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有藤通世の凄さが分かる名言・語録集!ミスターロッテの伝説エピソードから人生哲学まで

プロ野球界において「ミスター」の称号は特別なものがあります。これを得るには決まった基準がなく、しかもいくら球団やマスコミが担ぎあげても、多くのファンがそう呼ばなければ認められません。「ミスタージャイアンツ」の長嶋茂雄も「ミスタータイガース」の村山実もファンから認められた「ミスター」でした。そして有藤通世もそうです。

有藤の「ミスターロッテ」の称号は、当時の監督である金田正一が「巨人における長嶋のような存在になれ」との思いで、授けたものです。いくら400勝投手金やんの言葉でも、ファンが満足する活躍をしなければその称号は定着しなかったでしょうが、三塁手として7年連続でベストナインに輝くなど、実力で自分の二つ名にしました。

走攻守がそろった選手として、現在ならば十分にトリプルスリーを狙えるくらいの成績を残した有藤。通算348本塁打、1061打点、1171得点、3521塁打は今でもロッテの球団記録ですし、282盗塁も球団3位の記録です。

今回は走攻守がそろったミスターロッテこと有藤通世の凄さが分かる名言や語録を紐解き、その伝説エピソードから人生哲学にまで迫ります。

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有藤通世について

まずは有藤通世の経歴を追ってみます。

1946年12月17日生まれ、高知県高岡郡宇佐町(現土佐市)出身。出生地は名古屋市でしたが、両親の離婚により2歳の時、母方の高知県に移住します。高知高校では2年の時にエースとして夏の選手権大会、3年の時に外野手として2年連続で選手権大会に出場。2度目の甲子園では最初の打席で顔面に死球を受け、その後は欠場を強いられました。卒業後は特待生として近畿大学へ進学。3塁手としてチームを3度の優勝に導き、自身も首位打者を獲得するなど活躍します。1968年のドラフト会議では「法政三羽がらす」と呼ばれた田淵幸一、山本浩二、富田勝、明治大学のエース星野仙一らと並び、東京オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)から1位指名を受けて入団します。

ルーキーイヤーからレギュラーの三塁手に抜擢され、21本塁打を放ち、新人王を獲得。この年から8年連続で20本塁打以上、18年連続で2桁本塁打を記録します。翌1970年には初の打率3割を越え、チームのリーグ優勝にも貢献。チームの中心選手としてオールスターにも選出され、その後13年連続で出場します。当初課題だった守備も徐々に改善され、1974年にはチームを日本一に導きます。

1975年、登録名を道世に変更。1977年に首位打者に輝きます。1984年、有藤に代わってチームの中心となっていた落合博満に3塁のポジションを渡し、外野手へ転向。1985年にはパリーグの大卒選手で初となる通算2000本安打を達成。翌1986年シーズン限りで引退しました。

日本プロ野球通算18年間で、2057安打、348本塁打、282盗塁、打率.282。新人王、首位打者1回、ベストナイン10回(3塁手として歴代2位)、ダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデングラブ賞)4回。

引退後はオリオンズの監督に就任。監督通算3年間で153勝をあげましたが、3年連続Bクラスに終わります。その後は解説者や飲食店の経営者としても活躍しています。

 

私が選ぶ、有藤通世の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「この優勝が私には屈辱に変わってしまうのです」

「この優勝」とは1964年の夏の甲子園選手権大会のことです。有藤は優勝した高知高校の4番打者でした。しかし甲子園での一回戦、秋田工業高校との戦いで、なんと第一打席目に顔面へのデッドボールを受け、そのまま病院に運ばれて、入院するはめになりました。チームは優勝しましたが、有藤はその光景を病院で見ていたそうです。

母親は死んだなと思ってしまったほどでしたが、幸いにも上の前歯が3本折れただけですみました。とはいえ有藤にとっては「屈辱」でした。「日本一になったのはうれしいことはうれしい。しかし自分が何かをやったワケではない」という思いでした。

県予選を考えれば、何もしていなかったわけではないと思いますが、チームメイトには「お前は全国制覇に貢献してないじゃないか」と言われたそうです。もちろん高校生らしい軽口なのでしょう。けれど言われた方としては、思うところがあるのは当然です。

「本当に悔しくて。だから絶対に日本一になってやろうと決めたんだ。日本一を経験して、ようやくこいつらと同等だとね」

1974年、その思いは叶い、有藤はロッテオリオンズの押しも押されぬ主軸として、日本一を手にしました。

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【名言語録その2】

「引き受けたのが僕の野球人生の中で失敗ですね。あの時の自分は監督の器じゃなかった」

引退後は「2年ぐらいアメリカに行って野球を見たり、現場に入れるなら入って勉強したりしようか」と考えていたという有藤。しかし球団からはこのまま監督をやってくれないと困るという強いオファーがありました。それが有藤曰く「野球人生の中で失敗」となってしまいました。

当時のロッテには3度も3冠王に輝き、日本を代表する打者に育っていた落合博満がいました。しかし落合は前監督の稲尾和久を慕い、「稲尾さんのいないロッテに自分はいる必要がない」などと発言し、牛島和彦ら4人とのトレードで中日ドラゴンズへと移籍してしまいます。

この件に関して落合は「ミスターオリオンズとして貢献してきた生え抜き監督を誕生させたかった」球団は、有藤に監督を「要請する際の条件のひとつに私のトレードがあった」と記しています。「新監督誕生に伴って、チームのイメージを変えたい。それにはミスターオリオンズの座を有藤さんから奪った私がいてはまずい」という理由だとのことです。

そのため有藤と落合には不仲説が流れました。しかし、それについて有藤は「落合のトレードに関しては、僕はいっさいタッチしていない」と答えています。「考えてもみてください。落合は日本一の4番ですよ。仮に彼のことをどれほど嫌いだったとしても、出すわけがないでしょう」「監督を引き受けた時に、オチは出せない、絶対必要やから、とお願いしてあるんですよ」と明かしています。

ミスターオリオンズという称号についても、有藤は過去のインタビューで「そういうのはどうも僕の性に合わない」と語っていて、彼自身はそれに執着しているようではありませんでした。

真相はわかりませんが、落合の放出によりチーム力が激減したのは間違いありません。結果として有藤はパリーグの昭和最後の最下位と平成最初の最下位を経験した監督になりました。しかし「あの時の自分は監督の器じゃなかった」という言葉には、その後、更に多くを学んだ有藤ならばどうだったのかを考えさせる含みがあります。すでに2024年には78歳になる有藤ですから、もう監督に返り咲くことはありませんが、この「あの時の」との発言に彼の矜持を感じます。

 

【名言語録その3】

「謝りに来たんだったら、悪かったの一言でいいんですよ。二の句、三の句はいらない」

1988年10月19日、今も「10.19」と語り継がれているロッテ対近鉄のダブルヘッダーの第2試合は近鉄の優勝がかかった大一番でした。急遽、全国ネットでテレビ放送され、普段はパリーグの試合を見ない人も視聴し、パリーグの野球が広く認知される大きな機会となりました。

波乱の予兆は初回裏、ロッテの2番打者佐藤健一へのデッドボールです。その際に近鉄の仰木彬監督がベンチから出てきて「お前、もう休め」というようなことを言ったそうです。仰木にすれば軽口のつもりだったのかもしれません。しかし高校時代にも軽口で思いつめた有藤は、上記のように「悪かったの一言でいい」と憤りました。

そして4対4の同点で迎えた9回。ロッテが無死ランナー1、2塁のチャンスを得ます。阿波野秀幸が2塁へ牽制し、ジャンプするように捕球した大石大二郎が走者古川慎一の上にかぶさるようにタッチし、判定はアウトとなります。

有藤曰く「古川のプレーはアウト」だったそうです。しかし「選手が訴えてたら僕は抗議に行かなければいけない」と、抗議に出ました。すると仰木も出て来たので、佐藤への暴言を思い出し、ちょっと抗議を長引かせようと思ったそうです。当時のパリーグの規定では試合開始から4時間を経過した場合は、そのイニングで終了だったからです。結果、延長10回で引き分けとなり、近鉄は最終戦で優勝を逃します。

その後、街を歩いていても「有藤のバカ野郎」と罵られたり、飲み屋で因縁をつけられたりしたそうです。9回で試合が終わったわけではなく、10回に近鉄が勝ち切る可能性があったわけですから、正直なところ意地悪とまでは言えない行為だったと思います。

しかし有藤は「10.19は苦い思い出でも、いい思い出でもない。何にもないです」と話しています。ただ2023年に「オリックスは昔から嘘つきが多い」という問題発言の裏には、この時の思いが込められていたのかもしれません。

母子家庭で育ち、安定した生活を望んでいたため、ドラフト1位指名を受けても「嬉しいというより、どうしたものか」と思ったという有藤。「野球が楽しいということはないです」という言葉の奥には、野球で生きていくと決めた男の意地が感じられます。

 

名言からの学び

・屈辱が雪辱を生む

・後悔の中にも矜持がある

・ぎりぎりの時にこそ意地が見える

 

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