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島田誠の凄さが分かる名言・語録集!愛称「チャボ」走攻守3拍子そろった男の伝説エピソードから努力論まで

かつてプロ野球には「ドラフト外」入団というのがありました。ドラフトで指名されなかった選手は各球団が自由に獲得できる取り決めで、多くはあまり注目されなかった選手たちで、入団テストを経て契約に至りました。そこから這い上がった選手として有名なのは野村克也、秋山幸二、松永浩美、石井琢朗、大野豊、西本聖などいますが、島田誠もそのひとりです。

身長168㎝というプロ選手としては小柄ながらも、通算352盗塁を記録する俊足ぶりから「チャボ」という愛称で呼ばれた島田。ゴールデングラブ賞を6回獲得し、打撃でも通算1500安打を達成、走攻守がそろった好選手として、チームを牽引しました。

経済的理由から大学を中退し、所属した社会人チームも業績悪化で野球部廃部を乗り越え、日本ハムファイターズ(現北海道日本ハムファイターズ)の入団試験で、捕球前にバック転をするという曲芸のような身軽さを見せて、合格を勝ち取った苦労人の島田。

今回は愛称「チャボ」走攻守3拍子そろった島田誠の凄さが分かる名言や語録を紐解き、その伝説エピソードから努力論にまで迫ります。

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島田誠について

まずは島田誠の経歴について追ってみます。

1954年9月3日生まれ、福岡県中間市出身。子どもの頃にトロッコの事故で怪我をし、左利きとなります。中学生の時に野球をはじめ、高校は野球名門校など9校からスカウトを受けましたが、一般入試で直方学園高校に入学します。卒業後は特待生として九州産業大学へ進学。しかし2年で中退し、丹羽鉦電気に入社しますが、経営不振から廃部となり、あけぼの通商に所属します。1976年に日本ハムファイターズ(現北海道日本ハムファイターズ)の入団テストを経て、ドラフト外で入団します。

ルーキーイヤーから1軍に昇格し、10盗塁を記録。ここから11年連続で2桁盗塁を決めます。1978年から走攻守そろったチャンスメーカーとしてレギュラーに定着。毎年のように福本豊や大石大二郎らと盗塁王争いをし、1981年には落合博満と首位打者を争いますが、残念ながらタイトルには無縁でした。長くファイターズの切り込み隊長として活躍しますが、1988年くらいから故障が増え、「最後は地元で」という本人の希望もあり、1990年オフに福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)に移籍し、1991年シーズン限りで引退します。

日本プロ野球通算15年間で1504安打、76本塁打、352盗塁、打率.279。ベストナイン2回。ゴールデングラブ賞6回。

引退後は野球解説者、 ホークスなどNPBチームのコーチや、独立リーグ、女子公式野球の指導者なども務めています。

私が選ぶ、島田誠の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「破傷風になったら命の危険があるので右腕を切断すると医者に言われたのですが、親が抵抗し、破傷風になるかのどうかの賭けに出て、勝ちました」

島田は炭鉱町に生まれ、4歳の時に炭鉱のトロッコの下敷きになり、右腕の切断を迫られるような事故に合いました。破傷風は命に関わることもある神経毒素を産生する感染症です。1968年から予防接種が導入されますが、島田は1954年生まれですからまだ予防接種は受けていません。
医師としては小児で発症すれば命の危険もあるための判断だったのでしょう。しかし島田の両親は右腕切断を拒否しました。

島田の両親が何をどのように考えたのかはわかりませんが、まだその時代には人の強さを信じ、運命に委ねる潔さがありました。どうあれ島田は右腕の切断を免れます。ただしその事故から、彼は左利きになりました。

野球の世界では、左打ちが有利だということで大谷翔平やイチロー、松井秀喜など、右投げ左打ちの選手が多くいます。特に足の速い選手は、左打ちの方が内野安打になる確率が上がります。

チャボとあだ名がつくほど俊敏さを持った島田。左利きになったことは俊足を生かす意味で、間違いなく有利になりました。まさに不幸中の幸いと言えますが、それを呼び込んだのは両親の判断と島田自身の努力があったからでしょう。

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【名言語録その2】

「契約金の金額です」

ファイターズにドラフト外で入団した島田ですが、同時にクラウンライターライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)、ロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)、阪神タイガースと計4球団から誘われたそうです。

その中でファイターズに入団した決め手は「契約金の金額」でした。大学は中退、所属の社会人チームの廃部を経験するなど苦労人の島田。プロは手にするお金が自身の評価でもある以上、とても明快な判断だと思います。

高校もなんと9校から誘いがあったそうです。しかし誘いはすべて断り、地元の高校に一般入試で進学しました。その後はプロ入りまで順風満帆とはいきませんでしたが、ファイターズの入団テストでは捕球前にバック転をするという曲芸のような技を見せて合格を勝ち取った姿勢には、逆境を超えるために必要な貪欲さとたくましさが感じられます。

【名言語録その3】

「二兎を追う者は一兎をも得ず、という言葉は本当だったんですね」

島田が自身のキャリアハイとなる.318の打率をマークした1981年、彼は首位打者と盗塁王を狙える位置にいました。競う相手は打率が三冠王の落合博満、そして盗塁は13回の盗塁王に輝いた福本豊という二人のレジェンドでした。

内心、どちらのタイトルも狙っていたという島田。結果は島田の怪我もあり、どちらのタイトルも手にすることは出来ませんでした。まさに「二兎を追う者は一兎をも得ず」で終わり、その後もメジャータイトルとは縁がありませんでした。

この年の島田は川上哲治の名言「ボールが止まって見える」というのが理解できるほど好調でした。しかし後半戦に入ると相手投手の攻めが厳しくなり、内角をえぐられるようになります。すると自然に体が開くようになり、調子を落として行きました。

しかしそれは相手が、島田は一流の打者だと認識し始めたということでもあります。3度の三冠王、5度の首位打者を獲得した落合博満と同じ土俵に立てる選手だと評価されるようになったのです。

あわや右腕切断の窮地から、数々の逆境を跳ね返し、一流のプロとして認められるまで到達したのは、島田の懸命な努力と強い意思の証明なのではないでしょうか。

 

名言からの学び

・不運が幸運のきっかけになることもある

・貪欲でなければ逆境は跳ね返せない

・一流には一流の対応がある

 

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