポランコ選手の4億円!

ここでは千葉ロッテマリーンズ歴代外野手を年俸で順位付けしてみました。なお、年俸と成績は外野手のレギュラーとして出場したシーズンの数字を記載しています。

順位 年度 選手名 年俸 打率 試合
1 2024 G.ポランコ 4億0000万円 0.229 44
2 2021 L.マーティン 2億0000万円 0.220 137
3 2017 角中 勝也 1億4100万円 0.269 110
4 2007 ベニー.A 1億3000万円 0.272 122
4 2010 サブロー 1億3000万円 0.261 125

※ポランコ選手の成績は2024年6月1日時点

 

多くの名選手が誕生した千葉ロッテマリーンズの外野手ですが、24年に4億円でプレーしているグレゴリー・ポランコ選手が歴代最高年俸となりました。巨人から移籍1年目の23年は指名打者で出場して本塁打王に輝き、年俸は大幅アップとなり、迎えた24年はチーム事情からレフトでの出場が続いています。

2位にランクインしたのはレオネス・マーティン選手でした。19年シーズン途中に加入して、52試合に出場すると翌20年はライトのレギュラーとして起用され、104試合で25本塁打を放ちました。年俸2億円となった21年も27本塁打を放ち、長打力を発揮してチームに貢献しました。

3位は17年の角中勝也選手。12年に独立リーグ出身選手として初めて首位打者を獲得、以降も巧みなバットコントロールで安打を量産し、16年に2回目の首位打者に輝きました。同年オフの契約更改で大台を突破して年俸は1億4000万円になりました。

4位は1億3000万円2人が並び、07年のベニー・アグバヤニ選手と10年のサブロー選手でした。どちらも00年代のロッテを代表する外野手で、ベニー選手は持ち前の長打力で04年にセンター、06年に指名打者で多くの試合に出場し、4番打者として04年は35本塁打100打点、06年は17本塁打65打点を記録、07年は主に6番レフトで出場して13本塁打を放ちました。

サブロー選手は00年にライトでレギュラーを獲得すると00年代はライトとセンターのポジションを行き来して主力として活躍、00年代前半は2番、中盤はつなぎの4番を務めて長年チームに貢献しました。

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私が思う最強の千葉ロッテマリーンズの歴代外野手は山内和弘(一弘)選手!

多くの選手が守りについてきた千葉ロッテマリーンズの外野手ですが、歴代最強は50年代に打線を牽引した山内和弘(一弘)選手ではないでしょうか。

ここで、山内和弘(一弘)選手のプロフィールを確認していきましょう。

職業:元プロ野球選手・元プロ野球指導者
生年月日:1932年5月1日
身長:175cm
出身:愛知県
最終学歴:起工業高校
血液型:A型

1932年(昭和7年)5月1日生まれ、愛知県一宮市出身。起工業高校2年時に地元・中日の入団テストを受けたものの不合格に終わり、高校卒業後の51年春から川島紡績でプレーを続けていたところプロへ誘われ、同年11月に当時の毎日オリオンズにテスト生として入団しました。

プロ1年目の52年は44試合に出場し、レギュラーを掴んだのはプロ3年目の54年でしたが、4番に抜擢されていきなり97打点を記録、打点王に輝きました。翌年も打点王を獲得、不動の4番として3番を打つことが多かったヒットメーカーの榎本喜八選手とともに打線を牽引し、57年に首位打者、59年に本塁打王、60年は本塁打と打点の二冠を獲得する等、打撃主要タイトルを全て経験しました。

毎日オリオンズ(毎日大映オリオンズ)では64年に阪神に移籍するまで12年間プレーし、首位打者1回、本塁打王2回、打点王4回、MVPを1回獲得ベストナインには9回選出される活躍を見せ、チームの顔、リーグの顔として好成績を残し続けました。

天性の内角捌きと広角に打ち分けるバッティングで安打と本塁打を量産し、長年にわたり毎日打線の中心を担ってチームを勝利に導いた山内和弘(一弘)選手が千葉ロッテマリーンズ史上歴代最強の外野手でしょう。

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千葉ロッテマリーンズの歴代外野手に関する豆知識

08年の育成ドラフト6位で入団し、俊足と広大な守備範囲を武器として1年目の3月に支配下登録を勝ち取った岡田幸文選手

10年に一軍に初昇格し、翌11年からセンターのレギュラーを掴み、シーズン連続守備機会無失策のリーグ記録を樹立する等、抜群の守備力でチームを支えましたが、打撃面でも珍しい記録を残しました。

バットを短く持ち、持ち味の俊足を活かした内野安打で出塁するスタイルだったこともあり、18年に引退するまで2501打席に立ち、本塁打はゼロでした。これはプロ初打席からの本塁打ゼロの新記録であり、本人も本塁打が打てないことを気にして強いスイングを会得するために努力を重ねていましたが、本塁打で打点を稼ぐよりも多くの失点を華麗な守備で防いでいた名選手です。


 

まとめ

・千葉ロッテマリーンズの外野は同じ選手が複数の外野のポジションでレギュラーを務めている。

・ライトではサブロー選手、センターでは弘田澄男選手、レフトでは山内和弘(一弘)選手が長くレギュラーを務めた。

・歴代で一番年俸が高かったのは、24年のグレゴリー・ポランコ選手の4億円。

・山内線選手は在籍した12年間で首位打者1回、本塁打王2回、打点王4回、MVPを1回獲得、ベストナインには9回選出される活躍を見せ、4番として打線を牽引した千葉ロッテマリーンズ歴代最強の外野手である。

 

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