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中谷仁の凄さが分かる名言・語録集!智辯和歌山を優勝させた名将の伝説エピソードからリーダー論まで


2013年に元プロ野球選手によるアマチュア野球の指導が、学生野球指導回復制度により事実上解禁となりました。あのイチローもその制度を利用し、高校生の臨時指導を行い、話題となりました。そんな元プロ野球選手から高校野球の監督となり、初めて甲子園で優勝したのが中谷仁です。

プロ野球選手のセカンドキャリアとしても期待されるアマチュア野球の指導者ですが、実は2020年の転進者はゼロ。その前の5年間を遡ってもわずか5人と、思うようには増えていないのが現状です。教員免許はいらなくなったとはいえ、やはり待遇面などいろいろなハードルがあるようです。

それでもプロ野球で10年以上のキャリアを積み、名将と呼ばれた星野仙一や野村克也の下でプレーした中谷が高校野球の監督となり、甲子園大会でチームを優勝に導いたことは、長年プロとアマチュアに確執があった日本の野球史において大きな出来事だろうと思います。

今回はプロ野球経験者として初めて甲子園大会の優勝を勝ち取った名将中谷仁の凄さが分かる名言や語録を紐解き、その伝説エピソードからリーダー論にまで迫ります。

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中谷仁について

まずは中谷仁の経歴を追ってみます。

1979年5月5日生まれ、和歌山県和歌山市出身。智辯和歌山高校に入学すると、高校通算21本塁打を記録。正捕手として3度甲子園に出場し、選抜大会準優勝、選手権大会優勝に貢献します。1997年のドラフト1位で阪神タイガースに指名されて入団。

2002年、プロ5年目で初めて1軍に昇格し、初安打を記録します。しかしその後はなかなか1軍での出場機会が得られず、2005年オフに東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍します。

移籍後も怪我などもありなかなか出場機会がありませんでしたが、2009年には監督の野村克也に評価され、古巣のタイガース戦でプロ初本塁打を放つなど、55試合に出場。クライマックスシリーズでもマスクをかぶります。

しかし翌2010年、監督交代と怪我により再び出場機会を失い、2011年オフに戦力外となりました。その後、12球団合同トライアウトを経て、読売ジャイアンツに入団。1軍登録はないまま2012年オフに戦意引退します。

プロ通算15年間で28安打、4本塁打、打率.162。

引退後はジャイアンツのブルペン捕手を務めましたが、アマチュア野球の指導者を目指して退団。2014年に学生野球資格回復の認定を受け、2017年に母校である智辯和歌山高校の硬式野球部臨時部長となります。その後専任部長に就任し、選抜1回、選手権2回の優勝と、甲子園歴代最多の68勝を誇る名将高嶋仁の補佐を担うようになります。

部長としてチームの甲子園出場をサポートし、2018年に勇退した高嶋から監督を譲り受けると、早速チームを2019年の選抜と選手権の出場に導き、コロナ禍を乗り越えた2021年夏の選手権大会で見事に優勝。学生野球指導回復制度が出来て以来初の元プロ野球選手監督による優勝となりました。

 

私が選ぶ、中谷仁の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「自分で考え、正しいと思う行動を選択し、振り返って修正していく作業を繰り返すことで、自立と成長につながると思います」

中谷曰く「野球の練習というのはメニューが決まっていて、全体でやることが多くて、受け身というか、指示を待つという感覚が多い」そうです。しかし「プロに行った時、そうでない時間が多かった」という経験をしました。

「中学、高校あたりから指導者という立場につきたいとうっすら思っていた」と早くからアマチュア野球の指導者が念頭にあった中谷。「大学、社会人、プロに進むと、自分で選択して決める時間が多くなってくる」ことを実感し、生徒たちには自分で考えることを習慣づけるようにしているそうです。

とはいえ高校生にとって、自分で考えるというのは簡単ではありませんし、誤った方向へ努力を向ける可能性もあります。その点について「選手をどう成長させるかを、一方的なものではなく会話をしながら生み出していかないといけない。そういう時代だと思うので」と中谷は話しています。

選手に伝えたいことがあれば、監督自ら選手に声をかけ、試合の最中もベンチの中を動き回り、必要なメッセージを送るようにしています。プロ経験者の監督が対話と自主性を重んじ、全国制覇を成し遂げたことは、アマチュア野球の指導者たちにとってもひとつのモデルになると思います。

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【名言語録その2】

「一見、無駄に思えることも必要だったんだと後からわかる時もあります。理解してくれるまで生徒を見守る。子どもたちと向き合って、とことこん付き合うことが大事だと思っています」

この言葉からもわかる通り、中谷の視点は元プロ野球選手という以上に教育者です。元プロ選手が教育者になったというよりも、教育者がプロ選手になったという印象さえあります。それは試合で攻撃前の円陣をほとんど組まないという手法の背景にも現れています。

 

「高校野球はどんどんイニングが進んでいくというのが、一番感じたこと。僕は選手の役に立つことを言える自信がない。全員に当てはまる言葉をいうことなんてできない。それだったら各自で準備してくれた方がいい」

元プロ選手であり、相手がアマチュアの高校生ならば、ついいろいろ言ってしまいたくなるのが心情だと思います。しかし中谷は個々にメッセージを伝えるためにベンチの中を動き回り、「全員に当てはまる言葉」という空虚な号令ではなく、選手個々が考え、準備する時間を大事にしているのです。

 

「不完全な選手ばかりで波もある。でも、いいところを探してあげたい。プロでもこんないいところを持っている選手はいないよと、僕の口から言うことで何かと子どもたちの心に火をつけようとしています」

個々の能力を伸ばすというのが教育の究極の目的です。中谷が監督になった智辯和歌山高校から、黒川史陽、東妻純平、細川凌平、小林樹斗といったプロ選手を輩出しているのは、そんな指導の賜物だろうと思います。

 

【名言語録その3】

「すべてにおいてしんどいことしかない。何をやっても勝たなければ叩かれますし、打てなければOBや前監督からも言われました。それも覚悟のうえでここに帰ってきたつもりです」

甲子園の常連で、野球の名門校である智辯和歌山高校。監督の前任は全国的にも名を知られた名将高嶋仁です。中谷はプロでも名将と呼ばれる野村克也、星野仙一といった監督のもとでプレーした経験を持ち、そうそうたる名将の後ろ姿を見て来ただけに、プレッシャーは更に大きいだろうと思います。

 

「僕はプロ野球選手としてはみんなに恩返しできなかった。だからもう一回、母校に帰って名前を残して死んでいってやろうと思ってます」

プロで大成できなかったことについて中谷は、生徒たちに「僕はプロの世界でプレーしてきたけど、大した成績は残せなかった。だからお前らがプロに入れたら、俺なんて1年で抜けるぞって言った」そうです。すると生徒たちが声を揃えて「はい」と答えたので、「コラ、必死でやって15年で28本や、はいじゃないよ」と突っ込んだそうです。中谷の愛情あふれる指導に目に浮かびます。

縁あってイチローが三日間、智辯和歌山高校の臨時コーチをした時、イチローは最後に「ずっと見てるから、ちゃんとやってよ」とエールを送ったそうです。そして2021年の夏、そのエールに応え、中谷は選手たちと共に栄冠を勝ち取ったのです。

 

名言からの学び

・自分で考えることが成長につながる

・個々と向き合うことが結果的にチームの成長につながる

・成功は積み重ねの先にある

 

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