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東京ヤクルトスワローズの歴代外野手一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

球界を代表する選手が多数務めてきた東京ヤクルトスワローズの外野のポジション。

今回は1950年創設の東京ヤクルトスワローズの外野を守った歴代選手の成績や最高年俸などをリサーチして、東京ヤクルトスワローズ歴代最強の外野手をご紹介します。

懐かしの名前が登場するかもしれません!

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東京ヤクルトスワローズの歴代外野手一覧まとめ!

まずは1950年以降、そのシーズンの主に外野を守った選手を一覧にしてみました。多くの選手が複数のポジションでレギュラーを経験していることがわかりました。

それではライトから順にご紹介します。

東京ヤクルトスワローズの歴代外野手(ライト)一覧まとめ!

選手名 背番号 試合数 打率 本塁打 打点 タイトル
1950 藤田 宗一 31 115 0.288 11 64
1951 藤田 宗一 31 77 0.261 7 46
1952 土屋 五郎 24 119 0.220 0 14
1953 町田 行彦 27 108 0.225 5 25
1954 町田 行彦 27 124 0.250 20 66
1955 町田 行彦 27 125 0.280 31 71 本塁打王、ベストナイン
1956 青山 浩 35 112 0.213 3 17
1957 町田 行彦 7 125 0.227 21 52
1958 町田 行彦 7 117 0.206 8 33
1959 町田 行彦 7 111 0.258 10 50
1960 町田 行彦 7 125 0.238 10 40
1961 町田 行彦 7 125 0.240 6 39
1962 町田 行彦 7 124 0.194 3 25
1963 宮本 敏雄 40 118 0.252 11 47
1964 別部 捷夫 22 116 0.245 13 45
1965 福富 邦夫 12 109 0.235 2 12
1966 福富 邦夫 12 117 0.213 3 15
1967 ジャクソン 15 117 0.296 28 79
1968 福富 邦夫 34 125 0.292 10 41
1969 ロバーツ 5 116 0.318 37 95 ベストナイン
1970 ロバーツ 5 124 0.238 19 52
1971 内田 順三 48 102 0.307 3 21
1972 ロペス 4 126 0.286 14 61
1973 ロペス 9 117 0.233 11 39
1974 山下 慶徳 10 115 0.243 9 53
1975 福富 邦夫 7 108 0.290 8 39
1976 マニエル 4 84 0.243 11 32
1977 マニエル 4 114 0.316 42 97
1978 マニエル 4 127 0.312 39 103
1979 杉浦 享 9 126 0.284 22 54
1980 杉浦 享 9 123 0.311 20 62 ベストナイン
1981 マニエル 2 81 0.260 12 36
1982 杉浦 享 9 130 0.287 14 65
1983 杉浦 享 9 123 0.296 13 65
1984 杉浦 享 9 109 0.281 8 49
1985 杉浦 享 9 121 0.314 34 81 ベストナイン
1986 栗山 英樹 46 107 0.301 4 14
1987 広沢 克己 8 130 0.284 19 60
1988 広沢 克己 8 130 0.288 30 80 ベストナイン
1989 広沢 克己 8 130 0.270 17 59
1990 秦 真司 26 93 0.292 11 35
1991 秦 真司 26 117 0.292 16 47
1992 秦 真司 26 112 0.251 15 51
1993 秦 真司 26 92 0.239 7 27
1994 クラーク 34 99 0.293 20 53
1995 稲葉 篤紀 41 67 0.307 8 40
1996 稲葉 篤紀 41 125 0.310 11 53
1997 稲葉 篤紀 41 130 0.267 21 65
1998 真中 満 31 133 0.275 5 27
1999 スミス 10 98 0.259 10 55
2000 佐藤 真一 8 70 0.226 8 19
2001 稲葉 篤紀 41 138 0.311 25 90 ベストナイン
2002 稲葉 篤紀 41 116 0.266 10 39
2003 稲葉 篤紀 41 69 0.273 11 30
2004 稲葉 篤紀 41 135 0.265 18 45
2005 宮出 隆自 43 99 0.320 8 46
2006 宮出 隆自 43 134 0.275 9 59
2007 ガイエル 5 142 0.245 35 79
2008 福地 寿樹 29 131 0.320 9 61 盗塁王
2009 ガイエル 5 128 0.267 27 80
2010 飯原 誉士 9 130 0.270 15 48
2011 バレンティン 4 140 0.228 31 76 本塁打王
2012 バレンティン 4 106 0.272 31 81 本塁打王、ベストナイン
2013 バレンティン 4 130 0.330 60 131 本塁打王、最高出塁率、MVP、ベストナイン
2014 雄平 41 141 0.316 23 90 ベストナイン
2015 雄平 41 141 0.270 8 60
2016 雄平 41 108 0.296 7 55
2017 坂口 智隆 42 136 0.290 4 38
2018 雄平 41 125 0.318 11 67
2019 雄平 41 131 0.273 12 56
2020 坂口 智隆 42 114 0.246 9 36
 
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1950年代
50年代は4人の選手がライトの守りにつきました。50年と51年は藤田宗一選手が務め、52年はセンターから土屋五郎選手が回りました。土屋選手が1年務め、53年からは高卒2年目の町田行彦選手が抜擢され、55年には31本塁打を放ち本塁打王に輝きました。56年は青山浩選手にポジションを譲りましたが、翌年からはレギュラーに返り咲きました。

1960年代

引き続き町田選手が務めますが、腰痛に苦しみ成績を落とすと63年は巨人からトレードで加入した宮本敏雄選手が起用され、118試合に出場しました。64年は別部捷夫選手、65年と66年を福富邦夫選手が務め、67年は前年にセンターを守っていたルー・ジャクソン選手が移り、28本塁打を放ちました。

ジャクソン選手がセンターに戻った翌年は再び福富選手が守り、69年は内野からデーブ・ロバーツ選手が移り37本塁打を記録してベストナインを受賞しました。

1970年代

70年もロバーツ選手が守り124試合に出場しましたが、翌年からはファーストで起用されることになり代わって2年目の内田順三選手が起用されました。内田選手のレギュラー起用は1年で終わり、ロッテで活躍していたアルト・ロペス選手がトレードで加入し、レギュラーになりました。ロペス選手は加入1年目の72年はまずまずの成績を残しましたが、2年目は成績を落とし同年限りで退団、翌年はセンターで起用されていた山下慶徳選手が務め、75年は三度福富選手が守りました。

76年からは「赤鬼」の愛称で親しまれた助っ人が起用されました。チャーリー・マニエル選手は1年目こそ11本塁打でしたが、翌年は42本塁打、翌々年は39本塁打と打ちまくり、チームの初優勝に大きく貢献しました。しかしチーム方針からトレードで近鉄に移籍し、79年は杉浦享選手が守りました。

1980年代

杉浦選手は80年もライトのレギュラーを務め打率.311、20本塁打、62打点でベストナインを受賞しました。翌年はこの年に近鉄から復帰したマニエル選手が起用されますが、トレーニング不足で実力を発揮できずに同年限りで退団しました。

82年からの4年を再び杉浦選手が守り85年にベストナインを受賞、杉浦選手が故障で離脱した86年は栗山英樹選手が守りました。87年からはファーストから広沢克己選手がコンバートされ、中軸を任された88年には30本塁打でベストナインを受賞しました。

1990年代

広沢選手がファーストに回った90年はキャッチャーからコンバートされた秦真司選手が守り、93年までレギュラーを務めました。94年はジェラルド・クラーク選手が起用され20本塁打を放ちますが1年で退団、95年からは法政大学から入団した1年目の稲葉篤紀選手が野村克也監督によって抜擢されました。稲葉選手は2年目には規定打席に到達し、打率.310の好成績を残しましたが、98年は故障により出場試合数が減少し、代わりに真中満選手がライトのポジションを務めました。

稲葉選手は99年も故障により戦列を離れ、マーク・スミス選手がメインで起用されました。

2000年代

0年は前年にレフトで好成績を残した佐藤真一選手が起用されますが70試合の出場に終わり、01年からは再び稲葉選手が起用されました。レギュラー復帰1年目にベストナインを受賞し、その後も04年までレギュラーを務めましたが日本ハムに移籍し、右の大砲候補の1人だった宮出隆自選手が2年間守りました。

07年はアーロン・ガイエル選手が務め、08年はFAで西武に移籍した石井一久投手の人的補償選手として入団した福地寿樹選手がトップバッターとして起用され、プロ15年目で初めて盗塁王のタイトルを獲得しました。09年は再びガイエル選手が守り、27本塁打80打点の成績を残しました。

2010年代

0年はパンチ力のある飯原誉士選手が守り、11年からはメジャーリーグ経験のあるウラディミール・バレンティン選手が起用されました。1年目から3年連続で本塁打王を獲得し、13年に放ったシーズン60本塁打は長らくプロ野球記録だった王貞治選手の55本塁打を塗り替える大記録でした。

バレンティン選手がレフトに回るとピッチャーでプロ入りした雄平選手がレギュラーに定着、毎年安定した成績を残しました。17年と20年は坂口智隆選手が守り、坂口選手は20年に通算1500安打を達成しました。

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東京ヤクルトスワローズの歴代外野手(センター)一覧まとめ!

選手名 背番号 試合数 打率 本塁打 打点 タイトル
1950 土屋 五郎 9 110 0.287 3 26
1951 土屋 五郎 24 75 0.302 2 26 盗塁王
1952 初岡 栄治 25 114 0.261 4 33
1953 佐藤 孝夫 5 119 0.260 22 47
1954 佐藤 孝夫 5 62 0.245 5 20
1955 佐藤 孝夫 5 127 0.224 24 53
1956 佐藤 孝夫 5 87 0.220 9 24
1957 松田 清 19 120 0.248 3 23
1958 鵜飼 勝美 8 119 0.231 3 29
1959 佐藤 孝夫 5 96 0.197 6 34
1960 佐藤 孝夫 5 129 0.280 14 47
1961 佐藤 孝夫 5 102 0.211 11 36
1962 丸山 完二 29 126 0.210 1 23
1963 丸山 完二 29 124 0.246 3 32
1964 高山 忠克 7 122 0.230 11 48
1965 丸山 完二 8 122 0.245 2 16
1966 ジャクソン 15 97 0.254 20 43
1967 矢ノ浦国満 5 120 0.229 4 31
1968 ジャクソン 15 115 0.219 20 59
1969 福富 邦夫 34 129 0.281 10 40
1970 福富 邦夫 34 126 0.239 8 37
1971 福富 邦夫 34 126 0.244 8 48
1972 山下 慶徳 10 102 0.234 8 19
1973 山下 慶徳 10 130 0.259 11 43
1974 ロジャー 5 106 0.232 25 54
1975 ロジャー 5 123 0.292 27 70 ベストナイン
1976 ロジャー 5 120 0.274 36 81
1977 若松 勉 1 122 0.358 20 70 首位打者、ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞
1978 若松 勉 1 120 0.341 17 71 MVP、ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞
1979 スコット 4 112 0.272 28 81 ダイヤモンドグラブ賞
1980 スコット 4 123 0.267 16 69 ダイヤモンドグラブ賞
1981 若松 勉 1 95 0.291 13 37
1982 小川 淳司 35 85 0.213 3 16
1983 ブリッグス 11 123 0.268 12 44
1984 小川 淳司 35 115 0.252 11 35
1985 小川 淳司 35 118 0.239 11 30
1986 ブロハード 3 129 0.258 21 64
1987 荒井 幸雄 10 105 0.301 9 38 新人王
1988 栗山 英樹 46 90 0.331 0 17
1989 栗山 英樹 46 125 0.255 2 26 ゴールデングラブ賞
1990 柳田 浩一 52 119 0.237 4 38 ゴールデングラブ賞
1991 飯田 哲也 2 107 0.242 4 26 ゴールデングラブ賞
1992 飯田 哲也 2 125 0.294 7 42 盗塁王、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1993 飯田 哲也 2 103 0.217 2 21 ゴールデングラブ賞
1994 飯田 哲也 2 117 0.290 3 37 ゴールデングラブ賞
1995 飯田 哲也 2 130 0.253 7 31 ゴールデングラブ賞
1996 飯田 哲也 2 105 0.290 6 37 ゴールデングラブ賞
1997 飯田 哲也 2 108 0.306 3 37 ゴールデングラブ賞
1998 飯田 哲也 2 96 0.283 1 28
1999 真中 満 31 133 0.308 7 46
2000 真中 満 31 119 0.279 9 41
2001 真中 満 31 123 0.312 7 36
2002 真中 満 31 89 0.248 4 25
2003 真中 満 31 121 0.293 6 48
2004 真中 満 31 91 0.272 4 20
2005 青木 宣親 23 144 0.344 3 28 首位打者、最多安打、新人王、ベストナイン
2006 青木 宣親 23 146 0.321 13 62 最多安打、盗塁王、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2007 青木 宣親 23 143 0.346 20 58 首位打者、最高出塁率、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2008 青木 宣親 23 112 0.347 14 64 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2009 青木 宣親 23 142 0.303 16 66 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2010 青木 宣親 1 144 0.358 14 63 首位打者、ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2011 青木 宣親 1 144 0.292 4 44 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2012 福地 寿樹 3 83 0.255 0 19
2013 上田 剛史 50 112 0.257 4 22
2014 上田 剛史 50 115 0.210 2 20
2015 比屋根 渉 0 84 0.230 3 9
2016 坂口 智隆 42 141 0.295 0 39
2017 山崎 晃大朗 31 59 0.242 1 13
2018 青木 宣親 23 127 0.327 10 67
2019 青木 宣親 23 134 0.297 16 58
2020 山崎 晃大朗 31 109 0.245 3 23
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1950年代

土屋五郎選手が51年まで守り、51年には盗塁王を獲得しました。土屋選手がライトに移った52年は初岡栄治選手が守り、53年からの4年間は佐藤孝夫選手が起用されました。

57年は巨人で投手経験のあった松田清選手、58年は鵜飼勝美選手が1年ずつ起用され、59年は再び佐藤選手が務めました。

1960年代

佐藤選手は61年までレギュラーを務めますが翌年は50年代にも起用経験のあったレフトへポジションを移し、丸山完二選手がセンターのポジションを掴みました。丸山選手は62年と63年、65年でレギュラーとして起用され、間の64年は高山忠克選手が122試合に出場しました。

66年はルー・ジャクソン選手が入団して97試合に出場、67年は前年にショートでレギュラーとして出場していた矢ノ浦国満選手が移りました。68年は再びジャクソン選手、69年からはライトでレギュラー経験のある福富邦夫選手がセンターに回りました。

1970年代

福富選手は強肩を武器に活躍し、71年までセンターのレギュラーを務め、72年からの2年は山下慶徳選手が守り、74年からはロジャー・レポーズ選手が起用されました。ロジャー選手は1年目から25本塁打を放ち、2年目の75年にベストナインを受賞、3年目には36本塁打を記録する活躍を見せ、翌77年はレフトに回りました。

ロジャー選手の後をレフトから回った若松勉選手が務め、77年には打率.358で首位打者に輝き、翌年はMVPを獲得しました。若松選手がレフトに戻った79年はこの年に加入したジョン・スコット選手が守り、28本塁打を記録して守備面でもダイヤモンドグラブ賞を受賞する活躍を見せました。

1980年代

スコット選手は80年もダイヤモンドグラブ賞を受賞しましたが、81年はシーズン中に大怪我を負い、再び若松選手がレフトから移りました。82年はプロ1年目の小川淳司選手が多く起用され、83年は前年途中に加入したダン・ブリッグス選手、84年からの2年は再び小川選手が務めますが定着には至りませんでした。

86年は大砲として期待されたマーク・ブロハード選手が129試合に出場しますが安定感に欠け、87年は1番打者として起用された2年目の荒井幸雄選手新人王を獲得しました。荒井選手がレフトにポジションを移すとライトでレギュラー経験のある栗山英樹選手が回り、89年にはゴールデングラブ賞を受賞しました。

1990年代

90年は柳田浩一選手がプロ5年目で自己最多となる119試合に出場してゴールデングラブ賞を受賞、91年からはキャッチャーと内野で一軍出場経験のあった飯田哲也選手がセンターにコンバートされレギュラーを掴みました。

身体能力が高く、俊足強肩だった飯田選手はコンバート1年目からゴールデングラブ賞を受賞し、97年まで7年連続で受賞しました。また、92年には盗塁王を獲得し、走攻守三拍子揃ったセンターとして98年までレギュラーを務めました。故障により離脱することが多くなると99年は真中満選手が133試合に出場しました。

2000年代

99年にポジションを掴んだ真中選手は04年まで中心選手として活躍します。主に1番打者を務め、広角に打ち分けるバッティングでチームを牽引しました。その真中選手に代わって05年に稀代のヒットメーカーが登場しました。

プロ2年目を迎えた青木宣親選手は開幕スタメンを勝ち取ると安打を量産し、シーズン202安打を記録して首位打者と最多安打、新人王を獲得しました。翌年も最多安打に輝き、07年も首位打者を獲得するなどチームの中心選手になっていきました。

2010年代

引き続き青木選手がセンターを務め、10年は3回目の首位打者を獲得し、11年もレギュラーとして起用されましたが、同年オフにメジャーリーグ挑戦のため退団しました。青木選手の抜けたセンターには福地寿樹選手が起用されましたが83試合の出場に終わり、13年からの2年は俊足の上田剛史選手、15年も同じく俊足の比屋根渉選手が起用されましたがレギュラー定着には至りませんでした。

16年はオリックスを自由契約となり入団した坂口智隆選手がシーズンを通して起用され3割近い打率をマークし、坂口選手がライトに回った17年は山崎晃大朗選手が多く起用され、18年からの2年はメジャーリーグから帰ってきた青木選手が守りました。20年は再び山崎選手が務め、自己最多の109試合に出場しました。

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東京ヤクルトスワローズの歴代外野手(レフト)一覧まとめ!

選手名 背番号 試合数 打率 本塁打 打点 タイトル
1950 小田切茂造 28 113 0.230 5 31
1951 初岡 栄治 25 92 0.247 0 20
1952 辻井 弘 10 92 0.228 6 44
1953 安居 玉一 23 111 0.246 6 44
1954 安居 玉一 23 117 0.258 5 46
1955 小松原博喜 2 118 0.253 6 47
1956 鵜飼 勝美 8 130 0.256 7 53
1957 佐藤 孝夫 5 127 0.256 22 68 本塁打王
1958 佐藤 孝夫 5 125 0.231 13 42
1959 岩下 守道 10 123 0.280 2 38
1960 岩下 守道 10 111 0.244 7 31
1961 鈴木 秀幸 14 84 0.208 2 9
1962 佐藤 孝夫 5 113 0.204 6 21
1963 高林 恒夫 15 138 0.222 3 26
1964 高林 恒夫 15 112 0.207 4 18
1965 高林 恒夫 15 132 0.234 1 23
1966 丸山 完二 8 124 0.228 4 19
1967 丸山 完二 8 105 0.245 4 26
1968 高山 忠克 10 105 0.235 14 38
1969 高倉 照幸 25 62 0.224 7 20
1970 丸山 完二 8 89 0.223 4 14
1971 若松 勉 57 112 0.303 3 15
1972 若松 勉 1 115 0.329 14 49 首位打者、ベストナイン
1973 若松 勉 1 128 0.313 17 60 ベストナイン
1974 若松 勉 1 130 0.312 20 74 ベストナイン
1975 若松 勉 1 123 0.291 8 48
1976 若松 勉 1 127 0.344 17 70 ベストナイン
1977 ロジャー 5 111 0.263 22 55
1978 杉浦 享 9 125 0.291 17 67
1979 若松 勉 1 120 0.306 17 65 ベストナイン
1980 若松 勉 1 116 0.351 15 63 ベストナイン
1981 杉浦 享 9 122 0.289 16 61
1982 若松 勉 1 112 0.310 11 38
1983 若松 勉 1 112 0.337 15 60
1984 若松 勉 1 114 0.325 9 50 ベストナイン
1985 若松 勉 1 114 0.300 12 34
1986 若松 勉 1 119 0.275 6 39
1987 杉浦 享 9 117 0.304 24 73
1988 荒井 幸雄 10 70 0.266 6 25
1989 荒井 幸雄 10 110 0.272 4 38
1990 荒井 幸雄 10 119 0.282 8 38
1991 笘篠 賢治 4 112 0.249 4 21
1992 荒井 幸雄 10 93 0.252 5 25
1993 荒井 幸雄 10 106 0.291 9 35
1994 荒井 幸雄 10 105 0.268 2 15
1995 秦 真司 26 96 0.286 9 31
1996 土橋 勝征 5 109 0.278 6 35
1997 ホージー 10 137 0.289 38 100 本塁打王、ベストナイン
1998 ホージー 10 107 0.233 13 42
1999 佐藤 真一 00 113 0.341 13 48
2000 高橋 智 99 98 0.285 13 44
2001 ラミレス 3 138 0.280 29 88
2002 ラミレス 3 139 0.295 24 92
2003 ラミレス 3 140 0.333 40 124 本塁打王、打点王、最多安打、ベストナイン
2004 ラミレス 3 129 0.305 31 110
2005 ラミレス 3 146 0.282 32 104
2006 ラミレス 3 146 0.267 26 112
2007 ラミレス 3 144 0.343 29 122 打点王、最多安打、ベストナイン
2008 飯原 誉士 9 135 0.291 9 62
2009 福地 寿樹 3 137 0.270 5 34 盗塁王
2010 畠山 和洋 33 93 0.300 14 57
2011 畠山 和洋 33 142 0.269 23 85
2012 ミレッジ 85 125 0.300 21 65
2013 ミレッジ 85 96 0.251 16 49
2014 バレンティン 4 112 0.301 31 69 最高出塁率
2015 デニング 71 64 0.222 4 22
2016 バレンティン 4 132 0.269 31 96
2017 バレンティン 4 125 0.254 32 80
2018 バレンティン 4 142 0.268 38 131 打点王
2019 バレンティン 4 120 0.280 33 93
2020 青木 宣親 23 107 0.317 18 51 ゴールデングラブ賞
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1950年代

50年代は実に8人の選手がレギュラーを務めました。50年に入団して起用された小田切茂造選手は1年限りで退団し、51年の初岡栄治選手は翌年センターに回り、52年の辻井弘選手は翌年ファーストで起用されるなど1年ずつレギュラーが代わりました。

大洋から加入した安居玉一選手がようやく2年務めますが近鉄に移籍することになり、55年は巨人から移籍してきた小松原博喜選手、56年は鵜飼勝美選手とまたしても1年ずつの起用となりました。57年にセンターから移った佐藤孝夫選手はこの年に本塁打王に輝き翌年も起用されましたが、59年に再びセンターに戻り巨人から加入した岩下守道選手が123試合に出場しました。

1960年代

岩下選手は60年もレギュラーを務めますが怪我の影響で成績を落とし、61年は毎日から移籍した鈴木秀幸選手、62年は再び佐藤選手が起用されました。63年からの3年は巨人から移籍してきた高林恒夫選手が務め、高林選手が65年限りで引退すると同年にセンターで起用されていた丸山完二選手がコンバートされました。

丸山選手は2年務めますがサードにコンバートされ、68年はセンターでレギュラー経験のある高山忠克選手、69年は高倉照幸選手が守りました。

1970年代

70年は再び丸山選手が務め、71年からは「小さな大打者」が起用されました。社会人の電電北海道から入団した若松勉選手は1年目からレフトで起用され、打率.303を記録すると翌年は首位打者に輝き70年代はセンターに回った77年と78年を除いてレフトのレギュラーを務めて75年以外すべての年で打率3割超を記録しました。

77年はセンターからロジャー・レポーズ選手が回り、78年は杉浦享選手が起用されました。

1980年代

若松選手は80年代も引き続き務め、81年はセンターに回りましたが86年まで務めてコンスタントに安打を量産しました。87年からは痛めた腰の影響で代打に回り、この年は81年にもレギュラーを務めた杉浦選手がライトから移って、打率.304をマークしました。

88年からはセンターで起用されていた荒井幸雄選手が起用され、二番打者として活躍しました。

1990年代

90年代前半は荒井選手がメインで起用され、試合出場を続けましたが95年にレギュラーを秦真司選手に奪われると荒井選手は96年に近鉄にトレードで移籍しました。荒井選手が65試合の出場に終わった91年には内野手の笘篠賢治選手が多くの試合で起用されました。

97年に入団したドゥエイン・ホージー選手は来日1年目で巨人の松井秀喜選手と激しい本塁打王争いを繰り広げ、1本差で制して本塁打王のタイトルを獲得しました。翌年は故障もあり不完全燃焼に終わり退団、99年は佐藤真一選手がキャリアハイとなる113試合に出場しました。

2000年代

00年はオリックスで長距離砲として活躍して高橋智選手が移籍2年目でレギュラーを掴み、98試合に出場しました。01年はオープン戦から不調でスタンから外れると起用されたのはアレックス・ラミレス選手でした。

来日1年目から138試合に出場、2年目も139試合に出場しましたが146三振を喫するなど確実性に欠ける打撃成績でした。しかし、日本野球に慣れた03年は4番に座り、打率.333、40本塁打、124打点を記録して本塁打王と打点王、最多安打に輝きました。その後も安定した成績を残し続け、07年には外国人の右打者としては初の200安打を達成しました。

ラミレス選手が巨人に移籍した08年は飯原誉士選手、09年はライトから福地寿樹選手が回り前年に続いて盗塁王を獲得しました

2010年代

10年と11年はファーストでレギュラー経験のあった畠山和洋選手が出場機会を増やすことを目的にレフトに回り、12年からの2年はラスティングス・ミレッジ選手が起用され、12年は打率3割、21本塁打と活躍しました。しかし、翌年は成績を落とし、14年はライトからウラディミール・バレンティン選手が回りました。

そのバレンティン選手は15年シーズンこそ故障で戦線離脱し、途中入団のミッチ・デニング選手にポジションを譲りますが16年からは再びレフトのレギュラーとして毎年30本塁打以上を続けました。バレンティン選手は19年シーズン限りで退団し、20年はベテラン・青木宣親選手が起用されて打率.307を記録、衰えを感じさせることのない活躍を続けています。

 

【東京ヤクルトスワローズ】歴代外野手の年俸ランキング!歴代最高年俸はウラディミール・バレンティン選手の4億4100万円!

ここでは東京ヤクルトスワローズ歴代外野手を年俸で順位付けしてみました。なお、年俸と成績は外野手のレギュラーとして出場したシーズンの数字を記載しています。

順位 年度 選手名 年俸 打率 試合数
1 2019 W.バレンティン 4億4100万円 0.280 120
2 2011 青木 宣親 3億3000万円 0.292 144
3 2005 A.ラミレス 3億0000万円 0.282 146
4 1998 D.ホージー 1億3000万円 0.233 107
5 1998 飯田 哲也 1億2500万円 0.283 96

ここでは東京ヤクルトスワローズの歴代外野手を年俸で順位付けしてみました。なお、年俸と成績は外野手のレギュラーとして出場したシーズンの数字を記載しています。

大当たりした助っ人外国人や球界を代表する外野手が多く守った東京ヤクルトスワローズの外野ですが、1位はウラディミール・バレンティン選手で19年の4億4100万円が歴代最高年俸となりました。シーズン60本塁打のプロ野球記録保持者は東京ヤクルトスワローズで過ごした最後のシーズンとなった19年も33本塁打を放ちました。

2位は11年の青木宣親選手3億3000万円です。メジャーリーグに挑戦する前年となったこの年は、レギュラー定着後初めて打率3割を下回りましたが、7年連続となるベストナインと6年連続となるゴールデングラブ賞を受賞しました。

3位にランクインしたのは05年のアレックス・ラミレス選手でした。03年に本塁打王と打点王の二冠に輝き、04年も3割30本100打点をクリアして年俸は3億円となりました。迎えた05年も打率は3割を下回りましたが、32本塁打104打点を記録しました。

4位は98年のドゥエイン・ホージー選手。来日1年目に38本塁打を放ち、巨人の松井秀喜選手との本塁打王争いを制して年俸は1億3000万円になりました。98年は怪我の影響と他球団の厳しいマークによって大きく成績を落としました。

5位にランクインしたのは飯田哲也選手でした。抜群の身体能力を生かした強肩俊足のセンターとしてヤクルトスワローズ黄金期の1番打者を務めました。97年まで7年連続のゴールデングラブ賞を受賞し、年俸は自己最高の1億2500万円に達しました。

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私が思う最強の東京ヤクルトスワローズの歴代外野手は青木宣親選手!

数々の名選手が登場した東京ヤクルトスワローズの外野手ですが、歴代最強は稀代のヒットメーカー・青木宣親選手だと考えます。

ここで、青木宣親選手のプロフィールを確認していきましょう。

職業:プロ野球選手
生年月日:1982年1月5日
身長:175cm
出身:宮崎県
最終学歴:早稲田大学
血液型:A型

1982年(昭和57年)1月5日生まれ、宮崎県日向市出身。日向高校から早稲田大学を経て、2003年のドラフト会議で4巡目指名を受けヤクルトスワローズに入団しました。

プロ2年目の05年からセンターのレギュラーに定着し、11年オフにメジャーリーグに挑戦するため退団。18年から再び東京ヤクルトスワローズのユニフォームに袖を通し、復帰後もセンターで2年、レフトで1年レギュラーを務めています。

日本通算11年で1353試合に出場し、打率.325、128本塁打、561打点を記録しています。20年シーズン終了時点での通算打率.325はプロ野球史上歴代最高打率であり、その打率が示すとおり首位打者3回、最多安打2回を獲得しています。

日米通算で2478安打を記録しており、右に左に打ち分ける打撃技術で39歳を迎える来シーズンも安打を量産し続けること間違いなしの青木選手が東京ヤクルトスワローズ歴代最高の外野手ではないでしょうか。

 

東京ヤクルトスワローズの歴代外野手に関する豆知識

東京ヤクルトスワローズの歴代監督は50年の球団創設以来21人が務めていますが、外野手のレギュラー経験のある選手の中から4人が自らもプレーしたチームの監督の座に就いています。

54年と55年に務めた藤田宗一監督から始まり、99年から05年まで率いた若松勉監督、11年から14年と18年から19年までの通算6年務めた小川淳司監督、15年から17年の3年間指揮した真中満監督の4人です。

この中で優勝を経験したのは01年の若松監督と15年の真中満監督であり、それぞれ左打ちでセンターのレギュラーを務めていた共通点があります。また、若松監督がむしゃらに頑張る「真中選手」を1番打者に抜擢しており、真中選手も若松監督が好む選手を目指して必死にプレーしていたというエピソードがあります。

ちなみに19年の世界野球プレミア12で初優勝を果たした日本代表・侍ジャパンの稲葉篤紀監督も東京ヤクルトスワローズ外野手OBです。

 

まとめ

・東京ヤクルトスワローズの外野は同じ選手が複数の外野のポジションでレギュラーを務めている。

・ライトでは町田選手と稲葉選手、センターでは飯田選手や青木選手、レフトでは若松選手とラミレス選手が長くレギュラーを務めた。

・歴代で一番年俸が高かったのは、2019年シーズンのバレンティン選手の4億4100万円。

・青木選手は首位打者を3回と最多安打を2回獲得し、20年シーズン終了時点での通算打率がプロ野球史上歴代最高打率の東京ヤクルトスワローズ歴代最強の外野手である。

 

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