オリックス・バファローズの歴代ファースト(一塁手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!
2024/02/03
球団名の変更や合併を経て、長い歴史を持つオリックス・バファローズ。
今回は長年プロ野球界で活動しているオリックス・バファローズの歴代選手の成績や年俸などを調べ、オリックス・バファローズ歴代最強のファーストについて紹介します。
それでは往年の名選手たちを確認していきましょう!!
目次
オリックス・バファローズの歴代ファースト(一塁手)一覧まとめ!
まずは1950年以降、そのシーズンの主にファーストを守った選手を一覧にしてみました。
年 | 選手名 | 背番号 | 試合数 | 打率 | 本塁打 | 打点 | タイトル |
1950 | 川合 幸三 | 7 | 120 | 0.283 | 2 | 40 | |
1951 | 川合 幸三 | 7 | 96 | 0.274 | 2 | 30 | |
1952 | 川合 幸三 | 7 | 105 | 0.270 | 1 | 41 | |
1953 | 川合 幸三 | 7 | 116 | 0.269 | 4 | 36 | |
1954 | 川合 幸三 | 7 | 137 | 0.315 | 3 | 54 | ベストナイン |
1955 | 川合 幸三 | 7 | 133 | 0.267 | 1 | 45 | |
1956 | 岡本健一郎 | 5 | 150 | 0.240 | 8 | 75 | |
1957 | 岡本健一郎 | 5 | 132 | 0.271 | 9 | 67 | ベストナイン |
1958 | 川合 幸三 | 7 | 106 | 0.208 | 1 | 38 | |
1959 | 岡本健一郎 | 5 | 88 | 0.213 | 4 | 27 | |
1960 | 滝田 政治 | 29 | 84 | 0.281 | 1 | 27 | |
1961 | 戸口 天従 | 26 | 97 | 0.312 | 2 | 34 | |
1962 | 戸口 天従 | 26 | 92 | 0.303 | 1 | 32 | |
1963 | 戸口 天従 | 26 | 133 | 0.280 | 9 | 43 | |
1964 | 石井 晶 | 6 | 147 | 0.272 | 15 | 69 | |
1965 | 石井 晶 | 6 | 137 | 0.241 | 1 | 33 | |
1966 | 石井 晶 | 6 | 134 | 0.234 | 10 | 57 | |
1967 | スペンサー | 25 | 124 | 0.274 | 30 | 68 | |
1968 | 石井 晶 | 25 | 112 | 0.249 | 5 | 21 | |
1969 | 石井 晶 | 6 | 114 | 0.235 | 3 | 21 | |
1970 | エメリー | 8 | 94 | 0.213 | 8 | 30 | |
1971 | 加藤 秀司 | 10 | 122 | 0.321 | 25 | 92 | |
1972 | 加藤 秀司 | 10 | 118 | 0.290 | 13 | 54 | |
1973 | 加藤 秀司 | 10 | 118 | 0.337 | 20 | 91 | 首位打者、ベストナイン |
1974 | 加藤 秀司 | 10 | 120 | 0.322 | 19 | 75 | |
1975 | 加藤 秀司 | 10 | 126 | 0.309 | 32 | 97 | 打点王、MVP、ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞 |
1976 | 加藤 秀司 | 10 | 120 | 0.300 | 28 | 82 | 打点王、最高出塁率、ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞 |
1977 | 加藤 秀司 | 10 | 120 | 0.319 | 19 | 73 | 最高出塁率、ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞 |
1978 | 加藤 秀司 | 10 | 120 | 0.255 | 24 | 86 | |
1979 | 加藤 英司 | 10 | 122 | 0.364 | 35 | 104 | 首位打者、打点王、最高出塁率、最多安打、ベストナイン |
1980 | 加藤 英司 | 10 | 130 | 0.318 | 28 | 97 | |
1981 | 加藤 英司 | 10 | 127 | 0.314 | 17 | 79 | |
1982 | ケージ | 44 | 128 | 0.233 | 31 | 72 | |
1983 | ブーマー | 44 | 121 | 0.304 | 17 | 62 | |
1984 | ブーマー | 44 | 128 | 0.355 | 37 | 130 | 首位打者、本塁打王、打点王、最多安打、MVP、ベストナイン |
1985 | ブーマー | 44 | 129 | 0.327 | 34 | 122 | 最多安打 |
1986 | ブーマー | 44 | 127 | 0.350 | 42 | 103 | 最多安打、ベストナイン、ゴールデングラブ賞 |
1987 | ブーマー | 44 | 129 | 0.331 | 40 | 119 | 打点王、ベストナイン、ゴールデングラブ賞 |
1988 | ブーマー | 44 | 88 | 0.289 | 14 | 46 | |
1989 | ブーマー | 44 | 130 | 0.322 | 40 | 124 | 首位打者、打点王、最多安打、ベストナイン |
1990 | 村上 信一 | 47 | 112 | 0.302 | 5 | 26 | |
1991 | ブーマー | 44 | 121 | 0.300 | 20 | 67 | |
1992 | トーベ | 5 | 96 | 0.305 | 11 | 58 | |
1993 | トーベ | 5 | 96 | 0.232 | 9 | 35 | |
1994 | キャブレラ | 9 | 95 | 0.237 | 11 | 46 | |
1995 | D・J | 24 | 107 | 0.266 | 16 | 60 | |
1996 | D・J | 24 | 91 | 0.220 | 15 | 47 | |
1997 | 藤井 康雄 | 8 | 98 | 0.240 | 18 | 57 | |
1998 | 藤井 康雄 | 8 | 126 | 0.250 | 30 | 80 | |
1999 | 藤井 康雄 | 8 | 115 | 0.245 | 15 | 51 | |
2000 | 小川 博文 | 23 | 101 | 0.261 | 5 | 45 | |
2001 | アリアス | 5 | 139 | 0.262 | 38 | 97 | |
2002 | シェルドン | 12 | 129 | 0.256 | 26 | 59 | |
2003 | 塩谷 和彦 | 6 | 123 | 0.307 | 8 | 46 | |
2004 | オーティズ | 8 | 128 | 0.289 | 24 | 71 | |
2005 | 北川 博敏 | 23 | 127 | 0.259 | 16 | 67 | |
2006 | 北川 博敏 | 23 | 100 | 0.290 | 8 | 55 | |
2007 | 北川 博敏 | 23 | 144 | 0.280 | 9 | 61 | |
2008 | カブレラ | 42 | 138 | 0.315 | 36 | 104 | ベストナイン、ゴールデングラブ賞 |
2009 | カブレラ | 42 | 65 | 0.314 | 13 | 39 | |
2010 | カブレラ | 42 | 112 | 0.331 | 24 | 82 | 最高出塁率、ベストナイン |
2011 | 李承燁 | 3 | 122 | 0.201 | 15 | 51 | |
2012 | 李大浩 | 25 | 144 | 0.286 | 24 | 91 | 打点王、ベストナイン |
2013 | 李大浩 | 10 | 141 | 0.303 | 24 | 91 | |
2014 | T-岡田 | 55 | 130 | 0.269 | 24 | 75 | ゴールデングラブ賞 |
2015 | 中島 裕之 | 1 | 117 | 0.240 | 10 | 46 | |
2016 | T-岡田 | 55 | 123 | 0.284 | 20 | 76 | |
2017 | マレーロ | 49 | 82 | 0.298 | 20 | 50 | |
2018 | T-岡田 | 55 | 97 | 0.225 | 13 | 43 | |
2019 | モヤ | 1 | 64 | 0.244 | 10 | 35 | |
2020 | ロドリゲス | 42 | 59 | 0.218 | 6 | 25 | |
2021 | T-岡田 | 55 | 115 | 0.241 | 17 | 63 | |
2022 | 頓宮 裕真 | 3 | 81 | 0.226 | 11 | 34 | |
2023 | 頓宮 裕真 | 3 | 113 | 0.307 | 16 | 49 | 首位打者 |
1950年代
50年代は主に2人の選手が務め、47年から在籍していた川合幸三選手は54年に打率.315、3本塁打、54打点の好成績を収めてベストナインを受賞、50年から6年連続で30盗塁以上(55年は54盗塁)を記録する等、打って走ってチームを牽引しました。
川合選手の出場試合数が減った56年と57年は左打ちの岡本健一郎選手が守り、56年はリーグ4位となる75打点、翌年も67打点を挙げてこの年はベストナインを受賞しました。
1960年代
川合選手が59年限りで引退し、60年は滝田政治選手、61年からの3年間は60年に近鉄から移籍してきた戸口天従選手が務め、61年から2年続けて打率3割以上を記録しました。
64年になると戸口選手から石井晶選手がポジションを奪い、15本塁打を放って長打力を見せつけた石井選手は4番を務めることもありました。
64年に加入し、セカンドやサードを務めて、毎年好成績を残していたダリル・スペンサー選手は67年にファーストを守り、30本塁打を放ちましたが翌年は打撃不振に陥り、再び石井選手が起用されました。
1970年代
石井選手は70年も開幕から出場を続けていましたが、シーズン途中に怪我で離脱し、代わってカル・エメリー選手が起用され94試合に出場しました。エメリー選手が同年限りで退団し、71年は松下電器から68年のドラフト会議で2位指名を受けて入団していた加藤秀司(英司)選手が抜擢されました。
加藤選手は主に3番で起用され、抜群のバットコントロールで安打を量産、レギュラー1年目だった71年は打率.321、25本塁打、92打点を記録しました。73年には打率.337で首位打者とベストナインに輝き、75年には打点王とMVP、翌76年にも打点王を獲得しました。
79年は本塁打を量産してシーズン終盤まで三冠王を獲得する勢いで打ちまくり、最終的には打率.364で自身2回目の首位打者と104打点を記録して3回目の打点王を獲得しました。
70年代は5回のベストナインと3回のダイヤモンドグラブ賞を受賞しており、攻守にわたってチームを牽引しました。
1980年代
引き続き加藤選手がファーストの守りにつき、2年続けて打率3割以上を記録していましたが、82年は指名打者に回り、同年オフに広島へトレードで移籍しました。
加藤選手の後は外国人選手が務めることが多くなり、81年は前年に指名打者で31本塁打を放っていたウェイン・ケージ選手がファーストでも31本塁打を記録、低打率のため同年限りでチームを離れるとブーマー・ウェルズ選手を獲得して5番に据えました。
来日1年目の23年に打率3割をクリアすると翌年は4番に座り、3年目の84年は打率.355、37本塁打、130打点を記録して三冠王とMVPを受賞、タイトルは逃したものの86年は打率.350のハイアベレージを記録し、翌87年は119打点を挙げて打点王を獲得しました。
89年にも首位打者と打点王に輝き、83年から89年までの7年間で打率3割以上を6回、40本塁打以上を3回、100打点以上を5回記録しており、確実性と長打力に加え勝負強さも兼ね備えたスラッガーでした。
1990年代
90年は村上信一選手が務めましたが、91年は再びブーマー選手がレギュラーとして試合に出場しました。37歳シーズンに加えて、広いグリーンスタジアム神戸に本拠地が移った影響で、本塁打20本に終わると同年オフに自由契約となりました。
92年はケルビン・トーベ選手が加入し、リーグ2位の打率.305をマーク、翌年もレギュラーを務めましたが思うような成績が残せず退団することになり、キャブレラの登録名でプレーしたフランシスコ・カブレラ選手も94年の1年間だけのプレーに終わりました。
D.Jことダグ・ジェニングス選手は95年に来日すると日本人選手の変化球にうまく対応し、6番打者として同じ外国人のトロイ・ニール選手と打線を引っ張り、95年からの二連覇に貢献しました。97年は外国人登録枠の関係で二軍暮らしが続き、ライトから藤井康雄選手が回り、98年に30本塁打を記録しました。
2000年代
00年に藤井選手が指名打者に回るとショートから小川博文選手が移り、小川選手が横浜へトレードで移籍するとサードからジョージ・アリアス選手がコンバートされ38本塁打97打点を記録しました。アリアス選手は4番を打ち、勝利に貢献していましたが、オフに契約がまとまらずに退団、代わりに獲得したスコット・シェルドン選手は26本塁打を記録したものの得点圏に弱く、03年はレフトから回った塩谷和彦選手が起用されました。
塩谷選手がサードを務めた04年は前年にセカンドを守り33本塁打を記録していたホセ・オーティズ選手が守備を考慮してファーストに移り、24本塁打を記録しました。
近鉄と合併して迎えた05年シーズンは分配ドラフトで近鉄から移ってきた北川博敏選手が務め、北川選手は07年までファーストのレギュラーとして出場、07年は144試合フル出場を果たしました。
長打力のある外国人選手を欲していたチームは西武を自由契約になり、02年に当時のプロ野球タイ記録となるシーズン55本塁打を放った実績を持つアレックス・カブレラ選手を獲得、08年は打率.315、36本塁打、104打点の好成績を収めてベストナインに選出されました。
カブレラ選手は翌年も打率.314を残しますが、怪我もあり65試合の出場で13本塁打に止まりました。
2010年代
カブレラ選手は10年に打率.331、24本塁打、82打点の成績を残してベストナインを受賞しましたが、同年オフの残留交渉が決裂して退団、巨人から李承燁選手が加入しました。
李承燁選手は11年の1年間だけで退団し、同じ韓国出身の李大浩選手は12年からの2年間守り、12年は打点王を獲得しました。
李大浩選手がソフトバンクホークスに移籍すると14年は指名打者からT-岡田選手が回ってゴールデングラブ賞を受賞、その後はレフトとファーストを1年ずつ交互に守りました。
T-岡田選手がレフトを守った15年はアメリカから日本球界に復帰した中島裕之選手、17年はシーズン途中に加入したクリス・マレーロ選手が82試合の出場ながら20本塁打を放ちました。
18年はT-岡田選手、19年は外国人枠の関係で出場機会が限られていたスティーブン・モヤ選手がシーズン途中に中日からトレードで加入し、初の二桁本塁打を記録、20年はアデルリン・ロドリゲス選手が起用されましたが、故障もあり59試合の出場でした。
リーグ三連覇のスタート年となった21年は再びT-岡田選手が務め17本塁打を記録、22年からは頓宮裕真選手がキャッチャー・指名打者と兼任しながら出場し、23年は打率.307で首位打者を獲得して三連覇に貢献しました。
オリックス・バファローズ歴代ファースト(一塁手)年俸ランキング!歴代最高年俸はアレックス・カブレラ選手の4億円!
ここではオリックス・バファローズの歴代ファーストを年俸で順位付けしてみました。なお、年俸と成績はファーストのレギュラーとして出場したシーズンの数字を記載しています。
順位 | 年度 | 選手名 | 年俸 | 打率 | 試合数 |
1 | 2009 | A.カブレラ | 4億0000万円 | 0.315 | 138 |
2 | 2015 | 中島 裕之 | 3億5000万円 | 0.240 | 117 |
3 | 2012 | 李大浩 | 2億5000万円 | 0.286 | 144 |
4 | 1991 | ブーマー.W | 1億9600万円 | 0.300 | 121 |
5 | 2011 | 李承燁 | 1億5000万円 | 0.201 | 122 |
チームの中軸を担った選手が多かったオリックス・バファローズのファーストですが、1位は08年に加入したアレックス・カブレラ選手でした。西武時代に55本塁打を放った怪力スラッガーは4億円でプレーし、打率.315、36本塁打、104打点を記録してベストナインを受賞しました。
2位は15年に3億5000万円でプレーした中島裕之選手で、西武の主軸を務めてアメリカに挑戦、日本球界に復帰した際にオリックスを選び、15年は117試合に出場して二桁本塁打を記録しました。
3位は12年の李大浩選手の2億5000万円です。韓国代表のスラッガーは加入1年目から実力を発揮し、144試合の出場で91打点を記録して打点王とベストナインを獲得しました。
4位は91年のブーマー・ウェルズ選手。82年からレギュラーを務め、84年に三冠王を獲得する等長年主軸打者として活躍しました。年俸1億9600万円でプレーした91年は本拠地移転もあり20本塁打に止まり、オリックスでプレーした最後の年となりました。
5位にランクインしたのは李承燁選手でした。ロッテ、巨人を経て11年に年俸1億5000万円でオリックスに加入しました。122試合に出場して15本塁打を放ちましたが、打率は思うように上がらず1年限りで退団しました。
私が思う最強のオリックス・バファローズ歴代ファースト(一塁手)はブーマー・ウェルズ選手!
多くの強打者が務めたオリックス・バファローズのファーストですが、歴代最強のファーストは三冠王を獲得した経験のあるブーマー・ウェルズ選手でしょう。
ここで、ブーマー・ウェルズ選手のプロフィールを確認していきましょう。
職業:元プロ野球選手
生年月日:1954年4月25日
身長:200cm
出身:アメリカ
最終学歴:ニューヨーク州立大学オールバニ校
血液型:不明
1954年(昭和29年)4月25日生まれ、アメリカ・アラバマ州出身。81年にトロント・ブルージェイズに入団、ミネソタ・ツインズを経て83年に当時の阪急ブレーブスに入団しました。
長打力を期待されて来日し、1年目は17本塁打と少なかったものの打率.304を記録しており、2年目以降の活躍を予感させる成績を残しました。3年目のシーズンだった84年は日本のピッチャーにも慣れて自慢の長打力を発揮、打率.355、37本塁打、130打点の好成績を収めて三冠王とMVPに輝き、チームのリーグ優勝に大きく貢献しました。
91年シーズン限りでダイエーに移籍しましたが、90年を除いて8年ファーストのレギュラーを務め、自慢の長打力で本塁打を量産し、広角に打ち分ける打撃技術でハイアベレージも残し、阪急・オリックス在籍時は首位打者2回、本塁打王1回、打点王3回に輝きました。
日本球界屈指の強打者として、4番打者としてチームを牽引し、チームを勝利に導いた三冠王獲得者のブーマー・ウェルズ選手がオリックス・バファローズ史上最強のファーストで間違いありません。
オリックス・バファローズ歴代ファースト(一塁手)に関する豆知識
04年シーズン終了後にオリックスと近鉄が合併し、オリックス・バファローズが誕生しましたが、オリックスの前身球団である阪急と、後に合併することになる近鉄の2球団に在籍した強打者がいました。
加藤秀司(英司)選手はプロ3年目の71年にファーストのレギュラーに抜擢されると独特な構えから芸術的な内角打ちで安打を量産、79年には打率.364、35本塁打、104打点を記録して首位打者と打点王に輝く等、数々の打撃タイトルを獲得して70年代の阪急の中心選手として活躍しました。
チーム方針もあり、82年オフに広島へトレードで移籍、翌83年シーズン終了後に今度は近鉄にトレードで加入し、84年は130試合フル出場を果たす等、近鉄でも活躍を見せ、後に三冠王を3度獲得した強打者・落合博満選手が参考にした選手として加藤選手の名前を挙げており、同じプロ野球選手からも一目置かれた存在でした。
まとめ
・加藤秀司(英司)選手やブーマー・ウェルズ選手が長くレギュラーとして活躍した。
・加藤選手やブーマー選手が打撃主要タイトルを複数獲得している。
・歴代で一番年俸が高かったのは、08年シーズンのカブレラ選手の4億円。
・ブーマー選手は来日3年目に三冠王を獲得する等、長打力と確実性のあるバッティングで長年打線を牽引したオリックス・バファローズ歴代最強のファーストである。
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