八木裕の凄さが分かる名言・語録集!代打の神様の伝説エピソードから努力論まで
代打にはある種のロマンがあります。そのためか野球マンガや小説では代打を主人公とするものがいくつも生まれています。まだ若い期待の選手が代打に出てくるのはチャンスメーカーとして、経験抱負なベテランが代打で出てくるのはチャンスの場面が多く、後者は試合を決める決定的な仕事を任されます。阪神タイガースで代打として多くのチャンスをものにして、「代打の神様」と呼ばれたのが八木裕です。
若い頃はシーズン28本塁打を記録するなど、一発のあるレギュラー選手として活躍した八木。故障や若手の台頭から控えに回るようになると、今度は勝負強い代打として存在感を示し、やがて「代打の神様」と呼ばれるようになりました。
生涯の代打打率は.235に止まりますが、代打による打点数は98。安打数は94ですから、それを上回っていることになり、これは代打300打席以上の選手で歴代5位という記録です。
今回は代打の神様と言われた八木裕の凄さが分かる名言や語録を紐解き、伝説エピソードから努力論にまで迫ります。
八木裕について
まずは八木裕の経歴を追ってみます。
1965年6月8日生まれ。岡山県玉野市出身。岡山東商業高校では2年生の時から4番を任されていました。卒業後は三菱自動車水島に入社。1986年のドラフトで阪神タイガースに3位指名され入団します。
ルーキーイヤーから意外性のあるパンチ力を見せ、一軍で本塁打を放つなどしますが、2年目はアメリカ1Aのフレズノ・サンズに野球留学し、3年目となる1989年に本塁打を16本打ち、レギュラーに定着。1990年には28本塁打を放ち、以降3年連続で20本以上の本塁打を記録しました。
その後は若手の台頭や、自身の故障もあり、控えに回ることが多くなります。1996年には1軍出場がゼロに終わり、チーム構想からも外れそうになりますが、吉田義男監督の要望で残留。翌1997年からはその期待に応えるかのように代打で結果を出しはじめ、1998年には吉田監督から「代打の神様」と命名されるようになります。
2003年には時に代打、時にスタメン4番を任され、ベテランとしてチームを支え、チームにとって28年ぶりのリーグ優勝に貢献しました。そして2004年シーズン限りをもって引退。
プロ野球通算18年間で817安打、126本塁打、打率.247。
引退後は解説者、タイガースのコーチなどを経て、2023年シーズンから日本ハムファイターズの打撃コーチに就任しました。
私が選ぶ、八木裕の凄さがわかる名言・語録集
【名言語録その1】
「本音を言うと、1球は見たいんです」
代打の神様と呼ばれた八木ですが、その極意として「ボールカウントに支配されていますから、初球は狙いたい」と語っています。初球のヒット率は高いと言われていますし、積極的にファーストストライクから狙うのは打撃のセオリーのひとつです。
しかしレギュラー選手ならばともかく、たった1打席の代打にとって、データや映像だけでなく、その日のピッチャーのボールの軌道やスビート感を実際に打席で見極めたいし、もしたった1球で凡打に終わるとチームの勢いも削がれ、自身ももったいなかったと感じてしまいます。
八木も本音では「1球は見たい」という気持ちがあったそうです。ですが「長いシーズンなので初球でも振るぞという姿勢を見せておかないと」というシーズン全体を俯瞰した考えで、初球でも打ちに行く用意をしっかりしていました。それも代打としての努力のひとつと言えるでしょう。
【名言語録その2】
「2003年に優勝の喜びを味わえたことで、92年の負けがただ悔しいだけでなくなったんです」
タイガースは2003年、実に28年ぶりのリーグ優勝に輝きましたが、1992年もシーズン終盤まで、あと一歩で優勝というところまで迫っていました。しかし残念ながら最後は失速してしうのですが、そのきっかけになったと言われているのは、9月11日のヤクルトスワローズとの一戦です。
首位争いをしていた両チームの対戦。同点で迎えた9回裏2アウト、ランナー1塁の場面。バッターの八木は、フルカウントからスワローズのクローザー岡林洋一のスライダーを、低い弾道でレフトに打ち返しました。八木はその弾道から「スタンドには届かない」と思ったそうですが、二塁塁審の平光が腕を回しホームランを告げました。甲子園は歓喜の渦に包まれましたが、スワローズ側は外野フェンス上部に当ってからスタンドインしたと主張。グラウンドには八木のためにお立ち台まで用意されていましたが、平光塁審が自ら誤審を認め、判定はエンタイトルツーベースに変わりました。打った八木は「やっぱりか」と思ったそうです。
すると今度はタイガースの中村勝弘監督が猛抗議。平光塁審は「今年で責任をとって辞めますから、何とか試合を再開してください」と説得しますが、中村監督は「俺たちには今日の1試合が大事なんだ」と引き下がらず、このままでは没収試合になるという状況にまでなり、渋々、中村は従います。結果、6時間26分の試合は引き分けに終わり、タイガースの勢いは失速し、優勝を逃しました。
リクエストがない時代、審判は誤審であれ、自分がルールブックだとして判定を押し切り、試合を進めてきました。なのにこの試合ではあっさり誤審を認め、一度サヨナラによるゲームセットを宣言したのに再開するというのが、中村監督は許せなかったようです。
そして2003年に優勝することで「自分のプロ野球生活の歴史の中で、92年は惜しかったけど、そういうのもありだなって割り切れて、救われました」と八木は話しています。
【名言語録その3】
「きついのは野手の代打として出ていくとき。チャンスで代えられる苦しさ、つらさ、みじめさもあるでしょうし、その選手の打席を奪うわけですから、奪った以上は、その人よりも結果を出さなければいけない」
1997年には代打として打率.405、出塁率.500という成績を残した八木。代打の神様と言われるに裏には、代えられた選手に対する強い思いもありました。代打での通算成績は400打数で94安打で打率.235、13本塁打、打点98。代打歴代5位となる打点の多さが、八木の思いを象徴しているのかもしれません。
その代打の精神はコーチとしての考え方にも反映されているようです。八木は「技術は全体的に上がった。ただ昔のやり方にも長所はあります」と話し、昔ながらの根性論を否定していません。たとえば千本ノックも「あれは自分のペースではできない。ボールを追いかけることで、あと一歩、あと一歩と限界が伸びていく」と評価しています。
そこには自分のペースで打席に立つことができない代打の目線と、勝負師としての貪欲さが感じられるように思います。
名言からの学び
・あえて本音を隠すのもプロである
・悔いは結果によって覆すことができる
・経験がスタイルを作りあげる
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