タイロン・ウッズの凄さが分かる名言・語録集!NPB・KBOで二冠王の伝説エピソードから努力論まで
次の選手の共通項は何だと思いますか?セス・グライシンガー、リック・バンデンハーク、ラウル・アルカンタラ、ホセ・フェルナンデス。答えは韓国プロ野球KBOで活躍し、日本プロ野球NPBに移籍してきた助っ人選手たちです。他にも多数の助っ人が韓国経由で日本にやってきていますが、その流れを作ったのは二冠王のタイロン・ウッズです。
ウッズは韓国での通算5年間で174本のホームランを放ちましたが、これは歴代外国人選手1位の記録です。日本でも通算6年間で240本のホームランを記録。韓国と日本の両リーグで共に、本塁打王と打点王の二冠王に輝きました。
韓国では有力紙である東亜日報による2016年のファンアンケートで、ウッズは史上最高の外国人選手に選ばれており、そのパワフルな打撃と、ドレッドヘアで、日韓で存在感を示し、愛されました。
今回はNPB・KBOで二冠王を獲得したタイロン・ウッズの凄さが分かる名言や語録を紐解き、その伝説エピソードから努力論にまで迫ります。
タイロン・ウッズについて
まずはタイロン・ウッズの経歴を追ってみます。
1968年8月19日生まれ、アメリカ合衆国フロリダ州ブルックスビル出身。ヘルナンド高校では野球の他にアメリカンフットボールもプレーしていましたが、1988年のMLBドラフト5巡目でモントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)に指名され入団します。
マイナーリーグのチームでプレーしますが芽が出ず、1995年からはボルチモア・オリオールズのマイナーチームに所属。1996年にはボストン・レッドソックスのマイナーチーム、1997年はメキシコリーグでもプレーします。
1998年、外国人選手に門戸が開かれた韓国リーグのOBベアーズ(現斗山ベアーズ)に入団。1998年から当時の韓国記録を破る42本塁打を放ち、打点王との二冠に輝き、外国人選手初のMVPに選ばれました。その後も活躍を見せましたが、2002年シーズン後に、日本の横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)に移籍します。
2003年、ベイスターズではメジャーリーグでプレー経験のあるスティーブ・コックスの控えという位置づけでしたが、キャンプで故障したコックスに代わりポジションを掴むと、シーズン40本塁打を放ち、本塁打王に輝きました。翌2004年も2年連続本塁打王となりましたが、条件面が折り合わずに退団。中日ドラゴンズと契約します。
ドラゴンズでも主砲として4年連続35本以上の本塁打を放ち、2006年には3度目の本塁打王を獲得します。しかし2008年オフには39歳となり、守備力の衰えも目立つことから、契約交渉がもつれて退団しました。
日本プロ野球通算6年間で、851安打、240本塁打、11盗塁、打率.289。本塁打王3回、打点王1回、ベストナイン3回。3年連続最多四球はセリーグ歴代3位。
韓国プロ野球通算5年間で、655安打、174本塁打、27盗塁、打率.294。本塁打王1回、打点王2回、MVP1回。
退団後は故郷のフロリダで、不動産業、牧場業などを行っています。
私が選ぶ、タイロン・ウッズの凄さがわかる名言・語録集
【名言語録その1】
「日本の球団にも売り込んだが、いくら韓国で活躍しても日本では無理だろうという見方をされたので、そういう評価をいずれ見返してやろう、と」
母国アメリカでは10年間プレーしましたが、メジャーリーグでのプレーは出来なかったウッズ。1998年にそれまで在日韓国人など韓国系にしか認められていなかった韓国プロリーグが、それ以外の外国人選手にも門戸を開いたのを機に、韓国に渡りました。
韓国では現在もウッズの通算174本塁打が外国人記録であり、2016年のアンケートでも韓国プロ野球史上最高の外国人選手に選ばれるなど、ファンの記録にも記憶にも残る助っ人となりました。そんな中でウッズは日本にも興味を抱いていたようです。
「アメリカの場合、どれだけいい選手かということよりも、チームがどれだけのお金を使ったかという、政治的なことが考慮されて、試合にでる選手が決まったりする。しかし韓国や日本はそうじゃなく、チームの中で状態のいい9人をゲームで使う意識が根付いていて、自分にはいい環境なのではないかと思っていた」
中日ドラゴンズに在籍していたアロンゾ・パウエルからも「日本はいい国だ」と聞いていたというウッズ。しかし日本移籍の話があっても、日本側はウッズの実力に懐疑的であり、条件が合わずに話が流れたこともありました。2003年にベイスターズと契約に至った時も、メジャーリーガーだったスティーブ・コックスに何かあった時の保険としてでした。
しかしライバルのケガをきっかけに、「そういう評価をいずれ見返してやろう」という強い気持ちの通り、一躍チームの主軸にのし上がり、日本での評価を一変させたのです。それはウッズだけでなく、韓国のプロ野球からいずれ日本へという助っ人選手たちのモデルケースのひとつにもなったのです。
【名言語録その2】
「打撃練習で微妙な欠点でも見つけてくれる。ボスは三冠王を獲得したほどの大打者。助言を聞かないでどうするの。俺はよく聞くようにしているし、それに助けられているんだ。ボスを尊敬しているしマイヒーローさ」
ベイスターズでは2年連続で本塁打王に輝いたウッズですが「今までホームランのタイトルはたくさん取ってきた。でもそれより一番欲しいのは優勝だった」との思いから、ドラゴンズへの移籍を決めます。そこで出会ったのが、ウッズが「ボス」であり「マイヒーロー」と讃える三冠王でドラゴンズの監督だった落合博満です。
落合は「あいつは放っておいても成績は残すよ。だから自由にやらせているんだ」と彼を信頼し、ウッズもボスの言うことにはしっかり耳を傾けるという関係でした。
「強引に引っ張ることで、バッティングの調子を崩してしまうので、フィールド全体を意識している」
自身の打撃スタイルについて、ウッズはそう説明しています。チームメイトだった立浪和義は、彼の打撃について「内角が苦手だからとホームから離れて立つことで克服し、リーチの長さを生かして外のボールでも長打にしていました」と語り、「日本で絶対に成功するんだというハングリーさがありました」と話しています。
2006年には勝てばリーグ優勝が決まる10月10日のジャイアンツ戦で、延長12回に試合を決定づける満塁ホームランを放ち、落合と抱き合うシーンが見られました。その劇的な結末は、信頼し合った二人が呼び寄せた結果だったのかもしれません。
【名言語録その3】
「東京ドームなら50%の力でホームランに出来るから好きなんだ」
よくボールが飛ぶと噂される東京ドーム。それを揶揄するような発言にも聞こえますが、この言葉の前には「巨人の投手は逃げずに勝負してくるし」という評価があります。
遠征先でも朝からウェイトトレーニングを欠かさず、腰痛防止のため宿舎にも低反発マットを持ってくるという真面目さと繊細さを持っていたウッズ。またホームランを放つと、ホームベース付近で必ず祈りを捧げるのは、ホームランを打つ肉体をくれたことに感謝してのことで、更に「活躍できたことで、球団やチームメイトから高い評価をもらいましたが、それでのぼせ上がらないように頑張っていこう」という謙虚さも見せていました。
時に内角攻めに怒り、藤井秀悟にパンチを食らわせてしまったこともありますが、落合によれば前日に五十嵐亮太から受けた死球で、指に亀裂が走っていたのが伏線だったそうで、見かけとは違って決して血の気が多いわけではありませんでした。
私生活ではイングリッシュ・コッカー・スパニエルを可愛がり、現在は牧場で牛を飼っているという穏やかな暮らしは、彼の何か国にもまたがるハードワークと、相手をリスペクトし、環境に順応できた結果なのでしょう。
名言からの学び
・巡って来たチャンスを逃さなかったものが成功をおさめる
・信頼が相乗効果を生み出す
・謙虚さとリスペクトがハードワークを助ける
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