米田哲也の凄さが分かる名言・語録集!ヨネボールが武器の天才タフマン投手の伝説エピソードから人生哲学まで
日本で1番高い山は富士山ですが、2番目はなんでしょうか?日本で1番大きい湖は琵琶湖ですが、2番目はなんでしょうか?では、プロ野球でもっとも勝ち星を上げているのは400勝の金田正一ですが、2番目は誰でしょうか?その答えは通算350勝の米田哲也です。
歴代投球回数でも、歴代登板数でも、史上2位の記録を持つ米田ですが、通算先発回数や19年連続2桁勝利など史上1位の記録も持っていますが、残念ながら金田ほどの知名度はありません。黙々と投げ込むタフネスぶりは驚異的で、「ガソリンタンク」や「人間機関車」「タフマン」などとあだ名されました。
また「ヨネボール」と呼ぶフォークボールを武器としていて、門田博光が若かったころには「若造にはもったいない」と投げてはくれず、南海ホークス相手では三冠王の野村克也にしか投げなかったそうで、マサカリ投法で有名な村田兆治は米田のフォークボールを手本にしたそうです。
今回は「ヨネボール」を操って350勝を上げた米田哲也の凄さが分かる名言や語録を紐解き、天才タフマン投手の伝説エピソードから人生哲学にまで迫ります。
米田哲也について
まずは米田哲也の経歴を追ってみます。
1938年3月3日生まれ、鳥取県米子市出身。境高校で顔の怖さから投手に抜擢されたそうですが、甲子園への出場はありませんでした。しかし地方大会で、プロが注目する好投手と堂々と投げ合い、スカウトから注目されます。卒業後は阪急ブレーブス(現オリックスバファローズ)と阪神タイガースとの二重契約の末、コミッショナー裁定でブレーブスに入団します。
ルーキーイヤーから51試合に登板し、200イニングを越える投球を見せます。2年目の1957年に21勝を上げて、左腕の梶本隆夫に対し、右のエースとして活躍します。そこから19年間連続で2桁勝利という驚異的な記録を残します。登板数が多く、日本プロ野球史上歴代1位となる先発数の他に、毎年20試合前後のリリーフ登板をし、プロ入りから15年連続で200イニング以上を投げています。
1968年には自己最多となる29勝を上げてリーグ優勝に貢献しMVPを獲得。低迷していたチーム成績も60年代後半には上昇し、阪急黄金期の柱のひとりとして、6度のリーグ優勝に導きますが、時代はV9読売ジャイアンツと重なっており、1度も日本一には手が届かず、阪急初の日本一に輝く1975年にはシーズン途中で阪神タイガースに移籍し、美酒を味わうことはできませんでした。
1977年に近鉄バファローズ(現オリックスバファローズ)に移籍しますが、この年限りで引退。プロ通算22年間で350勝、防御率2.91。MVP1回、最多勝利1回、最優秀防御率1回。通算626先発は史上1位、被安打4561、失点1940、自責点1659も史上1位。
引退後は解説者やスナック経営の他、阪神やオリックスのコーチを歴任、野球殿堂入りも果たしています。
私が選ぶ、米田哲也の凄さがわかる名言・語録集
【名言語録その1】
「フォークでもコース、高さをきちんと投げ分けられる。そうなって初めて試合で使える球になるんです」
「ヨネボール」ことフォークの使い手として有名だった米田ですが、指が短くて、ちゃんと挟めるようになるまで5年かかったそうです。そして米田はそれがどこに落ちるか投げてみないとわからないのではなく、しっかりとコントロールできるまで磨き上げました。
「今のピッチャーの高めは、みんな抜け球やないか。そこを意識して投げられるようにならんとあかん」
近年の投手は低めに意識して投げることが強調されています。しかし空振りの三振を狙うのに、高めの速い釣り玉が有効なのは今も昔も同じです。
米田に言わせれば高めの速球を痛打されるのは、それがたまたまそこに行った球であり、狙って投げる球ならば簡単には打たれないということなのでしょう。
そのタフさに注目されることが多い米田ですが、フォークにしてもストレートにしても、単に落ちるとか速いとかいうことではなく、自分が思うようにコントロールしてこそ使える球になる、という繊細な技術を磨き上げたからこそ、350もの勝ちを手にできたのでしょう。
【名言語録その2】
「カネさんの生前は口が裂けても言えなかったけど、400勝を抜けると思ったことは何度もあります」
カネさんというのは400勝投手金田正一のことです。金田が亡くなり、米田がその思い出を語る中で口にした言葉です。実際に金田の生前には、400勝は無理だったろうと発言していますから、こちらが本心なのではないでしょうか。
金田正一の凄さがわかる名言・語録集!天才投手の努力論や人生哲学まで迫ってみた!
「僕がプロでやれるかもと思ったのは、高校時代に地元鳥取の米子で、阪神-国鉄戦を初めて観戦した時だった。阪神の渡辺省三さんはコントロールはいいけど球は遅いし、カネさんは球は速いけどコントロールが悪かった。正直、これなら僕でもいけると思ったからね」
渡辺省三はコントロールのいい技巧派投手として134勝をあげ、米田がライバル視していた小山正明の手本となり、後にスカウトとして新庄剛志や野田浩司などを発掘した選手で、金田は言うまでもなくアンタッチャブルレコードである400勝を記録する大投手です。
一流のプロの投げ合いを見て、大したことないと思う末怖ろしい高校生が米田でした。
300勝に達したのが1971年で33歳。この年14勝し、前年は16勝ですから、40歳までそのペースで投げられれば400勝の可能性はあったわけです。
「だけど不思議でねぇ。300勝の上、カネさんでしょ?僕でしょ?小山さんでしょ?鈴木啓示でしょ?みんな弱い球団の出身やねん」
400勝の金田は国鉄スワローズ(現ヤクルトスワローズ)、320勝の小山は阪神タイガース、317勝の鈴木啓示は近鉄バファローズ、そして350勝の米田は阪急と、歴代勝数4位までは、確かにチームが弱い時期に入団し、活躍している選手ばかりです。
どの投手も強いチームにも負けたくないという負けん気の強さを、弱小球団でも持ち続けたことが原動力になっていたとすれば、金田も抜けると考えたという米田の気持ちは本物だったのだろうと思います。
【名言語録その3】
「できるのに、自分の限界に挑戦しないんです。筋肉ちゅうのは挑戦して、強くしていかなきゃいかん」
プロOBとして高校生への指導に関わった際、米田は「今の子は技術的に素晴らしいし、僕らの時よりずっと進んでいるってことやね。もう、すごいもんがありますよ」と褒めています。しかし同時に「ただ体力面やね、問題は」とも指摘しています。
米田は体力を強化するために、もっと昔のように野球以外にも、いろいろなスポーツに取り組めるといいと話しています。体力強化についても一家言あり、投げ込みに肯定的です。
「投げすぎたらケガするなんて思想はプロとしておかしいだろ。みんな守ってる。もっと挑戦しろよって言いたい」
野球は基本的に9イニングを消化しなければなりません。誰かが投げなければ終わらないのです。ゆえにどんな場面でもイニングを稼げる投手は貴重です。数多く投げられる投手はそれだけで価値があります。
「よく『肩は消耗品』と言うけど、思う人はそう思うやろ。『消耗品』て言うたって、楽したからって早くパンクするヤツもいる。鍛えなきゃいかんですよ。鍛えて強くすることがプロの宿命、役目なんです」
「いまは投げ過ぎると壊れるというので、100球がメドになっていますが、100球のピッチャーが150球投げたら壊れますよ、そりゃあ。そうならんようにするためにキャンプで300球投げ込むべきなんです。そうすれば100超でビクビクなんてことはなくなるんです」
昭和的な精神論だと否定する人もいるでしょうが、米田の主張にも一理あります。少なくとも米田や昭和時代の投手の中には、それで何かを得て、結果を残した選手が間違いなくいるからです。
それぞれ体力にも個人差があり、他者のやり方のすべてを否定できる一般論は存在しません。目標に達するため、時にハードワークを必要とする人もいるだろうと思います。それを精神論だ、科学的でないと片付けてしまうことは出来ないのではないでしょうか。
米田のような経験から得たものを否定するのは簡単です。
しかしそういった経験論の方が生かせるタイプの者がひとりでも存在するとしたなら、こういう発言を残す価値があるだろうと思います。案外、350勝を越えるのはそういう選手かもしれません。
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名言からの学び
・どんな技術もコントロールできなければ意味がない。
・逆境こそ突破力になる。
・完全な理屈はどんな世界にも存在しない。
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