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松井裕樹の凄さが分かる名言・語録集!天才奪三振投手の伝説エピソードから努力論まで

高校球児の憧れの地、甲子園球場。1915年から始まった甲子園大会は、100年を越える全国の球児たちの祭典です。歴史ある大会の中では、球児たちが熱いプレーを見せ、さまざまな記録が生まれています。そのなかのひとつに、1試合で10連続奪三振、1試合22奪三振という見事な大会記録があります。それを記録したのが松井裕樹です。

身長174cmとプロの投手としては小柄な松井ですが、プロ入りしてからも投球イニング数を大きく上回る奪三振を記録し、若きクローザーとして5年間で139セーブをあげ、最多セーブ投手にも輝きました。

2020年シーズンにはルーキーイヤー以来の先発に挑戦しましたが、コロナウイルス禍による変則日程とチーム事情もあり、10月には再びリリーフに回っています。本格的な先発として活躍するのは2021年以降に持ち越しとなったようです。

今回は天才奪三振投手の松井裕樹の凄さが分かる名言や語録を紐解き、若きセーブ王の伝説エピソードから努力論にまで迫ります。

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松井裕樹について

まずは松井裕樹の経歴を追ってみます。

1995年10月30日生まれ、神奈川県横浜市出身。中学生の時、シニアチームで全国大会優勝。桐光学園高校に入学するとすぐに公式戦に登板し、秋にはエースとなります。2012年には激戦の神奈川大会を勝ち抜き、夏の選手権大会に出場。1回戦で10連続奪三振、計22奪三振という大会記録を達成。その後も2試合連続毎回奪三振など一躍注目の的となります。2013年のドラフト会議ではドラフト1位で5球団競合の末、東北楽天ゴールデンイーグルスに指名され、入団します。

ルーキーイヤーはキャンプから1軍入りをするも、3連敗をするなどしましたが、4勝をあげてこの年の新人では最多の奪三振を記録します。2015年、クローザー候補のミコライオが故障し、クローザーに抜擢されます。高卒2年目としては過去最多となる33セーブをあげ、以降2017年まで3年連続30セーブ以上を記録します。

2018年は救援失敗が続いたことからセットアッパーとして起用され、更にはルーキーイヤー以来の先発も経験しますが、5勝5セーブで終わります。2019年はクローザーとして再起をはかり、自己最多となる38セーブをあげ、見事に最多セーブ投手に輝きました。

2019年シーズン終了時点まで、プロ通算6年間で18勝139セーブ53ホールド、防御率2.62。最多セーブ投手1回。

2020年は本人の希望もあり、先発投手として起用されましたが、コロナ禍による調整不足などもあり、結果を残せず2軍で調整し、10月には再びリリーフ陣に加わっています。

 

私が選ぶ、松井裕樹の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「リスクの問題なんで。もちろん、バットに当てさせないほうがそれは低くなりますし、やっぱり三振は狙っていきますね」

投手にとって三振は一番リスクの少ないアウトです。内野ゴロならば捕球して送球し、更に捕球してひとつのアウトが成立します。手間がかかる分、エラーも起こりますし、イレギュラーバウンドすることもあります。しかし三振ならば捕手が捕球すれば終わりです。

松井といえば高校時代から奪三振で有名です。甲子園大会では奪三振率17.00であり、完投すれば1試合あたり17個もの三振を奪う計算になります。ボールが転がれば何かが起こると、とにかく当てにくるバッターもいる中での数字ですから驚異的です。

松井はプロ入り後も、イニング数を越える三振を奪っています。2017年4月25日のマリーンズ戦では3者連続3球三振を奪っていますが、実は2019年終了時点でプロ野球史上わずかにのべ19人しか記録していない希少な記録です。完全試合達成者が15人であることと比較すれば、いかに珍しい記録かわかります。

三振を取れるというのは、いい投手であることの絶対条件ではないですが、三振が欲しい場面でそれを奪えるというのは、投手としての大きな武器を持っていると言えるでしょう。

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【名言語録その2】

「9回以外は投げるつもりはない、って気持ちでやっているんで」

ルーキーイヤーは先発として起用され、2年目からクローザーに抜擢された松井ですが、それからわずか5年で139セーブをあげています。その間、所属しているイーグルスは必ずしも強いチームではなかった中での数字だけに、素晴らしい活躍だったと言えるでしょう。

その松井も2020年はシーズン当初、先発陣の一角としてローテーションに入りました。しかし結果は出せず、10月にはチーム事情もあり、リリーフに戻りました。

先発と抑えの両方で活躍した投手は、江夏豊や大野豊、郭源治、鈴木孝政、上原浩治など、たくさんいますが、ほとんどは若い頃に先発をして後に抑えになっているパターンで、初めに抑えを経験して先発でも活躍した投手は少なく、セットアッパーから先発に回った大野豊や、ルーキーイヤーに先発でも抑えでも使われた佐々岡真司など、成功例は少数です。

先発と中継ぎ、そして抑えは、それぞれまったく別物だとよく言われます。それはホームランとアベレージの両立が難しいのと同様に、違う技術や要素が必要なのでしょう。

しかしまだ若い松井だけに、さまざまな経験を糧として、活躍を期待したいところです。

 

【名言語録その3】

「いつまでも力投型で投げ続けられない。いつかは変えないとダメだと思っていた」

松井の特長といえば強い腕の振りです。甲子園で対戦し、19三振を喫した常総学院高校の監督である佐々木力は「あんなに全球、思いきり腕を振ってくる投手は見たことがない」と話し、松井が得意とする大きく曲がるスライダーについて「あれだけ振られると、やっぱり手が出ちゃうでしようね」と語っています。

また横浜高校の監督だった渡辺元智は「8分ぐらいで放ったら彼本来の投球ができなくなっちゃいますからね」と分析しています。

投手の中には変化球を投げる際に、速球よりも腕の振りが緩くなる場合があります。打者にとってそのわずかな緩みが球種を知り、タイミングを修正するポイントになってしまいます。したがって最高の変化球は、速球と変わらない力強い腕の振りから、緩く抜かれたボールが来ることです。

2020年に先発へ転向した松井ですが、先発として回数を投げることを意識しすぎたのか、球数を少なくし、打たせて取るために「力投」をしなくなりました。しかしそれは松井の特長である強い腕の振りをも消してしまい、痛打を浴びるケースが見られました。

9月に先発として最後の勝ち星をあげた際には、行けるところまで飛ばすという覚悟を持ち、抑えの時のように強く腕を振る姿が見られました。先発としてはまだ試行錯誤が続くでしょうが、リリーフに戻るにせよ、再び先発にチャレンジするにせよ、この経験は間違いなく貴重なものになるだろうと思います。

 

名言からの学び

・秀でた武器を持つことが、勝ち抜くための一歩である。

・それまでと違った経験をすることは、引き出しを増やすことになる。

・立場が変わっても、自分の長所は忘れない。

 

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