埼玉西武ライオンズの歴代ファースト(一塁手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!
常勝軍団としてパリーグを牽引してきた埼玉西武ライオンズ。
今回はリーグを代表するファーストが多く誕生した埼玉西武ライオンズの歴代選手の成績や年俸などを調べ、埼玉西武ライオンズ歴代最強のファーストについて紹介します。
名選手たちの歴史を一緒にチェックしていきましょう!!
目次
埼玉西武ライオンズの歴代ファースト(一塁手)一覧まとめ!
まずは1950年以降、そのシーズンの主にファーストを守った選手を一覧にしてみました。
年 | 選手名 | 背番号 | 試合数 | 打率 | 本塁打 | 打点 | タイトル |
1950 | 深見 安博 | 1 | 108 | 0.279 | 22 | 77 | |
1951 | 田部 輝男 | 26 | 66 | 0.241 | 3 | 28 | |
1952 | 田部 輝男 | 26 | 99 | 0.261 | 11 | 47 | |
1953 | 田部 輝男 | 26 | 92 | 0.216 | 4 | 22 | |
1954 | 河野 昭修 | 9 | 136 | 0.264 | 13 | 41 | |
1955 | 河野 昭修 | 9 | 141 | 0.244 | 3 | 28 | |
1956 | 河野 昭修 | 9 | 153 | 0.270 | 2 | 38 | |
1957 | 河野 昭修 | 9 | 131 | 0.247 | 1 | 28 | |
1958 | 河野 昭修 | 9 | 115 | 0.201 | 0 | 18 | |
1959 | 田中久寿男 | 28 | 90 | 0.219 | 4 | 27 | |
1960 | 田中久寿男 | 28 | 90 | 0.265 | 15 | 44 | |
1961 | 中西 太 | 6 | 99 | 0.304 | 21 | 54 | ベストナイン |
1962 | 井上 忠行 | 2 | 124 | 0.201 | 8 | 26 | |
1963 | ウイルソン | 27 | 127 | 0.255 | 20 | 67 | |
1964 | ウイルソン | 27 | 98 | 0.263 | 7 | 40 | |
1965 | アグリー | 10 | 115 | 0.282 | 24 | 72 | |
1966 | アギー | 10 | 115 | 0.234 | 11 | 30 | |
1967 | バーマ | 7 | 126 | 0.212 | 8 | 31 | |
1968 | 高木 喬 | 5 | 110 | 0.245 | 5 | 38 | |
1969 | 広野 功 | 3 | 113 | 0.232 | 20 | 55 | |
1970 | 広野 功 | 3 | 95 | 0.188 | 9 | 26 | |
1971 | 高木 喬 | 5 | 109 | 0.280 | 1 | 25 | |
1972 | 竹之内雅史 | 27 | 95 | 0.238 | 15 | 46 | |
1973 | 竹之内雅史 | 27 | 110 | 0.251 | 22 | 70 | |
1974 | 竹之内雅史 | 27 | 119 | 0.258 | 22 | 73 | |
1975 | 土井 正博 | 3 | 130 | 0.260 | 34 | 82 | 本塁打王 |
1976 | 鈴木 治彦 | 51 | 99 | 0.311 | 2 | 24 | |
1977 | ハンセン | 26 | 125 | 0.269 | 20 | 60 | |
1978 | ハンセン | 26 | 107 | 0.273 | 11 | 38 | |
1979 | 土井 正博 | 3 | 128 | 0.270 | 27 | 70 | |
1980 | 土井 正博 | 3 | 116 | 0.284 | 23 | 65 | |
1981 | スティーブ | 10 | 116 | 0.271 | 7 | 47 | |
1982 | 片平 晋作 | 4 | 117 | 0.277 | 14 | 47 | |
1983 | 片平 晋作 | 4 | 118 | 0.278 | 19 | 55 | ダイヤモンドグラブ賞 |
1984 | スティーブ | 10 | 129 | 0.338 | 20 | 101 | |
1985 | スティーブ | 10 | 125 | 0.315 | 11 | 61 | |
1986 | 清原 和博 | 3 | 126 | 0.304 | 31 | 78 | 新人王 |
1987 | 清原 和博 | 3 | 130 | 0.259 | 29 | 83 | |
1988 | 清原 和博 | 3 | 130 | 0.286 | 31 | 77 | ベストナイン、ゴールデングラブ賞 |
1989 | 清原 和博 | 3 | 128 | 0.283 | 35 | 92 | |
1990 | 清原 和博 | 3 | 129 | 0.307 | 37 | 94 | 最高出塁率、ベストナイン、ゴールデングラブ賞 |
1991 | 清原 和博 | 3 | 126 | 0.270 | 23 | 79 | |
1992 | 清原 和博 | 3 | 129 | 0.289 | 36 | 96 | 最高出塁率、ベストナイン、ゴールデングラブ賞 |
1993 | 清原 和博 | 3 | 128 | 0.268 | 25 | 75 | ゴールデングラブ賞 |
1994 | 清原 和博 | 3 | 129 | 0.279 | 26 | 93 | ゴールデングラブ賞 |
1995 | 鈴木 健 | 8 | 124 | 0.252 | 12 | 42 | |
1996 | 清原 和博 | 3 | 130 | 0.257 | 31 | 84 | |
1997 | 高木 大成 | 10 | 130 | 0.295 | 7 | 64 | ゴールデングラブ賞 |
1998 | 高木 大成 | 10 | 134 | 0.276 | 17 | 84 | ゴールデングラブ賞 |
1999 | 高木 大成 | 10 | 110 | 0.272 | 7 | 54 | |
2000 | 鈴木 健 | 8 | 119 | 0.249 | 6 | 52 | |
2001 | カブレラ | 42 | 139 | 0.282 | 49 | 124 | |
2002 | カブレラ | 42 | 128 | 0.336 | 55 | 115 | 本塁打王、最高出塁率、MVP、ベストナイン |
2003 | カブレラ | 42 | 124 | 0.324 | 50 | 112 | |
2004 | カブレラ | 42 | 64 | 0.280 | 25 | 62 | |
2005 | カブレラ | 42 | 127 | 0.300 | 36 | 92 | |
2006 | カブレラ | 42 | 126 | 0.315 | 31 | 100 | 打点王 |
2007 | カブレラ | 42 | 119 | 0.295 | 27 | 81 | ベストナイン |
2008 | ブラゼル | 42 | 130 | 0.234 | 27 | 87 | |
2009 | 石井 義人 | 5 | 125 | 0.300 | 6 | 39 | |
2010 | フェルナンデス | 52 | 57 | 0.339 | 11 | 45 | |
2011 | 浅村 栄斗 | 32 | 137 | 0.268 | 9 | 45 | |
2012 | オーティズ | 14 | 64 | 0.286 | 9 | 21 | |
2013 | 浅村 栄斗 | 32 | 144 | 0.317 | 27 | 110 | 打点王、ベストナイン、ゴールデングラブ賞 |
2014 | メヒア | 99 | 106 | 0.290 | 34 | 73 | 本塁打王、ベストナイン |
2015 | メヒア | 99 | 135 | 0.235 | 27 | 89 | |
2016 | メヒア | 99 | 137 | 0.252 | 35 | 103 | |
2017 | 山川 穂高 | 33 | 78 | 0.298 | 23 | 61 | |
2018 | 山川 穂高 | 33 | 143 | 0.281 | 47 | 124 | 本塁打王、MVP、ベストナイン |
2019 | 山川 穂高 | 33 | 143 | 0.256 | 43 | 120 | 本塁打王、ベストナイン |
2020 | 山川 穂高 | 3 | 102 | 0.205 | 24 | 73 | |
2021 | 山川 穂高 | 3 | 110 | 0.232 | 24 | 66 | |
2022 | 山川 穂高 | 3 | 129 | 0.266 | 41 | 90 | 本塁打王、打点王、ベストナイン |
1950年代
50年代は4人の選手が守り、50年に務めた深見安博選手は22本塁打を放ち、51年からの3年間は田部輝男選手が主に起用されました。
54年から5年間守りについた河野昭修選手は毎年130試合前後の出場試合数を数え、56年にピッチャーから転向した田中久寿男選手が59年にポジションを掴みました。
1960年代
田中選手は60年に4番を打つ等、打線の中心を担い翌年はライトに移りました。61年は50年代にサードのレギュラーとして活躍していましたが、怪我により出場が減っていた中西太選手が起用され、打率.304、21本塁打、54打点を記録してベストナインを受賞しました。
中西選手が兼任監督となった62年は井上忠行選手、63年はジョージ・ウイルソン選手が来日し、20本塁打を記録しました。65年からの2年はフランシス・アグリー(66年の登録名はアギー)選手が守り、クリーンアップを務めて65年は24本塁打を放ちました。
67年はセカンドからジム・バーマ選手が回り、同年限りでバーマ選手が退団すると近鉄からトレードで加入した高木喬選手、中日からトレードで移籍してきた広野功選手が起用され、広野選手は69年に20本塁打をマークしました。
1970年代
高木選手と広野選手がレギュラー争いを繰り広げていましたが、広野選手が巨人にトレードで移籍し、高木選手は出場機会が減り、代わりにセンターやサードでレギュラーとして出場した経験のある竹之内雅史選手が72年から3年間起用されました。
自慢の長打力を発揮し、3年連続で二桁本塁打を記録しましたが、75年にレフトへポジションを移しました。空いたファーストには近鉄で中軸を打ち、好成績を残し続けていた土井正博選手がトレードで加入して即起用され、移籍1年目の75年に自身初タイトルとなる本塁打王を獲得しました。
土井選手はその後、レフトや指名打者での起用が増えましたが、79年に再びファーストを守りました。土井選手がファーストを離れた期間は鈴木治彦選手やボブ・ハンセン選手が務めました。
1980年代
土井選手は80年も23本塁打を放ちましたが、翌年は怪我により出場試合数が減り同年限りで引退しました。代わりにファーストを守ったのは現役メジャーリーガーとして80年途中に入団していたスティーブ・オンティベロス選手でした。サードからファーストに回った81年は116試合に出場、82年と83年はサードに戻りましたが84年は再びファーストを守り、打率.338、20本塁打、101打点を記録し、85年も打率.315とハイアベレージを残しました。
82年と83年は南海でレギュラー経験があり、82年にトレードで加入した片平晋作選手が主に起用されました。
86年からファーストを守ったのは甲子園で大活躍を見せたPL学園の主砲・清原和博選手でした。ルーキーだった86年は打率.304、31本塁打、78打点を記録して新人王を獲得、これらの記録はいずれも高卒新人記録として誰にも破られていません。
プロ1年目から中軸を担い、毎年本塁打数は30本前後を記録し、主砲としてチームを牽引しました。
1990年代
清原選手は90年に37本塁打を放ち、2回目のベストナインを受賞、92年も36本塁打を記録して3回目のベストナインを受賞し、この年の6月には史上最年少で通算200本塁打に到達しました。
打つだけでなく安定した守備力も持ち合わせており、90年代は4度ゴールデングラブ賞に選出されており、攻守にわたってチームを引っ張っていましたが、95年は右肩脱臼により鈴木健選手が務め、翌年は31本塁打を放ちながらも同年オフにFAで巨人に移籍しました。
清原選手が移籍した後、ファーストに起用されたのはキャッチャーとして入団しながらも伊東勤選手がレギュラーだったことにより出場機会が限定されていた高木大成選手でした。
打って走れるキャッチャーだった高木選手はコンバート1年目の97年は24盗塁を記録、4月に記録したプロ入り初の満塁本塁打はランニング本塁打でした。堅実な守備も披露し、97年から2年連続でゴールデングラブ賞を受賞しました。
2000年代
故障により高木選手が外野に回ると鈴木選手がサードから回り、01年からの7年間は丸太のような太い腕で本塁打を量産したアレックス・カブレラ選手が務めました。
来日1年目の01年にいきなり49本塁打を記録すると翌年は王貞治選手の持つシーズン本塁打記録の55本塁打に並び、打率と打点はリーグ2位を記録し、チームのリーグ優勝に大きく貢献してMVPを受賞しました。
03年は50本塁打、05年は31本塁打を記録する等毎年本塁打を量産し、在籍した07年シーズン終了までで273本塁打を放ち、538試合で到達した通算200本塁打は歴代外国人選手で最速での達成でした。
カブレラ選手の後釜として入団し、08年に起用されたクレイグ・ブラゼル選手は27本塁打を記録しましたが、怪我もあり後半戦は成績を落として1年で退団、09年はバットコントロールに長けた石井義人選手がファーストを務めました。
2010年代
10年に57試合に起用されたホセ・フェルナンデス選手は同年途中に5年ぶりに復帰して打率.339をマーク、翌年は指名打者に回り、11年はプロ3年目の浅村栄斗選手が抜擢され、137試合に出場しました。浅村選手は12年にセカンドを務め、13年に再びファーストを守って打率.317、27本塁打、110打点を記録して打点王とベストナインを獲得、守りでもゴールデングラブ賞を受賞しました。
浅村選手がセカンドを守った12年はホセ・オーティズ選手、浅村選手が本格的にセカンドに移った14年はエルネスト・メヒア選手が守り、メヒア選手はシーズン途中の加入だったにも関わらず34本塁打を記録して本塁打王を獲得、シーズン途中での入団で本塁打王を獲得したのはプロ野球史上初の快挙でした。
メヒア選手は15年に27本塁打、16年に35本塁打を記録して17年は指名打者に回り、代わって大卒4年目の山川穂高選手が起用され、17年は78試合の出場で23本塁打を記録しました。
翌年は47本塁打を放ちブレーク、本塁打王とMVPを受賞、翌年も43本塁打を記録して2年連続の本塁打王に輝きました。山川選手は22年も41本塁打で3回目の本塁打王を獲得、初の打点王にも輝き、本塁打後の「どすこい」パフォーマンスでファンを沸かせています。
埼玉西武ライオンズ歴代ファースト(一塁手)年俸ランキング!歴代最高年俸はアレックス・カブレラ選手の6億円!
ここでは埼玉西武ライオンズの歴代ファーストを年俸で順位付けしてみました。なお、年俸と成績はファーストのレギュラーとして出場したシーズンの数字を記載しています。
順位 | 年度 | 選手名 | 年俸 | 打率 | 試合数 |
1 | 2007 | A.カブレラ | 6億0000万円 | 0.295 | 119 |
2 | 2016 | E.メヒア | 3億0000万円 | 0.252 | 137 |
3 | 2003 | 山川 穂高 | 2億7000万円 | 0.269 | 8 |
4 | 1996 | 清原 和博 | 2億4000万円 | 0.257 | 130 |
5 | 2000 | 鈴木 健 | 1億0000万円 | 0.249 | 119 |
※山川選手の記録は4月29日時点
本塁打王獲得経験者が多い埼玉西武ライオンズのファーストですが、1位は02年にシーズン本塁打最多タイ(当時)となる55本塁打を放ち本塁打王に輝いたアレックス・カブレラ選手でした。毎年本塁打を量産し、相手バッテリーにプレッシャーを与え続けた強打者は、07年に年俸6億円でプレーしました。
2位は16年に3億円でプレーしたエルネスト・メヒア選手で、14年シーズン途中から埼玉西武ライオンズのユニフォームに袖を通し、プロ野球史上初となる途中入団での本塁打王のタイトルを獲得者になり、15年は27本塁打、16年は35本塁打を記録しました。
3位は23年の山川穂高選手の2億7000万円です。18年と19年は連続で本塁打王を獲得しましたが、20年と21年は24本塁打に終わり、満足のいかないシーズンが続きましたが、22年は41本塁打を放ち3回目の本塁打王に輝きました。WBCの日本代表に選出された23年は自己最高年俸でプレーしています。
4位は96年の清原和博選手。FAで巨人に移籍する前の最後のシーズンとなった96年の2億4000万円でランクインしました。前年に怪我により出場試合数が減っていましたが、96年は130試合に出場して、31本塁打を放ちました。
5位にランクインしたのは鈴木健選手でした。サードのイメージが強い鈴木選手は、清原選手が離脱した95年と高木大成選手が外野に回った00年にファーストのレギュラーを務め、1億円でプレーした00年は6本塁打と精彩を欠いたシーズンとなりました。
私が思う最強の埼玉西武ライオンズ歴代ファースト(一塁手)は清原和博選手!
打撃主要タイトルの獲得者が多くいる埼玉西武ライオンズのファーストですが、歴代最強のファーストはタイトルには縁がなかったものの長年4番打者として君臨した清原和博選手だと考えます。
ここで、清原和博選手のプロフィールを確認していきましょう。
職業:元プロ野球選手・野球評論家
生年月日:1967年8月18日
身長:188cm
出身:大阪府
最終学歴:PL学園高校
血液型:B型
1967年(昭和42年)8月18日生まれ、大阪府岸和田市出身。85年のドラフト会議で6球団から1位指名を受け、抽選の結果交渉権を獲得した西武ライオンズにPL学園高校から入団しました。
高校時代は巨人に入団した桑田真澄投手と「KKコンビ」として甲子園で活躍し、プロ入り1年目から実力を発揮して、現在でも高卒新人記録として破られていない打率.304、31本塁打、78打点を記録、新人王を獲得しました。
2年目以降も本塁打を量産し、89年に史上最年少となる21歳9か月で通算100本塁打に到達、92年には同じく史上最年少(24歳10か月)で通算200本塁打を記録しました。右肩を痛めて離脱した95年を除き、シーズン終了後にFAで巨人に移籍することとなった96年までレギュラーを務め、打撃3部門の自己ベストは打率.307(90年)、37本塁打(90年)、96打点(92年)とタイトルを獲得してもおかしくない好成績でしたが、打撃主要タイトルに縁はありませんでした。
タイトル獲得はなかったものの80年代から90年代にかけて黄金時代を迎えた西武ライオンズの4番打者としてチームを牽引し、数々の本塁打を放ち勝利に導いた清原和博選手が埼玉西武ライオンズ史上最強のファーストではないでしょうか。
清原和博の凄さがわかる名言・語録集!天才ホームランバッターの伝説エピソードから人生哲学まで
埼玉西武ライオンズ歴代ファースト(一塁手)に関する豆知識
02年にシーズン本塁打のタイ記録(当時)を記録したアレックス・カブレラ選手には他にも「伝説」があります。
23年シーズンから北海道日本ハムファイターズの本拠地が広く大きい札幌ドームからコンパクトなエスコンフィールドに移りましたが、本塁打が出にくくピッチャー有利と言われた札幌ドームの高い天井に6度当てており、これは札幌ドーム開場後に天井に当たった打球の数と一致しています。
また、東京ドームでも推定200mと言われた大飛球を放っており、丸太のような太い腕で打った打球の行方にファンだけでなく、両チームの選手たちも注目していました。
まとめ
・清原和博選手やアレックス・カブレラ選手が長くレギュラーとして活躍した。
・土井正博選手やカブレラ選手、山川穂高が本塁打王に輝いている。
・歴代で一番年俸が高かったのは、07年シーズンのカブレラ選手の6億円。
・清原選手は4番としてチームを牽引し、打撃主要タイトルの獲得経験はなかったものの史上最年少での通算200本塁打達成等、長きにわたり打線の中軸として活躍した埼玉西武ライオンズ歴代最強のファーストである。
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