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ブーマー・ウェルズの凄さが分かる名言・語録集!史上最高助っ人三冠王の伝説エピソードから努力論まで

打者最高の栄誉、それは間違いなく「三冠王」です。確実性の打率、破壊力の本塁打、勝負強さの打点、そのすべてを誇示する最高の称号です。戦後のプロ野球でこの三冠王を獲得したのはわずか7人。野村克也、王貞治、落合博満、ランディ・バース、松中信彦、村上宗隆、そして
ブーマー・ウェルズです。

ブーマーは身長2メートル、体重100キロの巨漢選手ですが、アメリカン・フットボールの最高峰NFL(ナショナル・フットボール・リーグ)からのドラフトでも指名されるほど、優れた運動能力を持ち、パワフルながら柔らかい打撃だけでなく、守備も上手く、選球眼も良い選手でした。

4年連続3割30本塁打、シーズン満塁本塁打4本という、いずれもパリーグタイ記録を持ち、シーズン最多安打4回、打点王4回という成績の背景には、助っ人の先輩赤鬼チャーリー・マニエルからの情報収集や来日後もこまめにメモをとるなどの研究熱心さがありました。

今回は史上最高助っ人三冠王ブーマー・ウェルズの凄さが分かる名言や語録を紐解き、伝説エピソードから努力論にまで迫ります。

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ブーマー・ウェルズについて

まずはブーマー・ウェルズの経歴を追ってみます。

本名グレゴリー・デウェイン・ウェルズ。1954年4月25日生まれ、アメリカ合衆国アラバマ州マッキントッシュ出身。ニューヨーク州立大学オールバニ校ではアメリカンフットボールの選手として活躍し、1975年のドラフトでニューヨーク・ジェッツに指名されますが、すぐにリリースされ、アマチュアFA選手として1976年にピッツバーグ・パイレーツと契約。1981年にトロント・ブルージェイズに移籍してメジャーリーグに昇格。翌1982年はミネソタ・ツインズに移籍しましたが、そのシーズンオフにトレードという形で阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)に入団しました。

1983年の来日初年度から打率3割を越え、1984年に大ブレークし、外国人選手では初となる3冠王に輝き、リーグ優勝に貢献。MVPも獲得します。この年から4年連続で30本塁打以上、打率は前年から5年連続で3割越えを果たします。1987年に打点王、1989年に首位打者を取りますが、1991年オフになり、年齢も37歳ということで自由契約となります。1992年、福岡ダイエー・ホークス(現福岡ソフトバンク・ホークス)に移籍し、打点王を獲得しますが、このシーズン限りで退団し、引退します。

メジャーリーグ通算2年間で、29安打、打率.228。
日本プロ野球通算10年間で、1413安打、277本塁打、打率.317。首位打者2回、本塁打王1回、打点王4回、MVP1回、ベストナイン4回、ゴールデングラブ賞2回。4年連続3割30本塁打以上はパリーグタイ記録。通算打率.317は右打者歴代1位(4000打席以上)。

引退後は野球代理人として活躍し、2年連続本塁打王に輝いたナイジェル・ウィルソンなどを日本に紹介する橋渡し役になっています。

 

私が選ぶ、ブーマー・ウェルズの凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「当然じゃないか。プロなんだから」

「正直言うと、日本には来たくなかった」というブーマー。来日に関して、彼に選択権はなく、保有権を持っていたのはミネソタ・ツインズでした。阪急ブレーブスはその権利をトレードマネーという形でツインズに支払い、ブーマーの保有権を得たのです。

当時の助っ人の中には、引退前に観光気分でやってくるような選手もいましたし、メジャーリーガーのプライドから日本のプレースタイルにアジャストする気がない選手もいました。しかし、不本意ながら日本に来た筈のブーマーは違いました。

「自分は日本に骨を埋めて、日本の野球になじめるように努力しようと思った」そうです。その理由が「プロなんだから」でした。

同僚だった松永浩美によると、ブーマーはまめにメモを取り、常に必要な情報を集めていたそうです。また「日本人はどんな言葉を言われたら嫌なの?」と尋ねられ、アメリカンジョークと日本の笑いの質の違いなどにも気を遣っていたそうです。

プロはどこか我儘で傲慢というイメージもありますが、本物のプロは成功するための努力は惜しまないのは当然であり、わざわざ自分の周囲の環境を悪くするような真似はしないのだとよくわかります。

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【名言語録その2】

「ハードワークと集中力。それと日本の野球や文化に適応する努力をしたからだと思います」

来日2年目で外国人選手初の3冠王に輝いたブーマー。その理由について「1年目のオフに、どう攻められたのか、日本のピッチャーの傾向やピッチングをしっかりと復習したこと」だと答えています。更に「日本の夏は蒸し暑くて、毎日プレーしていると身体に負担がかかってしまう」ことから、シーズンオフも2週間休んだだけで、ハードにランニングとウェートトレーニングをこなしたそうです。

日本で対戦したベストピッチャーとして村田兆治の名前を上げていますが、対戦成績は69打数25安打で打率.362。本塁打1本という好成績が残っています。それについて「データが間違っているんじゃないかい?」と言うほど「打ったという印象はまったくない」そうです。

「25本もヒットを打てたのだとしたら、大半は6回以降だったはずだ。それ以外、説明がつかない。村田は手術後で年齢を考えれば、体力的に6回までは持つ。でも交代するべきタイミングで日本の監督は降板させないだろう?だから日本の文化のお陰で村田を打てたというわけさ。試合中盤までの村田は攻略しようがなかったからね」

当時の日本のプロ野球はまだ先発完投がステータスだった時代です。村田はかつてタブーとされた肘の手術を受け、見事に復活してみせたことで、ある種の革命を起こした投手です。年齢も復帰した1985年には36歳であり、ブーマー曰く「オールドマン」でしたが、「パリーグのベストピッチャー」だったと話し、他にも好投手として東尾修や山田久志らの名前をあげています。

「アメリカのバッターは日本の経験で生まれ変わるんだ。マット・ステアーズやセシル・フィルダーはその好例さ。二人とも1年しか日本にいなかったけれど、アメリカに戻ったらバッティング技術がずいぶん高くなっていたからね」

 

「日本は打者にとって打撃を勉強するのに格好の場なんだ」

メジャーリーグで多くの日本人投手が活躍する様子を見るにつけ、ブーマーの言葉には説得力を感じます。

【名言語録その3】

「しゃがめないから、本当に困ったよ」

アメリカンフットボールのプロリーグであるNFLのチームからもドラフトを受けたブーマーですが「NFLの選手はみんな自分の歯がなくて、あまりやりたくはなかったね」とジョークで返すブーマー。NFLの選手はよく歯が折れたり、あるいは噛み合わせを良くして力が入りやすくするために、義歯にしている者が多いことからのジョークです。

結局、膝を痛めたこともあり、野球の道に進みましたが、本人は最初から野球メインだったと語っています。膝が良くないことで困ったのが、日本での和式トイレです。当時はまだ至るところで和式を採用しており、ブーマーに限らず、多くの外国人が苦戦していました。これアメリカに帰りたいと思う最大の悩みだったそうです。洋式トイレがもっと少なかったら外国人初の3冠王はランディ・バースのものになっていたかもしれません。

太りやすい体質でもあり、シーズン中も飲食には注意していたブーマーですが、当時の阪急ブレーブスには酒豪で名高い選手が多くいて、特に佐藤義則、今井雄太郎、福本豊らは「本当にたくさんお酒を飲むので食事に付き合うのは大変でした」と打ち明けています。たくさん酒を飲んで、たくさん食べる。それが当時のスタイルの中、ブーマーは付き合いはしても、体重コントロールは忘れませんでした。

またブーマーはプロ野球ファンにとって印象深い本塁打を2本放っています。1本目は1988年に西宮球場で渡辺久信から放った本塁打で、飛距離162メートルと推測され、日本プロ野球史上最長だと言われています。もう1本は1989年に藤井寺球場で叩き込んだ予告本塁打です。「しつこく内角を責められて、頭にきていた」ことで、思わずバットでレフトスタンドを指してしまつたそうです。

ブーマーは日本で成功できる外国人選手の条件として、打撃力の他に「日本でプレーするためのメンタル」を上げています。

「ハングリー精神、日本で何が何でも成功してやろうという気持ちが必要でしょう。日本野球に対する態度も大切だと思います」

すでにある程度の技術を持つプロだからこそ、心の差が現れるのだと感じます。

 

名言からの学び

・プロが努力するのは当たり前である

・環境の変化は勉強をする絶好機である

・技術の先に心がある

 

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