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北海道日本ハムファイターズの歴代キャッチャー(捕手)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

東京から北海道に移り、道内を沸かせている北海道日本ハムファイターズ。

今回はその北海道日本ハムファイターズの歴代キャッチャーをリサーチして、北海道日本ハムファイターズ歴代最強のキャッチャー(捕手)について成績や年俸をまとめてみました。

チームを支えた司令塔たちの成績を振り返ってみましょう!

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北海道日本ハムファイターズの歴代キャッチャー(捕手)一覧まとめ!

まずは1950年以降、そのシーズンの主にキャッチャーを守った選手を確認してみましょう。

選手名 背番号 試合数 打率 本塁打 打点 タイトル
1950 鈴木圭一郎 22 86 0.207 3 17
1951 鈴木圭一郎 22 73 0.244 4 18
1952 鈴木圭一郎 22 108 0.250 4 47
1953 鈴木圭一郎 22 120 0.194 1 20
1954 土井垣 武 23 139 0.289 7 56
1955 鈴木圭一郎 22 89 0.216 1 12
1956 山本 八郎 8 105 0.249 4 24
1957 山本 八郎 8 82 0.318 9 40
1958 山本 八郎 8 84 0.282 8 49
1959 安藤 順三 31 130 0.184 4 33
1960 山本 八郎 8 119 0.249 13 53
1961 安藤 順三 31 135 0.223 4 32
1962 安藤 順三 31 106 0.208 0 22
1963 安藤 順三 31 123 0.253 4 29
1964 安藤 順三 31 91 0.224 1 25
1965 白仁天 41 116 0.267 14 44
1966 種茂 雅之 22 132 0.291 2 39
1967 種茂 雅之 22 116 0.254 5 33
1968 種茂 雅之 22 97 0.254 0 14
1969 鈴木 悳夫 9 89 0.210 3 14
1970 種茂 雅之 22 117 0.205 4 22
1971 種茂 雅之 22 121 0.202 4 23
1972 加藤 俊夫 33 121 0.241 10 39
1973 加藤 俊夫 33 106 0.293 12 46
1974 村井 英司 33 69 0.213 5 21
1975 高橋 博士 5 123 0.269 12 40
1976 加藤 俊夫 22 118 0.270 5 33
1977 加藤 俊夫 22 129 0.270 11 36 ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞
1978 加藤 俊夫 22 126 0.250 12 37
1979 加藤 俊夫 22 124 0.259 14 38
1980 加藤 俊夫 22 122 0.263 8 32
1981 大宮 龍男 27 113 0.249 15 53
1982 大宮 龍男 27 112 0.258 16 67 ダイヤモンドグラブ賞
1983 大宮 龍男 27 123 0.230 8 34
1984 大宮 龍男 27 106 0.253 7 31
1985 田村 藤夫 22 104 0.286 9 45
1986 田村 藤夫 22 130 0.274 19 56
1987 田村 藤夫 22 125 0.275 12 60
1988 田村 藤夫 22 129 0.248 10 35
1989 田村 藤夫 22 123 0.249 11 45
1990 田村 藤夫 22 106 0.244 9 33
1991 田村 藤夫 22 122 0.246 11 38
1992 田村 藤夫 22 116 0.243 9 35
1993 田村 藤夫 22 129 0.257 5 40 ベストナイン、ゴールデングラブ賞
1994 田村 藤夫 22 116 0.232 5 38
1995 山下 和彦 40 72 0.205 0 6
1996 田口 昌徳 31 101 0.210 5 22
1997 田口 昌徳 31 81 0.197 4 20
1998 野口 寿浩 54 109 0.235 10 34
1999 野口 寿浩 54 130 0.240 7 46
2000 野口 寿浩 54 134 0.298 9 76
2001 野口 寿浩 54 99 0.229 6 36
2002 野口 寿浩 54 103 0.227 5 31
2003 高橋 信二 30 105 0.262 12 49
2004 高橋 信二 30 115 0.285 26 84
2005 中嶋 聡 32 79 0.187 1 11
2006 高橋 信二 30 78 0.251 6 19
2007 高橋 信二 30 112 0.255 10 43
2008 鶴岡 慎也 64 97 0.210 1 18
2009 鶴岡 慎也 64 122 0.221 1 29 ゴールデングラブ賞
2010 鶴岡 慎也 64 105 0.236 3 26
2011 大野 奨太 28 102 0.227 3 17
2012 鶴岡 慎也 22 116 0.266 0 25 ベストナイン
2013 鶴岡 慎也 22 114 0.295 2 26
2014 大野 奨太 2 105 0.174 6 19
2015 大野 奨太 2 74 0.194 0 10
2016 大野 奨太 27 109 0.245 5 35 ゴールデングラブ賞
2017 大野 奨太 27 83 0.221 3 13
2018 鶴岡 慎也 22 101 0.243 2 22
2019 清水 優心 10 98 0.259 5 24
2020 宇佐見真吾 30 80 0.178 3 15
2021 清水 優心 10 100 0.206 4 18
2022 宇佐見真吾 30 81 0.256 5 24
2023 伏見 寅威 32 89 0.201 3 12
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1950年代

50年は主に3人の選手がマスクを被り、社会人を経て46年からプロとしてプレーしていた鈴木圭一郎選手が50年代前半は起用され、52年と53年はシーズン全試合出場を果たしました。

54年はタイガースとオリオンズで活躍した実績を持つ土井垣武選手にレギュラーを奪われましたが、鈴木選手は翌55年に返り咲き、56年になると鈴木選手に代わり高卒1年目の山本八郎選手が抜擢されました。

山本選手は57年に打率.318を記録する等、バッティングがよく、58年には4番で起用されましたが、59年はサードで出場するようになり、安藤順三選手が130試合に出場しました。

1960年代

60年は山本選手がキャッチャーに戻りましたが、61年からはファーストにコンバートされ、再び安藤選手がマスクを被りました。安藤選手はデータを駆使したリードで投手陣を牽引し、62年の球団初となるリーグ優勝に大きく貢献、64年までレギュラーとしてプレーしました。

65年は白仁天選手が打てるキャッチャーとして14本塁打を放ち、翌年外野に転向すると62年の日本シリーズでMVPに輝いた種茂雅之選手がレギュラーとして起用され、66年にリーグ5位となる打率.291を記録しました。

種茂選手が不調に陥った69年は鈴木悳夫選手が代わりに起用されることが多く、89試合の出場のうち先発は58試合でした。

1970年代

種茂選手は70年と71年にもレギュラーを務めましたが、72年に阪急へトレードで移籍となり、ヤクルト在籍時の69年に不祥事で野球界を離れていた加藤俊夫選手が入団してレギュラー争いを制しました。

加藤選手は73年に打率.293を残す等、結果を残し、74年は村井英司選手、75年は高橋博士選手の起用が多かったですが、76年からは再びレギュラーとして起用されて77年にベストナインダイヤモンドグラブ賞を受賞、77年から3年連続で二桁本塁打を放ちました。

1980年代

加藤選手は80年までレギュラーを務め、82年に加藤選手が大洋に移籍することになりますが、この時期にレギュラーに抜擢されたのは76年のドラフト4位で入団していた大宮龍男選手でした。

強気と緻密さを織り交ぜたリードで投手陣を牽引し、82年にはダイヤモンドグラブ賞を受賞する活躍を見せ、84年までレギュラーを務めました。その大宮選手からポジションを奪ったのは田村藤夫選手で、巧みなバッティングと強肩を武器に85年にレギュラーを掴むと86年に19本塁打を記録して盗塁阻止率は.429を記録しました。

86年からは4年連続で120試合以上に出場し、89年にはサイクル安打を達成する等、パリーグを代表するキャッチャーの1人となりました。

1990年代

田村選手は引き続きレギュラーを務め、93年に初めてベストナインとゴールデングラブ賞を受賞する等、扇の要としてチームを支え、94年までレギュラーとしてプレーしました。

95年になると山下和彦選手田口昌徳選手の出場機会が増えていき、山下選手が1年、田口選手が2年レギュラーとして起用されました。

98年は田口選手が左膝靭帯損傷により離脱、4月上旬にヤクルトからトレードで加入した野口寿浩選手が代わりに起用され、99年はプロ10年目で初めて規定打席に到達しました。

2000年代

野口選手は00年も規定打席に到達し、リーグ最多タイとなる11本の三塁打を記録、得点圏打率はリーグトップであり、同年記録したシーズン打率.298と137安打は規定打席に達したファイターズのキャッチャーでは歴代1位の記録でした。

02年オフに野口選手が阪神へトレードとなり、03年に就任したトレイ・ヒルマン監督はプロ入り6年間で25試合の出場だった高橋信二選手を抜擢、高橋選手は105試合に出場して12本塁打を放ち、04年はファイターズのキャッチャー歴代1位となる26本塁打84打点の好成績を残しました。

高橋選手が怪我に苦しんだ05年は阪急・オリックス・西武で実績十分だった中嶋聡選手が務め、06年と07年は再び高橋選手が守りましたが、打撃を優先するため指名打者での出場も多くなり、08年はプロ6年目で初めて開幕スタメンを果たした鶴岡慎也選手がそのままレギュラー格として起用され、09年は122試合の出場でパスボールはわずか2つと安定したキャッチングでリーグ優勝に貢献、ゴールデングラブ賞に選出されました。

2010年代

鶴岡選手は10年もマスクを多く被りましたが、08年のドラフト1位で東洋大学から入団していた大野奨太選手も併用されており、鶴岡選手が春先の故障で離脱した11年は大野選手が102試合に出場しました。

12年と13年は再び鶴岡選手がメインで起用され、12年には初めてベストナインに選ばれる活躍を見せましたが、13年オフにFAでソフトバンクに移籍、14年から大野選手がレギュラーを務めて安定した捕球技術とスローイングで16年にゴールデングラブ賞を受賞しました。

17年シーズン前に行われたWBCの代表に選出された大野選手でしたが、17年オフにFAで中日へ移籍、鶴岡選手がソフトバンクからFAで復帰して、18年は101試合に出場しました。

19年に鶴岡選手がバッテリーコーチを兼任すると若手キャッチャーの出場機会が増え、19年は高卒5年目の清水優心選手、20年は前年に巨人からトレードで入団していた大卒5年目の宇佐見真吾選手が多く起用されました。

その後は清水選手と宇佐見選手の起用が続きましたが、清水選手は21年の100試合出場から翌年は大きく出場機会を減らし、宇佐見選手も開幕スタメンを果たした23年シーズン途中にトレードで中日に移籍、23年は前年オフにオリックスからFAで入団した北海道出身の伏見寅威選手が投手陣を牽引しました。

 

北海道日本ハムファイターズの歴代キャッチャー(捕手)年俸ランキング!歴代最高年俸は田村藤夫選手の9000万円!

ここで北海道日本ハムファイターズの歴代キャッチャーを年俸で順位付けしてみました。なお、年俸と成績はキャッチャーのレギュラーとして出場したシーズンの数字を記載しています。

順位 年度 選手名 年俸 打率 試合
1 1994 田村 藤夫 9000万円 0.232 116
2 2001 野口 寿浩 8100万円 0.229 99
3 2013 鶴岡 慎也 7600万円 0.295 114
4 2017 大野 奨太 5500万円 0.221 83
5 2006 高橋 信二 5000万円 0.251 78
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ここでは北海道日本ハムファイターズの歴代キャッチャーを年俸で順位付けしてみました。なお、年俸と成績はキャッチャーのレギュラーとして出場したシーズンの数字を記載しています。

扇の要としてチームを支えた北海道日本ハムファイターズのキャッチャーで、歴代1位の年俸でプレーしたのは田村藤夫選手でした。80年代半ばから90年代半ばまでレギュラーを務め、実力者揃いのパリーグのキャッチャー部門で93年にベストナインを受賞すると94年の年俸は自己最高の9000万円になりました。

2位は野口寿浩選手で、98年の開幕直後にヤクルトからトレードで加入し、いきなりレギュラーを獲得、00年にはリーグ最多の11三塁打や規定打席に到達したファイターズのキャッチャーでは歴代最高となる打率と最多の安打数を記録して、翌01年シーズンの8100万円が歴代2位となりました。

3位は13年の鶴岡慎也選手です。ドラフト下位入団ながら正捕手の座へ上り詰め、09年にゴールデングラブ賞、12年にベストナインを受賞、自己最高年俸の7600万円でプレーした13年は打率.295を記録しましたが、同年オフに地元・九州のソフトバンクへFAで移籍しました。

4位にランクインしたのは17年の大野奨太選手。08年のドラフト1位で入団し、1年目から鶴岡選手とポジションを争い、鶴岡選手がFAで移籍した後はレギュラーとしてチームを支え、16年にゴールデングラブ賞を受賞しました。17年に年俸5500万円でプレーし、春先に行われたWBCの代表に選ばれ、引き続きチームを牽引する役割が期待されていましたが、同年オフにFAで中日に移籍することとなりました。

5位は06年に5000万円でプレーした高橋信二選手で、強打のキャッチャーとして打線の中心を担うこともあり、04年にはファイターズのキャッチャーで歴代1位となる26本塁打84打点を記録、05年は怪我でレギュラーを外れましたが、06年は再びメインで起用されました。

 

私が思う歴代最強の北海道日本ハムファイターズのキャッチャー(捕手)は田村藤夫選手!

多くのがキャッチャーマスクを被った北海道日本ハムファイターズのキャッチャーで、歴代最強のキャッチャーは80年代半ばから90年代半ばまでレギュラーを務めた田村藤夫選手だと考えます。

ここで、田村藤夫選手のプロフィールを確認していきましょう。

職業:元プロ野球選手・元プロ野球指導者・野球解説者
生年月日:1959年10月24日
身長:182cm
出身:千葉県
最終学歴:関東第一高校
血液型:A型

1959年(昭和34年)10月24日生まれ、千葉県習志野市出身。77年のドラフト会議で日本ハムファイターズの6位で指名され、関東第一高校から入団しました。

入団当時のファイターズは加藤俊夫選手と大宮龍男選手が一軍で活躍しており、一軍初出場はプロ3年目の81年で1試合のみの出場、翌年からの2年も計77試合となかなか出場することができませんでしたが、徐々に出場機会が増えていき、85年に104試合に出場しました。レギュラー2年目の86年には全試合出場を果たして打率.274、19本塁打を記録、87年は自己最高打率.275と60打点マークし、89年にはサイクル安打を達成する等、定評のあったキャッチング技術だけでなく、試合によってはクリーンアップの一角を担い、バッティングでもチームに貢献しました。

また、確かなスローイング技術と強肩で当時リーグ最高のキャッチャーと言われていたライオンズの伊東勤選手より高い盗塁阻止率を86年から5年連続で記録、ライオンズ黄金期と重なったため、ベストナインやゴールデングラブ賞にはなかなか届かず、93年の受賞のみでしたが、チームの成績が良い年が多ければ、受賞回数はもっと増えていたのではないでしょうか。

攻守にわたり活躍し、扇の要として球団史上最長となる10シーズンマスクを被ってチームを支えた田村藤夫選手が北海道日本ハムファイターズ史上歴代最強のキャッチャーだと考えます。

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北海道日本ハムファイターズの歴代キャッチャー(捕手)に関する豆知識

ダルビッシュ有投手からの信頼が厚く、同投手の登板時には必ずマスクを被っていた鶴岡慎也選手。その鶴岡選手はある事柄で「プロ野球史上初」となる経験をした選手です。

08年からレギュラーとして出場し、リーグ優勝に貢献する等活躍していた鶴岡選手でしたが、13年オフにFA権を行使し、キャッチャーが手薄になっていたソフトバンクが獲得に名乗りを上げ、鹿児島出身の鶴岡選手は地元・九州の球団に移籍することを決意しました。

ソフトバンクでも出場を続けていましたが、後に日本代表のレギュラーキャッチャーにもなった甲斐拓也選手の台頭もあり、移籍4年目の17年は出場機会が激減、再取得したFA権により他球団への移籍を目指したところ、古巣のファイターズからオファーがありました。

一度は出ていった身であるため、葛藤があったそうですが、ファイターズからの熱意で出戻りを決め、プロ野球史上初となるFAで移籍した選手が前所属にFAで移籍する選手となりました。

まとめ

・北海道日本ハムファイターズのキャッチャーは田村藤夫選手や鶴岡慎也選手が長くレギュラーを務めている。

・加藤俊夫選手や田村選手らがベストナインとダイヤモンドグラブ賞・ゴールデングラブ賞を受賞している。

・歴代で一番年俸が高かったのは、田村選手の9000万円。

・田村選手は打撃ではサイクル安打達成し、守備では高い盗塁阻止率を5年連続で記録する等、攻守にわたりチームを牽引した北海道日本ハムファイターズ歴代最強のキャッチャーである。

 

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