山下智茂監督の凄さが分かる名言・語録集!松井秀喜の恩師の教育論から人生哲学まで
野球好きにとって、春と夏の風物詩といえば高校野球の甲子園大会でしょう。正確には春は選抜高等学校野球大会、夏は全国高等学校野球選手権大会です。
日本全国の高校球児が目標とする歴史ある大会で、春の選抜は1924年から、夏の選手権は1915年から開催されています。球児たちの数々のドラマを生んだ甲子園ですが、数多くの名選手だけでなく、たくさんの名物監督も生み出しました。そのひとりが石川県星稜高校の監督をつとめた山下智茂監督です。
星稜高校は数多くのプロ選手を生み出している名門ですが、その筆頭は間違いなく松井秀喜でしょう。松井と山下監督といえば1992年夏の選手権2回戦で、明徳義塾高校による5打席連続敬遠は、25年以上たっても語り継がれ、いまだに高校野球のあり方を議論する際に必ず持ち出されます。
高校野球は徹底して勝利を追い求めるべきか、あくまでも教育の一環であるべきなのか、いろいろな思惑が絡まり、一向に結論は出ていませんが、当事者のひとりだった松井秀喜のその後の姿を見て、山下監督について振り返ってみれば、ひとつの答えが出るかもしれません。
今回は高校野球の名将であり、松井秀喜を育てた恩師である山下智茂監督の凄さが分かる名言や語録を紐解き、その教育論から人生哲学にまで迫ります。
山下智茂監督のプロフィール詳細
まずは山下智茂監督の経歴を追ってみます。
1945年2月25日生まれ。石川県立門前高校から駒澤大学に進学。野球選手としては控え止まりでしたが、大学卒業後に星稜高校の野球部監督に就任。監督3年目には初の甲子園出場に導きます。
高校野球は教育の一部であることを重視し、野球技術以上に人間形成のための厳しい教育がモットーで、学業で手を抜く者は練習をさせない、他県の有力選手をあえてスカウトしないなど、学生の将来を見据えた指導に定評がありました。
甲子園での印象的な試合としては、1979年の対箕島高校戦で、先攻の星稜が点を取ると、すぐ裏に箕島が追い付くという息詰まる展開で、なんと延長18回を戦い、最後は箕島に敗れました。その高校野球らしいひたむきさで繰り広げられたシーソーゲームは、多くの人の記憶に残っています。
1967年から2005年までの長きにわたり監督をつとめ、春の選抜には11回出場し、6勝11敗。夏の選手権には14回出場し、16勝14敗。1995年には山本省吾をエースに、決勝まで進み、帝京高校に敗れますが、準優勝を成し遂げます。
監督退任後は高校野球の解説や、甲子園歴史館の顧問などをつとめています。
私が選ぶ、山下智茂監督の凄さがわかる名言・語録集
【名言語録その1】
「心が変われば行動が変わる。行動が変われば習慣が変わる。習慣が変われば人格が変わる。人格が変われば運命が変わる」
読書家である山下は、自分が感銘を受けた言葉を、高校の室内練習場に張っていたそうです。この言葉からも、いかに人間教育を大事にしていたのかがわかります。
山下のもとからプロになった選手は、松井秀喜や山本省吾の他にも、スピードガンの申し子といわれた小松辰雄がいますし、箕島高校との激戦を戦った音重鎮、盗塁王になった村松有人などがいます。
またあまり知られてはいませんが、サッカー日本代表として活躍した本田圭佑も、星稜高校で社会科教師でもあった山下の教え子です。
本田は山下に「どうすれば松井秀喜さんのようになれますか」と尋ねたことがあったそうで、人間性が大事なこと、考え方をしっかり持つこと、本をたくさん読むことなどをアドバイスしてもらったそうです。
ノックをしすぎて血がかたまり、手の皮がバットとくっついてしまい、ハサミで切ったというエピソードを持つ山下ですが、そのひたむきな熱血と、教育者としての厳しさが、アスリートとしてだけでなく、一流の人間を育てたのでしょう。
【名言語録その2】
「勝負して欲しかったです、松井君とね。それだけです」
松井秀喜が5打席連続敬遠された明徳義塾高校との試合について「敬遠とメガホンと、それしか頭にないな、試合の印象はね」と語る山下。メガホンはスタンドから抗議のために投げ込まれたものです。
明徳義塾を率いた馬淵史郎監督は、後に「甲子園で勝ための練習をやってきて、その甲子園で負けるための作戦を立てる監督なんておらんでしょ。勝つためには松井くんを打たせてはいかんかった」と言っています。
場面に関係なく敬遠したことについては「僅少差の展開では、たとえ2死であっても歩かせることのリスクは大きいんですよ。敬遠は逃げじゃない。そこは理解してもらいたい」と説明しています。
また生徒たちがバッシングされたことについて申し訳なかったと話していますが、「野球では『盗塁』とか『刺殺』というように、盗むとか殺すとかいった不謹慎な言葉が使われている。その中できれいな言葉といったら『敬遠』ぐらいですよ。人を敬うからこそ敬遠なわけです」とも言っています。
勝つことでしか学べないこともあるでしょう。しかし学習指導要領によって規定される部活動の定義はあくまでも「学校教育活動の一環」です。
勝ちにこだわるべきか、教育的であるべきか、賛否両論あるだろうと思いますが、個人的には山下監督は優れた教育者であり、明徳義塾の馬淵監督は優れた野球指導者なのだろうと考えます。
ただ高校通算で打率.450といわれる松井も半分以上は凡退します。もし私が投手ならば、少なくとも2死走者なしの場面で敬遠したくはありません。また教師の立場であるならば、同じ高校生に初めから敵わないと教えることで、その選手たちの更なる成長を止めてしまう可能性も懸念します。そこが教育者と指導者との決定的な違いでしょう。打たれて負けても、上には上がいると経験することも学びのひとつです。
「みんな松井と勝負して、もし打たれてもそれを糧にしてまた大きくなるでしょ。よし、次は抑えてやろうと。それが高校野球だろうと、僕は思うんです。ただこれは、馬淵さんには馬淵さんの、僕には僕の高校野球観があるということでね」
教育者であることを自ら任じていた山下らしい言葉だなと思います。
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【名言語録その3】
「日本の4番を打っているのだから、そういう態度は見せるな」
松井が高校2年生の時に、高校日本代表として台湾遠征に参加した時のことです。ボールだと思って見送った球をストライクと言われて、松井は審判に対して露骨に不服だという態度を示しました。そして上記のように山下から注意されました。
山下の厳しい人間教育の結果が、やはり松井に深く浸透していると感じるのは、日本では読売ジャイアンツ、メジャーではニューヨーク・ヤンキースと、名門であり、マスコミもファンも厳しい目で見る球団に所属し、たとえ「ゴロキング」と揶揄されても泰然自若とした態度で、結果を出そうとする姿は、まさに山下の教えが生きていると思います。
「松井君がね、すごくこう人間的にあの5連続敬遠から大きな人間になってくれて、ジャイアンツ、あるいはヤンキースで活躍してくれたのは、この5連続敬遠があったからじゃないかな」
松井は「俺は甲子園で打って有名になった選手ではない。一度も振らずに、全国区になったんだから」と笑っていますが、多感な高校生だった頃の本音はいろいろあった筈です。
むしろチームメイトに対して、なぜ打てないのかという気持ちになったとも語っています。それはきっとチームメイトへの単純な苛立ちではなく、野球はひとりでやっているのではないから、周囲が大騒ぎするほど自分への敬遠だけで勝ちも負けが決まるわけではないということを、言いたかったのだろうと思います。
まさに松井が成長した瞬間でもあったのだろうと感じます。成長する場に至っても、伸ばせるかどうかは本人だけでなく、周囲のフォローや環境が影響すると思います。それらを準備できた山下の力量はさすがです。
名言からの学び
・どんな競技も最後は人間力が問われる。
・上に立つ者は、自らが教育者であるのか、指導者であるのか、示すことも責任である。
・成長の場に至っても伸びるかどうかは、周囲のフォローや環境による。
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