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久保裕也の凄さが分かる名言・語録集!木村拓也氏から学んだ人生哲学と伝説エピソードまで


1920年に日本最初のプロ野球、日本運動協会が生まれてから2020年でちょうど100年を迎えます。長い日本プロ野球史上でおよそ100人前後の選手が達成している記録が幾つかあります。2020年シーズン終了時点で200本塁打は109人、1500安打は129人、そして500試合登板は102人です。その500試合登板達成の101人目が久保裕也です。

常時900人程度の選手がプロ野球に在籍し、毎年、引退や戦力外通告で100人ほどが入れ替わる世界なので、平均在籍年数は9年、引退の平均年齢は29歳という厳しさの中、限られた者しか達成できない記録を残すのは並大抵のことではありません。久保は2度の戦力外通告を受けながらもしっかりとプロ野球に足跡を残しました。

ジャイアンツ時代には急逝したコーチの木村拓也に学び、先発、中継ぎ、抑えとどんな場面でも投げるユーティリティな活躍をみせた久保。晩年も若手の見本として貢献し、2020年の引退後も東北楽天ゴールデンイーグルスのコーチとして、まさに木村の想いも抱えて後進の指導にあたることになりました。

今回は久保裕也の凄さが分かる名言や語録を紐解き、木村拓也氏から学んだ人生哲学と伝説エピソードにまで迫ります。

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久保裕也について

まずは久保裕也の経歴を追ってみます。

1980年5月23日生まれ、福岡県福岡市出身。生まれは東京都ですが、父親の仕事の関係で福岡で育ち、沖学園高校を卒業後、東海大学に進学。2年生の時からエースとして活躍し、東都リーグで4度のMVPに輝き、明治神宮野球大会で準優勝、全日本大学野球選手権大会で優勝するなどの実績を残します。2002年のドラフト自由枠で指名され、読売ジャイアンツに入団します。

ルーキーイヤーから開幕1軍入りを勝ち取り、早々にプロ初勝利をあげ、即戦力として期待に応えます。翌2004年には先発からリリーフまでこなしチーム最多のセーブを記録。2005年はセットアッパーとして64試合に登板、2006年も59試合に投げ、中継ぎの柱として活躍します。

2007年にはサイドスローを試すなどしたものの調子を上げられず、2008年と2009年も登板数を減らして行きますが、2010年にコーチの木村拓也が急逝したことに奮起し、チーム最多となる79試合に登板。2011年も67試合に登板し、20試合連続無失点を続け、月間MVPに選出されるなど大活躍を見せますが、シーズン終了後に右股関節の手術を受け、翌2012年には右肘靭帯再建手術を行いました。2014年に1軍復帰するも、2015年は登板なく、オフに戦力外となります。

2016年は横浜DeNAベイスターズに所属しますが9試合登板に終わり、オフに再び戦力外。2017年から東北楽天ゴールデンイーグルスと契約し、老練な投球で2019年まで3年連続で20試合以上を投げ、2019年にプロ野球史上101人目となる500試合登板を達成。2020年オフに引退を表明します。

プロ通算18年間で506登板、54勝、37セーブ、113ホールド、防御率3.45。

引退後はイーグルスの2軍コーチに就任しています。

 

私が選ぶ、久保裕也の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「タクさんのおかげでやりきることができたよ、と報告するつもりです」

これは久保が引退の際に語った言葉の一節です。「タクさん」というのは広島東洋カープや読売ジャイアンツで活躍し、2010年にジャイアンツのコーチとして、シートノック中に倒れ、不帰の人となった木村拓也です。

プロ入り当時、久保は「いかに楽できるか考えていた」と言い、練習嫌いだったそうです。その結果、「内海(哲也)、山口(鉄也)とか、かわいがっていた後輩に一瞬にして置いて行かれた」というほど差がついてしまいました。しかし2010年に木村が急逝し「気持ちが大きく変わった」そうです。

木村拓也の凄さが分かる名言・語録集!ユーティリティープレーヤーの伝説エピソードから努力論まで

 

「便利屋の生き方、何でもできることの強みを教えてくれた。野球に真剣に取り組めるようになった」

木村は投手以外の全ポジションを守れるという究極のユーティリティープレーヤーでした。久保は木村を手本に、投手のユーティリティープレーヤーとして、先発に、中継ぎに、抑えに、ピンチでも敗戦処理でも、ショートリリーフでもロングリリーフでも、場面を選ばず投げるようになりました。

久保はポジションは違っても、木村というプロフェッショナルに、プロフェッショナルとして生きる道を教えてもらったのだと言えます。

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【名言語録その2】

「1度目の戦力外と、今回は違いましたね。めちゃくちゃ、きつかったです」

久保は現役中に2度の戦力外通告を経験しています。1度目はジャイアンツから戦力外となりましたが、すぐにベイスターズから誘われています。しかし2度目はどこからも声がかからず、トライアウトを受けました。

「妙な緊張感がありました」というトライアウトの舞台は、久保から見ると何故戦力外になったのかわからないような投手たちばかりだったそうです。逆に言えば成功するものとしないものの力の差は案外小さく、それ以外の工夫や努力や運が左右するのかもしれません。久保の場合、彼を救ったのはあらゆる場面で投げてきた経験でした。

トライアウトでは声がかからなかったものの、イーグルスのキャンプで入団テストを受けられることとなった久保。万全の準備で臨んだそうですが、本番になった途端に調子が上がらず、テスト登板が終わった後、諦めて荷物を整理し、タクシーで空港に向かったそうです。すると球団から戻ってこいと連絡があり、星野仙一球団副会長から「合格だ」と伝えられました。合格の理由は、久保の経験と、若手の手本となってもらうためでした。

星野仙一監督の凄さが分かる名言・語録集!伝説を残した名将の人生哲学やリーダー論とは?

木村の教えから、どんな場面でも投げてきた便利屋としての経験が生き、松坂世代のプロ野球選手94人のうち、2020年まで現役を続ける残りわずか5選手のひとりになったのです。

 

【名言語録その3】

「野球ができる喜び。それだけです」

久保は2度目の戦力外通告を乗り越え、イーグルスでは3年連続で20試合以上に登板し、まさに円熟の投球を見せました。

 

「やっぱり、1軍のマウンドで投げられるって、いいですね。うん」

イーグルスでは楽しんで投げられたという久保ですが、同じ姓の久保康友いわく「裕也は俺なんかよりもよっぽど野球小僧。変化球の握りを、1ミリにも満たないレベルで変えて試していた」という研鑚から生まれた技術は、衰えなかったのでしょう。

2020年シーズンを迎えた松坂世代の選手は松坂大輔、和田毅、藤川球児、渡辺直人、そして久保の5人でしたが、シーズンを終えたところで藤川、渡辺、そして久保が引退を表明しました。イーグルスのファン感謝祭で行われた久保の引退セレモニーでは、かつて「一瞬にして置いて行かれた」という後輩の内海と山口がビデオメッセージを寄せていました。

2021年からはイーグルスの2軍投手コーチに就任する久保ですが、木村から受け継いだ精神と、自らが積み上げた経験を、次世代の選手に伝えてくれることでしょう。

 

名言からの学び

・プロフェッショナルがプロフェッショナルを導く。

・時に経験は才能を凌駕する。

・大切な精神は受け継がれる。

 

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