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杉谷拳士の凄さが分かる名言・語録集!愛されるユーティリティプレーヤーの伝説エピソードから努力論まで

劣勢でもチームを鼓舞し、優勢ならばそのまま勢いに乗せる、そんなムードメーカーはスポーツの現場に限らず、なかなか得難い存在です。北海道日本ハムファイターズのみならず、石橋貴明率いる「リアル野球BAN」においてもムードメーカーとして活躍し、その愛すべきキャラクターで知られたのが杉谷拳士です。

平成や令和の球界では数少なくなったスイッチヒッターであり、プロ選手として投手と捕手以外のポジションを守ったユーティリティプレーヤーでもある杉谷。残念ながらレギュラーにはなれなかったものの、貴重な控え選手、そしてムードメーカーとしてファンにも愛されました。

入団テストの際にはその元気さを買われ、プロ入り後もその言動からお調子者と誤解されがちなキャラクターですが、実際は練習熱心な努力家であり、それで通算14年間のプロ生活を支えました。

今回はファイターズのみならず、多くの野球ファンに愛された杉谷拳士の凄さが分かる名言や語録を紐解き、愛されるユーティリティプレーヤーの伝説エピソードから努力論にまで迫ります。

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杉谷拳士について

まずは杉谷拳士の経歴を追ってみます。

1991年2月4日生まれ、東京都練馬区出身。父親と伯父は元プロボクサーという家に生まれ、その運動神経を受け継ぎ、野球の名門帝京高校で1年生の時から遊撃手のレギュラーを獲得します。春の選抜大会で1回、夏の選手権大会で2回、甲子園の土を踏みました。高校卒業後は北海道日本ハムファイターズの入団テストに合格し、2008年のドラフト会議で6位指名を受け、入団します。

入団後の2年間は2軍で鍛えられ、3年目となる2011年に1軍で初出場。初安打、初盗塁も記録します。打力不足が大きな課題となりますが、2015年には打数不足ながら.295の成績を残しました。その後は貴重なユーティリティプレーヤーであり、スイッチヒッターとして重宝されます。そして2019年にはプロ野球史上19人目となる1試合での左右両打席ホームランを記録するなど印象的な津活躍を残しました。2022年オフに現役引退を表明。

プロ通算14年間、288安打、16本塁打、50盗塁、打率.212。

引退表明後は、「前進会見」を開き、スポーツマネジメントの会社を起業することを表明しました。

 

私が選ぶ、杉谷拳士の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「最高値をあげるより、まずは最低値をあげるように」

入団テストの結果、ドラフト6位でファイターズに入った杉谷ですが、そのテスト合格について当時のGMだった山田正雄は「同情だよ」と冗談を言いながらも「杉谷には覚悟があった」と話します。体も小さく、足も速いとは言えず、スローイングも並み。打撃もずば抜けていたわけではない杉谷ですが、とにかくうるさいと感じるほど元気だったそうです。「チャンスがもらえたらプロ一本で勝負したい」という気持ちを買っての合格でした。

プロ1年目は朝5時45分に起床し、6時には室内練習場で400から600球のボールを打ち込んで朝食をとり、その後は2軍の試合に挑み、その後は全体練習。夕食後は夜間練習というメニューをやり通した杉谷。

その後も自主トレーニングではカンガルーパンチ、ワラビーダッシュ、クロコダイルゲッツー、シャークスライディング、コアラワークといったユニークなメニューを考え、レギュラー獲得のためには「最高値」よりも「最低値」を底上げしなければと努力を重ね、いつの間にか後輩たちを引っ張る姿勢も見られました。

そんな姿を見て、元GMの山田は「努力する才能っていうのは、やっぱり必要なのかもしれない。人間ってわからないな、不思議だよね。杉谷を見ていて思うよ」と語っています。それは20年以上もスカウトとして原石を見続け、7年間GMとして選手を評価し続けた山田の予想を越えるものだったと言えます。

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【名言語録その2】

「僕自身はムードメーカーだと思ったことがないんですよ。本当に楽しく野球をやっているだけ」

チームのムードメーカーであり、オフのバラエティ番組では帝京高校野球部の先輩である石橋貴明と共に「リアル野球BAN」を盛り上げる杉谷。

「僕は新庄さんや稀哲さんが楽しそうにプレーする姿を見てファイターズに入りたいと思った」

杉谷本人としては意識してムードメーカーになったというよりも、ファイターズの歴代ムードメーカーに憧れていた結果なのでしょう。

杉谷のムードメーカーぶりを示すエピソードとして有名なのが、埼玉西武ライオンズの本拠地、ベルーナドームで杉谷の打撃練習中に流されるアナウンスです。

『その人気は今や侍ジャパン越え、球界大注目の、皆さまの杉谷拳士選手が、只今最高に前向きにバッティング練習を行っています』

『練習中、控えめに言って控えめな打球が、思いのほか鋭い打球が、まれにスタンドに入ることがございます』

『内野も外野もベンチも守ります。スイッチヒッターの杉谷選手』

『見たいがこじれる中毒性と、少々軽めのプレミア感。この先もみんなの見たいをかなえるプロ野球選手、杉谷選手の生き様に引き続き、皆さまどうぞご注目ください』

これらの名アナウンスは場内アナウンスを務める鈴木あずささんのアドリブです。きっかけは2014年7月に杉谷がアナウンス室のガラス窓越しに「杉谷選手バッティング練習あと10分ですとアナウンスしてください」と頼まれたことです。敵チームの選手でもあり、迷った鈴木さんですが、9月の最終戦での練習時にそのアナウンスをしたところ、杉谷から「ありがとうございます」とお礼を言われ、その後のいじりアナウンスにつながりました。

杉谷の引退試合はファイターズと侍ジャパンの一戦で、東京ドームで行われた試合でしたが、鈴木さんは杉谷の打撃練習に最後のいじりアナウンスを行いました。しめくくりの言葉は「杉谷選手、これまで本当にたくさんの素敵なお時間、ありがとうございました」というものでした。

 

【名言語録その3】

「引退会見という言葉は使いたくありません。前進会見ということで、これからの人生を前進していきます」

プロアスリートにとって引退は、収入の面でもやりがいの面でも不安材料であり、なかなか前向きには受け取れないものでしょう。しかし普通の人たちであっても毎年300万人くらいの転職者がいて、その内の7割は別業種への転職です。つまりアスリートに限らず、職業の再出発というのは多くの日本人にとって直面する課題です。

杉谷はプロ野球選手として大成功を収めたわけではありません。一番の思い出も活躍したことよりも、打席で骨折した時に聞いた骨の折れる音だそうです。しかし通算の出場試合数が777であることをラッキーだと言い、前進していくうえで良い区切りだと微笑みます。

高校の先輩である石橋貴明は、そのキャラクターを生かしてタレントとしてやっていくなら「ドラフト1位」で自分の事務所が指名すると公言しましたが、杉谷はそれを丁重に断り、自分でスポーツマネージメントなどの会社を設立することを決めました。

とりあえず北海道と東京に拠点を置くそうですが、東京の方はワンルームで「もう寝るだけの部屋って感じ」だとのこと。そこから「世界中を飛び回ってやろうと思います」と意気込む杉谷。更なる前進を期待しましょう。

 

名言からの学び

・努力し続けるのも特別な才能である

・周囲に人がいてこそのムードメーカーである

・再スタートは新たなる前進である

 

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