阪神タイガースの歴代ファースト(一塁手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!
球団創設85周年を迎えた阪神タイガース。長い歴史の中で、多くの選手が西の伝統球団のファーストの守りについてきました。
今回は阪神タイガースのファーストを守った歴代選手の成績や年俸などを調べ、阪神タイガース歴代最強のファーストについてまとめてみました。
目次
阪神タイガースの歴代ファースト(一塁手)一覧まとめ!
まずは1950年以降、そのシーズンの主にファーストを守った選手を一覧にしてみました。
年 | 選手名 | 背番号 | 試合数 | 打率 | 本塁打 | 打点 | タイトル |
1950 | 櫟 信平 | 16 | 109 | 0.248 | 11 | 48 | |
1951 | 櫟 信平 | 16 | 105 | 0.239 | 6 | 35 | |
1952 | 後藤 次男 | 12 | 120 | 0.300 | 3 | 34 | |
1953 | 藤村富美男 | 10 | 130 | 0.294 | 27 | 98 | 本塁打王、打点王 |
1954 | 藤村富美男 | 10 | 225 | 0.273 | 21 | 78 | |
1955 | 藤村富美男 | 10 | 112 | 0.269 | 21 | 63 | |
1956 | 渡辺 博之 | 24 | 125 | 0.227 | 4 | 47 | |
1957 | 渡辺 博之 | 24 | 104 | 0.256 | 1 | 30 | |
1958 | 藤本 勝巳 | 5 | 124 | 0.225 | 16 | 49 | |
1959 | 藤本 勝巳 | 5 | 127 | 0.278 | 24 | 81 | ベストナイン |
1960 | 藤本 勝巳 | 5 | 119 | 0.272 | 22 | 76 | 本塁打王、打点王 |
1961 | 藤本 勝巳 | 5 | 108 | 0.237 | 8 | 41 | ベストナイン |
1962 | 藤本 勝巳 | 5 | 121 | 0.264 | 15 | 57 | |
1963 | 遠井 吾郎 | 24 | 118 | 0.284 | 11 | 56 | |
1964 | 遠井 吾郎 | 24 | 117 | 0.282 | 12 | 41 | |
1965 | 遠井 吾郎 | 24 | 122 | 0.256 | 16 | 52 | |
1966 | 遠井 吾郎 | 24 | 123 | 0.326 | 11 | 55 | |
1967 | 遠井 吾郎 | 24 | 135 | 0.309 | 10 | 58 | |
1968 | 遠井 吾郎 | 24 | 133 | 0.262 | 13 | 68 | |
1969 | 遠井 吾郎 | 24 | 88 | 0.211 | 5 | 31 | |
1970 | 遠井 吾郎 | 24 | 123 | 0.284 | 10 | 55 | |
1971 | 遠井 吾郎 | 24 | 112 | 0.224 | 6 | 29 | |
1972 | 遠井 吾郎 | 24 | 102 | 0.262 | 8 | 34 | |
1973 | 遠井 吾郎 | 24 | 113 | 0.296 | 5 | 42 | |
1974 | 遠井 吾郎 | 24 | 119 | 0.260 | 14 | 53 | |
1975 | アルトマン | 44 | 114 | 0.274 | 12 | 57 | |
1976 | ブリーデン | 44 | 123 | 0.261 | 40 | 92 | |
1977 | ブリーデン | 44 | 120 | 0.236 | 37 | 90 | |
1978 | 藤田 平 | 6 | 130 | 0.301 | 13 | 58 | |
1979 | 佐野 仙好 | 9 | 123 | 0.300 | 10 | 52 | |
1980 | 藤田 平 | 6 | 103 | 0.304 | 6 | 38 | |
1981 | 藤田 平 | 6 | 107 | 0.358 | 11 | 70 | 首位打者、ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞 |
1982 | 藤田 平 | 6 | 116 | 0.290 | 7 | 40 | |
1983 | 藤田 平 | 6 | 90 | 0.275 | 2 | 24 | |
1984 | バース | 44 | 104 | 0.326 | 27 | 73 | |
1985 | バース | 44 | 126 | 0.350 | 54 | 134 | 首位打者、本塁打王、打点王、最多安打、MVP、ベストナイン、日本シリーズMVP |
1986 | バース | 44 | 126 | 0.389 | 47 | 109 | 首位打者、本塁打王、打点王、最多安打、ベストナイン |
1987 | バース | 44 | 123 | 0.320 | 37 | 79 | |
1988 | ジョーンズ | 00 | 52 | 0.254 | 8 | 27 | |
1989 | フィルダー | 44 | 106 | 0.302 | 38 | 81 | |
1990 | パリッシュ | 45 | 105 | 0.249 | 28 | 80 | |
1991 | オマリー | 1 | 130 | 0.307 | 21 | 81 | |
1992 | パチョレック | 42 | 129 | 0.311 | 22 | 88 | 最多安打、ベストナイン、ゴールデングラブ賞 |
1993 | オマリー | 1 | 125 | 0.329 | 23 | 87 | 首位打者 |
1994 | オマリー | 1 | 124 | 0.314 | 15 | 74 | |
1995 | グレン | 28 | 120 | 0.256 | 23 | 77 | |
1996 | マース | 32 | 63 | 0.245 | 8 | 42 | |
1997 | 平塚 克洋 | 54 | 135 | 0.293 | 17 | 68 | |
1998 | 桧山進次郎 | 24 | 122 | 0.226 | 15 | 52 | |
1999 | ジョンソン | 42 | 125 | 0.253 | 20 | 66 | |
2000 | 大豊 泰昭 | 55 | 97 | 0.241 | 23 | 54 | |
2001 | 広沢 克実 | 31 | 95 | 0.284 | 12 | 46 | |
2002 | アリアス | 14 | 126 | 0.258 | 32 | 82 | |
2003 | アリアス | 14 | 124 | 0.265 | 38 | 107 | ベストナイン、ゴールデングラブ賞 |
2004 | アリアス | 14 | 117 | 0.272 | 25 | 84 | |
2005 | シーツ | 4 | 137 | 0.289 | 19 | 85 | ゴールデングラブ賞 |
2006 | シーツ | 4 | 143 | 0.310 | 19 | 75 | ゴールデングラブ賞 |
2007 | 林威助 | 31 | 115 | 0.292 | 15 | 58 | |
2008 | 新井 貴浩 | 25 | 94 | 0.306 | 8 | 59 | |
2009 | 関本賢太郎 | 3 | 113 | 0.271 | 3 | 44 | |
2010 | ブラゼル | 67 | 143 | 0.296 | 47 | 117 | ベストナイン |
2011 | ブラゼル | 67 | 120 | 0.282 | 16 | 69 | |
2012 | 新井 貴浩 | 25 | 122 | 0.250 | 9 | 52 | |
2013 | 新井 貴浩 | 25 | 140 | 0.267 | 15 | 70 | |
2014 | ゴメス | 5 | 143 | 0.283 | 26 | 109 | 打点王、ベストナイン |
2015 | ゴメス | 5 | 143 | 0.271 | 17 | 72 | |
2016 | ゴメス | 5 | 139 | 0.255 | 22 | 79 | |
2017 | 中谷 将大 | 60 | 133 | 0.241 | 20 | 61 | |
2018 | ロサリオ | 3 | 75 | 0.242 | 8 | 40 | |
2019 | マルテ | 31 | 105 | 0.284 | 12 | 49 |
1950年代50年代は主に5人の選手が起用されました。東急フライヤーズから移籍してきた櫟信平選手は移籍初年度の50年に自己最多の109試合に出場して11本塁打を放つも2年後に疾患が見つかりその後引退しました。52年の1年間は、前年はセンターを守り、ピッチャーとショート以外守れる後藤次男選手が代わりに起用されました。
翌53年からはサードを守っていた藤村富美男選手がファーストに回り、本塁打王と打点王の二冠に輝きましたが、55年から監督を兼任することになり56年は監督業を優先させるためレギュラーから外れました。その56年からの2年は渡辺博之選手が務め、渡辺選手が近鉄に移籍すると前年から出場機会を増やしていた藤本勝巳選手が守り、59年にはベストナインを受賞しました。
1960年代
60年代も引き続き藤本選手がレギュラーを務め、60年には本塁打王と打点王の二冠を獲得しました。藤本選手は62年までレギュラーとして起用され、63年からは遠井吾郎選手がポジションを掴みました。
60年代半ばからは4番として出場し、66年にはリーグ2位の打率.326をマークするなどチームの中心打者として活躍しました。
1970年代
遠井選手は歴代最長となる12年間レギュラーを務めますが75年はロッテから移籍してきたジョージ・アルトマン選手が5番で起用され、4番を打っていた田淵幸一選手の負担を減らす活躍を見せ、プロ野球史上初の外国人200本塁打達成者となりました。
76年と77年はメジャーリーグからやってきた「赤鬼」ことハル・ブリーデン選手が守り、2年間で77本塁打を放ち長距離打者としての実力を発揮しました。
翌78年はサードとショートでレギュラーを務めていた藤田平選手が守備の軽減を目的にファーストで起用され、故障で離脱した79年は6年目の佐野仙好選手が外野からファーストに回り、初めて規定打席に到達しました。
1980年代
怪我から復帰した藤田選手は80年に打率.304を記録すると翌年は打率.358をマークして首位打者に輝き、83年には阪神生え抜き初の2,000本安打を達成しました。
84年からは伝説の助っ人のバットが火を噴きました。入団2年目だったランディ・バース選手はライトで起用されていた前年に35本塁打を記録しており、ファーストに回った84年は27本塁打でしたが、打率.326のハイアベレージをマークしました。続く85年は打率.350、54本塁打、134打点の成績で三冠王に輝き、翌年もプロ野球史上最高打率.389を記録するなど圧倒的な成績を残し2年連続の三冠王に輝きました。
88年途中にバース選手が退団するとルパート・ジョーンズ選手が加入、52試合に出場し、89年はセシル・フィールダー選手が38本塁打の好成績を残しましたが契約が折り合わず1年で退団しました。
1990年代
90年代は多くの助っ人外国人が起用されました。89年にヤクルトで本塁打王を獲得した経験があるラリー・パリッシュ選手は移籍してきた90年も8月まで本塁打ランキングトップだったものの突然引退を表明しました。翌91年はトーマス・オマリー選手が起用され、加入初年度から打率.307をマークしました。92年はサードに回り代わりにジム・パチョレック選手がファーストを守りベストナインとゴールデングラブ賞を受賞しましたが翌年は出場機会が減少し、再びオマリー選手がファーストを守って首位打者を獲得する活躍を見せました。
オマリー選手は2年間守った後自由契約となり、グレン・デービス選手が入団して中軸を打ちチームトップの23本塁打を記録しましたが、翌年はシーズン途中に解雇され、代わりに入団したケビン・マース選手は思ったような成績が残せませんでした。
97年は前年にオリックスからトレードでやってきた平塚克洋選手が守り、キャリアハイとなる成績を残しますが翌年はレギュラーを外れ、左打ちの桧山進次郎選手が起用されました。翌99年は左の大砲として期待されたマーク・ジョンソン選手が務め、打率は低かったものの20本塁打をマークしました。
2000年代
00年は中日で本塁打王の獲得経験がある大豊泰昭選手が起用されて20本塁打を記録しましたがこの年限りで退団し、広沢克巳選手が01年は多く起用されました。
02年からはオリックスから加入したジョージ・アリアス選手が3年間守り、優勝した03年には38本塁打を放ちベストナインとゴールデングラブ賞を受賞しました。
広島から移籍してきたアンディ・シーツ選手は広島時代のショートではなくファーストで起用され、05年から3年連続でゴールデングラブ賞を受賞、07年はサードでの起用も多くあり、ファーストには台湾出身の林威助選手も多く起用されました。
08年は広島からFAで入団した新井貴浩選手が守りますが、シーズン途中に腰の疲労骨折で離脱し、翌年はサードに回るとどこでも守れるユーティリティプレーヤーの関本賢太郎選手が多く起用され規定打席に到達しました。
2010年代
10年からの2年は前年途中に入団したクレイグ・ブラゼル選手が起用され、10年には47本塁打を放ち左の長距離砲として期待以上の活躍を見せましたが12年は出場機会が減り、代わって右肩を痛めていた新井貴浩選手がファーストに戻りました。
新井選手は2年守りましたがマウロ・ゴメス選手が入団したことにより14年は代打に回り、ゴメス選手は主に4番として全試合に出場し打点王を獲得しました。その後も安定した成績を残しますが、16年シーズン限りで退団し、17年は7年目の中谷将大選手がレギュラーを掴み初の規定打席に到達し、生え抜きの右打者としては06年の浜中治選手以来となる20本塁打を放ちました。
しかし18年はオープン戦から不調で、ウィリン・ロサリオ選手がファーストで起用されますが1年で退団し、翌年はジェフリー・マルテ選手が入団して105試合に出場しました。
阪神タイガース歴代ファースト(一塁手)年俸ランキング!歴代最高年俸はウィリン・ロサリオ選手の3億8000万円!
ここでは阪神タイガースの歴代ファーストを年俸で順位付けしてみました。なお、年俸と成績はファーストのレギュラーとして出場したシーズンの数字を記載しています。
順位 | 年度 | 選手名 | 年俸 | 打率 | 試合数 |
1 | 2018 | W.ロサリオ | 3億8000万円 | 0.242 | 75 |
2 | 2004 | G.アリアス | 3億0000万円 | 0.272 | 117 |
3 | 2020 | J.ボーア | 2億7500万円 | 0.286 | 18 |
4 | 2012 | 新井 貴浩 | 2億5000万円 | 0.250 | 122 |
5 | 2005 | A.シーツ | 2億1000万円 | 0.289 | 137 |
※2020年の成績は2020年7月14日現在の成績
阪神のファーストは長打力を期待された外国人が守ることが多く、4人の外国人がランクインしています。
1位はウィリン・ロサリオ選手の3億8000万円が最高年俸となりました。4番として期待されましたが、日本の野球に適応できず6月に二軍に降格し、一度昇格したものの再び降格するとそのまま退団となりました。
2位は3億円のジョージ・アリアス選手で、優勝した03年は中軸打者として38本塁打、107打点を記録し自身最高年俸となりました。迎えた04年は本塁打・打点ともに減少しましたが25本塁打84打点とまずまずの成績を残しました。
3位は20年のジャスティン・ボーア選手の2億7500万円です。バース選手の再来と言われており、開幕から18打席無安打と苦しみましたが徐々に成績を上げていき7月14日時点で打率.286、4本塁打を記録し、実力を見せ始めています。
4位は12年の新井貴浩選手。07年オフに阪神に入団してからファース、サード、ファーストとポジションを移していますが、年俸2億5000万円で迎えた12年はファーストで起用されました。前年は打点王を獲得しましたが、12年は打点を大きく減らし苦しいシーズンとなりました。
5位にランクインしたのはアンディ・シーツ選手でした。広島から阪神に移籍して迎えた05年の年俸は2億1000万円、広島時代のショートからファーストにポジションは移りましたがゴールデングラブ賞を受賞し、打撃でもチームの中軸打者として打率.289、19本塁打、85打点の成績を残し優勝に貢献しました。
私が思う最強の阪神タイガース歴代ファースト(一塁手)はランディ・バース選手!
長打力を期待された多くの助っ人外国人が守りについた阪神タイガースのファーストですが、歴代最強のファーストはランディ・バース選手だと考えます。
ここで、ランディ・バース選手のプロフィールを確認していきましょう。
職業:元プロ野球選手・農業経営
生年月日:1954年3月13日
身長:184cm
出身:アメリカ・オクラホマ州
最終学歴:ロートン高校
血液型:AB型
1954年(昭和29年)3月13日生まれ、アメリカ・オクラホマ州出身。ロートン高校からミネソタ・ツインズに入団、移籍を繰り返した後1982年のオフに阪神タイガースに入団しました。
日本では阪神のみでプレーし、6年で614試合に出場して打率.337、202本塁打、486打点を記録しています。来日1年目は主にライトで出場し、2年目からはファーストで起用されました。
84年は当時2位となるシーズン54本塁打、85年には現在でも1位の記録である打率.389を記録し2年連続で三冠王に輝き、シーズンだけでなく日本シリーズでもMVPを獲得するなど強力クリーンアップの中心として活躍しました。
球団創設以来初の日本一に貢献し、コンスタントに安打を打ち続け、一発もある最強助っ人のランディ・バース選手が阪神タイガース歴代最強のファーストと言えるでしょう。
ランディ・バースの凄さが分かる名言・語録集!最強助っ人外人「三冠王」の伝説エピソードから人生哲学まで
阪神タイガース歴代ファースト(一塁手)に関する豆知識
ランディ・バース選手が阪神のファーストの選手として圧倒的な成績を残していますが、トーマス・オマリー選手も阪神在籍4年間で毎年打率3割以上を記録するなど好成績を残しました。
低迷していたチームの中でオマリー選手の活躍はファンの心を掴み、ヒーローインタビューで決め台詞にしていた「ハンシンファンワ、イチバンヤァー!(阪神ファンは一番やー!)」は大人気でした。
そんなオマリー選手の人気を象徴するのが発売されたCDの「オマリーのダイナミック・イングリッシュ」であり、オマリー選手が歌う六甲おろしは音程の外れた力強い歌声が響く、ファンの心を揺さぶる名曲でした。
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まとめ
・阪神タイガースのファーストは多くの助っ人外国人が務めている。
・歴代最長は12年間務めた遠井吾郎選手。
・歴代で一番年俸が高かったのは、2018年シーズンのロサリオ選手の3億8000万円。
・バース選手は歴代シーズン1位の打率.389を記録し、三冠王を2年連続で獲得している阪神タイガース歴代最強のファーストである。
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