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オリックス・バファローズの歴代キャプテン&選手会長一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

今回はオリックス・バファローズの歴代キャプテンと選手会長の成績や最高年俸などをリサーチしました。

好成績を収めてチームを牽引したリーダたちの姿がそこにはありました。

オリックス・バファローズの歴代のキャプテンと選手会長を早速チェックしていきましょう!!

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オリックス・バファローズの歴代キャプテン&選手会長一覧まとめ!

まずはキャプテンから見ていきましょう。

阪急ブレーブス、オリックス・ブレーブス、オリックス・ブルーウェーブとチーム名が代わり、04年オフに近鉄と合併して現在はオリックス・バファローズの名前で活動していますが、ここでは合併した初年度の05年から現在に至るまでのキャプテンを紹介します。

オリックス・バファローズのキャプテン一覧まとめ!

選手名 背番号 試合 打率 本塁打 打点 タイトル
2010 後藤 光尊 1 143 0.295 16 73
2011 後藤 光尊 1 130 0.312 8 55
2012 後藤 光尊 1 131 0.242 4 43
2014 坂口 智隆 9 122 0.235 2 40
2015 糸井 嘉男 7 132 0.262 17 68
2019 福田 周平 4 135 0.250 2 38

ブルーウェーブ時代はキャプテン制を導入しておらず、近年で最も古いキャプテンは10年から3年間務めた後藤光尊選手でした。キャプテン1年目の10年は全144試合中143試合に出場して打率.295、16本塁打、73打点の好成績を収め、翌11年は打率.312を記録してチームを牽引しました。

14年にキャプテンを務めた坂口智隆選手は選手会長との二足の草鞋を履き、15年は12年オフに日本ハムからトレードで加入し、在籍3年目だった糸井嘉男選手が抜擢されましたが、怪我に苦しむ中、通算1000安打と100本塁打を達成しました。

その後3年間はキャプテンが不在でしたが、19年にプロ2年目の福田周平選手が社会人出身ではあったものの異例の早さで就任し、135試合に出場しました。

 

オリックス・バファローズの歴代選手会長一覧まとめ!

選手会長はブルーウェーブ時代の00年以降から現在までを振り返ってみましょう。近鉄との合併以降は近鉄出身の選手も多く務めていることがわかりました。

選手名 背番号 試合/登板 打率/防御率 本塁打/勝利 打点/奪三振 タイトル
2000 田口 壮 6 129 0.279 8 49 ゴールデングラブ賞
2001 田口 壮 6 134 0.280 8 42 ゴールデングラブ賞
2002 三輪 隆 2 31 0.190 0 3
2003 三輪 隆 2 65 0.184 2 8
2004 三輪 隆 2 60 0.308 8 17
2005 川越 英隆 11 24 3.66 6 89
2006 川越 英隆 11 24 3.14 9 74
2007 北川 博敏 23 144 0.280 9 61
2008 北川 博敏 23 105 0.265 13 49
2009 日高 剛 27 93 0.254 5 34
2010 日高 剛 27 79 0.279 6 24
2011 岸田 護 18 68 2.61 5 74
2012 鈴木 郁洋 44 41 0.197 0 1
2013 坂口 智隆 9 97 0.230 3 24
2014 坂口 智隆 9 122 0.235 2 40
2015 伊藤 光 22 104 0.271 1 28
2016 伊藤 光 22 80 0.241 3 15
2017 T-岡田 55 143 0.266 31 68
2018 T-岡田 55 97 0.225 13 43
2019 若月 健矢 37 138 0.178 1 21
2020 若月 健矢 37 75 0.240 3 19
2021 吉田 正尚 34 110 0.339 21 72 首位打者、最高出塁率、ベストナイン
2022 吉田 正尚 7 119 0.335 21 88 最高出塁率、ベストナイン
2023 杉本裕太郎 99 96 0.242 16 41
 
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イチロー選手がプレーした最終年だった00年は、イチロー選手と外野陣を形成していた田口壮選手が務め、2年連続でゴールデングラブ賞を受賞、01年オフにイチロー選手を追うようにメジャーリーグ挑戦を表明し、バトンをキャッチャーの三輪隆選手に渡しました。
97年から2年連続でレギュラーを務めていた三輪選手は、キャプテンだった3年間は出場試合数こそ少なかったものの合併に揺れたチームの代表として、難しい局面でキャプテンシーを発揮しました。

近鉄と合併して迎えた05年からの2年間はオリックス出身の川越英隆投手が就任し、先発ローテーションの一角を担い、川越選手の後を受けた近鉄出身の北川博敏選手は07年に144試合フル出場を果たしました。

09年は99年からキャッチャーのレギュラーを務め、苦しいシーズンが続いた中、扇の要としてチームを支えた日高剛選手が2年間務め、引き続きレギュラーとしてプレーしました。10年に伊藤光選手にレギュラーを譲った日高選手は選手会長の座を先発・リリーフとして登板を重ねていた岸田護投手にバトンタッチし、その岸田投手は68試合に登板してリーグ2位となる33セーブを挙げ、抑えとしてチームの勝利に貢献しました。

岸田投手は1年のみ務め、12年は中日時代の00年にシドニーオリンピックに出場した経験のあるベテラン・鈴木郁洋選手が就任しましたが、同年オフに引退を発表、ショートのレギュラーだった大引啓次選手が後任を務めることになっていましたが、電撃トレードで日本ハムに移籍し、急遽坂口智隆選手が役割を担いました。

坂口選手は就任2年目の14年はキャプテンとの兼任でチームを引っ張り、同年にベストナインとゴールデングラブ賞を受賞していたキャッチャーの伊藤光選手が15年から2年間務め、15年は104試合に出場してリーグトップの守備率を記録しました。

プロ5年目の10年に本塁打王を獲得していたT-岡田選手が伊藤選手の後を受け、選手会長1年目の17年は本塁打王を獲得した10年以来2回目となる30本塁打以上を放ち、全試合に出場する等、打線の中心として活躍しました。

19年からの2年はレギュラーキャッチャーの若月健矢選手が務め、三連覇が始まった21年は吉田正尚選手が就任し、吉田選手は21年に首位打者、最高出塁率とベストナインを獲得、22年も最高出塁率とベストナインに輝き、どちらのシーズンも打率.330を超えるハイアベレージを記録しました。

吉田選手がメジャーリーグに挑戦した23年は青山学院大学で吉田選手の2年先輩だった杉本裕太郎選手が引継ぎ、明るい性格でチームを盛り上げており、24年も続投することが決定しています。

 

【オリックス・バファローズ】歴代キャプテン&選手会長の年俸ランキング!歴代最高年俸は吉田正尚選手の4億円!

ここではオリックス・バファローズ歴代キャプテンと選手会長を年俸で順位付けしてみました。在任期中の最高年俸を記載しています。まずはキャプテンから見てみましょう。

【オリックス・バファローズ】歴代キャプテンの年俸ランキング!歴代最高年俸は糸井嘉男選手の3億5000万円!

順位 年度 選手名 年俸 打率 試合
1 2015 糸井 嘉男 3億5000万円 0.262 132
2 2011 後藤 光尊 1億5000万円 0.321 130
3 2014 坂口 智隆 9000万円 0.235 122
4 2019 福田 周平 2800万円 0.250 135

 

キャプテンの1位は糸井嘉男選手3億5000万円でした。12年オフにトレードで入団し、在籍2年目だった14年に首位打者を獲得、翌15年にキャプテンを務めました。15年もチームの主軸として132試合に出場しました。

2位は11年の後藤光尊選手。07年からセカンドのレギュラーを務め、10年オフにFA権を行使して残留し、年俸1億5000万円での複数年契約を締結、キャプテン就任2年目だった11年も攻守にわたりチームを牽引しました。

3位にランクインしたのは14年の坂口智隆選手で、この年はキャプテンと選手会長を兼任する重責を担ったシーズンでした。前年に97試合の出場にとどまり、年俸は下がり9000万円になりましたが、3年ぶりに100試合を超える出場試合数を記録しました。

4位は福田周平選手でした。1年目の18年から一軍での実戦経験を積み、年俸2800万円でプレーした19年にプロ入り2年目という早さでキャプテンに抜擢されました。主に1番セカンドでの出場を続け、初めて規定打席に到達、リーグ2位タイとなる30盗塁を達成しました。

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【オリックス・バファローズ】歴代選手会長の年俸ランキング!歴代最高年俸は吉田正尚選手の4億円!

続いて選手会長です。

順位 年度 選手名 年俸 打率 試合
1 2022 吉田 正尚 4億0000万円 0.335 119
2 2001 田口 壮 1億2000万円 0.280 134
2 2018 T-岡田 1億2000万円 0.225 97
4 2013 坂口 智隆 1億1500万円 0.230 97
5 2008 北川 博敏 9000万円 0.265 105

 

00年以降は主に野手が選手会長を務めてきましたが、最も年俸が高かったのは22年の吉田正尚選手で、4億円でした。メジャーリーグ挑戦前の最後のシーズンとなったこの年は首位打者を獲得した21年に続いてハイアベレージを記録、チームの二連覇に大きく貢献しました。

2位は2人が並び01年の田口壮選手と18年のT-岡田選手1億2000万円でした。田口選手は00年に続いて選手会長を務め、メジャーリーグに移籍する前の最後のシーズンだった01年は前年に受賞したゴールデングラブ賞の連続受賞を果たしました。T-岡田選手は本塁打王を獲得した10年以来2回目となる30本塁打以上を選手会長1年目の17年に記録、18年は97試合で13本塁打に終わり、苦しいシーズンでした。

4位にランクインしたのは13年の坂口智隆選手で、年俸1億1500万円でのプレーでした。外野の中心として長らくプレーしていましたが、13年はこの年から選手会長を務める予定だった大引啓次選手が電撃トレードで日本ハムに移籍したことにより、急遽選手会長の座に就きました。

5位は08年の北川博敏選手9000万円。04年オフの球団合併後、初めて近鉄出身の選手として07年に選手会長に就任、1年目は144試合に出場しましたが、2年目は出場試合数が減り、105試合の出場に終わりました。

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私が思う最強のオリックス・バファローズのキャプテンは後藤光尊選手!

キャプテンを置く年が少ないオリックス・バファローズのキャプテンですが、歴代最強のキャプテンは10年から3年間務めた後藤光尊選手だと考えます。

ここで、後藤光尊選手のプロフィールを確認していきましょう。

職業:元プロ野球選手・プロ野球指導者
生年月日:1978年7月27日
身長:175cm
出身:秋田県
最終学歴:秋田高校(法政大学中退)
血液型:A型

1978年(昭和53年)7月27日生まれ、秋田県南秋田郡八郎潟町出身。2001年のドラフト会議で10位指名を受け、当時のオリックス・ブルーウェーブに入団しました。

高校時代はエースとして3年時に選抜高校野球で甲子園の舞台に立ち、法政大学に進学しましたが中退、社会人の川崎製鉄千葉でプレーを続けて、プロの世界に入りました。1年目の02年は開幕戦にスタメン出場を果たし、03年にショートのレギュラーを獲得、04年の球団合併以降は07年からセカンドのレギュラーを掴み、パンチ力のある打撃と高い身体能力を活かした守備で、攻守にわたりチームを牽引しました。

キャプテンに就任した10年は主に3番を打ち、143試合に出場して三割近い打率と16本塁打を記録、翌11年は打率.312をマークする好成績を収め、球団最長となる3年間キャプテンを務めた後藤光尊選手が、オリックス・バファローズ史上最強のキャプテンでしょう。

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私が思う最強のオリックス・バファローズの選手会長は吉田正尚選手!

主力の選手が多く担ってきた選手会長ですが、歴代最強の選手会長は21年と22年の在任中に連覇に大きく貢献した吉田正尚選手だと考えます。

まずは、吉田正尚選手のプロフィールを確認していきましょう。

職業:プロ野球選手
生年月日:1993年7月15日
身長:173cm
出身:福井県
最終学歴:青山学院大学
血液型:B型

1993年(平成5年)7月15日生まれ、福井県福井市出身。福井の強豪・敦賀気比高校から青山学院大学に進み、2015年のドラフト会議で1巡目指名を受けて、オリックス・バファローズに入団しました。

そこまで大きくない体ですが、背中につくぐらいのフルスイングで学生時代は注目を浴び、プロでも1年目から2桁10本塁打を放ち、プロ3年目の18年は26本塁打、19年は29本塁打を記録する等、打線の中心を担い活躍しました。20年は本塁打数は減ったものの打率.350で生え抜き選手としては00年のイチロー選手以来となる首位打者を獲得し、若月健矢選手から選手会長を引継ぎました。

選手会長として迎えた21年もバットは火を噴き、シーズン終盤は故障での欠場がありながら、打率.339で2年連続の首位打者に輝き、ベストナインを受賞、前年最下位に沈んでいたチームを25年振りとなるリーグ優勝に導きました。

翌22年はメジャーリーグ挑戦前の最後のシーズンとなりましたが、ハイアベレージを記録して打線を牽引、選手会長の重責を担いチームの二連覇と26年振りの日本一に大きく貢献した吉田正尚選手が史上最強の選手会長です。

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オリックス・バファローズの歴代キャプテン&選手会長に関する豆知識

日本ハムから移籍して3年目の15年にキャプテンに就任した糸井嘉男選手。走攻守三拍子揃い、抜群の身体能力を活かしたダイナミックなプレーと不思議な発言でファンを盛り上げてきた糸井選手ですが、15年の開幕直前にも名言(迷言)を残しています。

開幕前日の練習後のインタビューでキャプテンマークをつける重みについて問われた糸井選手は、左袖のキャプテンマークを見せながら「結構軽い素材です」と予想外の回答をしました。

チームは5位に終わり、自身も故障により離脱を経験する等、苦しいシーズンでしたが、通算1000安打、100本塁打を達成し、野球人生初だったキャプテンで過ごした1年はメモリアルな年になりました。


 

 

まとめ

・オリックス・バファローズでは4人がキャプテンを務め、後藤光尊選手が長く務めた。

・選手会長は三輪隆選手が最長の3年務め、それ以外は2年務める選手が多くいた。

・歴代で一番年俸が高かったのは、キャプテンは糸井嘉男の3億5000万円、選手会長では吉田正尚選手の4億円。

・後藤選手はキャプテンを務めた3年間のうち2年間で主力としてチームを牽引、吉田選手はタイトルを獲得する等、25年ぶりのリーグ優勝や連覇に大きく貢献した選手会長である。

 

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