巨人の歴代ファースト(一塁手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!
12球団で最も古い歴史を持つ巨人。長い歴史の中で、多くの選手が伝統球団のファーストの守りについてきました。
今回は世界記録保持者もいる巨人のファーストを守った歴代選手の成績や年俸などを調べ、巨人歴代最強のファーストについてまとめてみました。
目次
巨人の歴代ファースト(一塁手)一覧まとめ!
まずは1950年以降、そのシーズンの主にファーストを守った選手を一覧にしてみました。
年 | 選手名 | 背番号 | 試合数 | 打率 | 本塁打 | 打点 | タイトル |
1950 | 川上哲治 | 16 | 138 | 0.313 | 29 | 119 | |
1951 | 川上哲治 | 16 | 97 | 0.377 | 15 | 81 | 首位打者、MVP、ベストナイン |
1952 | 川上哲治 | 16 | 118 | 0.320 | 4 | 82 | |
1953 | 川上哲治 | 16 | 121 | 0.347 | 6 | 77 | 首位打者、最多安打、ベストナイン、日本シリーズMVP |
1954 | 川上哲治 | 16 | 129 | 0.322 | 8 | 87 | |
1955 | 川上哲治 | 16 | 120 | 0.338 | 12 | 79 | 首位打者、打点王、最多安打、MVP、ベストナイン |
1956 | 川上哲治 | 16 | 128 | 0.327 | 5 | 67 | 最多安打、ベストナイン |
1957 | 川上哲治 | 16 | 128 | 0.284 | 5 | 52 | ベストナイン |
1958 | 川上哲治 | 16 | 124 | 0.246 | 9 | 66 | ベストナイン |
1959 | 与那嶺要 | 7 | 117 | 0.287 | 3 | 26 | |
1960 | 王 貞治 | 1 | 130 | 0.270 | 17 | 71 | |
1961 | 王 貞治 | 1 | 127 | 0.253 | 13 | 53 | |
1962 | 王 貞治 | 1 | 134 | 0.272 | 38 | 85 | 本塁打王、打点王、ベストナイン |
1963 | 王 貞治 | 1 | 140 | 0.305 | 40 | 106 | 本塁打王、ベストナイン |
1964 | 王 貞治 | 1 | 140 | 0.320 | 55 | 119 | 本塁打王、打点王、MVP、ベストナイン |
1965 | 王 貞治 | 1 | 135 | 0.322 | 42 | 104 | 本塁打王、打点王、MVP、ベストナイン |
1966 | 王 貞治 | 1 | 129 | 0.311 | 48 | 116 | 本塁打王、打点王、ベストナイン |
1967 | 王 貞治 | 1 | 133 | 0.326 | 47 | 108 | 本塁打王、打点王、MVP、ベストナイン |
1968 | 王 貞治 | 1 | 131 | 0.326 | 49 | 119 | 首位打者、本塁打王、ベストナイン |
1969 | 王 貞治 | 1 | 130 | 0.345 | 44 | 103 | 首位打者、本塁打王、最多安打、MVP、ベストナイン |
1970 | 王 貞治 | 1 | 129 | 0.325 | 47 | 93 | 首位打者、本塁打王、最多安打、MVP、ベストナイン |
1971 | 王 貞治 | 1 | 130 | 0.276 | 39 | 101 | 本塁打王、打点王、ベストナイン |
1972 | 王 貞治 | 1 | 130 | 0.296 | 48 | 120 | 本塁打王、打点王、ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞 |
1973 | 王 貞治 | 1 | 130 | 0.355 | 51 | 114 | 首位打者、本塁打王、打点王、最多安打、MVP、ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞 |
1974 | 王 貞治 | 1 | 130 | 0.332 | 49 | 107 | 首位打者、本塁打王、打点王、MVP、ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞 |
1975 | 王 貞治 | 1 | 128 | 0.285 | 33 | 96 | 打点王、ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞 |
1976 | 王 貞治 | 1 | 122 | 0.325 | 49 | 123 | 打点王、MVP、ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞 |
1977 | 王 貞治 | 1 | 130 | 0.324 | 50 | 124 | 打点王、MVP、ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞 |
1978 | 王 貞治 | 1 | 130 | 0.300 | 39 | 118 | 打点王、ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞 |
1979 | 王 貞治 | 1 | 120 | 0.285 | 33 | 81 | ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞 |
1980 | 王 貞治 | 1 | 129 | 0.236 | 30 | 84 | ダイヤモンドグラブ賞 |
1981 | 中畑 清 | 24 | 109 | 0.322 | 16 | 66 | |
1982 | 中畑 清 | 24 | 124 | 0.267 | 25 | 78 | ゴールデングラブ賞 |
1983 | 中畑 清 | 24 | 114 | 0.300 | 15 | 68 | ゴールデングラブ賞 |
1984 | 中畑 清 | 24 | 130 | 0.294 | 31 | 83 | ゴールデングラブ賞 |
1985 | 中畑 清 | 24 | 125 | 0.294 | 18 | 62 | ゴールデングラブ賞 |
1986 | 中畑 清 | 24 | 127 | 0.273 | 14 | 69 | ゴールデングラブ賞 |
1987 | 中畑 清 | 24 | 110 | 0.321 | 6 | 40 | ゴールデングラブ賞 |
1988 | 中畑 清 | 24 | 124 | 0.295 | 10 | 46 | ゴールデングラブ賞 |
1989 | 駒田徳広 | 10 | 126 | 0.303 | 11 | 56 | ゴールデングラブ賞、日本シリーズMVP |
1990 | 駒田徳広 | 10 | 130 | 0.287 | 22 | 83 | ゴールデングラブ賞 |
1991 | 駒田徳広 | 10 | 130 | 0.314 | 19 | 66 | ゴールデングラブ賞 |
1992 | 原 辰徳 | 8 | 117 | 0.272 | 28 | 77 | |
1993 | 駒田徳広 | 10 | 122 | 0.249 | 7 | 39 | ゴールデングラブ賞 |
1994 | 落合博満 | 60 | 129 | 0.280 | 15 | 68 | |
1995 | 落合博満 | 6 | 117 | 0.311 | 17 | 65 | |
1996 | 落合博満 | 6 | 106 | 0.301 | 21 | 86 | |
1997 | 清原和博 | 5 | 130 | 0.249 | 32 | 95 | |
1998 | 清原和博 | 5 | 116 | 0.268 | 23 | 80 | |
1999 | 清原和博 | 5 | 86 | 0.236 | 13 | 46 | |
2000 | マルティネス | 48 | 111 | 0.288 | 17 | 64 | |
2001 | 清原和博 | 5 | 134 | 0.298 | 29 | 121 | |
2002 | 斉藤宜之 | 37 | 109 | 0.310 | 5 | 37 | |
2003 | 清原和博 | 5 | 114 | 0.290 | 26 | 68 | |
2004 | ペタジーニ | 13 | 117 | 0.290 | 29 | 84 | |
2005 | 清原和博 | 5 | 96 | 0.212 | 22 | 52 | |
2006 | 李 承燁 | 33 | 143 | 0.323 | 41 | 108 | |
2007 | 李 承燁 | 25 | 137 | 0.274 | 30 | 74 | |
2008 | 小笠原道大 | 2 | 144 | 0.310 | 36 | 96 | |
2009 | 李 承燁 | 25 | 77 | 0.229 | 16 | 36 | |
2010 | 高橋由伸 | 24 | 116 | 0.268 | 13 | 56 | |
2011 | 小笠原道大 | 2 | 83 | 0.242 | 5 | 20 | |
2012 | エドガー | 42 | 57 | 0.236 | 4 | 19 | |
2013 | ロペス | 5 | 121 | 0.303 | 18 | 55 | ゴールデングラブ賞 |
2014 | ロペス | 5 | 134 | 0.243 | 22 | 57 | |
2015 | 阿部慎之助 | 10 | 111 | 0.242 | 15 | 47 | |
2016 | 阿部慎之助 | 10 | 91 | 0.310 | 12 | 52 | |
2017 | 阿部慎之助 | 10 | 129 | 0.262 | 15 | 76 | |
2018 | 岡本和真 | 25 | 143 | 0.309 | 33 | 100 | |
2019 | 大城卓三 | 46 | 109 | 0.265 | 6 | 30 |
1950年代
50年代は打撃の神様と呼ばれた川上哲治選手が引退するまで務めました。50年からの9年間で首位打者を3回獲得し、51年には打率.377の高打率を記録しました。
川上選手が引退した直後の59年は、外野を守ることが多かった与那嶺要選手が1年間守りますが、この年の開幕戦では後の「世界の本塁打王」が高卒ルーキーながらスタメン出場を果たしています。
1960年代
60年になると前年高卒新人ながら開幕スタメンを果たしたプロ2年目の王貞治選手がレギュラーに定着します。
レギュラー定着3年目の62年に38本塁打を記録し初の本塁打王に輝くと、翌年には51本塁打をマークし世界の本塁打王への道を進み始め、64年にはその後何人もの長距離砲が目指す数字となった55本のアーチを描きました。ちなみに62年以降30本塁打を下回った年はありません。
1970年代
60年代に続いて王選手がレギュラーを務め73年と74年には首位打者・本塁打王・打点王の三冠王に輝きました。62年から74年まで本塁打王を獲得し続け、77年にはメジャーリーグで記録され当時世界記録だったハンク・アーロンの通算755本塁打を抜き、「世界の本塁打王」となりました。
78年には通算800本塁打を達成し、年齢が30代後半になっても本塁打を量産しました。
1980年代
80年、本塁打は30本塁打記録したものの打率が2割前半に終わった王選手はこの年限りで現役生活に別れを告げました。代わって起用されたのは6年目の中畑清選手でした。
サードのレギュラーを掴んでいた中畑選手ですが、81年はシーズン途中に怪我で離脱し、復帰後はファーストでの出場となりました。中畑選手は88年までファーストのレギュラーを務め、勝負強い打撃に加え、82年から88年までゴールデングラブ賞を受賞し守備面も評価されていました。
89年に中畑選手がシーズン序盤に長期戦線を離脱すると、外野から左利きの駒田徳広選手が回り穴を埋める活躍を見せました。
1990年代
90年代前半は駒田選手とアキレス腱を痛めコンバートされた原辰徳選手が務めました。駒田選手はファーストのレギュラーとして出場した年は全ての年でゴールデングラブ賞を受賞し、走攻守揃った一塁手でした。原選手は一塁手として主に出場した92年に入団以来12年連続20本塁打の日本記録を更新しました。
90年代半ばからは導入されたFA制度によって巨人のファーストを守る選手が入れ替わっていきます。93年オフにFAにより中日から落合博満選手の加入が濃厚になると駒田選手はFA権を行使し、横浜に移籍します。三冠王の獲得経験が3回の落合選手は全盛期のような活躍はなかったものの3年間で安定した成績を残し、2度のリーグ優勝に貢献しましたが96年オフに西武から清原和博選手がFAで加入することを理由に自由契約を申し出て退団します。
清原選手は子どもの頃からファンだった巨人に念願叶って入団し、移籍1年目は開幕から4番を務め32本塁打95打点を記録するもチャンスで凡退するシーンが目立ちました。セリーグの攻め方に苦しんだことに加えて故障が目立つようになり、思った成績が残せないシーズンが続きました。
2000年代
清原選手がシーズン前のキャンプで離脱した00年は前年シーズン途中に加入していたマルちゃんことドミンゴ・マルティネス選手が活躍しました。清原選手が復帰するまで5番を打ち、17本塁打を記録しました。
清原選手が離脱することが多かったため、01年以降は隔年で選手が代わりました。02年はファーストに加えてサードと外野もこなせる斉藤宜之選手、04年は前年から加入していた本塁打王経験者のロベルト・ペタジーニ選手が起用されましたが清原選手を含め長くレギュラーを務めるまではいきませんでした。
チームもBクラスに沈むなど低迷しており、てこ入れのためにロッテから李承燁選手を獲得します。移籍初年度の06年の開幕戦から4番で出場するとフル出場を続けて打率.323、41本塁打、108打点の来日後最高の成績を記録しました。続く07年もレギュラーとして出場を続けますが、成績は下降していきます。
08年は前年にサードを守っていた小笠原道大選手が回り、最大13ゲーム差を逆転しての優勝に貢献しました。
2010年代
10年は腰痛からの復活を目指す高橋由伸選手が務めました。開幕戦に8番ファーストで出場しシーズン中盤以降は体調も戻り外野での出場が増えましたが、前年はわずか1打席に終わった悔しさを新たに挑戦したファーストで晴らす活躍を見せました。
翌年は小笠原選手が再びサードから回るも低調、12年はシーズン途中に2度目の加入となったエドガー・ゴンザレス選手が務めるも思ったような成績は残せませんでした。
13年からの2年はホセ・ロペス選手が守り、初年度は自前外国人選手としては初の打率3割、18年ぶりの規定打席に到達する活躍を見せましたが、キャッチャーから阿部慎之助選手が転向してくることもあり2年で退団しました。阿部選手は故障離脱がありながらも15年から3年務め、全盛期には程遠い成績でしたが出場を続けました。
18年には岡本和真選手が主に出場し、史上最年少での3割30本100打点を記録し4番に定着しました。その岡本選手はサードとの併用で19年シーズンを送り、ファーストには打撃力を生かしてキャッチャーから大城卓三選手が回ることが多いシーズンとなりました。
巨人軍歴代ファースト(一塁手)年俸ランキング!歴代最高年俸はロベルト・ペタジーニ選手の7億2000万円!
ここでは巨人軍歴代ファーストを年俸で順位付けしてみました。なお、年俸と成績はファーストとして1試合でも出場したことがあるシーズンの数字を記載しています。
順位 | 年度 | 選手名 | 年俸 | 打率 | 試合数 |
1 | 2003 | R.ペタジーニ | 7億2000万円 | 0.323 | 100 |
2 | 2007 | 李 承燁 | 6億0000万円 | 0.274 | 137 |
2 | 2014 | 阿部 慎之助 | 6億0000万円 | 0.248 | 131 |
4 | 2002 | 清原 和博 | 4億5000万円 | 0.318 | 55 |
5 | 2011 | 小笠原 道大 | 4億3000万円 | 0.242 | 83 |
巨人のファーストは近年FAにより他球団の主力の加入が多くありました。また、他球団で活躍していた外国人選手の加入も多く、移籍してきた選手の年俸が高くなっている傾向が見られます。
1位はロベルト・ペタジーニ選手で、2003年の7億2000万円が歴代最高年俸となりました。ヤクルト時代に本塁打王を2回獲得した実績を買われ入団し、1年目は本職ではない外野で出場することが多くありました。100試合の出場でしたが34本塁打を放ち、期待されていた長打力を発揮しました。
2位は同額で2人が並びました。1人目は07年の李承燁選手の6億円です。ロッテから移籍してきて1年目の06年にフル出場を果たして打率.323、41本塁打、108打点とBクラスに終わったチームで気を吐き、そのオフから年俸6億円の4年契約を結びました。07年は前年より成績は落としたものの30本塁打を記録し、チームの優勝に貢献しました。
同じく2位にランクインしたのは14年シーズンの阿部慎之助選手でした。前年オフに6億円となり迎えた14年シーズンは主にキャッチャーとして出場するも後々ファーストへのコンバートのきっかけとなる首痛を発症し、一塁手として出場することが多くなり始めた1年でした。
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4位は02年の清原和博選手。西武からFAで96年オフに入団して以降、西武時代のような活躍をなかなかできないシーズンが続く中、01年は打点王のタイトルこそ惜しくも逃したものの自身初となる100打点超えとなる121打点をマークし、オフの契約更改で4億5000万円となりました。迎えた02年は故障もあり55試合の出場に終わりますが、少ない打席数ながらも12本塁打を記録し、日本シリーズでは2本のアーチを描き優秀選手賞に選ばれました。
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5位にランクインしたのは小笠原道大選手でした。日本ハムから06年オフにFAで入団すると、1年目からMVPを獲得する活躍を見せました。その後も安定した成績を残し続け、10年オフに4億3000万円で契約を更改しました。11年は負担軽減を目的にサードからファーストに回り、5月には通算2000本安打を達成しますが、怪我による2度の戦線離脱もあり13年ぶりに規定打席に到達しない悔しいシーズンでした。
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私が思う最強の巨人軍歴代ファースト(一塁手)は王貞治選手!
近年は補強した選手が守ることの多い巨人のファーストのポジションですが、歴代最強の選手は世界の本塁打王、王貞治選手だと考えます。
ここで、王貞治選手のプロフィールを確認していきましょう。
職業:元プロ野球選手・元読売ジャイアンツ、福岡ソフトバンクホークス監督
生年月日:1940年5月20日
身長:177cm
出身:東京都(国籍:中華民国)
最終学歴:早稲田実業学校高等部
血液型:O型
1940年(昭和15年)5月20日生まれ、東京府東京市本所区(現・東京都墨田区)出身。早稲田実業学校高等部を経て、読売ジャイアンツに入団するとオープン戦で5本の本塁打を放ち、プロ1年目から7番ファーストで開幕スタメンを果たしました。
プロ22年で2,831試合に出場し、プロ4年目から引退する22年目まで30本塁打以上を記録し続け、通算では打率.301、868本塁打、2170打点を記録しています。通算本塁打数は世界記録、64年に記録したシーズン55本塁打は13年にバレンティン選手に抜かれるまで長らく日本記録として多くのスラッガーが目標にする記録でした。
セリーグMVP9回、本塁打王15回、打点王13回獲得し、長嶋茂雄選手とともにチームのV9に大きく貢献しました。また首位打者も5回獲得しており、長打力に加え確実性も兼ね備えた、相手投手からすると投げるところに困る強打者でした。
現役ラストシーズンも30本塁打を放ち、周囲はまだ現役続行を期待する中「王貞治としてのバッティングができなくなった」と引退を表明しました。最後までアーチを描き続けた「世界の本塁打王」は巨人歴代最高のファーストであること間違いなしです。
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巨人軍歴代ファースト(一塁手)に関する豆知識
王選手や清原選手などファーストを本職としてプレーしていた選手もいますが、巨人のファーストは他のポジションからコンバートされた選手が多くいます。特に原監督になってからは顕著にみられます。
古くは投手からコンバートされた川上選手、サードからの中畑選手、外野から回った駒田選手などが挙げられます。中畑選手と駒田選手はコンバート先のファーストでゴールデングラブ賞を複数回受賞する活躍を見せています。原監督自身もサードと外野を経て、一塁のレギュラーを務めたことがあります。
近年ではキャッチャーから転向した阿部選手を筆頭に、外野手でゴールデングラブ賞受賞経験がある高橋由伸選手や谷佳知選手、亀井選手が守るシーズンがありました。また、不動のショートである坂本勇人選手もコンディションを考慮され、2013年に3試合だけ守備についたことがあります。
今シーズンは新型コロナウイルスの影響でまだ開幕していませんが、空いている一塁のポジションを本職が外野の陽選手や山下選手、捕手の大城選手が争っています。コンバートされポジションを掴むのは誰なのか、注目です。
まとめ
・60年から80年まで王貞治選手が守り続け、打撃主要タイトルを数多く獲得している。
・近年は他球団の主軸の移籍が目立ち、清原選手やペタジーニ選手、李承燁選手が守った。
・歴代で一番年俸が高かったのは、2003年シーズンのペタジーニ選手の7億2000万円。
・王貞治選手は世界記録の868本塁打を放った世界の本塁打王であり、長らくプロ野球のシーズン最多本塁打記録を持っていた巨人歴代最強のファーストである。
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