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馬淵史郎監督の凄さが分かる名言・語録集!松井秀喜の敬遠策からみる野球理論や指導方法に迫る!


幾多の劇的なドラマを生み続けている高校球児の聖地甲子園球場。毎年、春と夏に熱い戦いを見せてくれますが、その長い歴史の中には物議をかもす試合もいくつかありました。その最大のものが松井秀喜の5打席連続敬遠でしょう。その作戦を立てたのは高知県の明徳義塾高校野球部監督、馬淵史郎です。

2002年、夏の選手権大会では優勝し、甲子園通算50勝は高校野球史上5位の勝ち星を誇る名将馬淵ですが、その独特の語り口は「馬淵節」とも言われ、甲子園の名物でもあります。

1992年、夏の選手権大会の2回戦で、馬淵率いる明徳義塾は石川県の強豪星稜高校との対戦し、超高校級打者として注目されていた4番の松井を5打席連続で敬遠します。

7回には2死ランナー無しの場面でも敬遠し、甲子園球場はメガホンが投げ込まれるなど騒然となり、試合後にも大きな騒ぎになりました。

今回は馬淵史郎監督の凄さが分かる名言や語録を紐解き、松井秀喜敬遠に見る野球理論や指導方法にも迫ります。

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馬淵史郎のプロフィール詳細

まずは馬淵史郎の経歴を追ってみます。

1955年11月28日生まれ、愛媛県八幡浜市出身。高校は愛媛県立三瓶高校、大学は拓殖大学に進み、野球部で内野手として活躍します。1982年に阿部企業に入社し、野球部のコーチとなり、翌年から監督になります。

1987年より明徳義塾高校のコーチとなり、教員免許も取得。1990年より監督として指揮をとります。

明徳義塾はそれまでにも春の選抜大会へ出場するなどしていましたが、野球部関係者の不祥事などもあり、馬淵はチーム改革を求められる時期にコーチ、そして監督になったと言えます。

1992年、問題となる夏の選手権大会で、松井秀喜を5打席連続で敬遠し、高校野球ファンばかりでなく、大きな話題となって世間を騒がせます。2002年には夏の選手権大会で全国制覇を成し遂げます。

2005年に部員の不祥事で辞任。2006年に復帰し、その後も全国屈指の強豪校の監督として、甲子園通算50勝を記録し、令和元年となる夏の選手権大会でも、高知県代表として甲子園へと導きました。

 

私が選ぶ、馬淵史郎の凄さがわかる名言・語録

【名言・語録その1】

「間違っていたとは思わない。あの時のチームでは、あれしか勝つ方法がなかった」

松井秀喜の5打席連続敬遠について、馬淵はそう語っています。「いろんなことが重なったんです。これはもう運命」というその背景には、その時の明徳義塾には絶対的エースが不在のため、投手を5人もベンチに入れていたこと。

更に星稜のエース山口哲治が大会屈指の好投手であり、それを打ち込むだけの打力はないという判断があったようです。

勝つとすれば僅少差の戦いであり、松井の一発だけは食らいたくないという心理はわからなくもありません。考えようによって松井は単打を5本放ったのと同じなわけで、もし後続に打たれていれば大量点につながった可能性もあったわけです。

野球はチームスポーツであり、ひとりの才能ですべてが決まるわけではありません。だからこそ星稜の選手は松井に代わって自分が決めなければと力み、結局は馬淵の術中にはまったように思います。松井が敬遠されたことが敗因のすべてではないのです。

 

「仮に、3年間鍛えた力で松井君と真っ向勝負をして、負けたとします。それもまた教育なんだと思いますよ。それは間違いではない。だからあの作戦は正しいとか間違っているとかではないんです。両方とも正しいんです。善悪は誰も語れない。好き嫌いはあるかもしれませんけどね」

甲子園の試合はベンチ入りを含めて1チーム18人で、2チームの対戦なので選手は36人。そこに監督という計38人で作り上げるものです。更には応援による雰囲気も加わります。だからこそ劇的なドラマも生まれます。

 

「あんな騒ぎになるとは思っていませんでした」

それが馬淵の本音なのだろうと思います。「負けても仕方ないと、いい加減な勝負をしても教育にはなりません。一生懸命勝とうとすることこそが尊い」と語る馬淵。

頑張っている選手たちを、何とか勝たせてやろううとした戦術がこれほどの騒ぎになると予測する方が無理です。少なくとも星稜高校が勝っていればもっと静かな論調だったに違いありません。

 

「一番良かったのは松井君が成功してくれたこと。内心ほっとしていますよ」

その言葉にはいろいろな思いが込められているのだろうと思います。

松井秀喜の凄さが分かる名言集!誰もが尊敬するレジェンドの人柄や努力論に迫る!

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【名言・語録その2】

「高校野球の魅力って、力のない学校でもみんな力を合わせて、しっかり作戦立てたら、強豪校とでも対等に、もしくはそれ以上に勝負できるところにあると思うんです」

高校野球の現場では私立高校によるスカウト合戦とか、私立と公立高校との練習環境の格差、地域によって勝ち抜くまでの試合数の差など、様々な偏りがあります。

ただし部活動はあくまでも教育の一環であるため、その差は問題にならず、甲子園常連の強豪校とそうではない学校が生まれます。その強豪校に勝ちたいのならば、いろいろ策を練るのは当然だといえます。

 

「150キロのピッチャーが自分のところにおったら、130キロのピッチャー、スローボールに見えるんやろね。そういうもんよ」

チームにひとり優れた者がいると、その選手に依存してしまいワンマンチームになるか、あるいは周囲の者にも影響を与え、全体を引き上げる原動力になるか、どちらかだろうと思います。強豪校ほど後者の形になるように思います

取手第二高校や常総学院を率いた高校野球のレジェンド木内幸男監督は、馬淵を自分の後継者のひとりだとしています。

 

「足が速いから1番とか、長打力があるやつは4番というのではなく、もっと内面を見極めて決めなければいかんのだと。足はたいして速くなくとも盗塁の場面になったら思い切りのいいやつがいる。長打力はなくてもチャンスで不思議と勝負強さを発揮するやつがいる。木内さんはそういう見方をするんだよ」

国体で宿舎が一緒になった時、馬淵は木内からそんな話を聞いたと言い、大いに参考になったそうです。

 

「先発投手はご飯をたくのと一緒でじわじわいかんと」

「1対0で負けようが、100対0で負けようが、負けは負けよ」

そんな独特の表現する馬淵ですが、勝ち進む中で、選手たちに学ばせようとしているのは、幾多の苦難が待っているであろう未来に、くじけず負けないよう、自分の持っているさまざまな武器で、いろいろな戦い方ができる強い心を教えているように思います。

 

【名言・語録その3】

「高校野球は教育です。だから野球部の監督はできるだけ教育現場にいる人が務めた方がいいと思ってます」

高校野球の指導者には元プロ選手が増えてきています。元プロによって故障しにくい練習やコンディショニングを学べるのは、高校生にとってもいいことです。ただやはり高校野球の根幹は教育です。

高校野球の監督になるために、元プロであっても教員免許をとり、教壇に立っている人もいます。仙台育英高校の投手として甲子園で準優勝し、福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)にも所属した大越基は引退後に教員免許を取り、山口県早鞆高校の監督をしています。

教育に正解はありません。一方、野球には勝ち負けがつき、勝ちが正解だと思われがちです。そのため野球関係者は勝ちだけを優先しがちです。

令和元年には大船渡高校の佐々木朗希が県大会の決勝で登板しなかったことに賛否が起こりましたが、大事なことはチームにいる唯一の大人として、高校野球の監督は、選手の現在と未来を見据え、情緒や雰囲気に左右されることなく、教育的判断すべきだということです。選手本人の意志を尊重しろという論調もありましたが、選手は出たいと言うに決まっています。

そこで子どもの意志にゆだねてしまうのは大人として責任逃れです。

 

「うちの選手にも星稜の選手にも嫌な思いをさせてしまったなあ、つらい思いをさせてしまったなあと思っています。野球を離れた一人の年上の人間からしたらね」

これは馬淵の教師らしい一面が現れた言葉だと思います。強く勝ちにこだわり、5連続敬遠さえ辞さない馬淵でも、根幹には野球よりも、生徒たちを思う心が感じられます


甲子園!名将・馬淵語録 明徳義塾野球部監督・馬淵史郎の教え [ 寺下友徳 ]

 

名言からの学び

・善悪と好悪を同列に比べてはならない。

・強いものが勝つのではなく、勝ったものが強い。

・高校野球の根幹は教育であることを忘れてはいけない。

 

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