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石井浩郎の凄さが分かる名言・語録集!いてまえ打線の4番打者の伝説エピソードから人生哲学まで

2025/09/06

かつては4番打者がチーム最強の打者でしたが、近年はつなぎの打順とされた2番が最強と言われるなど、4番打者の地位は揺らいでいます。しかし強力な「いてまえ打線」を誇った大阪近鉄バファローズのデータを見ると、OPSが5年連続で.900を超えている選手がいます。4番打者を務めた石井浩郎です。

OPSは.900を超えると超一流とされ、同時期に本塁打王3回と大活躍したラルフ・ブライアントでも8年間で3度しかありません。それは石井がいかに得点へとからむ活躍をしたかの証明になります。

本塁打ではブライアントに勝てなくとも、状況を見極めて、確実に得点に結びつける打撃は、まさにチームの柱でした。引退後は政治家に転身し、その状況判断力を国政に生かそうと奮闘しています。

今回は現在は政治家として活躍する、近鉄いてまえ打線の4番打者だった石井浩郎の伝説エピソードから人生哲学にまで迫ります。

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石井浩郎について

まずは石井浩郎の経歴を追ってみます。

1964年6月21日生まれ、秋田県南秋田郡八郎潟町出身。小学4年生の時に野球部へ入り、5年生でレギュラーとなります。地元の中学を卒業後、県内屈指の進学校である秋田高等学校に進学。高校通算32本塁打を記録します。卒業後は早稲田大学に進学し、ベストナインにも選ばれますが、1987年に中退し、プリンスホテルに入社。都市対抗野球で活躍し、インターコンチネンタルカップなどで日本代表にも選出されます。1989年のドラフト会議で近鉄バファローズ(現オリックス・バファローズ)から3位指名を受け、入団

ルーキーイヤーは肝炎で入院するなど出遅れましたが、規定打席不足ながらも打率3割、22本塁打を放ちます。新人王は18勝をあげた野茂英雄がいたため獲得できませんでしたが、優秀新人賞として特別表彰されます。この年から5年連続で20本塁打以上を記録し、バファローズの主砲として活躍しますが、2年目の1991年は右手親指の骨折、1995年に右足の剥離骨折、左手首腱鞘炎、1996年にも左手骨折、1997年と1998年は右足肉離れ、1999年左手首骨折など、怪我がつきまとう選手生活でした。しかし1993年には最多安打、1994年は打点王に輝くなど、勝負強い打撃でチームを牽引します。

1997年オフに読売ジャイアンツへトレードとなり、第65代目の4番打者もつとめました。1999年オフに千葉ロッテ・マリーンズにトレード。2001年オフに自由契約となりますが、横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)と契約。2002年シーズン限りで引退します。

日本プロ野球通算13年間で、894安打、162本塁打、打率.289。打点王1回、最多安打1回、ベストナイン2回。

引退後は飲食店経営や野球解説者、埼玉西武ライオンズの二軍監督などを務め、2010年より参議院議員として活躍しています。

 

私が選ぶ、石井浩郎の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「努力できる素質を持ち合わせている人が生き残れる世界なのだ」

プロ1年目のスタート時に、肝炎で1ヶ月ほど入院を強いられ、「野球ができることのありがたさ、できなくなる恐怖心」を学んだという石井。最悪のスタートから這い上がれたのは努力を惜しまないことでした。

小学校5年生の時、石井はクラスの腕相撲大会で男子の代表となり、女子代表の小柄で華奢な女子代表と対戦することになりました。結果はなんと惨敗。この屈辱をきっかけに、石井は筋肉トレーニングをはじめるようになりました。

「きっかけをくれた女の子には、今となっては本当に感謝しています。本人にも伝えましたが、何も覚えていないみたいでしたけどね」

地道なトレーニングは結果として返ってきます。怪我の多いプロ生活でしたが、「怪我をしたら、それ以外の部位を徹底的にトレーニングできるチャンス」だと思い「野球の神様からのお告げ」だと感じて、できるトレーニングは欠かしませんでした。

「素質や才能よりも、人より努力できるかのほうが大事」であり、イチローを引き合いに出し、彼のように「それができる選手は伸びるし、長く活躍できる」と語る石井。「自分の非を認めずに人のせいにする人も伸びませんね」とも話しています。

「自分のプロ野球人生には一切の悔いはないですね」と言い切れる潔さは、他人のせいにはせず、自分を信じて努力し続けたからこそ持てるものなのかもしれません。

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【名言語録その2】

「たとえレギュラーがマグワイアでも、僕は一塁ミットしか持ってこなかった」

1997年オフに読売ジャイアンツへのトレードが決まったことで、ポジション争いが注目されました。一塁と三塁を守れる石井ですが、度重なる怪我もあり、一塁手がベストの選択でした。しかしジャイアンツの一塁手には清原和博がいました。

それでも石井は清原に挑むというより、自身が打撃で結果を出すためには守備は一塁に専念したいという思いで、上記の発言となりました。

マグワイアというのは、メジャーリーグでシーズン70本塁打を放ち、通算583本塁打を記録したマーク・マグワイアのことです。メジャーを代表する選手だろうが、清原だろうが、相手の問題ではなく、あくまでも自分と向き合う意味での決意でした。

大学時代は「精神的に鍛えられ」、社会人時代には「今まで野球をやってきた中で、都市対抗予選が一番しびれました」と話し、技術と厳しさを学んだ石井。他の選手の何倍も筋トレに費やし、「自分のようなパワータイプは体重を落とすと、逆にバットの振りが悪くなる」と、そこでも自分と向き合うことにこだわりました。

ポジション争いとは関係なく、自分自身との戦いには負けなかった姿が感じられます。

【名言語録その3】

「できない理由を並べるより、まず動かないと」

引退後は野球の世界から政治の世界へと転身した石井。2020年にコロナ禍で開催できなかった春の選抜大会の代替開催に賛同し、NPB、プロ野球OB会、大学やプロでの先輩後輩を巻き込んで代替開催を訴え、主催の日本高野連と毎日新聞社にも働きかけ、首相官邸にも足を運びました。

その声は日増しに強くなり、日本高野連は選抜出場予定校による交流戦の実施を決めます。石井は「オレは何もできなかったけど、父兄や選手のことを思うと本当に良かった」と話していますが、石井の行動も後押しになったのは間違いありません。

その代替交流戦に出場した選手の中には、高橋宏斗、前川右京、内山壮真など、後にプロ野球の世界に入った選手もたくさんおり、彼らにとっても野球界にとっても、大きなプラスになったと思います。


 


名言からの学び

・努力イコール才能である

・他人と戦うよりもまずは自分に勝つ

・行動することが未来を切り開く

 

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