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清水央彦の凄さが分かる名言・語録集!大崎高校野球部を甲子園に導いた伝説エピソードから指導論まで


2020年、高校野球の甲子園大会はコロナ禍により中止となりました。戦争による中止以外では初めてという異例の年が過ぎ、2021年には再び甲子園大会が開かれます。春の選抜大会には九州代表として、長崎県の離島にある大崎高校が選ばれました。人口わずか5000人の島にある県立高校を甲子園初出場に導いたのが、清水央彦監督です。

九州大会では大分県の明豊高校、宮崎県の延岡学園高校、福岡県の福岡大大濠高校らの強豪を破り、島内に歓喜をもたらした大崎高校。以前は部員が足りなくて、他高校と連合チームを組む状況でした。それを2018年に着任した清水監督が一変させました。

かつて暴力問題でコーチを辞め、更に別のチームを甲子園へと導いた後に、ある事件で日本学生野球協会から無期謹慎を申し渡されるなど、毀誉褒貶相半ばする指導者人生を送ってきた清水。大崎高校を甲子園出場に導いたことは、清水にとっても新たなスタートと言えるかもしれません。

今回は離島の大崎高校野球部を甲子園に導いた清水央彦の凄さが分かる名言や語録を紐解き、伝説エピソードから指導論にまで迫ります。

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清水央彦について

まずは清水央彦の経歴を追ってみます。

1971年2月23日生まれ、長崎県佐世保市出身。佐世保商業高校を卒業後、日本大学へ進学。卒業後は高校の1年先輩だった吉田洸二が監督を務める母校の佐世保商業高校でコーチを務め、吉田の移動に伴って平戸高校のコーチ、そして北松南高校(現清峰高校)のコーチとして吉田を支えます。

その後、通信教育で高校教諭免許を取得すると、2001年に野球部部長兼コーチに就任。吉田に代わって2008年に清峰高校監督となりますが、秋の九州大会で優勝した後、選手に暴力をふるったことで辞任。2009年からは佐世保実業高校の監督となり、2012年と2013年の2年連続で夏の甲子園大会出場に導きます。

しかし2013年秋に部員間の暴力問題が発覚。清水が暴力行使を唆し、更に虚偽報告をしたとして日本学生野球協会から無期謹慎処分を受けますが、清水はそれに不服を申し立て、訴えが一部認められて2年半の謹慎処分となります。

謹慎後の2018年、以前から清水に声をかけていた西海市市長に誘われ、大島という離島にある大崎高校の監督に就任。県大会5年連続1回戦敗退、部員5名という状況から、2021年春の選抜大会出場へと導きました。

 

私が選ぶ、清水央彦の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「私自身のために甲子園にもう一度出場したいという思いはありません。綺麗事に聞こえるかもしれませんが、島に来てくれた子を甲子園に連れて行きたい、お世話になっている地域の人たちに甲子園に応援に来てもらいたい。その責任感と義務感だけなんです」

佐世保実業高校を2年連続で甲子園に導いた清水ですが、それ以前にも2009年の選抜大会優勝を果たした清峰高校も実質上、彼が育てた選手たちが活躍しています。それらは高校野球の名将と呼ばれてしかるべき実績といえます。しかし清峰高校が甲子園出場を決めた時、清水は生徒を殴るという行き過ぎた指導ですでに現場を去っています。

また佐世保実業高校では3年生による暴力で1年生が怪我をした事件が起ました。清水が3年生をたきつけことで暴力行為に及び、怪我を練習中の事故だったと虚偽報告したとして、日本学生野球協会から事実上の追放ともいえる無期謹慎処分を受けます。ただ清水は退部したがっている1年生について、3年生に「何とかして説得しろ」と指示しただけであり、虚偽報告も怪我をした部員とその母親から公にしないよう持ちかけられたからだと不服を申し立て、結局は2年半の謹慎処分となりました。

清峰高校での暴力行為は指導者として許されることではありません。ただ清水本人も反省をしているようであり、再度チャンスが与えられるのは必要なことです。そして佐世保実業高校での事件は、そもそも何かとこじらせ、部活を辞めたいという生徒と話すべきは指導者の責任であり、教員にもなった清水の仕事です。2年半の謹慎はやむを得ない措置だと思います。

それでも厳しい立場に置かれた謹慎後の清水を慕い、彼の元で野球をしたいと離島に集った生徒たちがいました。彼らに対してのみ責任と義務を背負うという清水の言葉は、彼がシンプルに生徒たちと向き合う姿勢を示していて、純粋に野球や生徒たちと苦楽を共にするという覚悟が感じられます。

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【名言語録その2】

「ああいうことがあっても、快く自分を必要としてくれた。野球人生の最後は、島の学校の野球部を率いてみたいという気持ちが心のどこかにあったんです」

清水は2年半の謹慎処分を受け、まるで「犯罪者のような扱いを受けていた」そうです。しかし当時の西海市市長が彼を受け入れました。理解者を得て、清水の指導力が加速度的に発揮されました。

 

「端から見れば、早いと思われるかもしれませんが、私自身は昨年秋に、つまり就任から1年半で、甲子園出場を決めることを狙っていました」

事実、その秋の長崎県大会では優勝を果たしており、九州大会の成績によっては春の選抜大会代表に選出される可能性がありました。しかし残念ながら初戦で敗退し、甲子園出場を逃します。

 

「2年半で九州大会を制覇したことを喜ぶよりも、私と一緒に大崎高校に来てくれた現3年生の目標を果たせなかった悔しさのほうが勝ります」

一部では清水の過去が問題となり、選抜大会の21世紀枠から漏れたとの噂もありましたが、清水はそれについて「そもそも私は、甲子園は勝ち進んでたどり着くべき場所だと思っている。それは部員たちにもずっと言ってきたことです」と割り切っています。

そして実際に勝って甲子園を手にしました。

 

【名言語録その3】

「練習では基礎的なことを徹底しただけです。まずはバットを振ること。結果が伴うようになるまで時間がかかることから取り組み始め、段階を踏んで少しずつ回数を増やしていきました」

投手の育成がうまいと評価される清水ですが、まずは打撃の基礎練習を徹底しました。高校野球は金属バットですからある程度振れる力さえつけば、ヒットは望めます。それから「覚えるのが簡単」で「芯を外させるには効果的」だというカットボールをすべての投手に覚えさせる手法をとっています。

しかしチーム最大の強化ポイントは、わざわざ離島のチームで、いろいろあった清水の指導を受ける覚悟を持った生徒たちの強さあってのことではないかと感じます。

 

「荒れ果てていたグラウンドに手を入れ、球場脇の老朽化していたくみ取り式の便所を徹底的に磨かせました。精神論を振りかざすのは好きではないんですが、練習環境を綺麗に保つということは、勝負事の結果に必ず結びつくと私は信じていて、掃除にこだわってやらせました」

自分たちが使う空間を綺麗にするのは、自分の家を掃除するのと同じことです。それが勝負事の結果に反映されるかはともかく、悪いことではありません。ですが普通ならば不満を感じる生徒もいるはずです。けれど清水と生徒たちの間は信頼関係が築かれていたようです。

清水が就任して1年が過ぎた夏の県大会で1回戦コールド負けをした試合後、主将と副主将を呼び出し「このままでは勝てない。もう少し厳しくやっていいか」と問いかけたそうです。すると主将は「むしろもっと厳しいと思って入ってきました。ぜひやってください」と答えたそうです。

以前のトラブルからどこか遠慮気味だったという清水が、選手たちと互いに信頼し合えた瞬間なのだろうと思います。そこから大崎高校の快進撃がはじまったのです。

 

名言からの学び

・責任と義務は常にひとつのセットである。

・再チャレンジの機会は与えられるべきである。

・信頼が最も強い武器となる。

 

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