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屋鋪要の凄さが分かる名言・語録集!守備の名手の伝説エピソードから努力論まで

1970年代後半、当時の男の子たちはスーパーカーブームに湧きました。それからやや遅れて1985年、プロ野球界にもスーパーカーが現れます。スーパーカートリオと名付けられた横浜大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)の3人は走りまくり、高木豊が42盗塁、加藤博一が48盗塁、そして58盗塁を決めたのが屋鋪要です。

スーパーカートリオによる、同チーム3人が40盗塁というのはプロ野球史上唯一の記録であり、中でも屋鋪は3年連続で盗塁王を獲得するなど、通算327盗塁を記録しました。純粋なスプリント力に長けており、それは守備力にも生かされ、5度のゴールデングラブ賞に輝く、守備の名手でもありました。

引退後は野球指導者として活躍するだけでなく、SLに関するコラムを書き、いわゆる撮り鉄としても名を知られ、近年はラベンダー栽培に関する講師としても活躍し、多芸さを見せています。

今回は多彩な経歴を持つ盗塁王、屋鋪要の凄さが分かる名言や語録を紐解き、守備の名手の伝説エピソードから努力論にまで迫ります。

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屋鋪要について

まずは屋鋪要の経歴を追ってみます。

1959年6月11日生まれ。兵庫県川西市出身。父親の影響で野球を始め、淡口憲治、羽田耕一らのプロ野球選手を輩出した三田学園に中学から入学。甲子園出場はならなかったものの、早稲田大学のセレクションに合格し、入学予定だっとところ、大洋ホエールズにドラフト6位指名されて入団します。

ルーキーイヤーから代走などで1軍の試合に出場し、2年目の1979年に別当薫監督の指示で、俊足を生かすため右打ちからスイッチヒッターに転向。初安打、初盗塁を記録します。1980年以降、出場試合数を増やして行き、1983年には規定打席数に到達し、レギュラーを獲得しました。

1984年に打率3割を越え、1985年も2年連続で3割以上の打率をマーク。1986年からは3年連続盗塁王となり、その俊足を生かした守備力でも貢献し、1984年から5年連続でゴールデングラブ賞に輝きます。

しかし1989年に故障し、その後は両膝の手術などもあって1993年オフに自由契約となり、読売ジャイアンツと契約。1994年にはその守備力でチームの日本一に貢献。1995年限りで引退します。

日本プロ通算18年間で、1146安打、58本塁打、327盗塁、通算打率.269。盗塁王3回、ゴールデングラブ賞5回。

引退後はジャイアンツでコーチを務めたのち、少年野球の普及に尽力しながら、神奈川大学のコーチなどを歴任。SL愛好家として著作や写真集も出版し、ラベンダーの栽培家としてカルチャースクールの講師を務めるなど、多彩な活躍を見せています。

 

私が選ぶ、屋鋪要の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「遠くに飛ばすことしか考えていなかった」

屋鋪といえば、その走力と守備力で有名です。しかし、プロ入り当初は「遠くに飛ばす」ことを考え、体を大きくするために日に6食もとっていたそうです。ところがチームを代表する長距離砲でプロ通算278本塁打の田代富雄や、2095安打で331本塁打の松原誠の打撃を目の当たりにし、絶対に勝てないと思ったそうです。

プロ2年目に別当薫監督から「足が速いんだし、左でも打ってみたらどうだ」と言われ、スイッチヒッターに転向し、1985年には近藤貞男監督が高木豊、加藤博一と共に「スーパーカートリオ」として売り出し、俊足の選手として知られるようになった屋鋪。それでも「盗塁にはそこまで興味がなかった」そうです。

ある日、たまたまテレビをつけると、同じスイッチヒッターで1985年にはシーズン73盗塁を決めている高橋慶彦が「屋鋪はまだまだ」と語っているのを聞き、「絶対負けたくない」と盗塁に磨きをかけるきっかけとなりました。

先輩、監督、同僚、ライバルと、様々な出会いが屋鋪の持つ才能を開花させる助けになったと言えます。

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【名言語録その2】

「俺ほど練習した奴は、後にも先にもいないだろう」

とにかく練習に明け暮れたと言い切る屋鋪。試合前でも打ち込みは毎日500球を越え、年末年始も休みなく練習をしたそうです。

走塁を意識するようになってからは、日本体育大学出身で陸上十種競技をやっていたというトレーニングコーチに師事し、スタートや一歩目の幅など、走りについて徹底的に磨きをかけました。

その甲斐があってか、ヤクルトスワローズの捕手だった八重樫幸雄は「走力だけなら断トツで屋鋪がナンバーワンなのは間違いない」と話しています。

1994年に読売ジャイアンツに移籍した屋鋪ですが、髭が許されないジャイアンツにおいて、屋鋪は例外的に髭を許されていました。それは監督だった長嶋茂雄に、ジャイアンツの選手は皆、おとなしいから、髭を剃るなと言われたのそうです。

唯一人、それを許されたのは、屋鋪のストイックな練習態度があってこその事だったのだのではないでしょうか。

 

【名言語録その3】

「野球を辞めて、過去の栄光に浸るのも、時間の無駄。与えられた仕事を全力でこなせば、次の仕事が見つかる」

プロ野球選手を引退した後、セカンドキャリアの難しさについては、よく言われていることです。特に高校卒業後、すぐにプロ入りした者は社会経験が少なく、苦労するケースも耳にします。しかし屋鋪は野球関連の仕事だけでなく、実に多彩な転身を見せてくれました。

全国各地で野球教室を実施し、その合間に好きだったSLの写真を撮り、鉄道の月刊誌に5年間連載し、写真集や著書も発表し、全国のSLファンにも知られる存在となりました。

更に自宅でラベンダーを育て、自ら老人ホームや病院に出向いては種を植える活動をしていましたが、今やラベンダーの知識や育て方をカルチャーセンターで教えるまでになりました。

現役時代は守備の名手でしたが、決して守りに入ることはなく、積極果敢な走塁のように全力で道を切り拓いて行く姿は、まさに屋鋪らしさなのだと思います。

 

名言からの学び

・他人の評価を有効に生かすことが自分を高める

・日頃の行動が例外を認めさせる

・極めればすべてが武器になる

 

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