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千葉ロッテマリーンズの歴代キャッチャー(捕手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

千葉の地で躍動してきた千葉ロッテマリーンズ。

今回はその千葉ロッテマリーンズの歴代キャッチャーをリサーチして、千葉ロッテマリーンズ歴代最強のキャッチャー(捕手)について成績や年俸をまとめてみました。

記憶に残る活躍を見せてきた選手たちの成績を振り返ってみましょう!

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千葉ロッテマリーンズの歴代キャッチャー(捕手)一覧まとめ!

まずは1950年以降、そのシーズンの主にキャッチャーを守った選手を確認してみましょう。

選手名 背番号 試合数 打率 本塁打 打点 タイトル
1950 土井垣武 19 112 0.322 15 72 ベストナイン
1951 土井垣武 19 103 0.268 8 60 ベストナイン
1952 土井垣武 19 119 0.296 13 43 ベストナイン
1953 土井垣武 19 92 0.264 6 56
1954 ルイス 28 130 0.293 15 90 ベストナイン
1955 ルイス 28 135 0.261 9 73 ベストナイン
1956 佃 明忠 20 70 0.198 11 25
1957 醍醐 猛夫 24 113 0.228 4 23
1958 醍醐 猛夫 24 92 0.190 0 11
1959 谷本 稔 20 105 0.276 10 46
1960 谷本 稔 20 107 0.265 3 43
1961 谷本 稔 27 110 0.258 10 52
1962 谷本 稔 27 99 0.266 7 48
1963 谷本 稔 27 137 0.285 9 51
1964 醍醐 猛夫 24 117 0.273 5 44
1965 醍醐 猛夫 24 140 0.248 15 56
1966 醍醐 猛夫 24 134 0.213 6 45
1967 醍醐 猛夫 24 124 0.217 2 26
1968 醍醐 猛夫 24 123 0.210 8 32
1969 醍醐 猛夫 24 130 0.262 9 47
1970 醍醐 猛夫 24 127 0.242 5 49
1971 醍醐 猛夫 24 124 0.267 10 42
1972 醍醐 猛夫 24 70 0.210 5 15
1973 村上 公康 28 110 0.278 5 28
1974 村上 公康 28 94 0.246 9 34 ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞
1975 村上 公康 28 102 0.240 6 25
1976 村上 公康 28 110 0.237 6 25
1977 村上 公康 28 102 0.241 4 18
1978 高橋 博士 1 88 0.263 5 30
1979 土肥 健二 43 58 0.282 5 18
1980 高橋 博士 1 111 0.248 5 20
1981 土肥 健二 43 104 0.265 7 28
1982 袴田 英利 12 96 0.208 2 19
1983 袴田 英利 12 89 0.231 5 23
1984 袴田 英利 12 127 0.259 5 49
1985 袴田 英利 12 129 0.242 8 50
1986 袴田 英利 12 119 0.244 9 38
1987 袴田 英利 12 117 0.212 3 16
1988 袴田 英利 12 110 0.250 3 23
1989 福澤 洋一 66 98 0.173 0 8
1990 青柳 進 59 87 0.227 6 20
1991 青柳 進 59 74 0.222 1 9
1992 青柳 進 59 107 0.245 9 41
1993 青柳 進 59 97 0.223 5 21
1994 定詰 雅彦 45 106 0.179 2 23
1995 定詰 雅彦 45 112 0.158 3 20
1996 田村 藤夫 22 95 0.166 1 8
1997 吉鶴 憲治 44 98 0.229 1 8
1998 吉鶴 憲治 44 86 0.235 4 25
1999 清水 将海 8 107 0.219 1 23
2000 橋本 将 33 77 0.214 2 26
2001 清水 将海 8 123 0.188 1 22
2002 清水 将海 8 92 0.257 1 24
2003 里崎 智也 22 78 0.319 8 39
2004 橋本 将 33 93 0.221 13 38
2005 里崎 智也 22 94 0.303 10 52
2006 里崎 智也 22 116 0.264 17 56 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2007 里崎 智也 22 127 0.270 14 75 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2008 里崎 智也 22 92 0.261 15 45
2009 里崎 智也 22 124 0.234 10 49
2010 里崎 智也 22 78 0.263 10 29
2011 里崎 智也 22 109 0.222 5 25
2012 里崎 智也 22 120 0.244 9 41
2013 里崎 智也 22 48 0.224 3 17
2014 田村 龍弘 45 50 0.156 0 10
2015 田村 龍弘 45 117 0.170 2 32
2016 田村 龍弘 45 130 0.256 2 38 ベストナイン
2017 田村 龍弘 22 132 0.248 3 36
2018 田村 龍弘 22 143 0.239 3 35
2019 田村 龍弘 22 100 0.243 3 31
2020 田村 龍弘 22 92 0.217 4 23
2021 田村 龍弘 22 70 0.235 0 14
2022 松川 虎生 2 76 0.173 0 14
2023 佐藤都志也 32 103 0.218 4 22
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1950年代

戦前戦後に大阪タイガース(後の阪神)でプレーしていた土井垣武選手が49年オフに加入し、50年から53年までレギュラーとして起用され、50年と52年に二桁本塁打を記録しました。

54年からの2年はハワイ出身のチャーリー・ルイス選手がマスクを被り、2年連続でベストナインに選出されましたが、55年限りで退団しました。

56年は3選手によるレギュラー争いを制して佃明忠選手がポジションを掴みましたが、その1年後に早稲田実業の後輩だった醍醐猛夫選手の後塵を拝すこととなり、醍醐選手は2年間務めた後、打撃不振を理由に谷本稔選手にレギュラーを奪われました。

1960年代

谷本選手は63年までレギュラーを務め、60年のリーグ優勝に貢献する等、活躍していましたが、64年に課題の打撃を伸ばしていた醍醐選手がレギュラーに返り咲きました。

谷本選手が阪神に移籍した65年以降は不動のレギュラーとして出場を続け、優れていた捕球技術で投手陣を引っ張りました。

1970年代

71年に自身2度目となる二桁本塁打を記録した醍醐選手でしたが、72年に西鉄からトレードで加入した村上公康選手にレギュラーを奪われ、村上選手は77年シーズン限りで引退するまで起用され、優勝した74年はベストナインを受賞しました。

村上選手の後はレギュラーを固定することはできず、内外野すべて守れる高橋博士選手や出場機会を求めて外野に挑戦したこともある土肥健二選手が主に起用され、78年はそれまで南海一筋だったレジェンド・野村克也選手も在籍し、上述した2人ともに起用されました。

1980年代

高橋選手、土肥選手ともに定着しきれずにいると、82年にレギュラーを掴んだのは77年のドラフト1位だった袴田英利選手でした。プロ5年目の82年に自己最多となる96試合に出場、84年からはレギュラーを務めた88年まで連続して100試合以上に出場して、堅実なリードで投手陣を支えました。

89年は前年にドラフト外で入団していた福澤洋一選手が袴田選手に代わって起用されるようになりました。

1990年代

90年は福澤選手が開幕からマスクを被りましたが、プロ4年目だった青柳進選手の起用が増え、複数の選手が併用されるシーズンが続き、青柳選手は92年に自己最多となる102試合に出場しました。

94年になるとプロ1年目だった91年から着実に出場機会を増やしていた強肩が武器の定詰雅彦選手がポジションを掴み、2年続けて100試合に出場しましたが、96年は前年オフに日本ハムからトレードで加入した経験豊富なベテランキャッチャー・田村藤夫選手にポジションを奪われました。

その田村選手は同年オフにFAでダイエーに移籍し、定詰選手は阪神にトレードで移籍、青柳選手は95年にヤクルトへ移籍しており、キャッチャーの入れ替わりが激しい期間を迎え、97年からは96年途中に中日からトレードで加入していた吉鶴憲治選手と96年のドラフト会議で青山学院大学から逆指名で入団した清水将海選手がレギュラー争いを繰り広げ、併用されるシーズンが続きました。

2000年代

レギュラー争いに高校通算40本塁打を誇る左打ちの橋本将選手が加わり、三つ巴のレギュラー争奪戦でしたが、01年に123試合に出場した清水選手が一歩リードしたかに思えました。

しかし、03年オフに95年に監督を務めていたボビー・バレンタイン監督が再就任すると打撃に難があった清水選手ではなく、橋本選手と03年に78試合の出場ながら打率.319だった里崎智也選手が起用されるようになり、里崎選手は打てるキャッチャーとして4番を打つこともあり、打率.303を記録し、勝負どころでの一打を放つことが多く、シーズン2位からプレーオフを勝ち抜き、「下剋上日本一」を達成したチームの中心として活躍しました。

里崎選手は06年シーズン前のWBCの代表に選出され、大会ベストナインを受賞、シーズンでもベストナインとゴールデングラブ賞を受賞、翌07年も安定した成績を残してベストナインとゴールデングラブ賞に2年続けて選出されました。

2010年代

里崎選手はレギュラーとして出場を続け、ピッチャーに内角攻めを要求する強気のリードとパスボールの少ない安定した守備でチームを牽引し、打撃では12年にはプロ通算100号本塁打を放ちましたが、度重なる故障で徐々に出場機会が減り、引退した14年は高卒2年目だった田村龍弘選手の起用が増えていきました。

15年は田村選手が開幕スタメンを勝ち取り、117試合に出場、翌16年は6月に月間MVPを受賞する等、年間通して出場を続け、ベストナインに輝きました。

田村選手がレギュラーを務めるシーズンが続いていましたが、20年と21年シーズンに相次いで怪我に見舞われ、22年は開幕前に負傷した田村選手に代わって前年のドラフト会議で1位指名を受け、和歌山高校から入団した松川虎生選手がプロ野球史上3人目となる高卒新人の開幕スタメン果たし、同年4月の佐々木朗希投手の完全試合に史上最年少かつ新人選手として初めて携わりました。

76試合に出場した松川選手でしたが、23年はプロの壁にぶつかり、ファーストを兼任しながら佐藤都志也選手が多く起用されました。

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千葉ロッテマリーンズの歴代キャッチャー(捕手)年俸ランキング!歴代最高年俸は里崎智也選手の1億6000万円!

ここで千葉ロッテマリーンズの歴代キャッチャーを年俸で順位付けしてみました。なお、年俸と成績はキャッチャーのレギュラーとして出場したシーズンの数字を記載しています。

順位 年度 選手名 年俸 打率 試合
1 2013 里崎 智也 1億6000万円 0.224 48
2 2019 田村 龍弘 7200万円 0.243 100
3 1996 田村 藤夫 4500万円 0.166 95
4 2002 清水 将海 3120万円 0.257 92
5 2023 佐藤 都志也 3100万円 0.218 103

 

ここでは千葉ロッテマリーンズの歴代キャッチャーを年俸で順位付けしてみました。なお、年俸と成績はキャッチャーのレギュラーとして出場したシーズンの数字を記載しています。

多数の選手が守りについた千葉ロッテマリーンズのキャッチャーのポジションで、歴代1位の年俸だったのは里崎智也選手でした。レギュラーを務めた選手で唯一1億円を超えており、06年の第1回WBCでベストナインに輝いた実績を持ち、長年レギュラーを務めた実力者が13年の年俸1億6000万円で1位に輝きました。

2位は里崎選手からポジションを引き継いだ田村龍弘選手で、レギュラー3年目だった16年はベストナインを受賞、毎年100試合を超える出場を果たして、19年は7200万円でプレーしました。

3位は96年に1年だけマスクを被った田村藤夫選手です。長年日本ハムで主戦級として活躍していたベテランキャッチャーは96年に金銭トレード加入、4500万円でプレーしましたが、同年オフにFAでダイエーに移籍しました。

4位は清水将海選手。96年のドラフト会議で逆指名により入団し、1年目から出場機会を得て、99年にレギュラーの座を掴みました。01年に123試合に出場して同年オフに年俸は3120万円となり、迎えた02年は92試合の出場に止まりました。

5位にランクインしたのは佐藤都志也選手でした。ファーストも守れる左打ちのキャッチャーで、22年に松川選手と併用され、キャッチャーで84試合、ファーストで50試合に出場し、リーグトップの盗塁阻止率を記録し、23年は年俸3100万円でのプレーとなりました。

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私が思う歴代最強の千葉ロッテマリーンズのキャッチャー(捕手)は里崎智也選手!

多くの選手がマスクを被り、チームを支えた千葉ロッテマリーンズのキャッチャーで、歴代最強のキャッチャーは00年代半ばから主力として活躍した里崎智也選手だと考えます。

ここで、里崎智也選手のプロフィールを確認していきましょう。

職業:元プロ野球選手・野球解説者・YouTuber
生年月日:1976年5月20日
身長:175cm
出身:徳島県
最終学歴:帝京大学
血液型:A型

1976年(昭和51年)5月20日生まれ、徳島県鳴門市出身。鳴門工業高校から高校で帝京大学へ進み、98年のドラフト会議で逆指名による2位で千葉ロッテマリーンズに入団しました。

プロ1年目は左手首の骨折に見舞われ一軍出場はなく、2年目だった00年に一軍デビューを果たしましたが、2年目4試合、3年目9試合、4年目12試合と出番を得ることができないシーズンが続きました。

03年に打力を買われて出場機会を増やし、規定打席未到達ながら打率.319を記録、翌04年は膝の負傷により苦しいシーズンとなりましたが、04年に就任したボビー・バレンタイン監督の方針で左打ちの橋本将選手と併用され、05年は対サウスポーの時にスタメンで出場して好成績を残し、レギュラー定着の足掛かりとなったシーズンとなりました。

06年のシーズン前に行われた第一回WBCでは正捕手として世界一に貢献してベストナインに選出され、勢いそのままにレギュラーシーズンでもベストナインを受賞する等、リーグを代表するキャッチャーに上り詰めました。

ロッテ一筋16年のプレーで、通算1089試合に出場し、打率.256、108本塁打、458打点を記録ベストナイン2回、ゴールデングラブ賞2回に輝き、パスボール(捕逸)を1000試合以上に出場したキャッチャーでは最小となる19個の収めて、攻守にわたってチームを長年支えた里崎智也選手が千葉ロッテマリーンズ史上歴代最強のキャッチャーと言えるでしょう。

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千葉ロッテマリーンズの歴代キャッチャー(捕手)に関する豆知識

22年に高卒ルーキーながら開幕スタメンを果たし、76試合に出場した松川虎生選手。24年はプロ3年目のシーズンとなりますが、これまでいくつかの快挙を達成しています。

21年のドラフト会議で1位指名を受け入団しましたが、公立校である市立和歌山高校でバッテリーを組んでいた小園健太投手もDeNAから1位で指名されており、プロ野球史上初となる同一高校のバッテリーが1位指名を受けるメモリアルなドラフト会議の主役となりました。

前述した22年の高卒ルーキーキャッチャーの開幕スタメン出場はプロ野球史上3人目、高卒ルーキー選手としては球団4人目でした。また、同年4月10日のオリックス戦で佐々木朗希投手とバッテリーを組んで完全試合達成のアシストをし、完全試合のキャッチャーではルーキーの選手として初、史上最年少、プロ7試合目は史上最少の出場試合数であり、20歳5か月の佐々木投手と18歳5か月の松川選手での達成は、「プロ野球における完全試合を達成したピッチャーとキャッチャーの最年少(合計年齢)」の記録として、ギネス記録に認定されました。

 


 


まとめ

・千葉ロッテマリーンズのキャッチャーは醍醐猛夫選手や里崎智也選手、田村龍弘選手が長くレギュラーを務めている。

・土井垣武選手やチャーリー・ルイス選手らがベストナインを受賞している。

・歴代で一番年俸が高かったのは、里崎智也選手の1億6000万円。

・里崎選手は第1回WBCでベストナインに選出され、シーズンでもベストナインとゴールデングラブ賞を2回ずつ受賞し、打撃では勝負強さ、守備では安定した守りを披露した歴代最強のキャッチャーである。

 

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