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松井秀喜の年俸推移や生涯年収総額は?選手としての特徴や性格が分かるエピソードも!


松井秀喜さんと言えば「ゴジラ」の愛称で親しまれています。

本家の如く爆発的な打撃力を武器に読売ジャイアンツの第62代4番打者を務め、数々のタイトルを獲得しました。
また、海を渡ったメジャーリーグではニューヨーク・ヤンキースの主砲として日本人初のワールドシリーズMVPに輝くなど活躍し、日米通算507本塁打を放ちました。

今回はそんな松井さんの年俸推移や生涯年俸総額から、選手としての特徴や性格が分かるエピソードまでまとめました。

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松井秀喜さんのプロフィールや選手としての特徴

早速ですが、松井秀喜さんのプロフィールを確認していきましょう。

職業:元プロ野球選手・野球解説者・ヤンキースGM特別アドバイザー
生年月日:1974年6月12日
身長:188cm
出身:石川県
最終学歴:星稜高等学校
血液型:O 型

1974年(昭和49年)6月12日生まれ、石川県能美郡根上町(現・能美市)出身。星稜高校を経て、1992年のドラフト会議で4球団による競合の結果、ドラフト1位で読売ジャイアンツに入団しました。

プロ1年目は開幕を2軍で迎えましたが、5月には1軍昇格。一時期2軍に降格しますが、この年はセリーグ新人最多本塁打記録となる11本のアーチを描きました。

翌94年以降は開幕戦からスタメンで出場し、02年オフにFAでニューヨーク・ヤンキースに移籍するまで3番ないし4番を打ち、巨人在籍10年で日本シリーズMVP1回、セリーグMVP3回、首位打者1回、本塁打王3回、打点王3回と打撃主要タイトルを獲得しました。

メジャーリーグではヤンキースを皮切りに4球団に所属しました。ヤンキース所属最終年となった09年のワールドシリーズで3本塁打を放ち、第6戦ではシリーズ最多タイとなる1試合6打点を記録しました。チームを27度目のワールドチャンピオンに導き、日本人初となるMVPを獲得しました。

その後は1年ごとに移籍をし、レイズに所属した12年を最後に引退しますが、メジャーリーグ通算.282、175本塁打、760打点の成績を残し、日本人の長距離打者がメジャーでも通用することを証明しました。

 

松井秀喜さんの年俸推移と生涯年収総額は?

つづいて、松井さんの年俸推移と生涯年収総額を成績と一緒に見ていきましょう。

年度 年齢 所属チーム 年俸 打率 試合数
1993年 19歳 巨人 720万円 0.223 57
1994年 20歳 巨人 1900万円 0.294 130
1995年 21歳 巨人 6200万円 0.283 131
1996年 22歳 巨人 8000万円 0.314 130
1997年 23歳 巨人 1億6000万円 0.298 135
1998年 24歳 巨人 2億2000万円 0.292 135
1999年 25歳 巨人 2億8000万円 0.304 135
2000年 26歳 巨人 3億5000万円 0.316 135
2001年 27歳 巨人 5億0000万円 0.333 140
2002年 28歳 巨人 6億1000万円 0.334 140
日本通算 22億8820万円 0.304 1268
2003年 29歳 ヤンキース 7億0000万円 0.287 163
2004年 30歳 ヤンキース 7億0000万円 0.298 162
2005年 31歳 ヤンキース 7億0000万円 0.305 162
2006年 32歳 ヤンキース 13億0000万円 0.302 51
2007年 33歳 ヤンキース 13億0000万円 0.285 143
2008年 34歳 ヤンキース 13億0000万円 0.294 93
2009年 35歳 ヤンキース 13億0000万円 0.274 142
2010年 36歳 エンゼルス 6億0000万円 0.274 145
2011年 37歳 アスレチックス 4億2500万円 0.251 141
2012年 38歳 レイズ 9000万円 0.147 34
MLB通算 84億1500万円 0.282 1236
合計 107億320万円 0.293 2504

720万円でスタートした年俸は順調に上がっていき、打率.314、38本塁打、99打点を記録してセリーグMVPに輝いた96年オフには1億円の大台を突破しました。高卒5年目での1億円突破は、現在でも坂本勇人選手と並び巨人史上最速となっています。

97年オフには2億円、99年オフには3億円を突破し、2度目のセリーグMVPと本塁打王、打点王を獲得した00年オフには5億円に達しました。この年は打率.316、42本塁打、108打点と打ちまくり、日本シリーズMVPにも輝きました。

プロ野球史上最高年俸(当時)の6億1000万円となった02年シーズン終了後にFA権を行使し、日本の名門・巨人から米国の名門・ヤンキースへ移籍することとなりました。

ヤンキースでの7年間では左手首の骨折や足の故障に悩みながらも結果を残し、3年目にはメジャーリーグでのキャリアハイとなる31本塁打、4年目には116打点をマークしました。いずれも日本人野手最多記録です。

7億円でスタートしたメジャーリーグでの年俸は4年目から13億円になり、ワールドシリーズでのMVPなどその年俸に恥じない成績を収め、日本人の長距離打者でもメジャーリーグで活躍できる勇気と希望を与えてくれました。

ヤンキースを離れてからの3年間はマイナー契約も経験しましたが、エンゼルスでは日米通算1500打点、アスレチックスでは日米通算500本塁打を達成しました。

現役最終年となったレイズでの12年はメジャーリーグでの自身最低年俸となる9000万円でプレーし、打率が1割台に低迷したことが理由で7月下旬に戦力外通告を受け、8月上旬に自らの希望で自由契約となりその年限りで引退しています。

生涯年俸総額は日本では22億8820万円、米国では84億1500万円の計107億320万円と普通に暮らしているだけでは想像もできない金額であり、「ゴジラ松井」が日米両国で残した素晴らしい成績を表しているのではないでしょうか。

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松井秀喜さんの性格が分かるエピソードとは?

松井さんはスーパースターでありながらも、チームのことを第一に優先する選手でした。巨人とヤンキースという日米の伝統球団でプレーした経験から「ずっと勝つことを求められるチームで、勝つことだけを目標にプレーしてきた」と話したこともあります。

特にメジャーリーグでプレーするようになってからは、日本での実績を捨ててチームプレーに徹しました。無死二塁で打席に入ればゴロを打ち走者を進める自己犠牲の打撃をして、自分が打たなくても1点でも多くチームに得点が入るようにプレーし、数字には表れない貢献をしてきました。

日本時代にもこんなエピソードがあります。松井さんはヤクルトのペタジーニと本塁打王争いをしていましたが、直接対決となった10月5日のヤクルト戦の先発マウンドには当時ルーキーだった上原浩治さんが上がり、ペタジーニを全打席敬遠するようベンチから指示がありました。

ベンチからの指示に反発し、最初の2打席を勝負して打ち取った上原さんは3打席目で敬遠した直後に悔しさから涙を流してマウンドを蹴り上げました。

松井さんはセンターの守備位置からその光景を見て「ベンチの指示だけれども勝負しろよ。打たれたっていいじゃない」と思っていたとスポーツ番組で明かしています。

数々の記録を残していますが、個人成績に拘らずチームを第一に考える松井さんの気持ちが表れたエピソードではないでしょうか。

 

松井秀喜さんのことが更に好きになる豆知識

日米で活躍した松井さんですが、遅刻癖があります。巨人では集合時間の30分前に集合する「ジャイアンツタイム」なるものが存在しますが、松井さんは若手時代からたびたびその時間に間に合わないことがありました。

原辰徳さんや落合博満さん等、錚々たるメンバーが揃う中、時間に遅れて現れた松井さん。最後にバスに乗り込み最前列に座る長嶋監督の横に座ることもあったそうです。

その遅刻癖はオールスターゲームでも発揮され、95年は広島行きの飛行機に乗り遅れ、02年は東京から松山行きの飛行機に乗り遅れています。遅刻したにも関わらず試合では結果を残し、95年は優秀選手賞、02年はMVPを獲得する活躍を見せました。

このように遅刻しても動じない心で結果を残す一面があり、自分のペースを守ることが活躍に繋がったのではないでしょうか。

 

まとめ

・松井秀喜さんの巨人時代の年俸は720万円からスタートして最終年度は6億1000万円、メジャーリーグでは7億円からスタートし、生涯年俸総額は107億320万円。

・日本では打撃主要タイトルを複数獲得し、米国では日本人初のワールドシリーズMVPに輝いている。

・個人の成績よりもチームを優先し、チームが勝利するためにプレーをした。

・遅刻癖があったが、動じない心でプレーし活躍をした。

 

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