川藤幸三の凄さがわかる名言・語録集!記憶に残る人気解説者の伝説エピソードから人生哲学まで
現在あるプロ野球の球団で、読売ジャイアンツの次に古い歴史を持っているのは阪神タイガースです。
V9ジャイアンツなどの強敵に阻まれながら、平成の終わりまで6度の日本シリーズ進出を遂げていますが、日本一になったのは1985年のただ1度きりです。その日本一の年、わずか31打席に立っただけですが、チームに欠かせない選手として、全試合ベンチに座り続けたのが「浪速の春団治」こと、川藤幸三です。
若い頃は俊足強肩の選手でしたが、アキレス腱を断裂してからは、代打として活躍。一度もレギュラーをとることなく、通算18年間も現役生活を続けました。代打の選手でオールスターに選出されたのは代打本塁打27本の世界記録を持つ高井保弘と川藤だけです。
代打だけではなく、チームのムードメイカーとして、選手と首脳陣との懸け橋として活躍し、引退後はタイガース愛あふれる独特の解説でも人気者となった川藤。
今回は記憶に残る選手であり、解説者でもある川藤幸三の凄さがわかる名言や語録を紐解き、その伝説エピソードから人生哲学にまで迫ります。
川藤幸三について
まずは川藤幸三の経歴を追ってみます。
1949年7月5日生まれ、福井県三方郡出身。若狭高校では春夏共に甲子園に出場。1967年のドラフト9位で阪神タイガースに入団。
ウエスタンリーグで最多盗塁を記録するなど、俊足強肩の選手でしたが、1974年にアキレス腱断裂のケガを負い、その後は主に代打として活躍します。
1983年のシーズンオフにはいったん戦力外通告を受けますが、「給料はいらんから野球を続けさせてくれ」と談判し、大幅減俸で残留。阪神ファンの著名人たちが感動して、年俸が減った分をカバーしようとカンパをしますが、川藤はそれをファンの為に使い、年間シートを買ってファンを招待しました。
1985年、31打数5安打ながらも、全試合ベンチ入りし、精神的支柱として首脳陣と選手の間を取り持ち、チームを鼓舞。タイガースは悲願の日本一に輝きます。
1986年シーズンにはオールスター戦にも選ばれますが、惜しまれつつ引退。現役通算18年間で、211安打、16本塁打、打率.236。記録よりも記憶に残る選手でした。引退後は解説者として、個性豊かな語り口で人気者となりました。
私が選ぶ、川藤幸三の凄さがわかる名言・語録
【名言・語録その1】
「控えがキツい、思ったら辞めたらええ」
1985年シーズンにはわずか31打席の起用ながら、全試合でベンチ入りし、選手を鼓舞し続けて日本一になった川藤ですが、若くして大怪我をして、自分のセールスポイントでもあった足が使えなくなりました。その時点でレギュラーは諦め、代打にすべてをかけてきただけに、説得力があります。
「誰しも選手はレギュラーを目指してやって、力がないから控えになっとる。ただ、それでもそれぞれの役割っちゅうもんがあるんです」
当たり前のことですが、主役ばかりでは舞台は出来ません。すべての世界において、脇役もまた重要です。
「平社員じゃダメなんか、と。だって平社員がほとんどの会社を作っていっとるんじゃない。だったら何も社長に媚び売ることはない。野球やったら補欠は何もスターや監督に媚び売ることはあらへんのや」
まったく正論なのですが、そこに反骨心を感じるのは、きっと日本社会では簡単な事ではないからなのでしょう。
【名言・語録その2】
「トレード、FAできた人間も全部一緒。このタイガースのユニフォームを着た限りは、全部、虎の血なんやから」
生え抜きの掛布雅之や岡田彰布らが活躍する中、川藤はトレードでやってきた真弓明信と食事に行き、タイガースを託す言葉をかけたそうです。プロ野球ファンはトレードやFA選手を、どこか外様扱いする傾向があり、「生え抜き」という言葉に重きを置きがちです。
しかし強いチームにはトレードやFAによる新陳代謝や刺激も必要であり、1985年のタイガース日本一の際にも真弓はもちろん、弘田澄男、長崎啓二らが渋い働きをしましたし、2003年と2005年のリーグ優勝時にも、金本知憲、広沢克己、片岡篤史、下柳剛など、トレードやFA選手が活躍しています。
初代ミスタータイガースの藤村富美男に「お前には虎の血が入っておる。それを仲間や後輩に伝えていくのがお前の仕事や」と言われた事で、タイガースの魂を生え抜きはもちろん、トレードやFA選手にも伝えようと愚直に頑張った結果なのでしょう。
現在も移籍選手を多く抱えるタイガースだけに、川藤のような存在が必要である気がします。
「ときにはアホ丸出しで結構」
1986年のオールスターに監督推薦で選出され、見事に代打でヒットを放ちますが、一塁コーチについていた王貞治が勢いよくぐるぐる腕を回すので、よたよた二塁まで走りますが、悠々アウトになり、球場も視聴者も思わず笑いが起こりました。
それが記憶に残るプレーとして、いつまでも思い出されるのは、川藤らしいと思いますし、その必死さがまだタイガースに受け継がれているのか、考えさせられます。
【名言・語録その3】
「昨日のことは忘れ、明日のことは考えずやってきた」
引退時にインタビューで答えた言葉です。川藤といえば、引退後の解説では精神論が中心で、緻密さとは縁がないと思われがちです。しかし1985年に日本一になった時には「首脳陣との話し合いはよくしました」と語っています。
若い選手がいきなり代打と言われて失敗して帰ってくるのを見て、当時のヘッドコーチに「2死ならだれ、スコアリングポジションに走者がいったらだれ、と少なくとも事前に2人くらいには用意させて、それで起用してください」と文句を言ったそうです。
役割分担は明確な方が、選手はウォームアップはもちろん、相手の継投などを予測して準備ができます。川藤は精神論だけでなく、しっかりと控えの選手らしい目配りで、ベンチにいる選手すべてがチャンスを生かせるよう考えていたことがわかります。
「準備だけはしっかりさせてくださいよ。控えはそこに進退をかけているんです」
控え選手として18年間も生き抜いた男らしい、常に瀬戸際にいる人間のプライドを感じさせます。
名言からの学び
・チームはそれぞれがそれぞれの役割を演じ切ることで結果に結びつく。
・時にバカになれる存在がチームをまとめる。
・役割分担を明確にすることで、チームはチームとして力を発揮する。
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