藤川球児の凄さが分かる名言・語録集!メジャーから復活した阪神の天才セーブ王の伝説エピソードから人生哲学まで
NPB所属の日本人選手がメジャーリーグに移籍するには、球団がポスティングを許すか、海外FA権の取得が必要ですが、後者の場合、1軍登録期間が9年間必要であり、およそ30歳前後での移籍が多くなります。
そのためメジャーから日本に復帰しても、年齢的に往年の力をみせられないまま引退するケースが多いようです。しかし少数ですがバリバリ活躍している選手もおり、そのひとりが藤川球児です。
藤川はいわゆる「松坂世代」の生き残りであり、かつてはジェフ・ウイリアムス、久保田智之と共に「JFK」と称された強力救援陣の一角を担い、2020年シーズンには通算250セーブ達成が期待できます。
全盛期には清原和博や矢野燿大らがプロ野球ナンバーーワンと絶賛する、分かっていても打てない浮き上がるかのような「火の玉ストレート」で、幾つもの三振を奪い、たくさんの名場面を生み、関西のファンのみならず、多くの野球ファンを魅了しました。
日本復帰後はかつての「火の玉ストレート」ほどの威力はありませんが、高スピンのストレートはまだまだ空振りを取れるほどの威力があり、40歳を前にしても1点台の防御率でクローザーを務める姿は、まさに驚異的です。
今回は衰え知らずの藤川球児の凄さが分かる名言や語録を紐解き、メジャーから復活した阪神の天才セーブ王の伝説エピソードから人生哲学にまで迫ります。
藤川球児のプロフィール詳細
まずは藤川球児の経歴を追ってみます。
1980年7月21日生まれ、高知県高知市出身。高知商業高校では2年の時に夏の選手権大会に出場し、高校日本代表にも選ばれ、1998年のドラフト1位指名で阪神タイガースに入団します。
2000年には1軍初登板をしますが、先発ではなかなか結果が出ず、解雇寸前まで追い込まれますが、山口高志と中西清起というかつてクローザーを経験したコーチたちの指導もあり、中継ぎに転向。2004年の後半には1軍に定着します。
2005年、セットアッパーとしてジェフ・ウイリアムス、久保田智之と共に「JFK」と名付けられた救援陣の一角を担い、17試合連続ホールドの日本記録を達成。80試合に登板して、最優秀中継ぎ投手となります。
2006年には久保田の故障でクローザーとしても活躍、翌2007年からはクローザーとなり、この年、最多セーブ投手を獲得します。2006年に出場したWBCでの経験からかメジャー移籍を考え始めますが、ポスティング移籍のについては球団に拒否されます。
2008年は北京オリンピック代表に選ばれ、シーズンでは通算100セーブを記録。その後も各種国際大会の日本代表に選ばれ、またシーズンもクローザーとして着実に実績を積み重ね、再三メジャーへのポスティング移籍を希望しますが、実現せず、2010年には通算150セーブ、2011年にはプロ野球史上初の通算100ホールドと100セーブを記録します。
2012年に通算200セーブを記録し、オフにはFA権を行使してメジャーリーグへの移籍を表明。シカゴ・カブスへ移籍します。しかし故障による手術もあり、2015年からはテキサス・レンジャースに移籍するも途中解雇。日本に戻り、独立リーグの四国ILリーグに入団。
2016年に古巣阪神タイガースへ復帰。当初は先発を務めましたが、その後はクローザーやセットアッパーを務め、毎年50試合程度の登板をし、チームを支えています。
2019年シーズン終了時点で、日本プロ野球通算17年間、59勝、162ホールド、241セーブ、防御率2.02。最多セーブ投手2回、最優秀中継ぎ投手2回。メジャーリーグ通算3年間、1勝、1ホールド、2セーブ、防御率5.72。
私が選ぶ、藤川球児の凄さがわかる名言・語録集
【名言語録その1】
「清原さんのあの発言があったから、僕は変った。だから、あれは僕へのアドバイスだったと思っています」
2005年4月、当時、読売ジャイアンツに所属していた清原和博との対戦で、藤川の代名詞ともいうべき「火の球ストレート」を待っていた清原に対し、藤川はフォークを投げて三振に打ち取りました。すると清原が男らしくないという意味の下品な暴言を、藤川に浴びせかけるという事件が起きます。
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この事件は話題となり、暴言はともかく、二人の力勝負を見たいとするファンもいれば、プロとして個人の勝負よりもチームの勝ちを優先すべきというファンと、賛否両論が沸き起こりました。
もちろんひとりで野球はできないなので、まずはチームの勝利を優先するのは間違ってはいません。しかし、プロスポーツはエンターテイメントでもあります。個性がぶつかり合うプロの世界ならではの、個対個の戦いもまたファンとしては見たいところです。特に子どもたちに野球の面白さを知ってもらうためには、個の優れた技や勝負を、彼らの記憶に残すことも大事だと思います。
清原の行為が良かったとは言えませんが、少なくともそれをアドバイスだと感じて、ファンに見せる自分の武器を自覚した藤川は、その2ヶ月後には清原に「完敗」だと認めさせるストレートで三振に取りました。それは藤川がプロとして、見せる凄みを増した瞬間だったのだろうと思います。
特に子どもの頃には喘息で苦しみ、長距離走は走れなかったという藤川の変貌した姿は、同様の子どもたちに夢を与えた筈です。
【名言語録その2】
「時代の流れに抗う、戦う。体が苦しくても諦めない」
いわゆる「松坂世代」の藤川ですが、同じように40歳を前にあがく松坂について「自分も苦しい。でも松坂の苦しさは他の人とは全く違う。今はそれも共有できている。同志ですね」と語っています。
かつて「松坂は天才」と、距離を置いていた藤川も、松坂同様にメジャーリーグを体験し、再び日本に復帰するといった経験の中で、「同志」という感覚を持つに至ったようです。
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とはいえ藤川も阪神タイガースという関西では特別な人気球団のドラフト1位でした。藤川も「タイガースという人気のあるチームで、人気だけに後押しされてスタープレーヤーになっていく人を数多くみてきましたし、当時はそれが当たり前でした」と話しており、松坂とは違う意味でスターに押し上げられていた時期がありました。
その意識が変わったのが、移籍選手たちによるものです。「金本さんや矢野さんや下柳さんが来て、本当のスタープレーヤーとはこういう人たちだと気づいた」という藤川。彼らは「決しておごらず、周囲のことも認める」姿勢を持ち、自らはもちろん、周囲をも高める意識を持っていました。
間もなく達成しそうな250セーブについて、藤川は「興味ないですね」と素っ気ない返事を返します。「その数字を目指したりとか、届いた人たちはリスペクトしなきゃいけない。素晴らしい記録なんで。でも僕自身の価値観はそこにない。ただ野球が好きでやってるので」と話しています。
好きなことは仕事にしないほうがいい、と言う人もいますが、好きなことを仕事にしても好きなままでいられるのは、そのために苦しさや抗うことを受け入れられるからなのでしょう。
【名言語録その3】
「野球をするために日常を割くんじゃなくて、日常の中に野球がある感じ」
テキサス・レンジャーズを解雇になった時、一ヶ月以内にメジャーに戻すから残って欲しい、という話もあったそうです。しかし藤川は日本に帰り、しかも生まれ育った高知県に戻ることを選択しました。
「子どもたちに高知の夏を体験させたかった」と語り、四国ILリーグからの報酬は受け取らず、収益から児童養護施設へ寄付をするという条件でした。
「野球をするっていうのが自分のやりたいことであって、どこでやりたいかが一番にあるわけじゃない。お金にならなくても楽しいものは楽しい。独立リーグで試合をして、抑えて楽しい、打たれて悔しいって、純粋に感じられたんですよね。辞めるのはいつでも辞められる。だったら楽しく野球を続けようって」
そこにスタープレーヤーとしての自負は感じられません。ただ好きなことを続けられる喜びがあります。そしてそれはプレーヤーとしても、人間としても簡単にできることはありません。藤川は野球を通してプロになり、スターになり、人間としても成長したと言えます。
「いつも思うのは、変らない自分でいることですよね。平均点を高く出していくということが自分のやり方なんで」
しかし平均点を高く出していける人は、そういません。
誰もが経験したであろう入試にたとえれば、平均点を高く維持することがいかに難しいかわかります。
それができること自体、藤川の非凡さを証明しているのです。
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名言からの学び
・変るためのきっかけは何でもいい。
・苦労も楽しめるのがプロ。
・非凡は平凡を知らない。
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