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福岡ソフトバンクホークスの歴代指名打者一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

2023/03/04

バット1本でチームに貢献してきた選手が多くいた福岡ソフトバンクホークスの指名打者。

今回はそんな福岡ソフトバンクホークスの指名打者を務めた歴代選手の成績や最高年俸等についてまとめ、福岡ソフトバンクホークス歴代最強の指名打者についてご紹介します。

打撃でチームに貢献した名選手たちを振り返ってみましょう!!

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福岡ソフトバンクホークスの歴代指名打者一覧まとめ!

まずは指名打者制が採用された1975年以降、そのシーズンの主に指名打者を務めた選手を一覧にしてみました。

選手名 背番号 試合数 打率 本塁打 打点 タイトル
1975 ロリッチ 22 123 0.220 22 66
1976 片平 晋作 25 107 0.246 12 43
1977 ホプキンス 6 113 0.266 16 69
1978 門田 博光 27 106 0.250 15 44
1979 王 天上 42 113 0.248 23 56
1980 門田 博光 44 111 0.292 41 84
1981 門田 博光 44 127 0.313 44 105 本塁打王、最高出塁率、ベストナイン
1982 門田 博光 44 107 0.273 19 45
1983 門田 博光 60 122 0.293 40 96 本塁打王、ベストナイン
1984 門田 博光 60 108 0.285 30 78
1985 門田 博光 60 114 0.272 23 62
1986 門田 博光 60 123 0.262 25 77
1987 門田 博光 60 126 0.317 31 69 最高出塁率
1988 門田 博光 60 130 0.311 44 125 本塁打王、打点王、最高出塁率、MVP、ベストナイン
1989 山本 和範 29 111 0.308 13 55
1990 バナザード 9 75 0.275 13 40
1991 門田 博光 53 112 0.364 18 66
1992 山本 和範 29 130 0.265 18 65
1993 山本 和範 29 117 0.301 12 40
1994 カズ山本 29 115 0.317 11 62
1995 吉永幸一郎 27 81 0.293 8 34
1996 若井 基安 25 108 0.253 0 19
1997 吉永幸一郎 27 132 0.300 29 73
1998 吉永幸一郎 27 112 0.249 13 48
1999 吉永幸一郎 27 113 0.275 16 38
2000 大道 典良 55 95 0.330 1 36
2001 大道 典嘉 55 104 0.325 5 36
2002 大道 典嘉 55 101 0.296 6 36
2003 大道 典嘉 55 117 0.281 4 51
2004 ズレータ 42 130 0.284 37 100
2005 松中 信彦 3 132 0.315 46 121 本塁打王、打点王、最高出塁率、ベストナイン
2006 田上 秀則 70 62 0.283 3 31
2007 ブキャナン 00 99 0.285 11 48
2008 松中 信彦 3 144 0.290 25 92
2009 松中 信彦 3 126 0.279 23 80
2010 ペタジーニ 16 81 0.261 10 41
2011 カブレラ 42 89 0.225 10 35
2012 ペーニャ 8 130 0.280 21 76 ベストナイン
2013 柳田 悠岐 44 104 0.295 11 41
2014 李大浩 10 144 0.300 19 68
2015 李大浩 10 141 0.282 31 98 ベストナイン、日本シリーズMVP
2016 長谷川勇也 24 122 0.271 10 51
2017 デスパイネ 54 136 0.262 35 103 本塁打王、打点王、ベストナイン
2018 デスパイネ 54 116 0.238 29 74
2019 デスパイネ 54 130 0.259 36 88 ベストナイン
2020 バレンティン 4 60 0.168 9 22
2021 デスパイネ 54 80 0.264 10 41
2022 デスパイネ 54 89 0.269 14 40

1970年代

指名打者制が採用された75年は前年レフトを守っていたロン・ロリッチ選手が務め、22本塁打を放ちました。76年は片平晋作選手がプロ5年目で初めて二桁本塁打を記録し、翌年はゲイル・ホプキンス選手が広島から移籍してきて113試合に出場しました。

78年はライトから門田博光選手が回り、79年は「王天上」の登録名でプレーしたフランク・オーテンジオ選手が5番打者として出場し、23本塁打を放ちました。

1980年代

80年代は79年に負ったアキレス腱断裂から復帰した門田選手が打撃に専念し、89年にオリックスに移籍するまでの9年間で4回40本塁打以上を記録しました。81年、83年、88年に本塁打王を獲得し、打点王とMVPも獲得した88年シーズンは40 歳で迎えたシーズンであり、プロ野球史上最年長でのMVP受賞となりました。

門田選手が移籍した89年はレフトを守っていた山本和範選手が111試合で打率.308の好成績を残しました。

1990年代

前年までセカンドを守っていたトニー・バナザード選手が指名打者に回り、91年は2シーズンぶりに復帰した門田選手が務めました。

92年からの3年間は再び山本選手(94年の登録名はカズ山本)、95年からは「打てるキャッチャー」として期待されていた左打ちの吉永幸一郎選手が務め、97年に打率3割、29本塁打、73打点を記録しました。吉永選手がキャッチャーを守った96年は若井基安選手が自己最多タイとなる108試合に出場しました。

2000年代

00年から03年で起用された大道典良(典嘉)選手は大柄な体を曲げ、バットを短く持つスタイルで左投手キラーとして活躍しました。04年はフリオ・ズレータ選手が来日2年目で37本塁打100打点を記録し、05年は前年にファーストを守って三冠王を獲得した松中信彦選手が1年務め、46本塁打と121打点を記録して二冠に輝きました。

翌年は05年オフに中日から移籍してきた田上秀則選手が主に起用され、田上選手がキャッチャーに回るとブライアン・ブキャナン選手が入団して務めましたが1年限りで退団しました。

08年と09年は再び松中選手が務めました。

2010年代

10年からの3年間は外国人選手が起用され、ヤクルトで本塁打王獲得経験のあったロベルト・ペタジーニ選手、西武で本塁打王獲得経験のあったアレックス・カブレラ選手が起用されましたが、全盛期には遠く及ばない成績でした。12年はウィリー・モー・ペーニャ選手が務め、21本塁打76打点を記録してベストナインに選出されました。

13年は後に外野のレギュラーを務めることになる柳田悠岐選手、14年からの2年はオリックスから移籍してきた韓国の主砲・李大浩選手が担い、李大浩選手は15年にベストナインと日本シリーズMVPを受賞しました。

16年は外野のレギュラー経験があった長谷川勇也選手、17年からはキューバの主砲・アルフレド・デスパイネ選手がコロナウイルスの影響で来日が遅れた20年以外で起用され、19年には36本塁打88打点でベストナインに選ばれました。

20年はヤクルト時代にシーズン本塁打の日本記録を樹立したウラディミール・バレンティン選手が起用されましたが、パリーグ移籍1年目で適応できず、60試合の出場に終わりました。

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福岡ソフトバンクホークスの歴代指名打者年俸ランキング!歴代最高年俸は松中信彦選手と李大浩選手とウラディミール・バレンティン選手の5億円!

ここでは福岡ソフトバンクホークスの歴代指名打者を年俸で順位付けしてみました。なお、年俸と成績は指名打者のレギュラーとして出場したシーズンの数字を記載しています。

順位 年度 選手名 年俸 打率 試合数
1 2008 松中 信彦 5億0000万円 0.290 144
1 2015 李大浩 5億0000万円 0.282 141
1 2020 W.バレンティン 5億0000万円 0.168 60
4 2021 A.デスパイネ 4億0000万円 0.264 80
5 2016 長谷川 勇也 2億0000万円 0.271 122

 

長打力や広角に打ち分ける打撃が武器の選手が多く務めてきた福岡ソフトバンクホークスの指名打者ですが、1位は5億円で3人が並び、1人目は平成唯一の三冠王獲得者でファーストやレフトでもレギュラーを務めたことのある松中信彦選手です。指名打者での出場が主だった05年も46本塁打121打点を記録して本塁打と打点の二冠に輝きました。

2人目は15年の李大浩選手で、オリックスから14年に移籍し、移籍1年目から打率3割を記録、2年目の15年は31本塁打98打点を記録してベストナインを受賞し、日本シリーズでも勝負強さを発揮してMVPを獲得しました。

3人目はウラディミール・バレンティン選手です。ヤクルト在籍時にシーズン本塁打記録を塗り替え、20年からホークスでプレーしました。長打力を期待されていましたが、パリーグ投手陣に苦しみ、60試合の出場で9本塁打に終わりました。

4位にランクインしたのは21年に4億円でプレーしたアルフレド・デスパイネ選手です。日本球界でのキャリアはロッテでスタートし、17年からホークスでプレーしました。移籍1年目の17年に本塁打王と打点王の二冠に輝き、18年は29本塁打、19年は36本塁打と毎年コンスタントに成績を残しました。

5位は16年の長谷川勇也選手。00年代後半にセンターのレギュラーに定着し、13年には打率.341のハイアベレージを記録して首位打者を獲得した実力者です。指名打者での出場が主だった16年は2億円でプレーし、打率.271、10本塁打とまずまずの成績を残しました。

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私が思う歴代最強の福岡ソフトバンクホークスの指名打者はアルフレド・デスパイネ選手!

多くの強打者が務めた福岡ソフトバンクホークスの指名打者ですが、歴代最強の指名打者はキューバ出身のアルフレド・デスパイネ選手だと考えます。

ここで、アルフレド・デスパイネ選手のプロフィールを確認していきましょう。

職業:プロ野球選手
生年月日:1986年6月17日
身長:175cm
出身:キューバ
最終学歴:マニュアル・ファハルド国立体育大学
血液型:不明

1986年(昭和61年)6月17日生まれ、キューバ共和国サンティアゴ・デ・クーバ州出身。マニュアル・ファハルド国立体育大学卒業後、長らくキューバの国内リーグでプレー、04年から代表チームに招集されるようになり、北京オリンピック等で活躍しました。その後メキシカンリーグでのプレーを経て、14年シーズン途中にロッテに加入、ホークスには17年に入団しました。

移籍1年目から自慢の長打力を発揮し、136試合の出場で35本塁打を放ち、勝負強いバッティングで打点を稼ぎ、本塁打と打点の二冠に輝きました。18年は116試合出場で29本塁打、19年は130試合出場で36本塁打を記録する等、多くの試合に出場し、30本塁打前後を放って相手投手陣にダメージを与えました。

20年以降は新型コロナウイルスの影響で入国ができなかったり、東京オリンピックの予選や負傷もあり出場試合数は100試合を切りましたが、二桁本塁打は記録しており、ホークスで出場した576試合のうち555試合で指名打者として出場したアルフレド・デスパイネ選手が、歴代最強の指名打者でしょう。

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福岡ソフトバンクホークスの歴代指名打者に関する豆知識

指名打者は打撃専門であるため、怪我や年齢で守備につくことができなくても打撃でチームに貢献できるポジションです。ホークスでも怪我を乗り越えて指名打者として結果を残した選手が多くいました。

門田博光選手はプロ1年目から主にライトで出場を重ねていましたが、79年にアキレス腱断裂の大怪我を負い、80年から指名打者での出場がメインになりました。80年に40本塁打、81年に44本塁打、83年に40本塁打、88年に44本塁打を放つなど、守りにつかなくても打撃でチームに貢献し続けました。

90年代後半に指名打者を務めた吉永幸一郎選手は元々キャッチャーでしたが、膝の故障でファーストや指名打者での出場が多くなりました。卓越したバットコントロール、内角打ちの巧さで安定した成績を残し、99年にはこの年に創設されたオールスターゲームファン投票の指名打者部門で初の選出選手になりました。

 

まとめ

・門田博光選手やアルフレド・デスパイネ選手が長くレギュラーを務めている。

・門田選手や松中信彦選手、デスパイネ選手が打撃主要タイトルを獲得している。

・歴代で一番年俸が高かったのは、08年の松中選手、15年の李大浩選手、20年のウラディミール・バレンティン選手の5億円。

・デスパイネ選手は加入1年目から本塁打と打点の二冠に輝き、その後も本塁打を量産した福岡ソフトバンクホークス史上歴代最強の指名打者である。

 

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