井川慶の凄さが分かる名言・語録集!阪神の天才左腕の伝説エピソードから努力論まで
2020年に新庄剛志がいきなり14年ぶりの現役復帰を目指すと宣言し、野球ファンを驚かせましたが、第一線から退いた後もプレイすることにこだわる選手もいます。
かつて2000本安打の最年少記録を持つ榎本喜八が、引退後もトレーニングを欠かさず、復帰を目論んでいると噂されました。阪神タイガースのエースとして活躍した井川慶も、2014年に自由契約となって以来、2020年現在も復帰を目指してトレーニングを続けています。
セリーグを代表する左腕として、阪神タイガースで2度のリーグ優勝に貢献した井川ですが、メジャーリーグへの挑戦は結果を出せず、移籍先のニューヨークヤンキースではいまだに獲得の失敗例として語られています。
20代後半から30代半ばまでの円熟期をマイナーリーグで過ごしましたが、それまでにタイガースで86勝を上げていただけに、早期に日本球界へ復帰をしていれば何勝出来たのかと、想像してしまうファンも少なくないだろうと思います。
今回は自分の道を歩み続ける井川慶の凄さが分かる名言や語録を紐解き、阪神の天才左腕の伝説エピソードから努力論にまで迫ります。
井川慶について
まずは井川慶の経歴を追ってみます。
1979年7月13日生まれ、茨城県東茨城郡出身。水戸商業高校時代は甲子園出場はなかったものの、7回参考ながら完全試合を記録するなど、プロのスカウト陣からも注目されており、1997年のドラフト2位で阪神タイガースが指名し、入団します。
ルーキーイヤーから1軍に昇格。初先発で初勝利をあげます。2001年には野村克也監督により先発ローテーションに抜擢され、リーグ2位となる防御率2.67を記録。オールスター戦にも選ばれます。
2002年、初の2桁勝利を記録し、最多奪三振のタイトルを獲得。2003年には開幕投手にもなり、チームのエースとして20勝をあげ、MVP、沢村賞、最多勝、最優秀防御率など賞を総なめにし、タイガース18年ぶりのリーグ優勝に貢献しました。
2004年、ノーヒットノーランを達成。2015年、再びリーグ優勝に貢献。2006年に5年連続で2桁勝利をあげ、シーズン後、ポスティング制度によるメジャーリーグ挑戦を表明。名門ニューヨークヤンキースへの移籍が決まります。
しかしメジャーでは結果を残せませんでした。トレード話も拒否できる権利を行使し、マイナー暮らしが続きました。ヤンキースとの契約終了後もアメリカでのプレーを希望し、マイナーリーグに所属。2012年になってオリックスバファローズと契約して日本球界に復帰しますが、4年間で7勝にとどまり、2015年に自由契約となります。
日本プロ野球通算12年間で93勝、防御率3.21。MVP1回、沢村賞1回、最多勝1回、最優秀防御率1回、ベストナイン1回。メジャーリーグ通算2年間で2勝、防御率6.66。
その後も独立リーグの兵庫ブルーサンダーズに所属するなどトレーニングを続け、NPBへの復帰を目指しています。
私が選ぶ、井川慶の凄さがわかる名言・語録集
【名言語録その1】
「優勝した次の日もお客さんは来てくれるので」
2003年に20勝をあげ、タイガース18年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献した井川ですが、優勝を決めた日、ビールかけが行われている祝勝会に井川の姿はありませんでした。それは翌日の広島カープ戦に先発予定だったからで、優勝した後でもお客さんに無様な投球を見せたくないという思いからでした。
2004年にノーヒットノーランを達成した試合では、途中で捕手の野口寿浩に「そういえばランナー1人も出していないですね。まだ1本も打たれてないですね」と落ち着いた口調だったそうです。口に出すと打たれるという球界ジンクスがあるので、おそらく誰も口にはしなかった筈ですが、井川自身はまったく気にしなかったようです。
そして試合後、井川は野口に対して「今日も野口さんのサインに、首を1回も振りませんでしたよね」と言いました。それは暗にノーヒットノーランは野口のリードが良かったからだと示唆していることになります。
若干、分かりにくい表現の仕方だと思いますが、お客さんやチームメイトに対する、井川流の優しさが伝わってきます。
【名言語録その2】
「いろんな今まで行ったことのないところに行けるから楽しみでもあるけど」
とにかくマイペースで、年俸がすでに億を越えるほどだったのに、家賃4万円の選手寮から出ず、ついには球団から退去命令が下されたという井川。長めの髪もタイガースOBなどからは切れと言われ続けていましたが「髪を切ると帽子が合わなくなっちゃうんですよ。帽子が緩いと、投げるときになんかしっくりいかなくて」と、独特の答えが返ってきたそうです。
上記の言葉はメジャーリーグに挑戦したものの結果を残せず、マイナー降格が告げられた時の言葉です。井川獲得におよそ30億円もの資金を投じたヤンキースにしてみれば、期待外れな上に物見遊山で来ているのかと呆れてしまうような言葉ですが、おそらく井川に他意はなく、ポジティブに受け止めようという思いから口にしたのでしょう。
なぜそんなにアメリカでプレーすることにこだわったのかはわかりませんが、いつも同じ相手に投げる日本の野球に刺激を感じなくなっていたという井川だけに、プレーする場所がメジャーであれマイナーであれ、毎日新しい環境の中でプレーするのはとても刺激的だったのかもしれません。それは彼にとって楽しみでもあり、人生にとって重要なことだったのかもしれません。井川がここまで野球にのめり込めたのは、さまざまな野球を体験した結果なのだろうと思います。
なので、もし井川がメジャー挑戦から1、2年で日本球界に復帰していたら、案外早く、あっさりと引退していたのかもしれません。
【名言語録その3】
「NPBではもう通用しないことは自覚している。それでも体の動く限り現役でありたい」
2020年4月に井川が語った言葉です。同じインタビューの中で「今は体がどこも痛くなくて元気な状態なので、いつでも復帰できるようトレーニングを続けています」と話しています。
井川はバファローズ退団後、独立リーグの兵庫ブルーサンダーズでトレーニングをし、選手として登板したシーズンもありますが、NPBを目指す若い選手たちの出場機会を奪うことはしたくないということで、2020年は現役登録されていません。しかし選手たちの良き見本となっているようです。
「まあ、引退って、言っても言わなくても一緒かなっていう、そこが一番と、あとイベントとかで体動かしたいんで、投げられる姿を見せたいんで」
その言葉通り、プロ野球OB戦に登板したり、テレビのスポーツバラエティで覆面をして投げたりもしている井川。NPBの試合では見られないということが、引退ということならば、井川は引退選手と言えるのでしょうが、イチローと同様にいろいろな形で野球を続けているうちは引退と言わないのだとすれば、井川はまだバリバリの現役なのです。
名言からの学び
・どんな世界も自分だけでは成り立たない。
・他人から見て失敗も、本人にとって失敗とは限らない。
・引退を決めるられるのは本人だけである。
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