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村上隆行の凄さが分かる名言・語録集!練習の鬼の伝説エピソードから指導論まで

1970年代まで遊撃手といえば守備の人でした。しかし1980年代になり、メジャーリーグではカル・リプケン・ジュニアが登場し、日本でも石毛典宏、池山隆寛など、強打の選手が現れ、遊撃手のイメージが大きく変わります。近鉄「いてまえ打線」の打てる遊撃手としてデビューしたのが村上隆行です。

強打の遊撃手として注目され、後にその打力を生かすために外野手や一塁手、三塁手を務めるようになりますが、猛打を誇る「いてまえ打線」の主力選手のひとりとして、伝説の「10.19」決戦や翌年のリーグ優勝を経験しました。

強打のみならず、俊足強肩でもあった村上ですが、引退後は独立リーグで監督を務めたり、NPBのチームでもコーチを歴任し、指導者として活躍しています。

今回は「いてまえ打線」の打てる遊撃手であり、練習の鬼だった村上隆行の凄さが分かる名言や語録を紐解き、その伝説エピソードから指導論にまで迫ります。

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村上隆行について

まず村上隆行の経歴について追ってみます。

1965年8月26日生まれ、福岡県大牟田市出身。中学生の頃に野球をはじめ、大牟田高校では高校通算52本の本塁打を放ち、1983年のドラフト会議で近鉄バファローズ(現オリックス・バファローズ)から3位指名を受けて入団します。

プロ入り後に遊撃手へとコンバート。ルーキーイヤーで1軍初昇格を果たし、猛打賞も記録しました。1985年には中西太コーチの指導もあり打撃に磨きをかけ、レギュラーを獲得。惜しくも新人王は逃しますが、16本塁打を記録。4年連続で2桁本塁打を放ちます。1988年からは外野手にコンバートされ、1989年には三塁手や一塁手としても出場し、持前の長打力を発揮しますが、接触プレイによる鎖骨骨折、翌年には死球による鼻骨と親指の骨折、更に1991年にも骨折するなど怪我に悩まされました。それでも1990年から4年連続で2桁本塁打を記録しました。

1992年に登録名を村上嵩幸に変更。6年ぶりに規定打席に達し、再びレギュラーに返り咲きます。1993年に選手会長就任。その後、怪我や不振から出場機会を減らします。2000年オフに西武ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)に移籍。2001年シーズン限りで自由契約となり引退。

日本プロ野球通算18年間で、916安打、147本塁打、68盗塁、打率.258。

引退後は野球解説者、NPBチームのコーチ、独立リーグの監督などで活躍しています。

 

私が選ぶ、村上隆行の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「負けてもないのに時間切れで優勝できないもどかしさ。なんなんやと。でも野球ってこんなに素晴らしいものなのか、と教えてくれたのもあの日なんです」

村上の言う「あの日」とは1988年10月19日、伝説となった「10.19」、近鉄バファローズVSロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)のダブルヘッダーのことです。

この日、バファローズが連勝すると優勝、引き分けるか敗れるかすれば西武ライオンズが優勝という試合でした。1試合目はバファローズが勝ち、2試合目も制すればバファローズのシーズン制覇という状況。試合はシーソーゲームとなり、後に物議を醸したオリオンズ監督有藤通世の9分間の抗議もあって、結局試合は引き分けに終わります。それによりリーグ優勝はライオンズに決まりました。

NPB史上最高の試合に選ばれたこともあるこの「10.19」決戦に、村上は代打として途中出場しています。

「重い空気。ピリピリした緊張感。疲れ切った体。そんな中でみんなが全力でプレーする。今も野球にしがみついているのは、あんな経験をもう一度してみたいとおもっているからでしょうね」

村上は今も指導者として、「10.19」決戦のような痺れる経験を求め、同時にそれを次世代に経験させたいと思っているのではないでしょうか。

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【名言語録その2】

「パリーグにはそんなにいないかも知れないですが、宮城の方が断然いいので」

2024年の福岡ソフトバンクホークスと横浜DeNAベイスターズによる日本シリーズで、ホークスの打撃コーチを務める村上は、ベイスターズの左腕東克樹について問われて、上記のように答えました。宮城というのはオリックスバファローズの左腕宮城大弥のことです。どちらもリーグを代表する左の好投手ですが、第3戦で東が好投すると、一部のファンがSNSなどで村上を批判しはじめました。

この件はプロ野球のオールドファンたちに、ある事件を思い出させました。それは1989年の読売ジャイアンツと近鉄バファローズによる日本シリーズで起こりました。3連勝して悲願の日本一に王手をかけたバファローズですが、3戦目に好投した加藤哲郎が「大したことなかったですね。シーズンの方がしんどかったですからね」と発言したものが、いつの間にか「巨人はロッテより弱い」(ロッテはこの年、パリーグ最下位)と言ったことになり、奮起したジャイアンツがそこから4連勝して日本一に輝いたというものです。

この時、村上もバファローズの選手として活躍しており、今はなき近鉄がもっとも日本一に近付いたシリーズでした。それを思い出させる事件に、かつて矢面に立った加藤は「村上、いらん事いわんでええねん。記者もいらん事聞かんでええねん」とぼやきました。

おそらく村上としては、日ごろから宮城のような好投手と対決しているのだから、東といえど委縮するような相手じゃないと、選手たちにも伝わるようにこのような発言をしたのでしょう。

いずれにしても、かつてのバファローズの歴史を知っている村上ですから、あえてバファローズの宮城の名を出したことも含めて、確信犯的に選手を鼓舞し、オールドファンを盛り上げるつもりがあったのかもしれません。

 

【名言語録その3】

「今回の一件で、彼らの夢を閉ざしたくはありません」

2010年に村上が指揮をとった独立リーグの大阪ゴールドビリケンズに所属していた8選手が、賭博に関わったということでチームを去り、球団経営もスポンサーが離れたことで厳しくなりました。選手不足のため村上自身が選手として打席に立ち、コーチの石毛博史もマウンドに立ちました。すべては独立リーグからNPBを目指す選手のためでした。

その後も村上は大阪06BULLS(現大阪ゼロロクブルズ)で監督を務め、そこでもバファローズの「いてまえ打線」の精神が反映されています。

「基盤になるのは近鉄の野球だと思います」

「バットをしっかり振れる土壌を作る。しっかり土台を作っておかないと、というところでバットを振り込ませることだと思います」

打のチームだった近鉄バファローズの遺産が引き継がれていることは、プロ野球の歴史として素晴らしいことだと思います。

「野球は失敗のスポーツだと思うんで、どんどん失敗していいと思うんです。でも失敗して、同じ失敗を繰り返しているんだったら何にもならないです。失敗を糧にして新しい課題を見つけて取り組んでいく、それで大きくなっていく」

「いてまえ打線」のDNAを持つ村上が、どんな打者を育てていくのか、これからも楽しみです。

 

名言からの学び

・どんな才能も時代に翻弄される

・激しさと優しさは裏腹である

・心の故郷に錦を飾る

 

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