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小松辰雄の凄さが分かる名言・語録集!スピードガンの申し子の伝説エピソードから人生哲学まで


歴代、剛速球投手と呼ばれた選手はたくさんいます。剛速球の明確な基準はありませんが、日本の場合、やはりスピードガン測定で150キロを越えるかどうかが、ひとつの目安になっているように思います。スピードガンで最初に150キロを連発し、球場の呼び物として、その普及にも貢献した投手が小松辰雄です。

今では各球場に球速表示がされるようになっていますが、かつてナゴヤ球場では小松の剛速球をより感じてもらうために、当時としては珍しいスピードガンによる球速表示を行いました。それにより観客も投手の球速を数字として比較できるようになり、速球派投手たちは球速を競い合う時代となりました。現在では更にトラックマンと呼ばれるボールの回転数などもわかる機器に進化し、各球団は球速のみならず球質も分析するようになっています。

そんな剛速球を武器に、中日ライオンズのエースナンバー背番号20を背負い、リリーフとしても先発としても活躍した小松辰雄。

今回は小松辰雄の凄さが分かる名言や語録を紐解き、スピードガンの申し子の伝説エピソードから人生哲学まで迫ります。

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小松辰雄について

まずは小松辰雄の経歴を追ってみます。

1959年5月10日生まれ、石川県羽咋郡出身。名門星稜高校に入学し、甲子園で活躍。速球派投手として注目されます。1977年のドラフトで中日ドラゴンズに2位で指名され入団

1979年からリリーフとして一軍で活躍。その速球をアピールするため球場にはスピードガンによる球速表示がされるようになり、小松は150キロを越える速球を次々に投げ込んで、「スピードガンの申し子」として全国にも知られるようになり、一躍人気者になります。

その後は先発にリリーフにと大車輪の活躍をみせます。当時のドラゴンズは板東英二や星野仙一、鈴木孝政などエース級の投手が、先発でもリリーフでも問わずに登板することが多く、小松も1981年には先発を14回していますが、リリーフとして11セーブを上げています。特にリリーフの時は武器である速球がうなりを上げました。

1985年には最多勝、最優秀防御率、沢村賞などを獲得し、名実共にエースとして評価されるようになります。若い頃から痛めがちだった足の故障から、1994年に引退しますが、17年間の現役生活で、通算122勝、50セーブ、防御率3.44、最多勝2回、最優秀防御率1回、沢村賞1回、ベストナイン1回

引退後はドラゴンズのコーチや解説者をしています。

 

私が選ぶ、小松辰雄の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「150キロ出すと、お客さんが沸くでしょ。ムキになって投げて、すぐスピードガンのほうを振り向いてみていたときもあった」

星稜高校時代にはキャッチャーが全力投球のボールを受けられなかったという伝説を残し、プロ入りしてすぐのキャンプでも「スピードだけならオレにかなう人はいないと思った」そうです。

星稜高校の名物監督である山下智茂は、これまで日本一を狙いに行ったのは、小松がいた時と、松井秀喜と山口哲治がいた時の2回だ、と語り、小松がいかに頭抜けた投手だったのかがわかります。

入団2年目にはテレビ中継で154キロを出し、その小松の速球を集客の目玉として、ナゴヤ球場には日本初のスピード表示が作られます。それから日本最速争いが始まったと言えるわけで、今や日本人最速は大谷翔平の165キロを計測するまでに至っています。

現在のプロ野球でもコンスタントに150キロを越える速球を投げられる投手は多くありません。小松の154キロの速球は、現在でも間違いなく速いと言える数字です。

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【名言語録その2】

「最初と最後のキセル男と言われました」

1982年、小松は開幕投手を務めましたが、それ以降はリリーフ。そして最終戦に二度目の先発をして完封。リーグ優勝の胴上げ投手となりました。そのために最初と最後の美味しいところを盗ったという意味で、上記のように言われたのだそうです。

リリーフによるセーブポイント制が出来たのは1976年で、小松が活躍していた頃はようやくリリーフにも光が差し始めた頃ですが、現在のように1イニング限定というケースは少なく、勝っていれば終盤の2回から3回を投げるのが普通でした。

ドラゴンズでは伝説のフォークボール投手だった杉下茂の背番号20が、伝統的にエースの背番号とされ、権藤博、星野仙一らに続き、小松がそれを背負います。そして星野もそうだったように先発からリリーフまで、一番いい投手が大車輪の活躍をします。

キセル男とあえて自虐的に話していますが、大事な場面で先発もリリーフも任せられる投手だったという証明でしょう。

 

【名言語録その3】

「少年に夢と希望を与えようと思って投げてきました。もう私にその力はありません。これからはそんな投手を育てたい」

小松が引退の際に残した言葉です。ドラゴンズの本拠地である愛知県出身であるイチローですが、父親によれば「一朗は小松投手のファンで、小松さんの投球フォームを真似していました」と語っています。イチローは他にも田尾安志の打撃フォームを真似していたそうです。

イチローは投手としてではなく野手として活躍しますが、間違いなく不世出の野球選手であり、その人物に小松は大きな影響を与えていました。ちなみに小松が引退試合となるオープン戦で最後に投げた相手はそのイチローでした。

またドラゴンズで同僚だった山本昌は「小松さんにはすごく助けてもらった。3日に1回はご飯に連れて行ってもらっていたよ。小松さんは誘い上手だった」と、小松の人柄について語っています。

コーチとしての実績は残せませんでしたが、多くの後進たちに影響を与えた選手だったのは、確かです。

 

名言からの学び

・傑出した力はいろいろと時代を変える。

・万能であるのは信頼の証拠でもある。

・人は意外なところに影響を及ぼしていることがある。

 

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