真弓明信監督の凄さが分かる名言・語録集!イケメン野球人の伝説エピソードから人生哲学まで
トレードにより大きく運命を変える選手がいます。たとえば江夏豊はトレード先で野村克也と出会い、クローザーとして新たな活躍を果たしました。阪神タイガースのリードオフマンとして日本一に貢献し、監督としても活躍した真弓明信もトレードによって運命が変わったといえるでしょう。
クラウンライターライオンズから西武ライオンズへと球団が変わる目玉として、タイガースの主砲で人気だった田淵幸一、2度の開幕投手を務めた古沢憲司の二人を獲得するために、ライオンズは真弓明信、若菜嘉晴、竹之内雅史、竹田和史の四人を放出。ライオンズはマンガにもなる看板選手を得て、タイガースは真弓、若菜、竹之内という後にチームを支える選手たちを獲得しました。
なかでも真弓は俊足巧打の選手として、首位打者にもなり、1985年のタイガース日本一の時には3割30本塁打を放ち、強打の一番打者として大活躍し、更にタイガースの監督にまでなりました。
今回は球界屈指のイケメンであり、強打のリードオフマンとして活躍した真弓明信監督の凄さが分かる名言や語録を紐解き、その伝説エピソードから人生哲学にまで迫ります。
真弓明信ついて
まずは真弓明信の経歴を追ってみます。
1953年7月12日生まれ、福岡県大牟田市出身。柳川高校を卒業後、電電九州(現NTT九州野球クラブ)に入社。都市対抗などで活躍し、1972年のドラフト3位で西鉄ライオンズ(現埼玉西武ライオンズ)に入団します。
入団後すぐに西鉄から太平洋クラブに経営権が移りますが、西鉄時代の「黒い霧事件」の影響もあり、選手層が薄い中、2年目にはプロ初安打を記録します。翌1975年には解雇直前で監督の江藤慎一に才能を惜しまれ残留。経営がクラウンライターに変った77年から2年連続で100試合以上に出場し、俊足で内外野を守れる選手として活躍をし始めます。
1978年のオフにチームが西武ライオンズとなった時、「黒い霧事件」の悪いイメージを払拭するために、新生ライオンズとして看板選手獲得に動き、タイガースの主砲田淵幸一に白羽の矢が立ち、真弓は若菜、竹之内らと共にトレードとなります。
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タイガースに移籍した真弓は若菜と共に一気にレギュラーを獲得。竹之内も活躍します。特に真弓は長打力も発揮しはじめ、サイクル安打も記録します。1983年には首位打者に輝き、85年には3割30本塁打を越え、タイガースの日本一に大きく貢献しました。移籍以来13年連続で二桁本塁打を記録し、タイガースの顔のひとりとなりますが、1995年シーズン限りで引退します。
現役通算23年間で1888安打、292本塁打、200盗塁、打率.285。首位打者1回、ベストナイン3回。通算先頭打者本塁打41本は歴代2位の記録です。また代打3打席連続本塁打は真弓を含めて過去2人しかいません。
引退後は解説者となり、2000年から04年は近鉄バファローズ(現オリックスバファローズ)のコーチに就任。2009年から11年までタイガースの監督になります。
監督通算3年間で213勝、Aクラス1回でした。その後は再び解説者をしています。
私が選ぶ、真弓明信の凄さがわかる名言・語録
【名言・語録その1】
「それぞれが自分の役割に徹して、その役割をきちっとこなすことができる技術を持ったチームだったことも、大きかったと思います」
真弓は1985年のタイガース優勝についてそう語っています。真弓の他、ランディ・バース、掛布雅之、岡田彰布らの強打によって押し切るチームというイメージですが、当時の関係者は口をそろえてそうではないと言い、選手たち自らが自分の役割を考えたプレーをしていたと語ります。
チームプレイというと互いに仲が良く、コミュニケーションがとれているチームというイメージを抱きがちです。しかし過去の例からすると、個性の強い集団では、それぞれが自分の存在価値を示すために果たすべき役割をこなしていくことで、チームプレイを成立させることも多いようです。
チームプレイとは仲良し軍団になることではなく、目的に向けて機能的な集団になるということです。
その際に重要なのが役割分担です。真弓の役割は先頭打者として、相手投手を攻略するための先陣を切ることなのですが、歴代2位の先頭打者本塁打を放ち、首位打者も獲得したことからすれば、十分すぎる活躍だったと言えます。
【名言・語録その2】
「完璧を目指すとまずスランプになる」
引退後に掛布との対談で発した言葉です。真弓によれば現役時代の本塁打はほとんどスライダーを打ったものだったそうです。当時はスライダーの全盛期で、カウント球として外角のスライダーを投げる投手がたくさんいました。真弓はそのスライダーを狙い、「甘くきたら絶対に逃さない」ことで本塁打を量産しました。
指導者となり、自分のやっていたことを選手に伝えた真弓ですが、選手たちは「ストライクからボールになるスライダーに手を出して凡打」してしまうのだそうです。
ただ漠然とスライダーを狙うのではなく「甘い」というのが、どの辺りなのか、自分なりに具体的な基準を持たなければ、むしろスライダーの餌食になる。そこが一流と二流の境目なのでしょう。
1983年に首位打者を獲得した時、シーズン終盤で調子を落とした真弓に対し、当時の安藤統男監督から欠場を勧められたものの、真弓はそれを断り、試合に出続けて首位打者をとりました。
前出の言葉は裏を返せば、常に完璧などない、ともいえるわけで、どんな技術も理想形ばかり追い求めると躓くというのは、ひとつの真理だろうと思います。だからこそ難しい球よりも、「甘い」球を確実に打つことが、より結果につながるのでしょう。
【名言・語録その3】
「それこそ100人が100人、「ここはバントだな」と思うところで、バントのサインが出せる。それが私の野球です」
監督としての真弓の評価は決して高いとはいえないようです。
「甲子園の特性を考えれば、ホームランは多く期待できない。だったら走塁がカギを握る。そういう考え方でいくしかないやろね」
「守りについては1点でも少なく、できれば0点に抑えるという考え方が一番勝ちに近いんじゃないかなと思っています。そして攻撃ではヒットが出なくても1点を取れる」
これらの言葉から、真弓の目指す野球が日本野球のセオリーに忠実なものであることがうかがえます。いわば「王道」です。そのような野球は選手個々が勝ち方や処し方を知っている常勝チームや大人なチームの戦い方です。
ただそんなチームは一朝一夕で出来るものではありません。チームとして様々な積み重ねが必要でした。
2001年9月26日、真弓が打撃コーチを務めていたバファローズが、勝てば優勝という試合で、9回裏5対2でビハインドの場面を迎えました。代打に指名された北川博敏に真弓は「もうフォークかスライダーしかねぇんだから、あれを巻き込んで上にあげろ」とアドバイスしたそうです。
ダブルプレイを避けるため、まさにスライダーを巻き込んで打ち上げた結果、史上初の代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打になりました。
その場面で一番必要な「王道」は次につなぐことでした。ダブルプレイを避ける意図を明確に伝えるのは大事です。
そして真弓はコーチとして現役時代に得意としていたスライダー打ちのコツを選手に教えていたはずで、そのふたつが重なり、北川の結果に結びついているのです。
もちろん打った北川が凄いのですが、少なくともそんな劇的な結末に導く一端を、真弓が担っていたのだと言えると思います。
BBM2013 タイガース・レジェンド 150枚限定パラレルカード No.69 真弓明信
名言からの学び
・チームプレイはひとつの目的を共有した機能的な行動から生まれる。
・完璧は理想の更に先にある。
・因果の積み重なりが結果を生む。
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