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北川博敏の凄さが分かる名言・語録集!代打逆転サヨナラ満塁釣銭なし優勝決定ホームラン男の伝説エピソードから努力論まで

プロ野球の長い歴史の中では、珍しい記録というものがいくつかあります。たとえば上田二朗の救援登板での完封勝利、大松尚逸の1イニングに3打席立つ(しかもうち2打席でアウトになる)、吉野誠の1イニングで64球を投げたなどありますが、まさに奇跡としかいいようのない、マンガやドラマでも考えられない、代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームランを放ったのが北川博敏です。

プロ野球において、代打逆転サヨナラ満塁ホームランは、過去に8回記録されていますが、それは15回記録されている完全試合よりも珍しい記録です。しかも北川は優勝を決定する試合でそれを放ち、しかもスコアは6対5ですから、いわゆる「釣銭なし」(きっちり1点差で勝ち越すこと)でもあり、「代打逆転サヨナラ満塁釣銭なし優勝決定ホームラン」という史上もっとも劇的で、もっとも長い形容詞のついたホームランとなりました。

それは間違いなくプロ野球史に残り続ける一発であり、今は無き近鉄バファローズの名場面としても語り継がれています。

今回は代打逆転サヨナラ満塁釣銭なし優勝決定ホームランを放った北川博敏の凄さが分かる名言や語録を紐解き、その伝説エピソードから努力論にまで迫ります。

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北川博敏について

まずは北川博敏の経歴を追ってみます。

1972年5月27日生まれ、兵庫県伊丹市出身。埼玉県立大宮東高校では、同校初となる夏の選手権大会で甲子園に出場し、卒業後は日本大学に進学。大学時代には首位打者を獲得したり、日米大学野球の日本代表に選ばれるなどの活躍を見せ、1994年のドラフトで逆指名2位で阪神タイガースに指名されて入団します。

タイガースではルーキーイヤーから1軍登録され、初安打も放ちますが、矢野輝弘(現在は燿大)らの壁は高く、なかなか出場機会を得られませんでした。2000年のオフにトレードにより、大阪近鉄バファローズへ移籍。

近鉄ではその強打をかわれ、2001年にプロ初本塁打やサヨナラ打を放つなどチームの快進撃に貢献し、9月26日の勝てば優勝決定という試合で、代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームランをスタンドに叩き込み、チームを12年ぶりに、そして近鉄として最後のリーグ優勝に導きます。

その後、近鉄いてまえ打線の中核のひとりとして活躍しますが、2004年オフの球界再編騒動により近鉄が消滅。新規参入の東北楽天ゴールデンイーグルスとオリックスブルーウェーブ(現オリックスバファローズ)との分配ドラフトによりオリックスに移籍します。

オリックスではケガや外国人助っ人とのポジション争いを強いられる中、中軸として活躍しますが、2011年に骨折の後、更にアキレス腱断裂と度重なる大ケガをし、2012年シーズンをもって引退します。

プロ通算18年間で、1076安打、102本塁打、通算打率.276。

引退後はオリックス、ヤクルトスワローズ、阪神タイガースでコーチを歴任しています。

 

私が選ぶ、北川博敏の凄さがわかる名言・語録集

【名言語録その1】

「僕はホームランで人生が変わった」

2012年の引退会見での言葉です。北川の人生を変えたのは間違いなく、2001年9月26日に放った代打逆転サヨナラ満塁釣銭なし優勝決定ホームランです。プロ野球史上、唯一のドラマを演出したそのホームランは、プロ野球が続く限り語り草になると思いますし、北川の名前は残り続けるでしょう。

9回裏、4人目の打者となる古久保健二のところで北川が代打で出ることは、攻撃が始まるところで決まっていたそうです。4人目ですからひとりランナーがでないと回ってこないわけですが、ランナーひとりどころか満塁で打順が巡ってきます。

マウンドの大久保勝信は、この年ルーキーながらも7勝14セーブをあげて新人賞を獲得することになる投手です。北川は大久保のフォークボールを警戒し、低めには手を出さず、高めの速球を狙っていたそうです。「結果的に打ったのはスライダーでしたけどね」と北川は笑いますが、場面が場面だけに、結果がすべてです。まさに結果で自分の成功を勝ち取ったと言えます。

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【名言語録その2】

「割り切りというか、覚悟。そういうものを持たないと、結果なんてついてこない」

代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームランは、ボールカウント1ボール2ストライクと投手が有利の状況で放たれた一打でした。優勝決定試合の9回裏3点ビハインドでノーアウト満塁という場面ですから、2ストライクに追い込まれると、つい外野フライでもいいと思い、当てに行ってしまうものですが、しっかりと振り切った北川は見事だったと思います。

割り切り、あるいは覚悟についてはタイガース時代に監督だった野村克也から教わったものだそうです。北川は「割り切ると言っても、まっすぐだけだったら、結局なんでも振っちゃうような感じになるので、外のまっすぐとか高めの変化球とか、そういう二段構えを常に意識するようにしたことは、僕にとってすごくプラスになりました」と語っています。

奇跡のホームランも、大久保のフォークを警戒し、高めのまっすぐを意識した結果、まっすぐとある程度同じタイミング待てるスライダーを捉えたのでしょう。

 

「技術じゃないですよ。技術なんて、一軍にいる以上はみんなあると思うので、ちょっとしたその場での考え方とか、メンタル的なものです」

最近はスポーツにおいての根性論に否定的な意見も多いのですが、人気アニメ「ハイキュー」の中で孤爪研磨というキャラクターが「根性って多分、最終奥義。精神と体力を鍛えてきた者が満を持して発動できるもの」と語っています。おそらくそれは正解で、まだ初級レベルに根性論は不要ですが、プロフェッショナルになれば必要になるものなんだと思います。

ゆえに北川のホームランはプロフェッショナルだからこその一発だったといえるでしょう。

 

【名言語録その3】

「僕にとったら近鉄っていうのは、野球をやる場所を与えてくれたし、自分はプロ野球選手なんだって感じられた球団だった。プロ野球人として、人生を変えてくれた球団だったんです」

近鉄最後の監督である梨田昌孝は、北川について自らの著書で「自分がスタメンに起用されなくても、チームメイトが本塁打を放って戻ってくると、満面の笑顔でハイタッチをしている」と評価し「私は、バファローズというやんちゃな集団には、北川のような存在も必要だと感じ、3対3の交換トレードの際に北川も要求した」と書いています。

北川はタイガース時代について「結局自分を見つけられないまま、その場しのぎのスタイルを作っていた」と語っています。しかし近鉄ではヒットが出ずにいた試合後、梨田から電話があり、2軍落ちかと思ったら「ベンチでもいいムードを作ってくれている。確かに打って欲しいけど、成績だけで落としはしないから、とにかくチームのために頑張ってくれ」と言われ、それで心に余裕が生まれて、自分のスタイルを見つけられたのだそうです。

バファローズの名を受け継いだオリックスでも、T岡田は「僕が入った頃から、北川さんみたいな親しみやすい先輩がいて、そういう雰囲気が今も受け継がれている」とファンに話しています。

自分の経験を生かし、コーチとして、選手が自分の人生を変える一打を放つ環境をしっかりと整える、そんなコーチとして北川は無くなったチームが残した良き伝統を引き継いでいるのだと思います。

 

名言からの学び

・人には人生を決める瞬間がある。

・覚悟するには根性がいる。

・良き伝統は受け継がれていく。

 

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