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横浜DeNAベイスターズの歴代投手(エース)一覧まとめ!最強選手や最高年俸ランキングも合わせてチェック!

50年の球団創設からこれまで多くの投手がマウンドに上がって来た横浜DeNAベイスターズ。

今回は横浜DeNAベイスターズの歴代投手をリサーチして、最強の投手(エース)をご紹介します。

昭和・平成・令和の時代に登板した歴代投手をチェックしていきましょう!!

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横浜DeNAベイスターズの歴代投手(エース)一覧まとめ!

1950年以降、そのシーズンの主な先発・中継ぎ・抑えの選手を一覧表にしてみました。

まずは先発から見てみましょう。そのシーズンで先発登板があり、最も多く勝ち星を挙げた投手を掲載しています。

横浜DeNAベイスターズの歴代投手(先発)一覧まとめ!

選手名 背番号 先発登板 防御率 勝利数 投球回 完投数 タイトル
1950 高野 裕良 16 37 3.65 25 384.2 29
1951 林 直明 19 25 3.00 16 227.1 17
1952 高野 裕良 16 33 3.22 17 296 23
1953 権藤 正利 51 26 2.77 15 220.2 13 新人王
1954 権藤 正利 18 26 2.83 11 263.1 23
1955 江田 貢一 15 27 2.97 10 220.1 14
1956 秋山 登 17 35 2.39 25 379.2 26 新人王
1957 秋山 登 17 40 2.50 24 406 27 最多奪三振
1958 秋山 登 17 36 2.51 17 359 20
1959 秋山 登 17 33 3.29 14 300.1 17
1960 秋山 登 17 26 1.75 21 262.1 8 最優秀防御率、最高勝率、MVP、ベストナイン
1961 秋山 登 17 17 2.63 20 280.2 6
1962 秋山 登 17 17 1.94 26 290.2 8
1963 稲川 誠 15 38 2.42 26 338.1 19
1964 稲川 誠 15 40 2.91 21 302.2 21
秋山 登 17 23 2.73 21 259.2 8
1965 高橋 重行 11 30 2.40 21 277.1 11
1966 稲川 誠 15 25 3.13 10 184.1 6
1967 森中 千香良 55 27 2.96 18 255 14
1968 島田 源太郎 20 22 2.89 14 167.2 5 最高勝率
1969 山下 律夫 12 21 2.54 15 202.1 7
1970 平松 政次 27 38 1.95 25 332.2 23 最多勝、沢村賞、ベストナイン
1971 平松 政次 27 32 2.23 17 279 11 最多勝、ベストナイン
1972 坂井 勝二 12 31 3.01 15 3.01 10
1973 平松 政次 27 19 3.03 17 207.2 9
1974 平松 政次 27 30 3.65 15 243.2 12
1975 平松 政次 27 22 3.24 12 172.1 9
1976 平松 政次 27 35 3.81 13 260.1 16
1977 平松 政次 27 21 3.96 10 166 10
1978 野村 収 21 28 3.14 17 238 12 最多勝
1979 平松 政次 27 25 2.39 13 196 11 最優秀防御率
1980 野村 収 21 30 4.68 15 192.1 4
1981 遠藤 一彦 24 17 3.93 8 135.1 5
1982 遠藤 一彦 24 34 3.06 14 243.2 12
1983 遠藤 一彦 24 28 2.87 18 238.1 16 最多勝、最多奪三振、沢村賞、ベストナイン
1984 遠藤 一彦 24 37 3.68 17 276.2 18 最多勝、最多奪三振
1985 遠藤 一彦 24 28 3.15 14 214.1 16
1986 遠藤 一彦 24 31 3.01 13 233 16 最多奪三振
1987 遠藤 一彦 24 23 2.88 14 181.1 15
1988 欠端 光則 16 12 3.22 11 151 6
1989 欠端 光則 16 14 3.31 9 130.1 2
1990 野村 弘樹 14 22 3.50 11 162 8
1991 野村 弘樹 20 26 3.16 15 182.1 6
1992 盛田 幸妃 15 6 2.05 14 131.2 1 最優秀防御率
1993 野村 弘樹 21 25 2.51 17 179.1 9 最多勝
1994 斎藤 隆 11 27 3.13 9 181 7
島田 直也 48 2 3.86 9 116.2 0
1995 斎藤 隆 11 26 3.94 8 162 2
三浦 大輔 46 22 3.90 8 147.2 3
1996 斎藤 隆 11 27 3.29 10 196.2 11 最多奪三振
野村 弘樹 21 25 4.12 10 146.1 4
1997 川村 丈夫 16 26 3.32 10 151.2 2
野村 弘樹 21 25 3.89 10 143.1 1
三浦 大輔 46 22 3.35 10 142.1 4 最高勝率
戸叶 尚 63 21 4.11 10 127 0
1998 野村 弘樹 21 27 3.34 13 177.2 3
斎藤 隆 11 18 2.94 13 143.2 1
1999 川村 丈夫 16 26 3.00 17 183 5
2000 三浦 大輔 18 24 3.22 11 164.2 4
2001 小宮山 悟 11 24 3.03 12 148.2 6
2002 吉見 祐治 22 25 3.64 11 188 5
2003 ドミンゴ 50 25 4.69 8 153.2 3
2004 吉見 祐治 21 19 5.26 7 106 1
マレン 40 28 4.71 7 151 0
セドリック 50 16 3.54 7 104.1 1
2005 三浦 大輔 18 28 2.52 12 214.2 10 最優秀防御率、最多奪三振
2006 門倉 健 24 25 4.84 10 187 2
2007 寺原 隼人 24 27 3.36 12 184.2 4
2008 三浦 大輔 18 21 3.56 7 144 4
2009 三浦 大輔 18 28 3.32 11 195.1 6
2010 清水 直行 17 26 5.40 10 155 1
2011 高崎健太郎 22 29 3.45 5 177.1 0
三浦 大輔 18 18 2.91 5 111.1 2
2012 三浦 大輔 18 25 2.86 9 182.2 6
2013 三浦 大輔 18 27 3.94 9 175.2 2
2014 久保 康友 27 28 3.33 12 178.1 2
2015 久保 康友 27 21 4.12 8 122.1 2
2016 山口 俊 11 19 2.86 11 138.2 5
2017 今永 昇太 21 24 2.98 11 148 3
2018 東 克樹 11 24 2.45 11 154 1 新人王
2019 今永 昇太 21 14 2.91 13 170 3
2020 大貫 晋一 16 19 2.53 10 113.2 1
2021 大貫 晋一 16 22 4.34 6 112 0
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1950年代

球団創設1年目は巨人でプレー経験のあった高野裕良投手がリーグ4位の25勝を挙げ、52年も17勝をマークしました。同時期にチームを牽引した林直明投手は51年に16勝を記録し、柳川商業高校から53年に入団した権藤正利投手がプロ1年目に15勝、2年目に11勝を挙げてチーム勝ち頭となり、53年は新人王を受賞しました。

55年は戦前から活躍していた江田貢一投手が10勝、翌年は明治大学のエースだった秋山登投手がプロ1年目で25勝を挙げて新人王を獲得、以降大洋ホエールズのエースとしてチームを引っ張っていきました。57年は24勝を記録して、投球回数は406に到達、アンダースローから放たれる速球とシュートで相手打者を打ち取りました。

1960年代

秋山投手は60年に21勝、防御率1.75を記録して球団史上初のリーグ優勝に大きく貢献し、最優秀防御率とMVPのタイトルを獲得しました。62年まで20勝以上を続け、64年も21勝を挙げましたが65年以降成績は下降線をたどりました。

その秋山投手と先発陣を形成していた稲川誠投手は63年に26勝、64年に秋山投手と並ぶ21勝を記録、65年は高橋重行投手がリーグ2位の21勝をマークしました。

66年は稲川投手、67年は南海で活躍していた森山千香良投手、68年は生え抜きの島田源太郎投手がチームトップの勝ち星を挙げ、69年は近畿大学から入団して3年目の山下律夫投手が自己最多となる15勝をマークしました。

1970年代

70年代は「カミソリシュート」を武器とした平松政次投手が活躍しました。3年目だった前年の69年に14勝を記録していた平松投手は70年に大きく成績を伸ばし、25勝を挙げて最多勝と沢村賞を受賞、72年と78年を除きチームトップの勝利数を記録しました。

坂井勝二投手が15勝でトップだった72年は13勝、17勝を挙げた野村収投手最多勝を獲得した78年も10勝を記録しており、70年代は全ての年で2桁勝利を達成しました。

1980年代

80年は69年に入団し、72年にロッテに移籍後、日本ハムを経て78年に復帰した野村投手が最多勝を獲得した78年以来2年ぶりにチームトップの勝ち星を挙げましたが翌年は3勝に終わり、代わってリリーフから転向した遠藤一彦投手が81年からチームの勝ち頭になりました。

83年から2年連続で最多勝を獲得し、83年は沢村賞も受賞、87年までチームトップの勝ち星を記録しましたが、87年の試合中に右アキレス腱を断裂する大怪我を負い、先発として思うような成績が残せなくなりました。

88年と89年は中継ぎでの起用も多かった欠端光則投手がフル回転し、活躍しました。

1990年代

名門・PL学園出身でプロ3年目の90年に初めて二桁勝利(11勝)を挙げた野村弘樹投手は翌年も15勝、93年は17勝で最多勝を獲得、96年から98年までチームトップの勝利数を記録して左腕エースとしてチームを牽引しました。

92年は中継ぎでの起用が多かった盛田幸妃投手が規定投球回数に到達して最優秀防御率を受賞、14勝を挙げる活躍を見せました。

94年は斎藤隆投手と中継ぎ起用がメインだった島田直也投手が9勝、翌年は斎藤投手とリーゼントの髪型がトレードマークで「ハマの番長」の愛称で親しまれた三浦大輔投手が台頭して8勝を記録、斎藤投手は翌年も野村投手と並ぶチームトップの勝利数を記録し、優勝した98年も野村投手とともにチームを牽引しました。

正確なコントロールと多彩な球種で打者を打ち取った三浦投手は97年に自身初となる二桁勝利(10勝)を記録、この年は野村投手、ルーキーの川村丈夫投手、右のサイドスローの戸叶尚投手も10勝を挙げ、10勝カルテットが誕生しました。

99年は川村投手が17勝を挙げ、最多勝は逃したものの20勝の巨人・上原浩治投手、19勝の中日・野口茂樹投手に次ぎリーグ3位の勝利数でした。

2000年代

チームが低迷した00年代は、チーム成績に比例してトップの勝利数を記録した投手の成績も伸びませんでした。00年は三浦投手が11勝、01年はロッテの主力として活躍し、00年にFAで入団していた小宮山悟投手が12勝、02年はプロ2年目の吉見祐治投手が12勝を記録して奮闘しましたが、03年はドミンゴ・グスマン投手が8勝、翌04年は吉見投手、サウスポーのスコット・マレン投手、シーズン途中に入団したセドリック・バワーズ投手の7勝が最高でした。

4年ぶりにAクラス入りを果たした05年は三浦投手が12勝を挙げ、最優秀防御率と最多奪三振に輝きました。

再びBクラスに転落し、06年からの4年間で3回最下位を経験したチームの先発陣を引っ張ったのは中日でも活躍した門倉健投手、06年オフにソフトバンクから移籍してきた寺原隼人投手、番長・三浦投手でした。

2010年代

三浦投手が不調だった10年は前年オフにロッテからトレードでやって来た清水直行投手で、10勝を挙げましたが防御率は5.40と悪く、11敗を記録しました。翌年は三浦投手と5年目の高崎健太郎投手がチームトップの5勝を挙げましたが、高崎投手はリーグワーストとなる15敗を記録し、チームは4年連続最下位に沈みました。

12年と13年は三浦投手が9勝、14年からの2年はロッテで新人王を獲得した経験のある久保康友投手がチーム最多勝、16年にアレックス・ラミレス監督が就任して05年以来となるAクラスに入りました。

その16年は先発転向3年目の山口俊投手がプロ11年目で初の2桁勝利(11勝)を記録、17年は2年目サウスポーの今永昇太投手が前年8勝から11勝に伸ばし、今永投手は19年もチームトップの勝ち星を記録しました。

18年は東克樹投手がチェンジアップを武器に11勝を挙げ新人王に輝きましたが、翌年は左肘の不調で5勝に終わり、20年は東投手がキャンプ中に離脱し、今永投手もシーズン途中に戦列を離れ、プロ2年目の大貫晋一投手が10勝を挙げました。大貫投手は翌年も6勝を挙げチーム最多勝でしたが、先発陣が振るわずチームは15年以来となる最下位に終わりました。

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横浜DeNAベイスターズの歴代投手(中継ぎ)一覧まとめ!

続いて中継ぎ投手の一覧です。最優秀中継ぎのタイトルが創設された1996年からの表になります。05年にホールドポイント(ホールド+救援勝利)が導入されるまでは登板数が一番多い投手を掲載しています。

選手名 背番号 登板数(リリーフ) 防御率 勝利数 ホールドポイント タイトル
1996 五十嵐 英樹 13 44 3.38 9 -
1997 河原 隆一 15 64 6.29 1 -
1998 島田 直也 48 54 2.36 6 -
1999 横山 道哉 43 42 4.93 4 -
2000 森中 聖雄 14 52 2.38 6 -
2001 木塚 敦志 20 69 2.48 9 - 最優秀中継ぎ
2002 竹下慎太郎 54 44 4.81 2 -
2003 福盛 和男 24 62 4.50 1 -
2004 川村 丈夫 16 58 3.07 4 -
2005 川村 丈夫 16 56 2.31 6 -
2006 加藤 武治 17 65 2.48 8 35
2007 木塚 敦志 20 76 3.06 3 32
2008 石井 裕也 44 35 2.38 2 16
2009 真田 裕貴 30 68 2.98 5 24
2010 牛田 成樹 35 41 1.21 2 25
2011 江尻慎太郎 27 65 2.06 2 24
2012 加賀 繁 16 61 2.86 0 26
2013 大原 慎司 41 58 3.00 2 19
2014 長田秀一郎 56 52 3.86 5 21
2015 エレラ 53 52 2.96 5 27
2016 三上 朋也 35 59 2.61 2 34
2017 三上 朋也 35 61 5.12 3 34
2018 パットン 53 58 2.57 5 38
2019 エスコバー 62 74 2.51 5 37
2020 石田 健大 14 50 2.53 1 26
2021 エスコバー 62 61 3.38 4 36

 

1990年代

90年代は4人の投手が最多登板を記録し、96年はセットアッパーに抜擢された五十嵐英樹投手がリリーフとして44試合に登板し、自己最多となる9勝をマークしました。

97年は主にワンポイントリリーフで左のサイドスロー・河原隆一投手が64試合に登板、98年は島田直也投手が安定した投球を見せ、中継ぎエースとしてリーグ優勝に貢献しました。

99年は前年53試合に登板していた横山道哉投手が最多登板数を記録しました。

2000年代

00年代は多くの投手が最多登板を記録しました。00年は左腕の森中聖雄投手、01年は前年抑えとして登板することの多かった2年目サイドスローの木塚敦志投手が69試合に登板し、最優秀中継ぎに輝きました。

木塚投手が腰痛による不調だった02年は左のワンポイントリリーフの竹下慎太郎投手、03年は福盛和男投手がプロ9年目で最多の62試合に登板しましたが、同年オフに近鉄にトレードで移籍しました。

先発として99年に17勝を挙げた実績のある川村丈夫投手が中継ぎに回り、04年からの2年は最多登板を果たしました。特に05年は防御率2.31と好成績でした。

その川村投手と中継ぎ陣を支えていた右のサイドスロー・加藤武治投手が、06年にセットアッパーに抜擢され、翌年は木塚投手が最多ホールドポイントを記録し、川村投手・加藤投手・木塚投手・抑えのマーク・クルーン投手のリリーフユニット4人は「クワトロK」と名づけられ活躍しました。

08年は中日からシーズン途中にトレードで加入した石井裕也投手、09年は前年途中に巨人からトレードで加入した真田裕貴投手が活躍しました。

2010年代

03年のドラフト4位で入団した牛田成樹投手は10年に41登板で25ホールドポイントを記録、翌年も19ホールドポイントをマークしました。同時期に中継ぎとしてチームを支えた江尻慎太郎投手は11年にチームトップとなる65試合に登板して24ホールドポイントを記録しました。

12年は右の変則サイドスローの加賀繁投手、13年はサウスポーの大原慎司投手が中継ぎ陣を牽引し、14年は前年途中に西武からトレードで加入していた長田秀一郎投手が安定した投球を披露しました。

15年からは外国人投手がセットアッパーを担うことが多くなり、15年はヨスラン・エレラ投手、18年はスペンサー・パットン投手、19年と21年はエドウィン・エスコバー投手が160キロに迫る剛速球で打者を打ち取りました。

日本人投手ではプロ入り後リリーフ専門として登板を重ねている三上朋也投手、先発経験豊富な石田健大投手がチーム最多ホールドポイントを記録しました。

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横浜DeNAベイスターズの歴代投手(抑え)一覧まとめ!

ここではその年一番多くセーブを記録した投手を掲載しています。

74年からセーブがプロ野球に導入されましたが、導入当初は最終回だけ投げる投手は少なく、ロングリリーフをして結果的にセーブがついているケースが多くありました。また、先発の合間にリリーフをこなす選手もおり、そのため登板数に比べて投球回数が多い選手が多くいました。

選手名 背番号 登板数(リリーフ) 防御率 勝利数 セーブ数 タイトル
1974 山下 律夫 17 18 4.09 9 5
1975 奥江 英幸 45 39 4.82 5 3
1976 奥江 英幸 45 22 4.09 11 3
山下 律夫 17 33 5.74 2 3
1977 杉山 知隆 21 27 4.79 9 4
高橋 重行 33 44 4.14 6 4
奥江 英幸 45 31 4.92 6 4
1978 平松 政次 27 21 3.92 10 7
1979 遠藤 一彦 24 23 3.81 12 8
1980 遠藤 一彦 24 52 3.17 5 16
1981 斉藤 明雄 17 28 4.31 5 10
1982 斉藤 明夫 17 55 2.07 5 30 最優秀防御率
1983 斉藤 明夫 17 54 3.57 10 22 最優秀救援
1984 斉藤 明夫 17 41 4.88 11 10
1985 斉藤 明夫 17 55 2.13 9 18
1986 斉藤 明夫 17 44 1.85 5 23 最優秀救援
1987 斉藤 明夫 17 39 2.17 4 15
1988 中山 裕章 19 70 2.28 10 24
1989 中山 裕章 19 44 4.10 1 17
1990 遠藤 一彦 24 45 2.17 6 21
1991 佐々木主浩 22 57 2.00 6 17
1992 佐々木主浩 22 53 2.46 12 21 最優秀救援
1993 佐々木主浩 22 38 3.27 3 20
1994 盛田 幸希 17 46 2.48 8 16
1995 佐々木主浩 22 47 1.75 7 32 最優秀救援
1996 佐々木主浩 22 39 2.90 4 25 最優秀救援
1997 佐々木主浩 22 49 0.90 3 38 最優秀救援
1998 佐々木主浩 22 51 0.61 1 45 最優秀救援、MVP、ベストナイン
1999 佐々木主浩 22 23 1.93 1 19
2000 木塚 敦志 20 46 2.89 7 18
2001 斎藤 隆 11 50 1.67 7 27
2002 斎藤 隆 11 39 2.45 1 20
2003 ギャラード 32 13 2.19 0 8
2004 佐々木主浩 22 25 3.18 1 19
2005 クルーン 42 55 2.70 3 26
2006 クルーン 42 47 3.00 2 27
2007 クルーン 42 43 2.76 3 31
2008 寺原 隼人 24 37 3.30 3 22
2009 山口 俊 11 51 3.27 5 18
2010 山口 俊 11 54 2.62 2 30
2011 山口 俊 11 59 2.49 2 34
2012 山口 俊 11 60 1.74 1 22
2013 ソーサ 53 55 1.79 3 19
2014 三上 朋也 35 65 2.33 1 21
2015 山﨑 康晃 19 58 1.92 2 37 新人王
2016 山﨑 康晃 19 59 3.59 2 33
2017 山﨑 康晃 19 68 1.64 4 26
2018 山﨑 康晃 19 57 2.72 2 37 最多セーブ
2019 山﨑 康晃 19 61 1.95 3 30 最多セーブ
2020 三嶋 一輝 17 48 2.45 3 19
2021 三嶋 一輝 17 59 4.08 3 23
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1970年代

横浜DeNAベイスターズではセーブ導入当初の時期は同様の傾向が見られ、74年の山下律夫投手や76年の奥江英幸投手は先発として20試合以上に登板していました。77年の高橋重行投手、78年の平松政次投手、79年の遠藤一彦投手も二桁の先発登板記録が残っています。

一方で、75年の奥江投手と76年の山下投手はリリーフ登板が主であり、77年にチーム最多セーブを記録した杉山知隆投手もリリーフ登板がメインだったため、先発及びロングリリーフをこなす投手とリリーフ専門投手がいたことがわかります。

1980年代

80年に遠藤投手が16セーブを挙げましたが、56登板のうち先発登板は2試合のみで年間を通してリリーフを務め、翌年から87年までチーム最多セーブを記録した斉藤明雄(明夫)投手は81年に先発として19試合に登板していますが、それ以降は年間で0~2試合に先発し、リリーフ専門として登板を重ねて83年と86年に最優秀救援に輝きました。

88年に斉藤投手が先発に回ると中山裕章投手が70試合に登板して24セーブを記録、翌年も17セーブをマークしました。

1990年代

90年は先発に回っていた遠藤投手が抑えを務め、21セーブを記録しましたが翌年は怪我による離脱で7セーブに終わり、代わりに抑えに抜擢されたのは後に「ハマの大魔神」と呼ばれることになる佐々木主浩投手でした。

91年以降は肘の手術で盛田幸妃投手に抑えの座を譲った93年を除いて守護神として登板し、5回最優秀救援を獲得、優勝した98年はMVPとベストナインも受賞しました。

落差の大きいフォークを操り、相手の主軸を打ち取り続け、98年は史上初の40セーブを記録し、最終的には45セーブを挙げました。

2000年代

佐々木投手がメジャーリーグに挑戦し、00年に新たに抑えを任されたのはルーキーだった木塚敦志投手で、サイドスローから繰り出される変化球を武器に18セーブを挙げ、木塚投手がセットアッパーに回った01年は佐々木投手の大学の後輩・斎藤隆投手が先発から転向し、2年間で47セーブを挙げました。

03年に斎藤投手が先発に戻ると中日の抑えを務めていて、首脳陣と衝突してシーズン途中に退団したエディ・ギャラード投手が加入し、8セーブを記録しました。

04年は佐々木投手がメジャーリーグから復帰して19セーブを挙げましたが、球威に衰えが見え、翌年8月に引退を表明しました。

その05年からは当初セットアッパーとして起用されていたマーク・クルーン投手が抑えを務め、160キロを超えるストレートと高速フォークを武器に07年オフに巨人に移籍するまで守護神として君臨しました。

08年は先発を務めていた寺原隼人投手、09年も寺原投手と同様に先発経験のあった山口俊投手が回りました。

2010年代

山口投手は12年まで抑えを務め、11年には34セーブを記録する等安定した投球を見せていましたが、13年は救援失敗が目立ち、ホルヘ・ソーサ投手にポジションを奪われました。

ソーサ投手が不調だった14年はルーキーだった三上朋也投手が抜擢され21セーブを記録、15年は亜細亜大学から入団した山﨑康晃投手がルーキーながら抑えに定着して、37セーブを挙げて新人王を受賞しました。翌年以降も守護神として登板し、18年と19年は2年連続で最多セーブに輝き、日本代表でも抑えを務めました。

山﨑投手が不調で苦しんだ20年と21年は三嶋一輝投手が代わりを務めましたが、22年は再び山﨑投手の活躍が期待されます。

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【横浜DeNAベイスターズ】歴代投手の年俸ランキング!歴代最高年俸は佐々木主浩投手の6億5000万円!

ここでは横浜DeNAベイスターズ歴代投手を年俸で順位付けしてみました。なお、年俸と成績は先発・中継ぎ・抑えとしてチームトップの成績を残したシーズンを採用しています。

投手の年俸は先発投手が高くなる傾向がありますが、横浜DeNAベイスターズのトップ5にはリリーフ投手が4人ランクインしました。

順位 年度 選手名 年俸 防御率 勝利数 登板数
1 2004 佐々木 主浩 6億5000万円 3.18 1 25
2 2009 三浦 大輔 3億0000万円 3.32 11 18
3 2010 清水 直行 2億8000万円 5.40 10 26
3 2022 山﨑 康晃 2億8000万円 2.49 0 22
5 2007 M.クルーン 2億0000万円 2.76 3 43
5 2022 E.エスコバー 2億0000万円 2.43 4 32

※山﨑康晃投手、E.エスコバー投手は6/27現在の成績

 

1位は佐々木主浩投手で、メジャーリーグから復帰した2004年の6億5000万円が歴代最高年俸となりました。「ハマの大魔神」の愛称でファンから信頼されていた守護神は、当時のプロ野球歴代最高年俸でプレーした04年は苦しみ、25試合の登板に終わりました。

2位は09年の三浦大輔投手の3億円です。チームの低迷期でもエースとして投げ続けた「ハマの番長」は3億円でプレーした09年は11勝を挙げ、投球回数も200イニングに迫るシーズンでした。

3位は2人が並び、1人目はルーキーだった15年から抑えに抜擢され、新人王に輝いた実績を持つ務めた山﨑康晃投手です。15年から19年まで抑えを務め、一時年俸は3億円を超えましたが、不調だった20年シーズンで下がることとなりました。2億8000万円で迎えた22年は2年ぶりに守護神に返り咲き、6月27日現在で14セーブを記録しています。

同じく3位は10年の清水直行投手でした。ロッテのエースとして活躍していましたが、09年オフにトレードで加入すると、三浦投手が不調だった10年は10勝を挙げる活躍を見せました。

5位も2人が並び、1人目は07年のマーク・クルーン投手です。佐々木投手の代わりに05年から抑えを務め、毎年30セーブ近い成績を残しました。横浜ベイスターズでプレーした最後の年となった07年は2億円でプレーし、31セーブを記録しました。

同じく5位はセットアッパーとして現在も活躍しているエドウィン・エスコバー投手。160キロを超える剛速球で相手打者を打ち取り、18年シーズンから毎年50試合以上に登板しています。2億円でプレーする22年も6月27日現在で32試合に登板しています。

 

私が思う最強の横浜DeNAベイスターズの歴代投手は秋山登投手!

多くの名投手がマウンドに上がってきた横浜DeNAベイスターズで、歴代最強の投手は大洋ホエールズ時代の50年代半ばからエースとして活躍した秋山登投手だと考えます。

ここで、秋山登投手のプロフィールを確認していきましょう。

職業:元プロ野球選手・元プロ野球指導者
生年月日:1934年2月3日
身長:177cm
出身:岡山県
最終学歴:明治大学
血液型:不明

1934年(昭和9年)2月3日生まれ、岡山県岡山市出身。岡山東高校から明治大学へ進み、1956年に大洋ホエールズに入団しました。

プロ通算12年で639試合に登板し、そのうち278試合に先発としてマウンドに上がりました。防御率2.60、193勝、132完投を記録しており、投球回数は2993イニングでルーキーだった56年から3年続けてリーグ1位の投球回数を記録しました。

アンダースローから繰り出される速球と切れ味鋭いシュートを武器に、球団創設から戦力が揃わず、54年から6年連続で最下位を経験したチームを牽引し、チーム自体の勝利数が少ない中で名球会入りまであと一歩の通算193勝を記録しました。

60年に球団史上初となるリーグ優勝を果たしましたが、21勝、防御率1.75の好成績を残し、MVPを獲得する活躍で大きな貢献をした秋山投手が横浜DeNAベイスターズ史上歴代最強エースではないでしょうか。

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横浜DeNAベイスターズの歴代投手に関する豆知識

98年に38年ぶりのリーグ優勝と日本一に輝き横浜の街を熱狂させた当時の横浜ベイスターズでしたが、98年以降は02年から3年連続、08年から5年連続で最下位になり、低迷期に突入しました。その中で奮闘したのが現在監督を務める三浦大輔投手でした。

プロ2年目の93年から先発を任されるようになり、最多勝の獲得経験はないものの通算25年で172勝を記録しました。低迷期には相次ぐ主力の移籍や功労者に対する球団の冷酷な対応が問題になり、08年オフに自身もFAで阪神に移籍するか、残留するかで悩みました。

ファン感謝祭でファンの声を聞き、残留を決意して引退まで投げ続けた三浦投手。成績だけでなく、低迷したチームで奮闘して横浜愛を貫き通した「ハマの番長」は、監督になった今でもファンに愛されています。

まとめ

・横浜DeNAベイスターズの先発投手は秋山登投手や平松政次投手、遠藤一彦投手が多くのシーズンでチームの勝ち頭だった。

・中継ぎでは木塚敦志投手が最優秀中継ぎ、抑えでは佐々木主浩投手が最優秀救援やMVP、山﨑康晃投手が最多セーブと新人王に輝いた実績がある。

・歴代で一番年俸が高かったのは、04年シーズンの佐々木投手の6億5000万円。

・秋山投手は球団創設期に通算12年で193勝を挙げ、60年の球団史上初のリーグ優勝に大きく貢献した横浜DeNAベイスターズ歴代最強の投手である。

 

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