五十嵐亮太の凄さが分かる名言・語録集!天才投手の伝説エピソードから努力論まで
昭和の時代、投手は先発完投が基本であり、リリーフ投手は二流とされていました。しかし投手分業制の時代となり、今ではリリーフ投手の質と量がチームの浮沈を担っているといえます。そんなリリーフ時代の申し子というべき投手が五十嵐亮太です。
五十嵐はプロ初登板から引退するまで、823試合すべてリリーフ登板という記録を持ち、メジャーリーグに在籍していた3年間も合わせると、デビューから906試合連続でリリーフ登板しています。まさにリリーフ時代を代表する投手のひとりです。
また五十嵐といえばアイドルグループSMAPに所属していた木村拓哉さんに似ているということで、野球の実力だけなく、そのルックスでも注目されました。
今回は剛速球を武器にリリーフ投手として活躍した五十嵐亮太の凄さが分かる名言や語録を紐解き、その伝説エピソードから努力論にまで迫ります。
五十嵐亮太について
まずは五十嵐亮太の経歴を追ってみます。
1979年5月28日生まれ、北海道留萌市出身。札幌市で育ち、小学校4年の時に千葉県へ。リトルシニアの頃は野手でしたが、敬愛学園高校に入学後、投手に転向。甲子園出場はありませんでしたが、1997年のドラフト会議でヤクルトスワローズ(現東京ヤクルトスワローズ)にドラフト2位指名を受けて入団します。
ルーキーイヤーは1軍での登板はありませんでしたが、2軍では高卒ルーキー初のファーム日本選手権MVPを獲得。2年目に1軍初登板を果たし、剛速球を武器に中継ぎで6勝をあげます。2000年には中継ぎで最多勝争いをし、11勝を記録。チームの中継ぎの要として2002年から3年連続で60試合以上に登板。2004年には高津臣吾のメジャー移籍により、クローザーに抜擢され、最優秀救援投手に輝きました。
その後もチームの中継ぎ、時に抑えとして活躍し続け、2009年オフにFA権を行使して、ニューヨークメッツと契約。メジャーリーグ移籍を果たします。メジャーでも2年連続で30試合の登板をしますが、2011年オフにピッツバーグパイレーツと契約するも、シーズン前にリリースとなりトロントブルージェイズと契約。2012年5月にはニューヨークヤンキースへ移籍します。
2012年オフには福岡ソフトバンクホークス契約し、日本球界に復帰。2013年から2015年まで3年連続で50試合以上登板します。2016年には歴代4位となる141ホールドを記録。しかし2018年オフに自由契約となり、古巣のスワローズに移籍します。そして2019年には日本プロ野球史上7人目となる800試合登板、史上4人目となる日米通算900試合登板を記録し、2020年シーズン限りで引退しました。
日本プロ野球通算19年で65勝、70セーブ、163ホールド、防御率2.93。最優秀救援投手1回。
メジャーリーグ通算3年で5勝、4ホールド、防御率6.41。
引退後は野球解説者として活躍しています。
私が選ぶ、五十嵐亮太の凄さがわかる名言・語録集
【名言語録その1】
「僕はどちらも大切だと思います。片方だけが良ければいいということはないし、常に成長をするためには両方を追い求めていかなければいけないと思います」
球速よりも球質が大事ではという問いに答えたものです。若い頃の五十嵐といえば、当時の球界最速158キロを記録した剛速球をどんどん投げ込むタイプで、いわゆる速球派でした。
古田敦也によれば、五十嵐のボールはストレートのスピンがきれいな縦回転でくるので、他の投手と同じ球速であってもなかなか打てないものだったそうです。
松井秀喜が日本で最後にホームランを放った相手は五十嵐でした。その対戦で五十嵐は捕手の米野智人がフォークのサインを出しても首を横に振り続けたそうです。この勝負は4球目のファールフライを米野が落球し、命拾いした松井が見事に仕留めたのですが、紙一重の勝負だったと言えます。
そんな速球派の五十嵐がそれだけにこだわらなくなったのは、メジャーリーグへの挑戦があったからです。
【名言語録その2】
「もちろん失敗しないに越したことはありません。だけど、ある程度のリスクがあったとしても、リターンできるチャンスがあるのならトライすべきだと、僕は思っています。失敗したとしても、次に取り返せばいいんです」
メジャーリーグに挑戦した五十嵐ですが、3年間での通算防御率が6.41と決して結果が残せたと言えるものではありませんでした。しかし当時「メジャーに来て本当に良かった」という言葉を残しています。
「もしメジャーに来ていなかったら自分は変わりたいと思っていても変われなかったと思います。メジャーが自分を変えなきゃダメだと仕向けてくれたんです。自分にとっていい変化をもたらしてくれたのはの違いないです」
メジャーの強肩外野手がボールをしっかり上から叩くように投げている姿から、体や腕の使い方のヒントにし、メジャーで覚えたナックルカーブは「緩急をつける武器にもなりますが、自分自身がフォームを修正するのに大切な球種」となりました。
「思い通りにいかないことばかりですよ。それが当たり前なんです。何かをクリアしても、またすぐに次の課題が見つかる。その繰り返しです」
最初のスワローズ時代には、何も考えずに速球勝負の投手と思われていた五十嵐ですが、トライアンドエラーを繰り返しながら成長を重ね、日本に復帰したホークスの時は、確実にかつてよりも厄介な投手になっていました。それは五十嵐のトライする精神がもたらした進化だったのでしょう。
【名言語録その3】
「価値観の問題だと思うんです。記録よりも新しいステージに立って、新しい自分を見つけるという価値の方が僕の中では高い。どんどん新しい自分に挑戦したい」
デビュー以来連続の救援記録について問われての答えです。メジャーリーグで苦闘していた五十嵐は、単身メキシコのウインターリーグに渡りました。するとチームからは先発で期待していると伝えられます。当時同僚だった高橋尚成と五十嵐を間違えていたのです。スタイルも利き腕も違う二人ですが、五十嵐はなんと7試合中5試合先発し、防御率1.93でした。
ウインターリーグの記録は公式な生涯記録には残されませんが、五十嵐の連続救援記録にはそんな裏話がありました。その記録にしても本人は「引退してしまったら誰も覚えていないですよ。王さんやイチローさんのような記録とは違いますから」とそれほど気にしていませんでした。そして「価値観の問題」だと語りました。
2020年10月25日に五十嵐は神宮球場で最後のマウンドに立ちますが、勝負はたった1球で終わります。そのシーンで思い出したのが、2009年9月に同じ神宮球場でチームが10連敗を喫した後、ファンがクラブハウス前で騒ぎだした時、選手代表として謝罪に現れたのは五十嵐でした。暴動となる前に事態は治まりましたが、この時、クラブハウスの中で五十嵐の娘が泣いていたそうです。
ファンにとってチームの「勝ち」はひとつの「価値」でしょう。しかし永久に勝ち続けるチームなどなく、輝き続ける選手もいません。ファンもまた野球の中に多くの「価値」を見つけて欲しいものです。
名言からの学び
・二兎を追う者が二兎を得る
・トライアンドエラーこそが武器を磨く武器である
・価値は他人が決めるものではない
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