中嶋聡の凄さが分かる名言・語録集!オリックスを変えた苦労人の伝説エピソードからリーダー論まで
日本シリーズ9連覇、いわゆるV9と言えば、1965年から73年にかけて読売ジャイアンツが達成した金字塔です。その陰に隠れて忘れられがちですが、その9年間のうち5回の対戦相手は阪急ブレーブス(現オリックスバファローズ)です。山田久志ら好投手をそろえ、快足の福本豊、強打の長池徳士らが活躍した強豪チームでした。その阪急に在籍したことのある最後の選手となったのが中嶋聡です。
阪急ブレーブスは1988年にオリックスに譲渡され、オリックスブレーブスとなり、その後オリックスブルーウェーブと名前を変えます。2004年末に近鉄バファローズとの球団合併、オリックスバファローズになるという紆余曲折のあった球団ですが、阪急時代にはメジャーリーグで1401安打の実績を持つダリル・スペンサーによってメジャー流の野球が流入し、名将西本幸雄や上田利治のもと、パリーグの強者として実力を持ったチームでした。
中嶋はそこで日本一のアンダースロー投手である山田久志、最年長ノーヒットノーランの佐藤義則、完全試合男の今井雄太郎、星の王子さまこと星野伸之らのボールを受け、後に西武ライオンズ移籍後は松坂大輔、日本ハムファイターズではマイケル中村、ダルビッシュ有など、時代を代表する多くの投手とバッテリーを組みました。
29年にもわたる豊富な経験をもとに、指導者として古巣となるオリックスを率い、2021年シーズン前半を首位で折り返すという結果を残した中嶋。
今回は中嶋聡の凄さが分かる名言や語録を紐解き、オリックスを変えた苦労人の伝説エピソードからリーダー論にまで迫ります。
中嶋聡について
まずは中嶋聡の経歴を追ってみます。
1969年3月27日生まれ、秋田県北秋田郡鷹巣町(現北秋田市)出身、野球をはじめたの小学5年生からで、中学生の時に東北大会優勝。鷹巣農林高校に進学しますが、甲子園出場はならず、全国的には無名の選手でした。1986年のドラフト会議で阪急ブレーブスに3位指名され入団します。たまたま秋田大会で中嶋がホームランを放つのをブレーブスのスカウトが見ていた結果でした。
ルーキーイヤーに1軍初出場を果たし、翌1988年に初安打と初本塁打を記録。2本放った本塁打のうちの1本は、秋田県の先輩である山田久志の引退試合でした。
1989年に阪急はオリックスに代わると、中嶋は走攻守に優れた捕手としてレギュラーを獲得。しかし1993年頃から打撃不振もあり、他の捕手との併用となりますが、1995年には佐藤義則の史上最年長でのノーヒットノーランの際にバッテリーを組み、阪神淡路大震災を乗り越え、チームの1995年と96年のリーグ連覇に貢献します。
1997年オフにFA宣言し、米メジャーリーグに挑戦しようとしましたが話がまとまらず、西武ライオンズに移籍。1999年にはルーキーだった松坂大輔が登板の際にマスクをかぶり、松坂の新人王獲得に尽力しました。
2002年オフにトレードで横浜ベイスターズに移籍。1年限りで再びトレードにより、日本ハムファイターズに移籍します。抑え投手のマイケル中村登板の際にマスクをかぶり、抑え捕手として活躍し、2007年からは兼任バッテリーコーチも務めます。2013年に野手として実働27年という記録を達成。2015年に工藤公康に並ぶ実働29年の日本記録に並びます。そのオフに現役を引退。
プロ通算29年間で804安打、55本塁打、通算打率.232。ゴールデングラブ賞1回、ベストナイン1回。
引退後はファイターズやバファローズのコーチを務め、2020年シーズン途中からバファローズの監督代行となり、2021年に監督就任し、前半戦を首位で折り返しました。
私が選ぶ、中嶋聡の凄さがわかる名言・語録集
【名言語録その1】
「伸びてくるやつというのは、プロセスがしっかりしている」
29年のプロ生活の中で、中嶋は400人を越える投手のボールを受けてきました。若い頃には通算284勝のサブマリン山田久志や、後にコーチとしてダルビッシュ有や田中将大を育てた佐藤義則らから学び、経験を重ねた後に若き日の松坂大輔やダルビッシュ有といった投手のボールを受けてきました。捕手は投手の女房役と言われるだけに、その言葉には重みがあります。
一時的な結果は運に左右されることがよくあります。しかしプロ野球は積み重ねだったり、アベレージを競う競技です。それだけに勢いよりもプロセスが大事であり、そこをしっかり理解している者が力を伸ばすのでしょう。
監督に就任し「まだまだ自分本来の力を出し切っていない選手が多い」と語る中嶋ですが、若手を積極的に起用し、まさに進化のプロセスを着実に経験させているように思います。
【名言語録その2】
「あまり僕に期待しないほうがいいと思います。期待するのは選手にしてほしいなと。僕は、たいしたことないんで」
監督就任会見でそう語った中嶋。しかし2020年8月に監督代行となってから、チームは勝率を1割3分近く上げ、打率も防御率も引き上げた手腕に、ファンからの期待が集まるのはやむを得ないでしょう。
近年、そこそこ戦力が整っているのに、結果はなぜか下位争いを繰り広げるバファローズ。しかし投手では日本のエース山本由伸もまだ高卒5年目、そして期待の宮城大弥。野手では紅林弘太郎、中川圭太、頓宮裕真、宗佑磨らがすでに1軍で躍動し、そこに中堅の山崎泰輔、吉田正尚、杉本裕太郎がいて、ベテランの平野佳寿、T岡田がいる布陣はバランスがよく、強力です。
特に若手の育成については、選手がミスを犯しても「なんとか取り返そうとする姿が必要だと思うので、その姿を見せてくれたら、僕は別に我慢はできますね」と腹を据えています。
松坂大輔やダルビッシュ有を支えた手腕と、東北人らしい粘り強さで、更なるチームの底上げが期待されます。
【名言語録その3】
「楽しいものなんで、野球は」
中嶋の出身地である秋田県は、プロ野球選手を輩出した数は少ないのですが、個性的な選手が多くいます。例えば史上最多3度の3冠王となった落合博満、史上最高のアンダースロー山田久志、近年では石川雅規、攝津正、甲子園を騒がせた吉田輝星など面白い存在が目白押しです。
今でこそ随分と改善されましたが、雪国である秋田の練習環境は決して恵まれたものではありません。そんな中でも野球をやり続けるのは、なによりも野球が楽しいからだろうと思います。それは秋田の隣県である岩手出身の大谷翔平にも共通していることかもしれません。
そして中嶋が入団した阪急ブレーブスは、なぜか人気があまりなく、ジャイアンツには勝てなかったのですが、個性的で魅力のある選手がたくさんいました。更に中嶋は上田利治、仰木彬、トレイ・ヒルマンといったタイプの異なる名将のもとで学んでいます。
多くの個性と接し、様々な戦略を学び、しかしその根底には野球を楽しむ心がある中嶋。いつか彼が名将と呼ばれる日がくるかもしれません。
名言からの学び
・成長するにはプロセスが大切である
・人を育てるには我慢が必要である
・楽しむ心が原点である
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