【巨人】歴代4番打者の一覧まとめ!印象的な4番打者もご紹介
2019/09/28
巨人と言えば日本プロ野球でも最も歴史の古い球団です。その創設は1934年となっています。
当時の名称は大日本東京野球倶楽部というものでした。当時はアメリカメジャーリーグと対戦するために集められた日本代表のようなチームみたいなものだったのですね。それ以後、日本にもプロ野球ができて球団が増えていっているような状況になっています。
そのように、歴史があることと読売が持っていることで、昔は野球と言えば巨人軍という印象が強い野球ファンも多くいると思います。注目を集めている球団だけに常に勝つことを義務図けられているという印象もあります。
そんな巨人軍なだけに常に注目を集めるのが4番打者です。
現在12球団ある中で新たに4番に座ると、唯一第○○代4番打者と言われてその歴史に名を刻むようになっています。
今回はそんな巨人軍の歴代4番打者についてまとめてみました。懐かしい選手などもでてくると思いますので巨人軍のファンの方には特にチェックしてみて下さいね。
【巨人】歴代4番打者の一覧まとめ
ここでは歴代の4番打者を一覧にまとめてみます。一緒に確認していきましょう。
代 | 選手名 | 4番初試合 | 相手 | 試合数 |
1 | 永沢富士雄 | 1936年7月1日 | 名古屋 | 1 |
2 | 伊藤健太郎 | 1936年7月3日 | 大東京 | 17 |
3 | 中島治康 | 1936年7月11日 | 阪急 | 410 |
4 | 筒井修 | 1936年11月19日 | 名古屋 | 6 |
5 | 前川八郎 | 1937年9月25日 | タイガース | 1 |
6 | 水原茂 | 1937年9月29日 | ライオン | 4 |
7 | 川上哲治 | 1939年5月11日 | イーグルス | 1658 |
8 | 青田昇 | 1943年4月10日 | 大和 | 47 |
9 | 木暮力三 | 1943年7月1日 | 西鉄 | 11 |
10 | 中村政美 | 1943年11月7日 | 阪神 | 27 |
11 | 須田博 | 1944年4月10日 | 阪急 | 1 |
12 | 近藤貞雄 | 1944年5月8日 | 朝日 | 2 |
13 | 川畑博 | 1944年7月23日 | 阪神 | 6 |
14 | 黒沢俊夫 | 1946年4月27日 | セネタース | 37 |
15 | 小松原博喜 | 1947年7月27日 | 金星 | 1 |
16 | 平山菊二 | 1949年7月19日 | 急映 | 3 |
17 | 宇野光雄 | 1951年3月29日 | 松竹 | 7 |
18 | 南村侑広 | 1951年5月30日 | 大洋 | 17 |
19 | 手塚明治 | 1953年5月16日 | 洋松 | 5 |
20 | 宮本敏雄 | 1955年6月16日 | 国鉄 | 21 |
21 | 樋笠一夫 | 1955年10月8日 | 国鉄 | 4 |
22 | 柏枝文治 | 1955年10月9日 | 阪神 | 2 |
23 | 藤尾茂 | 1955年10月10日 | 阪神 | 13 |
24 | 与那嶺要 | 1958年6月14日 | 国鉄 | 35 |
25 | 長嶋茂雄 | 1958年8月6日 | 広島 | 1460 |
26 | 坂崎一彦 | 1959年7月21日 | 広島 | 12 |
27 | 国松彰 | 1960年10月3日 | 広島 | 4 |
28 | 王貞治 | 1962年4月7日 | 阪神 | 1231 |
29 | 池沢義行 | 1963年6月26日 | 広島 | 1 |
30 | 森昌彦 | 1964年7月19日 | 国鉄 | 6 |
31 | 相羽欣厚 | 1965年10月17日 | 阪神 | 4 |
32 | 吉田勝豊 | 1965年10月22日 | 広島 | 1 |
33 | 田中久寿男 | 1967年9月9日 | 阪神 | 2 |
34 | 高倉照幸 | 1967年10月11日 | 広島 | 3 |
35 | 森永勝也 | 1967年10月16日 | 大洋 | 1 |
36 | 柴田勲 | 1967年7月3日 | 阪神 | 1 |
37 | 末次利光 | 1970年6月2日 | 中日 | 15 |
38 | 柳田真宏 | 1974年9月6日 | 広島 | 1 |
39 | 張本勲 | 1976年4月24日 | 中日 | 126 |
40 | 淡口憲治 | 1976年4月25日 | 中日 | 1 |
41 | D.ジョンソン | 1976年9月1日 | 大洋 | 4 |
42 | J.シピン | 1978年6月14日 | 阪神 | 52 |
43 | 山本功児 | 1979年7月8日 | 阪神 | 7 |
44 | R.ホワイト | 1980年7月13日 | ヤクルト | 77 |
45 | 中畑清 | 1981年4月11日 | 阪神 | 219 |
46 | G.トマソン | 1981年5月15日 | 阪神 | 26 |
47 | 松原誠 | 1981年10月5日 | ヤクルト | 1 |
48 | 原辰徳 | 1982年6月4日 | 広島 | 1066 |
49 | R.スミス | 1983年4月14日 | ヤクルト | 30 |
50 | W.クロマティ | 1984年6月27日 | 中日 | 174 |
51 | 呂明腸 | 1988年7月17日 | 大洋 | 2 |
52 | 駒田徳広 | 1988年8月27日 | ヤクルト | 34 |
53 | 吉村禎章 | 1990年7月30日 | 阪神 | 32 |
54 | M.ブラウン | 1990年9月9日 | ヤクルト | 1 |
55 | P.ブラッドリー | 1991年4月29日 | 大洋 | 3 |
56 | L .モスビー | 1992年5月12日 | ヤクルト | 12 |
57 | J.バーフィールド | 1993年4月23日 | 阪神 | 22 |
58 | 岡崎郁 | 1993年8月11日 | ヤクルト | 3 |
59 | 大久保博元 | 1993年10月2日 | 広島 | 2 |
60 | 落合博満 | 1994年4月9日 | 広島 | 331 |
61 | 広沢克巳 | 1995年5月3日 | 阪神 | 56 |
62 | 松井秀喜 | 1995年8月25日 | 阪神 | 470 |
63 | S.マック | 1996年5月26日 | 広島 | 18 |
64 | 清原和博 | 1997年4月4日 | ヤクルト | 297 |
65 | 石井浩郎 | 1997年6月28日 | 中日 | 35 |
66 | 高橋由伸 | 1999年5月5日 | 阪神 | 142 |
67 | D.マルティネス | 1999年6月27日 | 広島 | 63 |
68 | R.ペタジーニ | 2003年4月15日 | 広島 | 76 |
69 | 小久保裕紀 | 2004年7月23日 | 横浜 | 173 |
70 | 李承燁 | 2006年3月31日 | 横浜 | 233 |
71 | 二岡智宏 | 2006年6月8日 | ソフトバンク | 1 |
72 | 阿部慎之助 | 2007年6月9日 | 楽天 | 494 |
73 | 小笠原道大 | 2007年7月24日 | 横浜 | 38 |
74 | A.ラミレス | 2008年4月4日 | 阪神 | 511 |
75 | 長野久義 | 2011年7月14日 | 阪神 | 73 |
76 | 村田修一 | 2012年5月1日 | 広島 | 161 |
77 | J.ロペス | 2013年4月28日 | ヤクルト | 3 |
78 | J.ボウカー | 2013年8月17日 | 中日 | 1 |
79 | L .アンダーソン | 2014年4月26日 | 広島 | 16 |
80 | F.セペダ | 2014年5月15日 | ヤクルト | 18 |
81 | 大田泰示 | 2014年9月27日 | 横浜 | 12 |
82 | 坂本勇人 | 2015年4月11日 | ヤクルト | 48 |
83 | 中井大介 | 2015年4月29日 | 中日 | 1 |
84 | 亀井義行 | 2015年7月7日 | ヤクルト | 17 |
85 | ギャレット.J | 2016年3月25日 | ヤクルト | 41 |
86 | L.クルーズ | 2016年4月14日 | ヤクルト | 9 |
87 | C.マギー | 2017年5月28日 | 広島 | 19 |
88 | A.ゲレーロ | 2018年3月30日 | 阪神 | 13 |
89 | 岡本和真 | 2018年6月2日 | オリックス | 93 |
やはり歴史が長いだけに多くの4番打者が誕生しているのが分かります。2019年現在で89人の4番打者が誕生しています。
ですが、これだけの4番打者がいる中で近年はあまり固定されていないような印象を受けます。2013年で初の4番になったJ.ロペス以降100試合出場した4番打者はいません。
やはり打の中心の4番打者が固定されていないのがチームの不振にも繋がっているともいえると思います。
新たに若き主砲の岡本和真選手が打を牽引していく存在になれば巨人の打撃力も更に安定していくかもしれませんね・・・(^^♪
印象的な4番打者をご紹介
ここでは印象的な4番打者を3名ほど紹介していきます。
川上哲治選手
打撃の神様とまで言われたのがこの川上哲治さんです。
巨人軍の7代4番打者で1658試合も4番を務めています。もちろんその試合数は歴代の中でも1位の記録となっています。日本プロ野球初の2000本安打も放っていた選手になります。
2000本安打の歴代達成者まとめ!最速と最年少は誰でいつ?【プロ野球】
監督としても巨人の黄金期を指揮しており、V9時代の監督も務めていました。巨人の長い歴史を語る上では外せない選手としてここで紹介させて頂きました。
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長嶋茂雄選手
長嶋茂雄さんも巨人軍の中では外せない選手で現在は巨人軍終身名誉監督にもなっています。V9時代の中心選手でした。
共に中心選手として戦っていた王貞治さんも外せないですが、王貞治さんが4番で、長嶋茂雄さんが3番を打っている印象がありましたが、長嶋茂雄さんの方が200試合以上4番に座っている試合数が多いのに少し驚きました。
長嶋茂雄さんがプロ野球を国民に人気の高いスポーツにした選手と言っても過言ではないと思います。このように、記憶にも記録にも残るような選手が今後一人でも多く出てくることを期待したいですね。
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原辰徳選手
原辰徳さんも1000試合以上巨人の4番を務めた素晴らしい選手でした。
監督としても2015年まで指揮を執っており選手と監督としても巨人一筋です。選手時代は入団時から12年年連続で20本塁打以上放つなど巨人の4番の顔になっていました。
また、2009年のWBCでは監督としても世界一に輝いてもいます。
今後の原辰徳さんには、是非後継の育成にも期待したいですね!まだまだ活躍をお願いしたい素晴らしい監督さんです。
まとめ
・巨人の歴代4番打者で一番試合数が多いのは打撃の神様と言われた川上哲治さんです。第7代4番打者で1658試合に4番打者として出場しています。
・巨人軍の黄金期の中心選手王貞治さん、長嶋茂雄さんは共に1000試合以上4番打者を務めています。ですが、長嶋茂雄さんの方が約200試合ほど多く4番打者に座っています。
・近年の巨人軍の成績が振るわないのは4番が固定されていないことがあげれます。第89代の4番打者岡本和真選手が巨人の若き主砲として定着すれば常勝巨人軍が蘇るかもしれません・・・(^^♪
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