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埼玉西武ライオンズの歴代キャッチャー(捕手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

2023/08/29

80年代から90年代にかけて黄金期を築き、日本球界をリードしてきた埼玉西武ライオンズ。

今回はその埼玉西武ライオンズの歴代キャッチャーをリサーチして、埼玉西武ライオンズ歴代最強のキャッチャー(捕手)について成績や年俸をまとめてみました。

球界を代表するキャッチャーたちの歴史を振り返ってみましょう!

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埼玉西武ライオンズの歴代キャッチャー(捕手)一覧まとめ!

まずは1950年以降、そのシーズンの主にキャッチャーを守った選手を確認してみましょう。

選手名 背番号 試合数 打率 本塁打 打点 タイトル
1950 楠 協郎 3 73 0.256 8 42
1951 日比野 武 12 94 0.270 6 39
1952 日比野 武 12 78 0.272 8 40
1953 日比野 武 12 86 0.199 4 32
1954 日比野 武 12 112 0.230 3 36
1955 日比野 武 12 113 0.232 1 29
1956 日比野 武 12 124 0.233 1 27
1957 和田 博実 47 111 0.214 7 35
1958 和田 博実 47 118 0.213 6 36
1959 和田 博実 2 97 0.242 3 19
1960 和田 博実 12 101 0.295 4 30
1961 河合 保彦 26 101 0.268 12 46
1962 和田 博実 12 113 0.325 14 54
1963 和田 博実 12 128 0.272 16 55
1964 和田 博実 12 121 0.259 14 54
1965 和田 博実 12 122 0.264 4 36
1966 和田 博実 12 113 0.233 6 32
1967 宮寺 勝利 28 127 0.206 10 38
1968 宮寺 勝利 28 111 0.230 8 25
1969 村上 公康 10 122 0.239 14 37
1970 宮寺 勝利 28 120 0.224 7 24
1971 村上 公康 10 93 0.216 7 27
1972 片岡新之介 39 111 0.232 10 30
1973 宮寺 勝利 28 104 0.221 6 23
1974 片岡新之介 12 86 0.193 5 22
1975 楠城 徹 29 117 0.246 2 31
1976 西沢 正次 10 77 0.267 2 17
1977 若菜 嘉晴 39 103 0.292 4 29
1978 若菜 嘉晴 39 108 0.213 4 21
1979 野村 克也 19 74 0.222 5 22
1980 吉本 博 49 76 0.266 8 22
1981 大石 友好 9 80 0.228 5 25
1982 大石 友好 9 101 0.185 1 24
1983 大石 友好 9 76 0.210 4 19
1984 伊東 勤 27 113 0.284 10 44
1985 伊東 勤 27 124 0.258 13 62 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1986 伊東 勤 27 129 0.234 11 40 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1987 伊東 勤 27 124 0.247 10 51 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1988 伊東 勤 27 129 0.252 11 56 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1989 伊東 勤 27 117 0.235 9 35
1990 伊東 勤 27 119 0.281 11 43 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1991 伊東 勤 27 124 0.212 8 44 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1992 伊東 勤 27 124 0.263 4 49 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1993 伊東 勤 27 128 0.224 7 39
1994 伊東 勤 27 113 0.254 8 53 ゴールデングラブ賞
1995 伊東 勤 27 125 0.246 6 43 ゴールデングラブ賞
1996 伊東 勤 27 92 0.258 6 26
1997 伊東 勤 27 129 0.280 13 56 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1998 伊東 勤 27 114 0.243 8 38 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1999 伊東 勤 27 95 0.287 3 24
2000 伊東 勤 27 94 0.212 5 19
2001 伊東 勤 27 106 0.203 2 20
2002 伊東 勤 27 118 0.255 8 50 ベストナイン
2003 細川 亨 47 93 0.200 5 14
2004 細川 亨 47 116 0.217 11 39
2005 細川 亨 47 113 0.194 8 32
2006 細川 亨 30 99 0.199 7 27
2007 細川 亨 27 139 0.239 10 43
2008 細川 亨 27 133 0.238 16 58 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2009 銀仁朗 2 112 0.220 3 25
2010 細川 亨 27 112 0.191 8 33
2011 炭谷銀仁朗 2 122 0.218 2 22
2012 炭谷銀仁朗 27 139 0.194 5 23 ゴールデングラブ賞
2013 炭谷銀仁朗 27 141 0.215 7 43
2014 炭谷銀仁朗 27 125 0.202 4 36
2015 炭谷銀仁朗 27 133 0.211 1 35 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
2016 炭谷銀仁朗 27 117 0.218 5 22
2017 炭谷銀仁朗 27 104 0.251 5 30
2018 森 友哉 10 136 0.275 16 80 ベストナイン
2019 森 友哉 10 135 0.329 23 105 首位打者、MVP、ベストナイン
2020 森 友哉 10 104 0.251 9 38
2021 森 友哉 10 125 0.309 11 41 ベストナイン
2022 森 友哉 10 102 0.251 8 38
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1950年代

50年は3人の選手が守り、戦前に巨人でプレーしていた楠恊郎選手が50年に73試合に出場しましたが翌年巨人に復帰、51年からの6年間は戦争前後で阪急のレギュラーキャッチャーだった日比野武選手が務め、54年や56年のリーグ優勝に貢献しました。

57年からは和田博実選手がマスクを被り、正確なキャッチングとスローイングを武器にチームを支えました。

1960年代

和田選手は60年以降も主力キャッチャーとして活躍し、62年には打率.325、62年から3年連続で二桁本塁打を放つなど、打撃でもチームに貢献しました。

和田選手が外野に回った61年は河合保彦選手、本格的に外野に移った67年からは巨人からトレードで加入した宮寺勝利選手が2年間守り、宮寺選手が故障により離脱した69年はプロ3年目の村上公康選手が起用されました。

1970年代

70年代前半は宮寺選手、村上選手、71年に入団した片岡新之介選手がレギュラー争いを繰り広げ、村上選手が72年にロッテへ移籍し、片岡選手が阪神に移籍、宮寺選手が引退した75年はプロ2年目の楠城徹選手が抜擢され、117試合に出場しました。

楠城選手は翌年故障により離脱、代わって西沢正次選手が務め、77年からは若菜嘉晴選手が起用され、100試合以上に出場しましたが79年に阪神へトレードとなり、79年は44歳のシーズンとなり、前年オフに加入していた野村克也選手が74試合に出場しました。

1980年代

80年は外野手登録からキャッチャー登録に変更した吉本博選手が務め、翌年からは吉本選手とポジションを争っていた大石友好選手が3年間守り、82年は101試合に出場しました。

80年代は6回優勝を果たし、チームは黄金時代に突入しましたが、レギュラーキャッチャーとして貢献したのは伊東勤選手でした。

81年のドラフト1位で入団し、プロ3年目の84年からレギュラーとしてマスクを被り、多種多様な投手陣を巧みにリードし、85年から4年連続でベストナインとゴールデングラブ賞を受賞、チームのリーグ4連覇の立役者の1人でした。

1990年代

伊東選手は引き続きレギュラーを務め、90年代では5回のベストナインと7回のゴールデングラブ賞に輝き、90年からのリーグ5連覇、97年からのリーグ2連覇に大きく貢献しました。96年と99年以外は120試合前後の出場試合数を毎年記録し、ライオンズ投手陣を牽引しました。

2000年代

02年までレギュラーを務めた伊東選手はこの年もベストナインを受賞、03年限りで引退しました。

伊東選手が引退した03年にポジションを掴んだのはプロ2年目の細川亨選手で、強肩と相手打者の苦手なコースを突くリードでリーグを代表するキャッチャーとなり、日本代表に選出されることもありました。

08年に自己最多となる16本塁打を放ち、ベストナインとゴールデングラブ賞を受賞しましたが、翌年は右肘を痛めて戦線を離脱、代わって06年に高卒1年目のキャッチャーとして史上2人目となる開幕スタメンを果たした銀仁朗選手が112試合に出場しました。

2010年代

10年は銀仁朗選手がオープン戦で左足の大怪我を負い、細川選手が務めますが同年オフにFAでホークスに移籍、17年まで登録名を本名の炭谷銀仁朗に戻した炭谷選手がレギュラーを務め、12年にゴールデングラブ賞、15年にベストナインとゴールデングラブ賞を受賞しました。

炭谷選手は守備では球界トップレベルの実力を持っていましたが、打撃は難があり、大阪桐蔭高校時代から「打てるキャッチャー」として期待されていた森友哉選手がプロ5年目の18年にレギュラーを獲得しました。

森選手はレギュラー1年目にベストナインを受賞すると翌19年は打率.329、23本塁打、105打点を記録してパリーグのキャッチャーとしては野村選手以来54年ぶり2人目の首位打者を獲得MVPも受賞しました。

21年にも打率.309を記録してベストナインを受賞し、打てるキャッチャーの本領を発揮していましたが、22年オフにFAでオリックスへ移籍し、23年は誰がレギュラーを務めるのか注目されています。

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埼玉西武ライオンズの歴代キャッチャー(捕手)年俸ランキング!歴代最高年俸は森友哉選手の2億1000万円!

ここで埼玉西武ライオンズの歴代キャッチャーを年俸で順位付けしてみました。なお、年俸と成績はキャッチャーのレギュラーとして出場したシーズンの数字を記載しています。

順位 年度 選手名 年俸 打率 試合数
1 2022 森 友哉 2億1000万円 0.251 102
2 1996 伊東 勤 1億9000万円 0.258 92
3 1979 野村 克也 1億0000万円 0.222 74
3 2017 炭谷 銀仁朗 1億0000万円 0.251 104
5 2010 細川 亨 7100万円 0.191 112

 

いろいろなタイプのキャッチャーがマスクを被った埼玉西武ライオンズのキャッチャーのポジションで、歴代1位の年俸でプレーしたのは森友哉選手でした。強打のキャッチャーとして期待され、18年からレギュラーを務めると翌19年は首位打者とMVPを獲得しました。ライオンズでプレーした最後のシーズンとなった22年の年俸は2億1000万円でした。

2位は伊東勤選手で、80年代から90年代にかけてのライオンズ黄金時代にレギュラーキャッチャーとして貢献しました。複数回ベストナインとゴールデングラブ賞を受賞した実力を持ち、96年シーズンの1億9000万円が歴代2位となりました。

3位は2人が並び、1人目は南海ホークスでレジェンドキャッチャーとして活躍していた野村克也選手です。移籍1年目の44歳シーズンとなった79年の年俸は当時としては破格の1億円でしたが、体力面の衰えもあり74試合の出場に終わりました。

2人目は17年の炭谷銀仁朗選手。06年にプロ野球史上2人目となる高卒キャッチャーの開幕スタメンを果たし、11年からレギュラーに定着しました。12年にゴールデングラブ賞、15年にベストナインとゴールデングラブ賞を獲得し、17年は年俸1億円でプレーしました。

5位にランクインしたのは細川亨選手でした。長くレギュラーを務めた伊東選手の後継者としてプロ2年目の03年から起用され、強肩と巧みなリードでライオンズ投手陣を引っ張りました。09年に怪我もあり銀仁朗選手にポジションを譲りましたが、7100万円となった10年にレギュラーに返り咲き、112試合に出場、同年オフにソフトバンクへFAで移籍しました。

 

私が思う歴代最強の埼玉西武ライオンズのキャッチャー(捕手)は伊東勤選手!

西鉄ライオンズから現在の埼玉西武ライオンズまでの長い歴史の中で、多くの名選手がキャッチャーを務めていますが、歴代最強のキャッチャーは80年代~90年代の黄金期を支えた伊東勤選手だと考えます。

ここで、伊東勤選手のプロフィールを確認していきましょう。

職業:元プロ野球選手・元プロ野球指導者・野球解説者
生年月日:1962年8月29日
身長:181cm
出身:熊本県
最終学歴:所沢高校
血液型:O型

1962年(昭和37年)8月29日生まれ、熊本県飽託郡託麻村(現:熊本市東区)出身。熊本工業の定時制4年次に所沢高校の定時制に転校し、昼は西武の球団職員として働きながら夜は学校に通い、81年のドラフト会議で西武ライオンズから1位指名を受けて入団しました。

プロ1年目から出場機会を得て、3年目の84年にレギュラー定着を果たし、翌85年にはベストナインとゴールデングラブ賞を受賞しました。

西武ライオンズ一筋22年で2379試合に出場、打率.247、156本塁打、811打点を記録して、キャッチャー部門では歴代2位となる10回のベストナイン受賞、歴代最多となる11回のゴールデングラブ賞の受賞経験があります。

卓越したリードで投手陣を引っ張り、レギュラーを務めた84年から03年までで13度のリーグ優勝と7回の日本一に貢献し、80年代~90年代のライオンズ黄金時代のレギュラーメンバーとして活躍しました。打撃ではパリーグ歴代2位(プロ野球歴代6位)となる通算305犠打に代表されるように繋ぎ役を見事に務め、守備ではキャッチャーのパリーグ記録となる最多連続守備機会無失策1263回を96年9月から98年5月までで記録しました。

強かった80年代~90年代のライオンズ黄金時代にレギュラーキャッチャーとして君臨し、ピッチャーの力を引き出し扇の要としてチームを支えた伊東勤選手が埼玉西武ライオンズ史上歴代最強のキャッチャーです。

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埼玉西武ライオンズの歴代キャッチャー(捕手)に関する豆知識

近年、埼玉西武ライオンズでは高卒のキャッチャーがレギュラーを掴んでいます。

歴代史上最強のキャッチャーとして紹介した伊東勤選手も高卒、06年にプロ野球史上2人目となる高卒新人開幕スタメンを飾り、09年と11年から17年までレギュラーを務めた炭谷銀仁朗選手、18年から22年まで起用された森友哉選手も高卒でした。

炭谷選手は京都の名門・平安高校の出身で巧みなリードと強肩を武器に守備面で力を発揮しました。森選手は大阪の強豪・大阪桐蔭高校出身で、卓越したバットコントロールとパンチ力のある打撃が持ち味で、18年にキャッチャーのレギュラーを務めるまではバッティングを買われて指名打者がライトで出場していました。

森選手が22年オフにFAでオリックスへ移籍し、23年は激しいレギュラー争いが予想されており、チームは22年のドラフト会議で高校日本代表に選出されていた九州国際大付属高校の野田海人選手を3位で指名しており、近い将来にレギュラー獲得が期待されています。

 

まとめ

・埼玉西武ライオンズのキャッチャーは和田博実選手や伊東勤選手、炭谷銀仁朗選手が長くレギュラーを務めている。

・伊東選手や森友哉選手がベストナインを複数回受賞している。

・歴代で一番年俸が高かったのは、森選手の2億1000万円。

・伊東選手はキャッチャー部門で歴代2位となる10回のベストナインと歴代最多となる11回のゴールデングラブ賞を受賞し、80年代から90年代の黄金期を支えた埼玉西武ライオンズ歴代最強のキャッチャーである。

 

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