福岡ソフトバンクホークスの歴代ショート(遊撃手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!
平成・令和の常勝軍団としてプロ野球界をリードしている福岡ソフトバンクホークス。
今回はその福岡ソフトバンクホークスのショートを守った歴代選手の成績や年俸などをリサーチしました。
それでは常勝軍団となった福岡ソフトバンクホークス歴代最強のショート(遊撃手)を一緒に見ていきましょう。
目次
福岡ソフトバンクホークス歴代ショート(遊撃手)一覧まとめ!
まずは1950年以降、そのシーズンの主にショートを守った選手を確認してみましょう。
年 | 選手名 | 背番号 | 試合数 | 打率 | 本塁打 | 打点 | タイトル |
1950 | 木塚 忠助 | 14 | 116 | 0.301 | 8 | 47 | 盗塁王、ベストナイン |
1951 | 木塚 忠助 | 14 | 104 | 0.309 | 1 | 34 | 盗塁王、最多安打、ベストナイン |
1952 | 木塚 忠助 | 14 | 115 | 0.280 | 8 | 41 | 盗塁王、ベストナイン |
1953 | 木塚 忠助 | 14 | 91 | 0.239 | 2 | 23 | ベストナイン |
1954 | 木塚 忠助 | 14 | 115 | 0.253 | 7 | 30 | |
1955 | 木塚 忠助 | 14 | 122 | 0.249 | 2 | 21 | ベストナイン |
1956 | 木塚 忠助 | 14 | 133 | 0.253 | 1 | 27 | |
1957 | 森下 正夫 | 16 | 128 | 0.264 | 7 | 60 | |
1958 | 広瀬 叔功 | 57 | 120 | 0.288 | 7 | 31 | |
1959 | 広瀬 叔功 | 57 | 126 | 0.310 | 8 | 45 | |
1960 | 広瀬 叔功 | 57 | 128 | 0.269 | 10 | 46 | |
1961 | 小池 兼司 | 2 | 98 | 0.209 | 9 | 25 | |
1962 | 小池 兼司 | 2 | 133 | 0.230 | 8 | 43 | |
1963 | 小池 兼司 | 2 | 149 | 0.238 | 22 | 65 | ベストナイン |
1964 | 小池 兼司 | 2 | 149 | 0.260 | 10 | 57 | ベストナイン |
1965 | 小池 兼司 | 2 | 137 | 0.268 | 17 | 63 | ベストナイン |
1966 | 小池 兼司 | 2 | 132 | 0.216 | 7 | 48 | ベストナイン |
1967 | 小池 兼司 | 2 | 126 | 0.194 | 7 | 31 | |
1968 | 小池 兼司 | 2 | 136 | 0.193 | 13 | 44 | |
1969 | 小池 兼司 | 2 | 98 | 0.203 | 2 | 25 | |
1970 | 小池 兼司 | 2 | 94 | 0.194 | 4 | 26 | |
1971 | 小池 兼司 | 2 | 88 | 0.269 | 2 | 24 | |
1972 | 佐野 嘉幸 | 3 | 112 | 0.256 | 10 | 36 | |
1973 | 佐野 嘉幸 | 3 | 109 | 0.263 | 2 | 30 | |
1974 | 佐野 嘉幸 | 3 | 110 | 0.240 | 6 | 32 | |
1975 | 定岡 智秋 | 37 | 97 | 0.189 | 3 | 14 | |
1976 | 定岡 智秋 | 3 | 123 | 0.238 | 7 | 39 | |
1977 | 定岡 智秋 | 3 | 101 | 0.217 | 8 | 32 | |
1978 | 定岡 智秋 | 3 | 111 | 0.227 | 3 | 33 | |
1979 | 定岡 智秋 | 3 | 115 | 0.247 | 11 | 41 | |
1980 | 定岡 智秋 | 3 | 114 | 0.241 | 13 | 42 | |
1981 | 定岡 智秋 | 3 | 90 | 0.245 | 4 | 32 | |
1982 | 定岡 智秋 | 3 | 127 | 0.216 | 13 | 48 | |
1983 | 定岡 智秋 | 3 | 130 | 0.257 | 9 | 47 | |
1984 | 久保寺雄二 | 7 | 112 | 0.272 | 9 | 49 | |
1985 | 小川 史 | 56 | 113 | 0.229 | 2 | 18 | |
1986 | 小川 史 | 1 | 128 | 0.248 | 3 | 32 | |
1987 | 湯上谷 宏 | 14 | 99 | 0.237 | 5 | 25 | |
1988 | 湯上谷 宏 | 7 | 109 | 0.284 | 9 | 48 | |
1989 | 小川 史 | 1 | 93 | 0.271 | 3 | 21 | |
1990 | 小川 史 | 1 | 106 | 0.251 | 3 | 27 | |
1991 | 水上 善雄 | 7 | 100 | 0.242 | 5 | 16 | |
1992 | 浜名 千広 | 0 | 124 | 0.239 | 5 | 30 | |
1993 | 浜名 千広 | 0 | 125 | 0.228 | 3 | 30 | |
1994 | 浜名 千広 | 0 | 129 | 0.260 | 6 | 38 | |
1995 | 浜名 千広 | 8 | 110 | 0.276 | 1 | 28 | |
1996 | 浜名 千広 | 8 | 130 | 0.254 | 3 | 47 | |
1997 | 浜名 千広 | 8 | 116 | 0.241 | 5 | 31 | |
1998 | 井口 忠仁 | 7 | 135 | 0.221 | 21 | 66 | |
1999 | 井口 忠仁 | 7 | 116 | 0.224 | 14 | 47 | |
2000 | 鳥越 裕介 | 35 | 115 | 0.243 | 4 | 25 | |
2001 | 鳥越 裕介 | 6 | 122 | 0.174 | 2 | 16 | |
2002 | 鳥越 裕介 | 6 | 129 | 0.251 | 4 | 25 | |
2003 | 鳥越 裕介 | 6 | 115 | 0.212 | 1 | 25 | |
2004 | 川﨑 宗則 | 52 | 133 | 0.303 | 4 | 45 | 盗塁王、最多安打、ベストナイン、ゴールデングラブ賞 |
2005 | 川﨑 宗則 | 52 | 102 | 0.271 | 4 | 36 | |
2006 | 川﨑 宗則 | 52 | 115 | 0.312 | 3 | 27 | ベストナイン、ゴールデングラブ賞 |
2007 | 川﨑 宗則 | 52 | 95 | 0.329 | 4 | 43 | |
2008 | 川﨑 宗則 | 52 | 99 | 0.321 | 1 | 34 | |
2009 | 川﨑 宗則 | 52 | 143 | 0.259 | 4 | 34 | |
2010 | 川﨑 宗則 | 52 | 144 | 0.316 | 4 | 53 | |
2011 | 川﨑 宗則 | 52 | 144 | 0.267 | 1 | 37 | |
2012 | 明石 健志 | 36 | 135 | 0.254 | 1 | 27 | |
2013 | 今宮 健太 | 2 | 143 | 0.253 | 5 | 43 | ゴールデングラブ賞 |
2014 | 今宮 健太 | 2 | 144 | 0.240 | 3 | 42 | ベストナイン、ゴールデングラブ賞 |
2015 | 今宮 健太 | 2 | 142 | 0.228 | 7 | 45 | ゴールデングラブ賞 |
2016 | 今宮 健太 | 2 | 137 | 0.245 | 10 | 56 | ゴールデングラブ賞 |
2017 | 今宮 健太 | 2 | 141 | 0.264 | 14 | 64 | ベストナイン、ゴールデングラブ賞 |
2018 | 今宮 健太 | 2 | 99 | 0.266 | 11 | 45 | |
2019 | 今宮 健太 | 6 | 106 | 0.256 | 14 | 41 | |
2020 | 牧原 大成 | 36 | 77 | 0.241 | 1 | 8 | |
2021 | 今宮 健太 | 6 | 125 | 0.214 | 4 | 30 |
1950年代
50年代に活躍したのは48年に入団していた木塚忠助選手でした。俊足を生かしたプレースタイルで50年に驚異の78盗塁を記録し、盗塁王に輝くと、52年まで盗塁王を獲得し続けました。56年までレギュラーを務めましたが、5回ベストナインを受賞しました。
57年は森下正夫選手、58年からはルーキーだった55年シーズン途中にピッチャーから転向していた広瀬叔功選手がポジションを掴みました。
1960年代
広瀬選手は木塚選手と同様に俊足を武器に活躍し、60年まで務めましたが61年に外野へ回りました。代わってショートを守ったのは専修大学から入団したルーキーの小池兼司選手でした。
小池選手は1年目から98試合に出場し、翌年以降は130試合前後の出場試合数を記録しました。63年に22本塁打を放ちベストナインを初受賞、そこから4年連続で受賞しました。
1970年代
小池選手は71年までレギュラーを務め、72年からは東映から移籍してきた佐野嘉幸選手が抜擢されました。3年間守り毎年100試合以上に出場しましたが、広島へ移籍することになり、守備に長けた定岡智秋選手がポジションを掴みました。
79年には初めて2桁本塁打を放ちましたが、打率は2割台前半のシーズンがほとんどでした。
1980年代
83年まで定岡選手はショートのレギュラーを務め、84年は開幕から好調でしたが怪我で戦線を離脱、代わりを久保寺雄二選手が務めました。
85年からは小川史選手と湯上谷宏選手が起用されることが多くなり、100試合前後の出場試合数を記録しました。
1990年代
90年代に入ると俊足と小技が武器の浜名千広選手が活躍しました。90年は小川選手、91年は水上善雄選手が守り、92年に抜擢されたのはルーキーの浜名選手でした。
ルーキーながらファン投票でオールスターに選出される等、1年目から活躍し、97年までショートのレギュラーを務めました。98年に井口忠仁選手がショートに定着すると浜名選手はセカンドに回り、井口選手は135試合に出場して21本塁打を記録しました。
2000年代
井口選手は活躍が期待されていましたが、00年はシーズン途中に怪我で離脱し、翌年からはセカンドに回りました。井口選手の穴を埋めたのは99年に中日からトレードで加入していた鳥越裕介選手で、堅実な守備で03年までチームを支えました。
04年にレギュラーを掴んだ川﨑宗則選手は、02年にウエスタンリーグ首位打者に輝いた実力を発揮し、走攻守三拍子揃った選手として活躍しました。04年は最多安打と盗塁王に加えてベストナインとゴールデングラブ賞を受賞、06年もベストナインとゴールデングラブ賞を獲得しました。
07年は規定打席に到達しなかったものの打率.329のハイアベレージを記録し、00年代のホークスを牽引しました。
2010年代
川﨑選手は11年までレギュラーを務めた後、メジャーリーグに挑戦するために退団、12年は明石健志選手が起用され、プロ9年目で初めて規定打席に到達しました。
13年からは今宮健太選手がレギュラーに定着し、強肩と驚異的な守備範囲で13年から5年連続でゴールデングラブ賞を受賞し、リーグを代表するショートに成長しました。
怪我に苦しんだ20年は育成出身の牧原大成選手が代わりを務めましたが、今後も今宮選手の活躍が期待されています。
福岡ソフトバンクホークス歴代ショート年俸ランキング!歴代最高年俸は今宮健太選手の2億9000万円!
ここでは福岡ソフトバンクホークスの歴代ショートを年俸で順位付けしてみました。なお、年俸と成績はショートのレギュラーとして出場したシーズンの数字を記載しています。
順位 | 年度 | 選手名 | 年俸 | 打率 | 試合数 |
1 | 2021 | 今宮 健太 | 2億9000万円 | 0.214 | 125 |
2 | 2011 | 川﨑 宗則 | 2億4000万円 | 0.267 | 144 |
3 | 1997 | 浜名 千広 | 6000万円 | 0.241 | 116 |
4 | 2003 | 鳥越 裕介 | 5300万円 | 0.212 | 115 |
5 | 2020 | 牧原 大成 | 4000万円 | 0.241 | 77 |
球界を代表する選手が多く誕生している福岡ソフトバンクホークスのショートですが、1位は10年代半ばにレギュラーを掴み、日本を代表するショートの1人に成長した今宮健太選手で、21年の2億9000万円が歴代最高年俸となりました。13年からレギュラーとして試合に出場し、19年から変動制の4年契約を結んでいる実力者が1位でした。
2位は2億4000万円の川﨑宗則選手で、メジャーリーグに挑戦前最後のシーズンとなった11年の年俸がランクインしました。04年にレギュラーに定着、日本代表に選出される等、チームの顔としてプレーし続け、ファン人気も絶大でした。
3位は浜名千広選手の6000万円です。ルーキーながら92年にレギュラーに抜擢され、俊足とバント等の小技を武器に活躍しました。96年も130試合に出場し、97年の年俸は6000万円になりました。
4位は03年の鳥越裕介選手。移籍前の中日時代にもレギュラーとして出場経験のあった実力者は移籍後も堅実な守備を披露し、ショートのレギュラーとしての出場を重ねていきました。レギュラー最終年とあった03年の5300万円で4位にランクインしました。
5位にランクインしたのは20年の牧原大成選手の4000万円でした。内外野どこでも守れるユーティリティプレーヤーとしてプロ2年目の12年に育成から支配下登録され、今宮選手が離脱し、ショートを務めることの多かった20年は4000万円でプレーしました。
私が思う歴代最強の福岡ソフトバンクホークスのショート(遊撃手)は川﨑宗則選手!
活躍した選手の多かった福岡ソフトバンクホークスのショートですが、その中でも歴代最強のショートは00年代の内野陣を牽引した川﨑宗則選手だと考えます。
ここで、川﨑宗則選手のプロフィールを確認していきましょう。
職業:プロ野球選手・野球解説者
生年月日:1981年6月3日
身長:180cm
出身:鹿児島県
最終学歴:鹿児島工業高校
血液型:O型
1981年(昭和56年)6月3日生まれ、鹿児島県姶良郡姶良町(姶良市)出身。鹿児島工業高校から1999年のドラフト会議で当時の福岡ダイエーホークスから4位指名を受け入団しました。
プロ1年目から2軍で実戦を積み、プロ2年目の01年のシーズン終盤に1軍初出場を果たしました。3年目は2軍で首位打者を獲得し、プロ4年目の03年から本格的に1軍でプレーするようになりました。
日本のプロ野球ではホークスのみでプレーし、メジャーリーグ挑戦前最後のシーズンとなった11年までと、復帰した17年の計13年で1187試合に出場し、打率.292、27本塁打、373打点、267盗塁を記録、04年に盗塁王と最多安打を獲得しました。打ってよし、守ってよし、走ってよしの三拍子揃ったショートとして活躍し、04年と06年はベストナインとゴールデングラブ賞も受賞しました。
明るい性格と持ち前のリーダーシップで、チームを牽引し、チームの顔として日本代表にも選出されました。06年はショート、09年はサードとして出場してWBC優勝に貢献する活躍を見せ、特に06年の決勝戦で見せた相手捕手のブロックをかいくぐり右手を伸ばして生還した走塁は「神の右手」と呼ばれる好走塁でした。
長い期間ショートのレギュラーを務め、日本代表としても活躍し、日本を代表するショートの1人としてチームを牽引し続けた川﨑選手がホークス歴代最強のショートではないでしょうか。
福岡ソフトバンクホークス歴代ショート(遊撃手)に関する豆知識
福岡ソフトバンクホークスは日本で唯一九州に本拠地を置く球団ですが、00年以降にショートのレギュラーを務めた選手にはご当地・九州出身の選手が多くいます。
00年から03年まで4年間務めた鳥越裕介選手は大分県臼杵市出身で、大学進学と同時に上京し、中日ドラゴンズを経て地元九州に戻ってきました。
04年から11年まで務めた川﨑宗則選手は鹿児島県姶良郡姶良町(現姶良市)の出身で、高校時代まで過ごした鹿児島県を飛び出し、福岡でプレーしました。鹿児島県では以前は巨人戦の中継が多く、川﨑選手の父は巨人ファンとのことです。
13年から現在までレギュラーを務めている今宮健太選手は大分県別府市、その今宮選手が離脱した際に代わりを務めることの多かった牧原大成選手は福岡県久留米市の出身で、近年のホークスのショートは九州出身の選手が活躍しています。
まとめ
・福岡ソフトバンクホークスのショートは小池兼司選手や今宮健太選手が長くレギュラーを務めた。
・木塚忠助選手や小池選手、川﨑宗則選手や今宮選手が複数回ベストナインを受賞している。
・歴代で一番年俸が高かったのは、今宮選手の2億9000万円。
・川﨑選手は04年からレギュラーとして起用され、盗塁王や最多安打、ベストナイン・ゴールデングラブ賞を受賞した福岡ソフトバンクホークス歴代最強のショートである。
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