榎本喜八の凄さが分かる名言・語録集!天才安打製造機の伝説エピソードから打撃理論まで
名著として名高いロバート・ホワイティングの『菊とバット』ですが、その中では武士道という視点から日本の野球が語られているところがあります。
バットと刀というのはちょっと似たイメージを抱きやすいのかもしれません。実際、王貞治に一本足打法を指導した荒川博は、合気道の考え方を打撃に取り入れていたようです。同じく合気道を生かした打撃で安打を量産したのが榎本喜八です。
真面目で、まさに求道者ともいうべき榎本は、独自の打撃論を生み出し、更にそれを極めようとのめり込む姿から、奇人扱いされることもありました。しかし戦争での悲劇や極貧生活を乗り越え、野球で家族を豊かにしようと必死だった頃の選手であり、野球がジャパニーズドリームになりつつあった時代に、そのどこまでも極めようとする精神は日本の戦後成長の姿と重なる部分もあります。
前出のホワイティングは日米の野球観などを比較していますが、まさに日本的な野球が育ちつつあった時代に、榎本は日本人らしい切り口でバッティングを突き詰め、史上最年少での1000本安打、2000本安打を記録しました。
今回は個性あふれる天才的な安打製造機、榎本喜八の凄さが分かる名言や語録を紐解き、伝説エピソードからその打撃理論にまで迫ります。
榎本喜八のプロフィール詳細
まずは榎本喜八の経歴を追ってみます。
1936年12月5日生まれ、東京都中野区出身。5歳の時に太平洋戦争に突入し、父の出征と母の病死もあり極貧生活を送ります。そんな中、当時は職業野球と呼ばれたプロ野球に触れ、貧困から抜け出すためにプロになりたいと思うようになります。
戦後、早稲田実業高校に入学。卒業を迎え、先輩だった荒川博に頼み込み、そのコネで毎日オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)のテストを受け、別当薫監督の目に止まって、入団を果たします。
1955年、非凡な打撃センスで1年目からレギュラーとして活躍し、いまだに破られない高卒新人の記録を安打数、四球数、出塁率など数々の部門で残し、新人王に輝きます。1960年には首位打者を獲得し、その後4年連続で打率3割以上を打ち、1961年には史上最年少となる24歳9ヶ月で通算1000本安打を記録します。
打率を残すだけではなく、長打力もあり、抜群の選球眼を持っていて、脚力もそこそこ速いため、打撃の各部門で常に上位に名を連ね、その天才的なセンスから安打製造機とも呼ばれるようになります。
1968年には31歳7ヶ月という史上最年少記録で2000安打を達成。1971年には江藤慎一にポジションを奪われ、出場試合数を減らし、西鉄ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)に移籍。1972年のシーズンをもって引退します。
通算18年間の現役生活で、2314安打、246本塁打、153盗塁、打率.298。新人王、首位打者2回、最多安打4回、ベストナイン9回。通算安打1000本、1500本、2000本の最年少記録、409二塁打は史上10位、1062四球は史上12位。
引退後は打撃コーチになることを目指していましたが、難解な彼の打撃理論と奇行とも感じられる行動などから、声はかからないまま、2012年に75歳で永眠されました。
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私が選ぶ、榎本喜八の凄さがわかる名言・語録
【名言・語録その1】
「目でボールを見るのではなく、臍下丹田でボールをとらえているから、ゆっくり振っても精神的に間に合うんです。ちょうど夢を見ているような状態で打ち終わる」
榎本独特の打撃論を語った言葉です。臍下丹田というのはへその下にある、丹田という気がたまる場所のことです。出典は3世紀の漢代にまでさかのぼることができるようで、東洋医学や氣功などにも取り入れられていますし、日本でも武道の世界ではよく使われてきた言葉です。
榎本のオリオンズ入団にも関わった荒川は、王に一本足打法を指導したコーチとして知られていますが、荒川も王に刀を振らせるなど武道に通じる指導をしています。
その荒川から榎本は合気道の先生を紹介され、その経験からとにかく力まずに体を柔らかく使い、バットを自在に振り抜くという、彼が「打撃道」と呼ぶ独特の打法が生まれました。
「本当は打撃コーチをやりたいんです。でも誰も声をかけてくれない。僕は社交ベタだし、そういう人間には話がこない」
現役生活の終盤には、熱心に自分の打撃道を若手選手に教える事もあったようですが、あまりにも抽象的な内容について行けず、皆、当惑していたと伝わっています。
長嶋茂雄も抽象的な言い方が多かったのは有名ですし、イチローも独特の表現をしますが、感覚的なものを説明するのはなかなか難しいものです。王に対する荒川の指導も抽象的なもので、結局は王しかものにできませんでした。指導する側もされる側も相性のようなものもあるでしょう。
ただ張本勲が「この人には勝てない」と感じ、打撃コーチとして敵味方関係なく、熱心にコーチするので有名だった山内一弘が、その才能を認めた榎本だけに、彼の打撃論を受け継ぐ選手がまったくいなかったことが残念です。
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【名言・語録その2】
「我に勝つ。正しく勝つ」
我に勝つ、つまり己に勝つとはよく耳にする言葉です。しかし正しく勝つというのは聞きなれない表現です。榎本は勝負における無常観について合気道で克服したと話しています。
真面目な榎本にとってグラウンドは戦いの場であり、常在戦場の心持だったのかもしれません。武士の台頭によって無常観が広まったように、真剣勝負の場で鎬を削るプロの世界で、何か思うことがあったのでしょう。
高校1年生の時、先輩の荒川にオリオンズに紹介してくれと頼み「これから3年間、毎日5時に起きて登校する前に500本素振りすれば、世話してやる」と体のいい断りを真に受け、本当にそれをやり続けたという榎本。正しいという言葉には真っ直ぐという意味もありますが、その実直さが感じられます。
クレバーな戦略も見ごたえはありますが、能力と能力あるいは技能と技能が、真っ向からぶつかり合う様もまたプロらしさです。そんな「正しく勝つ」選手が活躍する姿は、勝ち負けという無常の向こう側にある、アスリートとしての美学である気がします。
【名言・語録その3】
「野球の天才といえば、バッターでは4人いるんじゃないですか。川上哲治、長嶋茂雄、それに僕と王貞治、ですね」
奇行の人だったという榎本。試合前に練習せずに座禅を組んだまま動かなかったとか、バットを持ったまま突然フェンスによじ登って「そりゃあ、頑張れ」と声を張り上げ、監督に注意されると、「ああそうですか」と答えてユニフォームのまま家に帰ったなどの逸話が残されています。
引退後も現役復帰を目指して、毎日40キロのランニングをしていると噂されましたが、それはコーチになった時の体力維持のためでした。
村田兆治も引退後もトレーニングを続け、始球式では66歳で130キロを越える速球を投げ込んでいますが、今ならば榎本も奇行とまでは言われなかったかもしれません。
ある時期、榎本は打撃で「神の領域」に達したと感じていたそうです。
「ピッチャーの投げたボールがすべてクリアに見えるので、ゆっくりとボールを待ち余裕を持って打てば良いのだから、そもそもタイミングなど存在しない」
そんな状態になったそうです。川上哲治の「ボールが止まって見える」(本当は小鶴誠の逸話)という感覚に近いような感じがします。しかしその感覚は捻挫して7試合欠場したら、すっかり消えてしまったのだそうです。
打撃の神様と称された川上は「打撃の神様の称号は自分ではなく、榎本喜八が最も相応しい」と言っています。
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榎本が何を考え、感じたのか、今は多様化の時代だからこそ、もう一度細かに検証されてもいいのではないかと思います。
名言からの学び
・すべての物事が、誰にでもわかるように単純化できるわけではない。
・正しいという美学を軽んじてはならない。
・わからなかったものが、いつまでもわからないままかどうか、常に検証されるべきである。
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