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ルイス・ロペスの凄さが分かる名言・語録集!広島史上最強助っ人の伝説エピソードから努力論まで

外国人助っ人選手のスカウティングに優れたチームはどこでしょうか?その有力な候補として広島東洋カープは間違いなく名前があげられる筈です。強肩強打のジム・ライトル、日本プロ野球初の左右両打席本塁打を記録したリッチー・シェーン、オールスターで1試合3本塁打のエイドリアン・ギャレット、最優秀防御率を獲得したネイサン・ミンチー、2年連続最多奪三振のコルビー・ルイス、沢村賞投手のクリス・ジョンソン、変わったところでは医学部で学びながら活躍したゲイル・ホプキンスなど、多彩な顔ぶれがいます。中でもカープ史上最高の助っ人と評価されているのがルイス・ロペスです。

ロペスがカープ最強の助っ人と評されるのは、2度の打点王に輝いたからだけではなく、一度カープを退団した後に、再びチームに乞われて復帰し、頼りになる打者として活躍したことが、強いインパクトを与えているのだろうと思います。

打席では妙にせわしなく振る舞い、いつもガムを噛んでいる不敵な印象のロペス。熱血漢ぶりが仇となったこともありましたが、カープで活躍して20年以上たった今も、最強助っ人として語り継がれています。

今回はルイス・ロペスの凄さが分かる名言や語録を紐解き、広島史上最強助っ人の伝説エピソードから努力論にまで迫りたいと思います。

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ルイス・ロペスについて

まずはルイス・ロペスの経歴を追ってみます。

本名ルイス・アントニオ・ロペス、1964年9月1日生まれ、アメリカ合衆国ニューヨーク州生まれ。1983年のMBLドラフトの2巡目でロサンジェルス・ドジャースに指名されて入団。1990年にメジャーリーグに昇格しますが、無安打のまま、翌1991年にクリーブランド・インディアンズ(現クリーブランド・ガーディアンズ)に移籍。メジャーで35試合に出場します。1994年にアトランタ・ブレーブス、1995年はインディアンズに復帰しますが、メジャー出場はありませんでした。

1996年に広島東洋カープに入団。勝負強い打撃で1996年から2連続打点王を獲得。1997年は最多安打も記録しました。しかしオフの契約交渉が上手くいかず、1998年は福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)に移籍。1999年からはアメリカ独立リーグのサマセット・パトリオッツでプレーしますが、2000年途中で打力不足に悩むカープのオファーに応え、カープに復帰。93試合で20本塁打を放ちます。2001年には32本塁打を記録しましたが、2002年の4月にチームメイトだった前田智徳と試合中の走塁を巡ってトラブルとなり謹慎。その後は調子を取り戻せず退団しました。

2003年から2年間、再び独立リーグのサマセット・パトリオッツでプレーし、引退。

メジャーリーグ通算2年間で18安打、打率.205。
日本プロ野球通算6年間で795安打、129本塁打、打率.303。打点王2回、最多安打1回。

引退後は東北楽天ゴールデンイーグルスの駐米スカウト、2軍打撃コーチ、横浜DeNAベイスターズの国際スカウトなどを歴任しています。

 

私が選ぶ、ルイス・ロペスの凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「タイトルや個人記録ではない。チームが勝つために、僕は自分の仕事をしなければならない」

打点王に2度輝き、3度100打点以上を叩き出すなど、とにかく勝負強かったロペス。当時のカープには緒方孝市、野村謙二郎、前田智徳、江藤智、金本知憲と、毎年のように3割を打てる好打者が打線の上位にそろっていました。そのためランナーのいる状態でロペスを迎えることが多く、必然的に打点が増えたのだと思います。

来日初年度から活躍したロペスですが、春のキャンプではまったく打球が前に飛ばず、スイッチヒッター初の3割打者高橋慶彦や鉄人金本知憲を育てた山本一義がスイングを指導。それにより一気に開眼しました。

成功できなかったとはいえ、メジャー経験があり、当時はまだ野球後進国と思われていた日本で、すでに32歳を迎えるロペスが日本のコーチの指導を素直に受け入れることは、なかなか心理的にも難しかった筈です。しかしその努力ができたからこそ、カープ最高の助っ人と呼ばれることになったのだと言えます。

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【名言語録その2】

「冗談じゃない」

2002年のシーズン前に、個人目標を聞かれたロペスは「打率3割5分、56本塁打、160打点」と答えました。前年、セリーグの首位打者は松井秀喜で打率.333。56本塁打は王貞治が持っていた当時の日本記録を上回ります。160打点は日本記録である小鶴誠の161打点には足りませんが、1999年にロバート・ローズが記録した助っ人1位となる153打点は越えます。つまり3冠王どころか、史上最高の助っ人になると宣言したわけです。

もちろんそれは意気込みとかリップサービスであって、現実を見据えた目標だとは誰も思いませんでした。その雰囲気を感じ取ったロペスは大真面目に言いました。「冗談じゃない」と。

この年、38歳となるロペスですが、前年にキャリアハイとなる32本塁打を記録していましたし、チームには緒方、野村、前田、金本らが健在であり、彼らの高い出塁率があれば十分に打点は稼げる可能性がありました。ゆえにロペスにとっては本気の目標だったのでしょう。

しかしその本気の熱量がトラブルを生み、カープ最強助っ人の運命の分かれ目になってしまいました。

 

【名言語録その3】

「なんで走らないんだ」

2002年4月6日の対中日ドラゴンズ戦、8回に前田智徳を2塁においてのロペスの打席。彼はセンター前にヒットを放ちましたが、ランナー前田は3塁でストップ。その後、ダッグアウト裏でロペスは前田につかみかかり「なんで走らないんだ」と詰め寄りました。

野村克也、落合博満、松井秀喜、イチローら、そうそうたる顔ぶれが天才打者と評価した前田ですが、1995年にアキレス腱を断裂して以来、足に不安があり、この前年はわずか27試合出場に留まっていました。更にこの日は雨混じりの天気でグラウンドのコンディションも悪く、暗黙の了解として前田には無理をさせないというのがありました。

前田の事情はチームで共有するチームオーダーであり、すでに5年間在籍するロペスがそれを知らない筈はありません。球団と山本浩二監督に事情を聞かれたロペスですが、謹慎10日を命ぜられ、その後は調子を取り戻せず、シーズン途中で退団してしまいました。

この件に関して、契約の歩合に関係するため打点が欲しかったからなど、いろいろと憶測が流れましたが、ロペスはそれを否定していますし、単に「熱くなった」というのが真相なのでしょう。プロにとって、熱さはプラスでもありマイナスでもあります。

しかし、そんな彼の熱心さを日本球界は理解していました。引退後もイーグルスの国際スカウトや打撃コーチを務め、近年は横浜DeNAベイスターズの国際スカウトとして、2023年にメジャー83勝のお騒がせ投手トレバー・バウアーの獲得を成功させるなど、日本との縁はまだ続いています。

 

名言からの学び

・経験や年齢に関係なく、謙虚に受け入れるべきものは受け入れる

・常に真剣に臨むことが大事である

・失敗もひとつのキャリアである

 

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