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西村徳文監督の凄さが分かる名言・語録集!「走る将軍」の伝説エピソードから指導方法まで


プロ野球選手の異名といえば、長嶋茂雄の「ミスタープロ野球」や王貞治の「世界の本塁打王」のように功績を取り上げたものと、星野仙一の「燃える男」や津田恒美の「炎のストッパーのように個性を表すもの、そして松本匡史の「青い稲妻」や赤星憲広の「赤い彗星」のように二つ名のようなものがあります。その三つ目に分類されるだろう「走る将軍」の異名を持っているのが西村徳文です。

その異名通り、初めてロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)から誕生した盗塁王であり、4年連続盗塁王も獲得し、指導者としても、チームから盗塁王に輝くスピードスター小坂誠や西岡剛を生む土壌を作り上げました。オリオンズ時代は有藤通世や落合博満など、強打がチームカラーだったのを、隙のない走力と守備力を発揮するチームカラーに変化したのは、西村の活躍から続くものだろうと思います。

そして監督としても「史上最大の下剋上」と言われ、シーズン3位からの日本シリーズ制覇を遂げるという快挙を遂げました。2007年からクライマックスシリーズ実施以降、唯一の記録です。

今回は「走る将軍」と呼ばれた西村徳文監督の凄さが分かる名言や語録を紐解き、その伝説エピソードから指導方法にまで迫ります。

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西村徳文について

まずは西村徳文の経歴を追ってみます。

1960年1月9日生まれ、宮崎県串間市出身。宮崎県立福島高校で2年生の時、夏の甲子園選手権大会に出場。卒業後は国鉄鹿児島鉄道管理局(現JR九州鹿児島支社)に入り、1981年のドラフト5位でロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)に入団

プロ入り1年目に、俊足を生かすためにスイッチヒッターへ転向を決め、1日1000回を越える素振りをこなしました。2年目には二塁手として活躍をはじめ、3年目にはレギュラーとして規定打席に到達。4年目にはベストナインとゴールデングラブ賞を獲得。そして5年目からは4年連続で盗塁王を取るなど、順調にチームの主力として進化して行きました。

1989年にはチームの選手会長としてチームをまとめ、外野手としての出場も増えます。翌90年にはパリーグのスイッチヒッター初の首位打者を獲得。更には外野手としてもゴールデングラブ賞を取り、やはりパリーグ初の内外野での獲得という記録を打ち立てました。

1997年までチームを牽引し、引退。現役通算16年間で1298安打、33本塁打、363盗塁、打率.272。首位打者1回、盗塁王4回、ベストナイン2回、ゴールデングラブ賞2回

引退後はコーチとしてマリーンズに残り、2010年から監督に就任。就任1年目に「史上最大の下剋上」と呼ばれるシーズン3位から、クライマックスシリーズを勝ち抜き、日本シリーズでも優勝するという快挙を成し遂げます。

その後は低迷し、3年間で退任しますが、2019年からはオリックスバファローズの監督をつとめています。2019年シーズン終了まで、監督通算4年間で250勝、日本一に1度輝いています。

 

私が選ぶ、西村徳文の凄さがわかる名言・語録

【名言・語録その1】

「工夫しなければ、身体的にも大きくないのに、そこまでの実績を残せませんでしたからね」

スイッチヒッターになったのはプロ入りしてからだという西村。左打ちの練習のため、キャンプでは1日1000回以上もバットを振り、朝には指が痛くて手が開かなくなるほどで、お湯で関節を温めて開くようにしてから顔を洗っていたそうです。

俊足というばかりでなく、当時のロッテにいた左打ちの有力選手は、通算打率.320を残したレロン・リーくらいだったため、西村が起用される機会も増えたという面があります。左打ちは自らの武器である走力を有効に使うためと、新たな武器を作ることになったのです。

ある時、西村はオープン戦の後に落合博満に誘われて、山内一弘の自宅を訪ねたそうです。山内はインコース打ちの名人として知られ、教え出すといつまでも止まらないので、当時流れていた「やめられない、とまらない」というCMから「かっぱえびせん」と呼ばれたほどで、西村も熱心に指導を受けました。

そのような指導と手を抜かない練習から、バットを握る右手と左手の間を数センチ開ける打法を身に着けました。

それはバットを叩きつけて三遊間に強いゴロを打つためです。西村の相乗効果を生み出すさまざまな工夫と努力が、首位打者も獲得する打撃力につながり、出塁率の高さが盗塁につながったのだといえます。

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【名言・語録その2】

「どういう状況においても、攻める姿勢、アグレッシブな気持ちというものが、特にこのプロ野球の世界では大事になってくるんじゃないか」

西村が入団した当時、チームには有藤通世、落合博満、村田兆治といった実に個性的な面々が揃っていました。西村によれば、「ゲーム中もいつケンカが始まるのかなと思っていました」と笑いながら語っています。相手チームだけでなく、自分のチームにも厳しく、西村が1試合で2度盗塁を失敗した時には、味方ベンチから「もう走るな!」と怒鳴られたそうです。

若い頃はロッカールームの雰囲気が怖いので、西村はトレーニングルームへ逃げていたそうです。すると必然的にトレーニングをする形になり、結果的にそれである程度身体が作られたと話しています。先輩たちは意識してそのような環境を作り出していたわけではないのでしょうが、さまざまな状況をプラスに変えられるのが西村の特長だといえるでしょう。

 

「攻走守において、選手を積極的な気持ち、アグレッシブな気持ちにさせることが、一番の大きな仕事じゃないかなと思っています。そういう気持ちを持つことによって、もっと相手と勝負する姿が見えてくるんじゃないでしょうか」

自身の経験から「弱気になると結果が出ない」と言う西村。

マイナスな場面であっても、それをプラスに変換する力を、指導者として伝えようとしているのではないでしょうか。

 

【名言・語録その3】

「足を使ってくるぞというのがプレッシャーになる。隙あらばという野球をしていかないといけない」

メジャーリーグで一世を風靡した「マネーボール」の中で、走力はあまり重視されなかったためか、一時期、盗塁軽視の傾向があったように思えます。しかし2019年シーズンに日本一になった福岡ソフトバンクホークスが、周東佑京の走塁で流れを変えてしまうシーンを何度も目にすると、データというものはあくまでも見方のひとつだと感じます。野球は点取りゲームなので、進塁による心理的圧力は間違いなく有効です。

西村は盗塁において、特にスタートを重視していました。「構えたときの右足を若干、後ろに引いて、つま先を少し開いて」みるなど、いろいろ試し、一番いい形を繰り返し体に覚え込ませたのだそうです。

もうひとつ西村が指導者として心がけているのが「信は力なり」ということです。

 

「戦いの場では余計な言葉はいらないと思ってます。それよりも普段の会話が重要だと思います」

選手を信じるために、西村は普段から同じ目線で会話をしようと決め、マリーンズの監督時代には選手会長だったサブロー、リードオフマンの西岡剛、経験豊富なベテランの井口資仁らとは、意識的によく話をしたそうです。

走力とコミュニケーションというふたつの武器で、チームを強くするというコンセプトがはっきりしており、その目的をもったチームにとって、西村はうってつけの監督なのではないかと思います。


和のちから 史上最大の「下克上」を果たした人心掌握術 [ 西村徳文 ]

 

名言からの学び

・努力には工夫が必要である。

・指導者にはマイナスの環境をプラスに結びつける視野が必要である。

・プロはコンセプトの戦いでもある。

 

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