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マートンの凄さが分かる名言・語録集!最強助っ人ヒットメーカーの伝説エピソードから努力論まで


野球好きが集まると、ご贔屓チームのオールタイムベストナインや最強助っ人は誰かといった話題で盛り上がります。では阪神タイガースの最強助っ人はという話になるとランディ・バースで落ち着きそうですが、オールドファンならば外国人初の沢村賞投手バッキー、わずか1年の在籍ですが帰国後にメジャーの本塁打王になったセシル・フィルダー、あるいはJFKのJであるジェフ・ウイリアムスなどの名前もあがるでしょう。そしてセリーグのシーズン最多安打を放ったマートンも忘れられません。

勝負強いアベレージヒッターとして、右打者としては日本プロ野球史上最多となるシーズン214安打を放ったマートン。ホームランはシーズン10数本程度でしたが、2塁打が多く、中距離ヒッターとして得点の起点となったり、打点を稼いだりと活躍し、タイガース在籍6年間でチーム成績は2位が3回と、打線の柱としてチームを牽引しました。

激しいタックルや審判への抗議など熱いプレーを見せる反面、広島では原爆忌に行われる広島平和記念式典に参加したり、引退後も地震や台風被害の支援の一環として来日し、被災地訪問や野球教室をひらくなどの活動をしています。

今回はタイガースの最強助っ人ヒットメーカーであるマートンの凄さが分かる名言や語録を紐解き、その伝説エピソードから努力論にまで迫ります。

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マートンについて

まずはマット・マートンの経歴を追ってみます。

1981年10月3日生まれ、アメリカ合衆国フロリダ州出身。2001年と2002年にケープコッド野球リーグでMVPを獲得するなど活躍をみせます。2003年にドラフト1巡目でボストンレッドソックスに指名され入団しました。2004年にはシカゴカブスに移籍し、2005年にメジャーデビューし好成績を残し、翌2006年には開幕スタメンを獲得し、144試合に出場します。しかし翌年以降は徐々に出番を減らし、2008年にオークランドアスレチックスへ移籍。2009年にはコロラドロッキーズに移ります。

2010年に阪神タイガースと契約。いきなりシーズン214安打という当時の日本記録(現在はセリーグ記録)を達成。更に17本塁打で91打点と大活躍します。2011年は30試合連続安打を放つなど2年連続でリーグ最多安打を記録。2012年は一転して不振が続き、能見篤史への暴言やコーチとのトラブルも起りましたが、2013年には4番打つなど復調し、3度目のリーグ最多安打を獲得しました。2014年も好調を維持し、バースの持つ球団外国人選手の最多安打記録を塗り替え、日米通算1000本安打も記録し、首位打者を獲得。2015年はケガなどから不調な時期が続いたものの、最終的にはシーズン150本の安打を放ちましたが、戦力外となりました。

2016年はシカゴカブスの3A、2017年はデトロイトタイガースの3Aチームに所属しますが、メジャー昇格はなく、2018年に引退。

日本プロ野球通算6年間で1020安打、77本塁打、打率.310。首位打者1回、最多安打3回、ベストナイン4回。メジャーリーグ通算5年間で272安打、29本塁打、打率.286。

引退後はカブスのフロント入りをし、巡回指導やスカウト業務を行っています。

 

私が選ぶ、マートンの凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「アイ ドント ライク ノウミサン」

ノウミサンとはチームメイトだった能見篤史のことです。2012年6月の試合で、緩慢な守備での進塁について記者に問われ、イライラが募っていたマートンが冗談まじりに言ったのですが、関西のマスコミは能見の中傷だとして大きく取り上げました。不用意なことをSNSでつぶやいて炎上するのと似ています。

まだ2アウトなのにボールをスタンドに投げ入れてしまって得点を許したり、審判のストライク判定に再三喰いかかって退場になったり、走塁で激しいタックルを仕掛けたりと、まるでヒール役のように連日叩かれたマートンですが、ちょっと過剰な反応だった気がします。

能見との関係はヒーローインタビューで「ノウミサン アイシテル」と互いにハグすることで解消されましたが、日本で打率.310ものアベレージを残しながらも戦力外となった遠因として、これらの出来事が影響したのかもしれません。

しかし注意深く状況を見てみると、うっかりプレイは言い訳できませんが、審判に関しては2015年に審判員の方からマートンに挑発的な態度をとったとして逆に審判員が厳重注意を受けています。

またタックル問題もメジャーでのコリジョンルール導入は2014年であり、それ以前のメジャーリーグは珍しくないプレーです。わざわざ「マートンルール」と呼ばなくても、激しいタックルは日本でも再三問題となっており、コリジョンルールの日本導入も検討はされていた筈です。ゆえに、どれもマートンにだけ問題があったとは言い難いように思います。

いずれにせよ日本における助っ人外国人の難しさを感じます。

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【名言語録その2】

「僕は強い信念を持っているんだ。他人と接する時、違いを考えるのではなく、共通点を見つけるようにしている。僕の場合、その共通点は常に野球だった」

一部の人からは、どこかトラブルメーカーのように扱われることもあったマートンですが、全米の有力な学生選手が夏になると集まってくるケープコッド野球リーグから、マイナーリーグやメジャーリーグ、そして日本プロ野球と、文化や習慣が違う、さまざまな地域や国の選手が集まる環境でプレーし続けています。

 

「人生は適応の旅であり、その度には尊重することが伴う。僕の場合、経験したことはすべて野球のおかげなんだ」

日本ではガムを膨らませたり、爪楊枝をくわえたままでいたりで批判されたこともありましたが、「無礼だと思われるとは知らなかった」からで、すぐに学ぶ努力をしていました。ただ1968年から6年間同じタイガースに在籍したカークランドは爪楊枝をくわえてプレーし、時代劇の木枯し紋次郎から取り「モンジロー」と大人気になっていたことを思うと、批判する側も歴史や文化を知るべきだという気がします。

少なくともすぐに日本の野球に順応し、シーズン214本もの安打を放ったのは、まさにマートンの「適応」の賜物だろうと思います。

 

【名言語録その3】

「日本のことを思い、祈っています。私たちは今までも、そしてこれからも「3.11」を忘れることはありません。そして今、お互いに助け合い、励まし合い、一緒にコロナウイルスの困難を乗り越えましょう」

マートンは原爆忌に行われる広島平和記念式典にも参加し「誰が正しかったのか、誰が間違っていたのか、そういう議論の前に、原爆で亡くなった多くの罪のない方々に敬意を払わなければならないと思いました」と語っています。東日本大震災の時には地震がほとんどない米国何部生まれのマートンだけに「恐怖を感じ」たそうですが、「微力でも、できることがあれば何でもしたい」と思ったそうです。

 

「私たち家族も最初は不安でしたが、日本を離れようとは一切、思いませんでした。日本こそ私たちが今いるべき場所だと思っていましたし、心から第2の故郷だと感じていたからです。そして何より、私たちが日本の人々を心から信頼していたからです」

その言葉通り、マートンは現役時代だけでなく、引退後も日本での地震や台風被害の支援活動を行っています。彼の言葉には「本心」が詰まっていたのだと感じます。

日本での一番の思い出は2014年のクライマックスシリーズでのこと。「4試合目かな。初回に先制ホームランを打って、福留と西岡も本塁打で続いた。勝ったとき、ファンの歓声の中で、野球人として最高に幸せな瞬間を迎えられたと思った」と話しています。思い出の味は牛丼だだそうです。

セリーグのシーズン最多安打の記録ホルダーというだけでなく、もう少し日本でプレイを見たかった外国人助っ人としても、記憶に残る選手かもしれません。

 

名言からの学び

・期待と過大は常に隣り合わせである。

・適応は来る側だけでなく迎える側にも必要である。

・好意こそ万国共通のルールである。

 

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