糸井嘉男の凄さが分かる名言・語録集!天然超人キャラの伝説エピソードから努力論まで
球界には鍛え抜いたマッチョな男たちがたくさんいます。かつての日本球界では野球で必要な筋肉は野球でつけるといった考えが強く、筋肉トレーニングは推奨していませんでした。しかし効果的な筋トレ方法が理解されるに従い、日本でもそれは当たり前になりました。2018年オフの自主トレーニングで話題を集めたのは柳田悠岐、吉田正尚らの球界でも有数の肉体派が集まったことでした。そこで若手に負けない筋肉を見せつけていたベテランが糸井嘉男です。
糸井は「超人」と呼ばれるほど高い身体能力を誇り、俊足強打強肩の選手として、6年連続で打率3割に20盗塁を記録し、更にはゴールデングラブ賞も6年連続受賞しました。またプロ野球史上最年長となる35歳での盗塁王は、アスリートとして高い能力を長い間維持し続けている証明でしょう。
その「超人」的な能力の一方で、強烈な天然キャラとしても知られている糸井。若い頃からベテランになるまで、変らず天然ボケをかまし続けて、チームメイトやファンからも愛されています。
今回は天然キャラで知られる「超人」糸井嘉男の凄さが分かる名言や語録を紐解き、その伝説エピソードから努力論にまで迫ります。
糸井嘉男について
まずは糸井嘉男の経歴を追ってみます。
1981年7月31日生まれ、京都府与謝郡出身。中学時代は軟式野球部に所属。府立宮津高校では度重なるケガのためにほとんどプレーはせず、近畿大学に進学。3年生となり秋のリーグ戦から活躍を始め、翌年の春にはエースとなり、MVPや最優秀投手に選ばれます。2003年のドラフトで北海道日本ハムファイターズに自由獲得枠で指名されて入団しました。
最初の2年間は投手として2軍戦に登板しましたが結果が出ず、3年目となる2006年に外野手へと転向します。すると2軍とはいえ3割を越える打率を記録し、2007年には開幕1軍入りを果たしましたが、7試合出場に終わります。2008年は開幕スタメンに選ばれ、翌2009年にセンターのレギュラーポジションを獲得。打率は3割を越え、ベストナインとゴールデングラブ賞に選ばれました。
2010年にはクリーンアップの一角を担い、2012年まで4年連続で打率3割、20盗塁以上に到達し、チームの主力に成長しましたが、そのオフに突然3対2の交換トレードでオリックスバファローズへ移籍。バファローズでも主軸として活躍し、5年連続の打率3割とゴールデングラブ賞に輝きます。2014年にはプロ野球史上初となる6年連続での打率3割とゴールデングラブ賞を獲得しました。
2015年、チームの主将となり、通算1000本安打と100本塁打を達成。ケガもあり、打率3割は切ったものの、2016年には35歳で53盗塁を記録し、史上最年長での盗塁王を獲得。通算7度目となるゴールデングラブ賞にも輝きます。そのオフに国内FAを行使して、阪神タイガースへ移籍します。移籍後の2017年から2019年までは、毎年ケガで離脱する苦しい状況ながらも、3割前後の打率を残しています。
2019年シーズン終了まで、プロ通算16年間で1624安打、163本塁打、297盗塁、打率.302。首位打者1回、盗塁王1回、最高出塁率3回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞7回。
2020年シーズンは不調に苦しんでいますが、まだまだ衰えを知らぬ筋肉で頑張って欲しい選手です。
私が選ぶ、糸井嘉男の凄さがわかる名言・語録集
【名言語録その1】
「右中間って何ですか?」
多少なりとも野球を知っていれば、右中間が右翼と中堅、つまりライトとセンターの間だというのはすぐにわかる筈です。しかし糸井はプロに入ってからスタッフに向かって、上記のような質問をしたという天然伝説が残っています。
他にも糸井の天然伝説はたくさんあります。
・日本で一番東にある球団と聞かれて「ソフトバンクホークス」と答えた。
・キャプテンマークの重さについて聞かれ「結構軽い素材なんで」と真面目に言った。
・契約更改で印鑑を出そうとしてリップクリームを出した。
・時差ボケは大丈夫かと問われ「そういうのは向こうが合わせる」と答えた。
・打者に転向して目標を聞かれ「打ったら走ります」と答えた。
・「ノーコン」と言われ「濃紺じゃないです」とアンダーシャツを指した。
・大学時代、激怒した監督がポカリとやろうとして手を上げたら、その手にハイタッチした。
・クイックモーションが分からなくなって混乱し、投手から野手に転向した。
など、他にも天然エピソードが山ほどあります。
超人的な能力と天然ボケはまるで往年の人気マンガ「筋肉マン」のキャラクターのようです。
そこに糸井が愛される理由のひとつがあるのかもしれません。
【名言語録その2】
「この広い背中で引っ張ります」
バファローズのキャプテンに就任した際の言葉です。天然キャラの糸井ですが、その背中で引っ張るプレイぶりは圧巻です。
2016年9月13日、古巣であるファイターズとの対戦で、大谷翔平は当時、日本最速となる164キロの球速を叩き出しました。1980年代には150キロでも驚きだったものが、2010年代には160キロの世界となり、2016年には大谷が6月に163キロ、9月に164キロ、そして10月には165キロを記録しました。
その続けざまの日本最速更新の中で、最初の163キロはファウルとなり、最後の165キロでは空振りをとっていますが、164キロは糸井にライト前に打ち返されてタイムリーヒットになっています。大谷の凄さはもちろんですが、164キロの速球を引っ張ってヒットにする糸井もまた凄いと思います。
ファイターズの監督だった梨田昌孝は、糸井について「イチローと松井秀喜を足して2で割ったような選手」と評価していました。まさに走力と守備力はイチローのようでもあり、パワーはゴジラ松井のようでもあります。
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糸井が投手だった大学時代の監督榎本保は「送りバントが送りバントじゃなかった」と話し、実際、俊足である糸井の送りバントはセーフティーバント並みにセーフになったそうです。スイングスピードも投手なのに、同じ大学で後にタイガースに入った林威助と遜色ない数値を出していました。
まさに糸井は言葉だけでなく、そんな背中で語る男です。
【名言語録その3】
「僕は50歳まで成長したい」
「体さえ大丈夫なら、やれるというのはなんとなくあります」と話すだけあり、糸井の頭抜けた運動能力は衰えを知りません。しかし強靭であるだけにそのバランスは脆く、糸井はケガに弱いイメージもあります。
背中で引っ張る男が、2020年のシーズン前には「やっぱ、喜怒哀楽を出した方がいいかなと。うれしいときはワーッと喜んだりね」と言うようになってきた背景には、ベテランとして期待されながらもケガに泣かされて思うようなパフォーマンスを発揮できておらず、それでもいかにチームに貢献するかを考えてのことでしょう。
センスと才能の男に言葉や表現の幅が広がると、より多くを伝えられるだけでなく、返ってくるものもまた変わってきます。是非、ベテランのもうひと踏ん張りが見たいところです。
名言からの学び
・ギャップが愛される理由となる。
・男は背中で語る。
・表現の幅が広がると、与えるものだけでなく、返ってくるものも変わってくる。
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